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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年08月08日(月) 「思想」がらみで映画を見るな/映画『亡国のイージス』

(昨日の日記の続き)
 映画『亡国のイージス』。
 『妖怪大戦争』は満席だったが、こちらは公開後一週間が経ったせいか、かなりお客さんは少なくなっている。入っているのがせいぜい四、五十人くらいで、広い劇場内がやや閑散としている印象。休日の夕方だって言うのに、これでホントに50奥が狙えるのかなあとふと心配になる。
 客層は『妖怪』が親子連ればかりだったのに対して、こちらはカップルや若い女性同士でってのが目立つ。渋いキャスティングだから、大人が多いかと思っていたのだが、おじさんファンの女の子が集まってきているのかな。

 公開前から、あちらのお国で、日本の軍国主義を肯定する映画だとか、出演したあちらの女優さんが本国でバッシングを受けたりとか、映画外での騒動が喧しかった作品である。「なんであの国とかあの国とかあの国とかはいちゃもんばかり付けてくるのだ」ともうウンザリも通り越しているのであるが、この手の映画ではどうしても政治がらみになることを避けられない。
 けれども、『亡国のイージス』は基本的にエンタテインメントである。この程度の物語に目くじらを立てるというのは狭量と言うほかはないし、第一アチラでは反日思想まるだしの(しかも事実の捏造に基づいた)映画を腐るほど作っているのだ。文句を付けられる筋合いのものでもなかろうと思うのだが、自分たちがいかにリクツの通じない難癖を付けているのかって自覚はこれっぽっちもないのであろう。
 あちらさんに反論したところで、マトモに会話ができるわけもない。既知外に既知外めと言ったところで既知外だから理解できないリクツである。あるいは「謀略」を題材にされたことが「図星」だったためにいきり立っているものか。どっちにしろ外野は無視して、この映画は世界にでもどこにでも持っていけばいい。この映画の意味は、世界の観客が判断してくれるだろう。

 海上自衛隊のイージス護衛艦「いそかぜ」の副艦長・宮津弘隆(寺尾聰)が、某国のスパイ・ホ・ヨンファ(中井貴一)と共謀して艦を乗っ取った。
 「現在、本艦の全ミサイルの照準は東京首都圏内に設定されている。その弾頭は通常に非ず」
彼 らは最新特殊兵器「GUSOH(グソー)」で首都東京を狙い、日本政府に防衛庁情報局(DAIS)の存在を公表することのほか、様々な要求を突きつけてくる。
 DAISの渥美大輔(佐藤浩市)は、ヨンファの陰謀を早くから察知し、「いそかぜ」に工作員として如月行(勝地涼)を潜入させていた。しかし先任伍長・仙石恒史(真田広之)の勘違いから、如月の防止工作は失敗に終わってしまう。
 政府は東京壊滅を回避するために「いそかぜ」の爆撃を決定した。タイムリミットまでおよそ10時間。いったんは退艦させられた仙石だったが、事態を解決するべく、一人「いそかぜ」の奪取に舞い戻る。果たして間に合うか。

