無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年08月12日(金) これだから腐女子はなあ/DVD『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』ほか

 ふと気が付いたら、この日記をかなり長いこと「お気に入り」に登録してくださっていたある方が、いつの間にか登録を取り消しておりました。
 まあ、そういうこともよくあるのですが(笑)、その方の日記を拝見すると、自分で自分を「腐女子」と言い切って恥じない人でしたので、多分、最近の私の日記の「腐女子はしょうがない」といった一連の記述にハラを立てたのが理由でしょう。『鋼の錬金術師』とか、かなりお好きなようでしたし、『妖怪大戦争』についてもトンチンカンな批判ばかりしてましたし。
 この日記をずっとお読みになっていらっしゃる方なら先刻ご承知のことでしょうが、私の腐女子さんたちに対するスタンスは殆ど容赦がないものです。しばしば「キャラ萌えだけで作品を見るな、普通のファンからはメイワクだ」なんて、存在を全否定していると取られても仕方がないようなモノイイをしてしまうので、逆にその腐女子の方が随分長いこと私の日記に付き合ってきていたということのほうがフシギではあったのです。
 実は以前にも私の日記の内容について、その方は文句を付けてきたことがあって、そのときもその文句がいかに的外れであるかを指摘し反論して黙らせたことがあるのですが、そのときはどうやらしぶしぶではあっても納得はしたようでした。けれども内心ではかなりくすぶっていたものがあったのでしょう。今度は黙って登録削除という態度に出たのだと思います。
 もちろん削除されたことを怒ってもいませんし、非難しようとも思いませんが、結局は「腐女子ってキャラ萌えだけでしか作品を見ないイタいやつ」って批判に耐え切れなかったんだなあと、そのことは残念に思います。過激な表現をあえてしていますから誤解されても仕方がないのですが、私は実は「キャラ萌え」自体は全然否定してはいません。よく読めばそのことには気付いていただけるように書いているのですが、上っ面でしか文章を読んでいない人にはそれが分からないような仕掛けになっています。少しは読解力のある人じゃないかなと思っていたので、そうでもなかったと分かって、それがいささかガッカリだったということです。

 私が常日頃非難しているのは、実は「批判に耐えることのできないオタクや腐女子の精神的な脆弱さ」のほうだと言っていいでしょう。どんな作品でも、全ての人から完全に受け入れられることなんてありえません。完璧な作品などありえないからです。ですから、他人の批評が自分の意見と違っていて、激烈に批判されることがあったとしても、それに耐える精神力を持つことは「作品を鑑賞する者に等しく求められる最低限のスキル」であるわけですが、これが理解できない人があまりにも多いのです。
 私が作品を貶したときに「そんなに腹が立つなら最初から見なきゃいいじゃないか」と文句を付ける人がいますが、こういう人はもう作品を見たり読んだりする資格を初めから放棄しているも同然です。「実際に見なきゃ批判もできるわけがない」、こんな当然のリクツも理解できないくらい、アタマの回転がニブくなってしまっているのですから。好きな作品を貶された腹立ちのあまりの悔し紛れのセリフだとしても、こういうセリフをしょっちゅう吐いているようじゃ、その人の意見はもうマトモに相手にすべきものではなくなってしまいます。
 普通、そういう「常識」は日常会話の中で培われていくものなのですが、それが全然身に付いていないということは、その人が結局は周囲の意見にまるで耳を貸さない傲慢な人間だということを証明しているんですね。「だったらお前もそうじゃないか」と馬鹿はまた墓穴を掘った反論を返してきますが、残念ながら私は殆ど自説には拘っておりません。私は自分の意見は全て『仮説』に過ぎないと思っていますので、自分の意見の根拠を翻すような意見に出会えば、いつだって素直に「ああ、そうだったのか」と自分の意見を取り下げています。実際、そういうことも日記にはよく書いているのですが、私を「自説に拘泥する意地っ張り」に仕立てたい人はそういうところはきちんと読まないんですね。昔、某作家さんとあることについて意見のやり取りをしたときにも、全然こちらの文章を読まずに一方的に自説だけを押し付けてくるので、一度思い込んだら本当に人と言うのは自分を省みられなくなるものだなあと唖然としたことがありました。
 私がそこまでの頑固者ではないということは、例えば、以前、私は『Mr.インクレディブル』についてはかなり高い評価を下していたのですが、アメコミに詳しい箱男さんの今年の7月19日付の日記にこう書いてあるのを読んで、評価がちょっとトーンダウンしたことでも充分にご説明ができると思います。

