浅間日記

2009年11月30日(月)

先刻Hがよばれていったインターネットラジオ番組の、
音版のゲラみたいなものがあがってきたので、皆で聴く。

上手く編集してあるなあと、Hが驚く。
つっかえたり、いい間違えたところとか、話題が変わったところが、
違和感なく除去され、切り貼りされているのらしい。

バックグラウンドの音楽や効果音も、後でかぶせるのだそうである。

たいしたもんだね、と皆で感心する。

2007年11月30日(金) 資産家家族
2006年11月30日(木) さらば自民党
2005年11月30日(水) クラークケントまがい
2004年11月30日(火) 空調考



2009年11月24日(火) 理不尽な権力を感じる者との対話

ラジオの「気になることば」なるコーナー。
今日は、特定の職場内でのみ通用する、いわゆる仕事用語についての説明。

1日を「ついたち」といわず「いっぴ」と呼ぶことや、
出先から職場にもどらずに帰宅することをさす「直帰」「N.R」「らず」なる表現。辞書にあるような本来の意味とは違う使われ方がされているものもある。

興味深かったのは、「政治的判断」という表現。

議論を尽くし、客観性、公平性をもって、という意味かと思っていたが、そうではなく、
「相手との力関係に鑑みて決める」という意味で使われているらしい。

係長は不本意ながらも部長に従う道を選ぶ、ということだ。



言葉は生き物である。
社会の霞か霧のような集団心理を付着させながら、変化する。



そう、政権交代しようが何だろうが、「政治的」は未だに「権力的」と双子の兄弟なのだ。

「政治主導」という言葉に込めた民主党の願いや意気込みは、空しくもかように化学変化を起こし、
結局のところ私達は、自民党政権時代と同じように政治に権力を感じている。

否、むしろ政権交代をしたからこそ、それまでのならい−良しにつけ悪しにつけ−が次々とひっくり返される中に、権力を感じるのかもしれない。



私は思う。

つまり、大きな判断をするのが政治の役割で、それを誰が担っても満場一致の解はなく、
政治に対して理不尽な権力を感じる者は常にいる。そういうことだ。

そうであるならば、その者との対話をどのように継続していくかは、政治手腕の一部に初めからビルトインされていなければいけない。

事業仕分け作業を遠巻きに見るだに、そう思う。

2006年11月24日(金) ここに残るということ



2009年11月23日(月) 中年らしいエレガントなプロセス

息子が家族に加わって、だいたい1年半ほどになる。

親というのは、子どもの成長を保障し、促すのが努めである。

その「促し」において、様々な手法が用いられるのであるが、
Aを育てる中で培ってきたあの手この手のいくつかが、
息子によって「無効」の烙印を押され始めている。

言葉で説得してもだめである。
怖い顔をしたり注意喚起の脅し文句を言うぐらいではびくともしない。
撤去しても撤去しても、危険物は発掘、開発される。

「通用しない手段」は、今後いっそう増えそうな見通しなのである。



男の子育てというのは、かくも悪戦苦闘するものであったのか。
あるいは、男女に関わらず別の人格には別の手法が必要ということか。

そうは言っても、若い母親ならばともかく、中年にさしかかった女が、
いたずら坊主を−疲弊しながら−いちいち追い掛け回す様は、けっこう見苦しいのである。

障子の桟を折り、テーブルの縁に椅子を乗せ、腰掛けて喜ぶ息子へ、
禁止行為の合意に至るための−中年らしいエレガントな−プロセスを、
自分のプライドにかけて見出さねばならない。

2007年11月23日(金) 
2006年11月23日(木) 
2005年11月23日(水) 
2004年11月23日(火) 



