■昨日の夜から窪島誠一郎さんの『信濃デッサン館日記』(講談社文庫)を読んでいる。先日、義父と話していて画家の村山槐多(かいた)の名前が出たので「その人のことが書かれた本を読みました」と言うと、「窪島君のじゃないかな」と奥の部屋から持ってきたのが、この本だった。わたしが読んだもの(夭折画家たちの人生に光を当てた『わが愛する夭折画家たち 講談社現代新書』)とは別の本だったので、借りて読みだしたのだが、これが実に面白い。「火の玉のように燃え尽きた早死にの絵描きたちの燃焼力やいちずさ」に魅かれ、彼らのデッサンばかりを集めた美術館を作ろうと思い立った窪島氏は、多くの人の手あつい力添えを受け、夢を形にした。「小さな過疎地の美術館だけれども、全国でこんなに幸福なあたたかい境遇にある美術館も少なかろう」と誇り、経済の工面から生まれた連帯感とそれぞれが抱いた完成への情熱が「貧しい掘ったて小屋美術館に一流のハクをつけた」と言う。■『パコダテ人』完成までの道のりと重ね、読んでしまう。15秒CMで使い果たすような低予算であれだけの作品が仕上がったのは奇跡に近い。広告関係者は誰も信じないだろう。たくさんの人の時間や場所や物や気持ちをいただき、お借りし、お礼を言うべき人々に逆に「ありがとう」と温かい言葉をかけられる幸せな作品である。何億という予算をかけた大作の派手さはないけれど、注がれた愛の総量だったら負けないと胸を張れるし、それは観る人にも伝わるはずだと思う。だが、北海道先行公開5か所のうち4か所で予定日より早く上映が終了するとの知らせ。聞こえてくる評判に気を良くしていただけに、面食らう。わかってもらえるというのは甘えなのか、それとも時間が足りないだけなのか。信濃デッサン館日記の続きを読みながら考えてみる。