> 『Mr.インクレディブル』がやっているのは完全に『マーヴルズ』(小学館プロダクション)、『アストロシティ』(ジャイブ)以降のスーパーヒーローコミックスのアニメ版。
> なにしろこの映画、カート・ビュシークが『アストロシティ:ライフ・イン・ザ・ビッグシティ』序文でいっている「もしスーパーヒーローがそんなに強力で実用的な少年の思春期に関するメタファーであるのなら、それを使ってあなたは何か違ったこともできるはずだろう。スーパーヒーローの物語を使って少女の思春期を語ってみては? あるいは壮年期の心理的危機を? あるいは親となった大人が迎える人間としての変化を?」という発言をほとんどそのままとりいれたストーリーなのだ。

 簡単に言えば「やたら持ち上げるほどオリジナルな話じゃない」ということで、もちろんそう思って『Mr.インクレディブル』見返しても、つまんなくなることはないのですが、これまで私はこの映画を大絶賛していたのですが、少なくとも「誰も見たことがないような大傑作」だなんて口にするのは止めようと思った、という次第です。矢玉四郎さんのトンチンカンな批評には疑義を呈しますが、こういう根拠のある指摘について自らの無知不明を省みる気持ちは当然あります。
 ですから、私に文句をつける方は、もちろんいくらして下さっても自由なのですが、自分がどれだけ根拠のある発言をしているか、批判する前に少しは熟慮していただければと思うわけです。私を頑固者だと思う前に、自分が感情的になっているだけじゃないのかとちっとは考えていただきたい。そうでないと、結局作品の価値を貶めることになるのは、オタクであり腐女子である「あなた」だということになるのですから。
 再度繰り返しますが、『鋼の錬金術師』は、原作派とアニメ派が不毛な争いをしなければ、もっと世間的な作品評価は高くなったと思います。プロの評論家ですら「口を挟むのもウンザリ」なんて状況を作り上げてしまったのは大多数の腐女子の皆さん一人一人の責任です。論争には論争をするだけの基本的な素養が必要なのですが、腐女子の皆さんにそれがあまりにも欠けていたことは紛れもない事実なのです。


