2004年11月01日(月) |
張子の虎の不屈の意志 |
新潟では「大地」と名付けられた赤ん坊が、 この世に生を受けてわずか二ヶ月で、大地の震えによって命を落とした。
バグダッドでは「生きる証」と名付けられた青年が、 生きる証を求めてさまよった結果、人質にとられ首を刎ねられ死んだ。
親の願いとは、はかないものだ。 はかないからこそ、無駄に死んだり危険に身を晒したりして、 親を悲しませてははいけない。親より先に死んではいけない。
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それはそれとして、 イラク国内で「日本人の首を刎ねて殺す」 という経験を与えてしまったことは、恐ろしいことだ。
経験の記憶は、現実を乖離して、新しい殺戮の動機と可能性を生む。 「米国寄りの日本人の首を刎ねる」という行為が、何かを意味するようにならないよう、 不安の中で祈るばかりである。
日本政府の対応が、これを方向付ける上で重要であることは言うまでもないが、 「テロに屈しない」の一点張りは、揺るがない意志、というより 大変残念なことだが、何だか、馬鹿の一つ覚えと感じてしまう。
結局救えなければ、意味がないのだ、そのような言葉は。 救えないのなら、原因をつくらないことに邁進せよといいたい。 イラクに絶対日本人を入国させないとか、自衛隊を撤退するとか。
日本語を解さないイラク人に日本政府の空元気がばれる日も遠くない、きっと。
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