2009年11月19日(木) something greatとhumanbeing

看病生活の次は、お山の仕事である。

県境に近い自然災害跡地に入る。
そんじょそこらの災害地ではなく、並大抵の荒廃ではない。
集落を飲み込み、道を飲み込み、何もかもを撹乱した場所である。

広い谷の中央に広がる不自然な平坦地は。すべて向こうの山から一気に押し寄せた土砂だ。その土砂に削られた両岸の断崖は、生々しい傷跡を残し延々と下流まで続いている。

一瞬のうちに大量の土砂が押し寄せたということが、
その時の轟音や土砂のエネルギーとともにたやすく目に浮かぶ。

被災からとうに二十年以上が経過しているが、そこに立つだけで身がすくむ。



地球の活動に対して、人間の存在はあまりに小さい。

けれども、人は人なりに一生懸命存在しようとする。

地質年代からみればほんのつかの間の人の世を保つために、
知恵と勇気と汗によって、山腹を安定させ、土砂を秩序ある流下に導き、
ささやかな命の隙間をつくっている。

再び同規模の土石流があったとしたら、こんなものは再び土砂の下に埋まるだけで、何の役にも立たないだろう。
そうだとしても、今を生きることをあきらめないために、人間は努力をする。



どんな途方もない絶望や困難も、立ち向かった分だけは絶対に克服できる。
沢山の砂防堰堤を俯瞰しながら、そんな気持ちにさせられた。

2007年11月19日(月) 
2006年11月19日(日) 
2005年11月19日(土) ランディさんと私



2009年11月15日(日) 家族合宿

HとAが新型インフルエンザを発症し、回復し、予後も順調に過ぎ、
日常生活に戻る。

どこからともなく病がやってきて、その後から薬がやってきて、
気がついたら病気が終わっていた。
釜井達が通り過ぎたような、何だか訳のわからない出来事であった。


この五日間というもの、家族4人一歩も外へ出ずに過ごし、三食を共にする。
何しろ元気だから、暇で退屈で仕方が無い日々であったが、
必定、家族の連帯感が増すという効果もみられたわけである。

Aと小さいYは姉弟の自覚に目覚め、Hは家族がいることの幸せをかみしめ、
私は、家族に献身的であることは必ずしも自分をすり減らす訳ではないと再確認した。

2008年11月15日(土) もぬけのから
2007年11月15日(木) 成仏について
2006年11月15日(水) 西陽の幻
2004年11月15日(月) サラリーをもらって戦地へ行く人



2009年11月04日(水) 経験の共有

衆院予算委員会。ラジオに耳を傾ける。

人形のような美人は、怒りを顕にした表情こそ面白い。
不謹慎ではあるが、禁じえない感想である。

何しろ、与党であった時の、能面のような無味乾燥の答弁に比べて、
自民党議員の先生方は本心を相当丸出しにしているから、役者それぞれに味わい深い。

与党の時には言わなかった内情や経緯を、大盤ぶるまいで議論のテーブルに載せてくる。
政治論を巡って真剣な議論をしかけようとする先生もおられる。
政権政党となった以上、軽々しい発言を慎むようにと、躾をする先生もおられる。

民主党のセンセイにとって、百戦錬磨の自民党議員と真剣勝負できるということは、これは大変な修行の機会である。
これだけでも、政権交代の意義はあったのではないか、と私は思う。

自民党がしばらく野党に留まって、民主党の御養育係を引き受けてくれるのなら、
私は次の選挙で自民党に票を入れてもいい。

2007年11月04日(日) 
2006年11月04日(土) 
2005年11月04日(金) スーパードライ
2004年11月04日(木) 大統領の選び方



2009年11月01日(日) 立法府

埃が舞うから食事時に掃除機をかけるなと自分には言うのに、
なぜ母がそうしているのを咎めないのか、とAがHに言う。

Hは、それはアノ人が法律だから、などと言っている。

失礼な!と言うべきか、その通り!と言い切るべきか。



誰かが決め事の必要に気付いてくれて、そのことに妥当性があれば、
自分が全てを背負わないでいることに越したことは無い。

そうだから、我が家においては議員立法を禁止するつもりは毛頭ない。

現実に照らし合わせて言えば、従わせる人ではなく率先して実行する人に、ルールをつくる主導権があるのである。

2006年11月01日(水) 
2004年11月01日(月) 張子の虎の不屈の意志


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