 「ダコタはすごい」。
 『アイ・アム・サム』をご覧になった方はご首肯いただけるだろうが、知恵遅れな父親を演じたショーン・ペンを向こうに回してのダコタ・ファニングの知性的な演技はとても7歳だとは信じられないほどで、私もしげも、この映画から彼女にすっかり参ってしまっているのである。
 何がすごいって、それはもう、表情の作り方、さりげない仕草、セリフの発声、間の取り方、抑えた中にも滲み出る豊かな感情、その全てであって、『アイ・アム・サム』を私と一緒に見てくれたら、「ホラ、ここのこの演技が彼女の心の中での葛藤を表していてね」と、いちいち全部説明してあげたいくらいなのである。誰も希望はしないだろうが。
 ところが残念なことに、『サム』以降の出演作品には映画としては結構雑なものが多い。『マイ・ボディガード』も『ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ』も『宇宙戦争』も、いずれも脚本に難がある。それでもとりあえずダコっち(勝手にこう呼ばせていただく)が出演していれば、印象が3割は底上げされて見えるから、やはり彼女の実力は映画にとって極めて必要不可欠な要素となっているのである。
 だからまあ、誰が何と言おうと「ダコタの出演作に駄作ナシ」と言い切っちゃっても構わないのだが、それが具体的な「数値」として証明されたような調査がニュースになっている。
 アメリカのエンターテイメント・ウィークリー誌で、ダコっちがこの4年間で出演した12本の映画で打ち出した興行成績を計算したところ、なんと6億4700万ドルを記録していて、ジュリア・ロバーツ(5億8600万ドル)やニコール・キッドマン(4億9700万ドル)など、トップ女優たちの成績を上回っていたことをしょうかいしているのだ。ウィークリー誌が彼女につけた称号が、「ハリウッドで最もパワーを持つ女性」とか。
 興行収入だけで女優の価値が計れるわけでもないし、12本全ての映画がダコっちの主演作品というわけでもないのだから、この試算はどうかというご意見はあろうが、彼女が「このようなニュースの話題になった」ということが大切なのである。既に彼女が「天才子役」ではなく「女優」になったのだという何よりの証明なのだから。日本では神木隆之介君が「天才子役」なんて騒がれているけれども、こういうおべんちゃらでしかない称号は早く取り払われた方がいいのである。神木君ものぼせ上がらなきゃいいけどな。
 人気が出てくれば、いずれバッシングも起こりそうだけれども、それに耐えて「もっといい作品」に出演してくれればいいなあと思う。今んところダコっちの最新作はディズニー・バージョン『となりのトトロ』のサツキの吹替え(メイ役は妹のエル・ファニングだ!)。ジブリ、日本版も英語吹き替え付けて再リリースしてくれ。次回作は往年の名作アニメの実写&CGリメイク『シャーロットのおくりもの』。ダコっちは豚のウィルバーの飼い主の女の子・ファーンを演じる。蜘蛛のシャーロットの声を演じるのが興行収入第二位のジュリア・ロバーツだから、これはもう、大ヒットは間違いなしの予感である。もちろん、原作の絵本が文句なしの傑作なので、別にダコっち目当てでなくても見に行く人が多ければいいなあと願っているんだけどね。


 以前買った『ゴジラDVDボックス』、買ったまま見ないのもなんだというので、休みを利用して片っ端から見ることにする。
 あまり見返す機会のない昭和ゴジラ後半を中心に、コメンタリーを楽しみながら以下の四本。たくさん見たんで、もうコメントは簡単に書く。

 『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』。
 オーディオ・コメンタリーの樋口眞嗣がもう「ガイガンファン」を公言して熱く語る語る(笑)。『ファイナルウォーズ』の特撮、やりたかったろうなあ。いちいち「このカットはあの映画からの流用」「この音楽はあの映画からの流用」と指摘するのはオタク以外の人が聞いたら鬱陶しいかもしれないが、これをやってしまうのがオタクである。樋口さんの指摘にいちいち「そうそう」と頷いている私がいる。そして、メーサーの光線の当たった先にガイガンではなくガイラがいるように見えるのも「錯覚錯覚」と自分にウソをつくのもオタクの性(さが)なのである。

 『ゴジラ対メガロ』。
 コメンタリーは主役の佐々木勝彦。解説で「親子二代に渡ってゴジラ映画に出演された」と言われてたけれども、おじいちゃんの佐々木孝丸から数えて、千秋実(娘婿だけど)、勝彦さんと来るから三代だよ。自分の出演シーンに関しては「ヘタだヘタだ」を連発して、共演の林ゆたかを誉めてばかりいるが、優しい人柄が滲み出てくるコメントで、映画の内容もほのぼのして見える。映画については「メガロのダム破壊のシーンにしかお金をかけていない」当時の映画界斜陽の状況が説明されていて寂しいものがあった。佐々木さんと岸田森との交友の話も必聴。

 『ゴジラ対メカゴジラ』。
 コメンタリーは特技監督の中野昭慶。佐藤勝の音楽は伊福部マーチに比べると評価が落ちるし、佐藤勝自身も自分はゴジラ映画には向いてないと口にすることがあったが、このメカゴジラのテーマはもう痺れるほどにかっこいい。中野さんがコメントしてた通り「アクション映画」としての音楽なのだね。ゴジラ生誕20周年記念映画ということで、お金がちょっと余計に使えて、沖縄ロケもできたわけだが、中野さんのコメントによるとまだアメリカから返還されて数年、米軍基地の数も多くて、ロケハンは外国に行くような雰囲気だったそうだ。今はもちっと変わってるかな。

 『メカゴジラの逆襲』。
 コメンタリーは撮影監督の富岡素敬。こうして見ると、毎回コメンタリーの人選も随分バラエティーに飛んでることが分かるね。
 説明されるまでもなく、本多猪四郎監督久々のゴジラ映画復帰作であり、同時に遺作でもあり、平田昭彦さん最後のゴジラ映画出演作でもあり、本作でいったんゴジラシリーズが終焉を迎えたという、ファンにとっては涙なくしては見られない作品でもある。私は当時、小学校六年生、親の「いい加減で怪獣映画から卒業しなさい」のひと声でこの最終作を劇場に見に行けなかったウラミは未だに深い。こんなことで親子の絆など簡単に切れるのだから、もともと絆とか血に拘っちゃいけないとつくづく思う。

 ほかにも『VSビオランテ』『VSキングギドラ』『VSモスラ』まで見たのだが、もう細かいコメントは避ける。出来の悪いシーンが目立ちすぎて総じて不評の方が多いシリーズだが、見所も決して少なくはない。再評価が必要なのではないかな。
 コメンタリーで大森一樹が田中友幸プロデューサーについて「大人向けにしろと言ったり子供にも分かるようにと言ったり」とその朝令暮改ぶりに文句を言ってたのが印象的だった。悪名高い『ビオランテ』の沢口靖子昇天シーンは田中プロデューサーのゴリ押しだそうだから、あまり大森監督を責めないでやってくださいね。


 週末なので映画に行こうかとしげを誘うが、特に行きたいものがないというので諦める。実は『星になった少年』がかなり気になっているのだが、こういう動物モノでしかも感動モノって、しげは全然興味を惹かれないのだね。いや、私も実話が元になっているとは言え、感動の押し付けをされるのは苦手なんで、話自体には興味はないのだが、ともかく象がいっぱい出るのがいいのである。間違っても主役の男の子に惹かれてではないことを誓っておく(笑)。
 なんたって私は幼稚園のころ、動物園の象の絵を描いて市民賞かなんかを受賞したくらいに根っからの象好きなのだ。亀の次に愛していると言ってもいい。どうしてそんなに象が好きなのかと言われれば理由は簡単で、「でかいから」である。昔、しげがふざけて「象さんパンツ」を買ってきたときも、口では「ヘンなもの買って来るな」とは言ったが、内心喜んでいた。そんな私が『星になった少年』を見ないではいられない気分になっていることをぜひともご理解いただきたいのだが、いかんせん、泣く子と女房には勝てないのである。 
 ああ、もうすぐ公開が終わってしまうと言うのに、私はランディに出会えるのだろうか。


 夜、沖縄から帰ってきた東京のグータロウ君に電話。無事帰宅できたようで重畳である。
 今日、『妖怪大戦争』を見てきたというので、感想を聞いてみたのだが、家族揃って好評のようでよかったよかった。
 「『川姫』っていうのは福岡の妖怪って紹介されてるけど?」と聞かれたので、「福岡の妖怪はともかく河童だよ。北九州には河童地蔵もあるし」と答える。「川姫」というのも河童の異類の一つだろう(あとで調べてみたら、築上郡や大分、四国での名称だと分かった)。
 グータロウ君とこのお子さんたちも、これがきっかけになって民俗学的な見地に目覚めてくれると嬉しいことである。


 映画や小説の感想を書いてると、今度はマンガの感想が書けなくなる。
 更新も遅れがちになるので、かなり省略してるんだけど、かと言って読んだ本のタイトルだけを書くと、それだけでアクセスしてくる人がいるので、それもしにくいのである。また気が向いたらマンガの感想ばかりズラリと書こうかと思っているので、しばしのお待ちを。

2004年08月12日(木) またまた詐欺メール……しつこいってば。
2003年08月12日(火) もうあまり長く書けません/映画『地球へ二千万マイル』
2002年08月12日(月) ほしのローカス(笑)/『トライガン・マキシマム』7巻(内藤泰弘)/『コータローまかりとおる!L』4巻(蛭田達也)ほか
2001年08月12日(日) 代打日記
2000年08月12日(土) 地雷炸裂/『スヌーピー26 ぼくはどこへも行かない夜』(チャールズ・シュルツ)ほか



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