 原作はかなり以前に読んだので中身を殆ど忘れているのだが、こうして映画にまとめてみると、なんだか『東京湾炎上』か『機動警察パトレイバー2』かって印象を受けるね。もっとも福井晴敏の小説はどれもドラマの骨格は同じなんだが。
 それでも長大な原作を説明過剰に陥ることなく、うまくまとめている印象で、決してつまらないということはない。ヘタな監督だと、背景となる事実の説明をするのにナレーションに頼ったり説明的なセリフばかり連発したりして、ドラマを停滞させてしまうのだが、個々の会話がよく練られていて、もたつきを殆ど感じない。
 「原作派」はやたらと「説明不足」だの「省略のし過ぎ」だのと騒ぐが、「小説と映画はそもそもメディアが違う」という常識がいつまで経っても定着しないのはどういうわけなのだろうか。みんな学校に通ったことがないのだろうか。それとも日本の学校では「小説と映像の読解の仕方の違い」を教えたりしていないのだろうか(してない学校も多いんだろうな)。
 小説が、読者に提供しなければならない情報を「説明」しなければならないのは「文章」の特性として当然なことなのだが、映画は基本的に「映像」なのだから、情報は映像中にモノとして映し込むことしかできない。「説明」することなどはそもそも不可能なのである。従って、映像に描かれたものを情報として還元、あるいは補完するのは、観客の洞察力、想像力に任されている。
 言い換えれば、映画を見てすぐに「分かんない」と文句を付けるやつは、単に自分の無知、無教養、理解力の欠如を告白しているに過ぎないことになる。原作小説を読んでいて「説明不足」とほざくやつはメディアの違いを理解していない知ったかぶりの阿呆なのだ。「分からなくても、説明不足な部分はあっても面白い」ことがなぜ認められないのか、先入観や偏見で映画を見ているからどうしてもそうなってしまう。
 『妖怪大戦争』もそうだったが、ネットでの感想を見ると、この「先入観による読み間違い」があきれるほどに続出している。例えば問題になっている「思想」というやつだが、確かに事件の発端となる宮津副長の息子の論文は随所に引用され、日本が「亡国」と化している状況を痛烈に批判してはいる。ヨンファもまた、「まだ日本人は気が付かないのか」と、その平和ボケぶりを嘲笑する。
 しかし一方では「怠惰な平和」のどこが悪いかとの反論も内調の瀬戸(岸部一徳)によってなされているし、たとえ日本政府の対外政策がふがいなかろうが、それがテロリストの暴挙を正当化していいわけではないことは、まさに仙石の「いそかぜ}奪還行動によって示されている。これを単純に再軍備を奨励しているとか、過去の歴史を反省していないとか、決め付けるやつに言ってやりたいのだが、ではテロに対して唯々諾々と従って、無策でいることがいいとでも言いたいのか、ということだ。仙石は別に「思想」で行動しているではない。ちゃんと映画の中でこう言っているではないか。「これは『任務』だ」と。
 映画が「物語」である以上、そこに登場する人物には大なり小なり必ず何らかの「思想」(行動原理、動機と言ってもいい)が存在する。「桃太郎」が何となく鬼退治をやらかしたり、「シンデレラ」が意味もなく舞踏会に現れたら、ドラマは破綻してしまう。登場人物それぞれの思想が交錯し葛藤が生まれ、複雑な事情が絡み合うことでドラマは成立する。思想はあくまでそのための素材に過ぎないのだ。
 仙石や如月の行動は、あくまで「任務」である。即ち、時代が違い、国が違い、立場が違えば、その「思想」も「任務」も変わるということだ。「思想」が全てに優先される絶対的なものだという見方が一般に支配的になれば、結局は「思想統制」が行われるだけだ。自らの職能に基づいた「任務」に徹することが、思想による洗脳やファシズムを打破する唯一の方法なのである。

 『ローレライ』でも『戦国自衛隊1549』でも、登場人物の何人かに語らせていたように、原作者の福井晴敏自身が安穏とした日本の現状に危惧を描いていることは事実であると思われる。まあ別に福井晴敏に説教されなくても、どうしてここまで日本人は自国民としての誇りを無くし、戦争を対岸の火事としてしか見られなくなってしまったのか、ということを憂えている人は多いだろう。
 しかし、福井作品に登場しているその「思想」の持ち主は、『ローレライ』では浅倉大佐(堤真一)であり、『戦国』では的場毅(鹿賀丈史)であり、本作では宮津隆史及びその父の弘隆(寺尾聰)である。つまりどの作品でも彼らはみな「クーデターの実行犯」として設定されており、最後にそのクーデターが「必ず失敗する」点に注意しなければならないのだ。
 福井作品は全部『機動警察パトレイバー2』だなあと言ったのはまさにこの点にある。彼らはみな柘植行人(根津甚八)の子供たちであるが、一点だけ違っているのは、柘植がクーデターに失敗してもなお「この国の未来を見たい」と呟き、「果たして本当にこの国に未来などがありえるのか」という痛切な問題提起を観客である我々に突きつけたのに対し、福井作品の首謀者たちはいともあっさりと後腐れもなく物語から退場してしまう。
 即ち、誰もが福井作品を見てそこに共通しているとすぐに分かる思想は、たとえこの国がどんなに歪んでいようと、その歪みを正すのに更なる歪みを以て行うことは許されないということ、即ちアンチ・テロリズム、それだけなのである。そしてそれは、どの国がどうとか、一国だけを標的にして批判していることでもないし、自国の歴史を隠蔽・美化するためになされていることでもない。単純に数多くの映画のモチーフとして機能している「暴力の否定」、それがここにあるだけである。
 つまり『亡国のイージス』を「思想的に」批判することは、反作用的に「暴力の肯定」ということになってしまうのだが、あちらさんはそのことを理解して批判しているのだろうか? 十中八九、映画も見てなけりゃ原作小説も読んでないと思うがね。
 理不尽なテロルを防止するためには何が必要なのか、日本はどのような道を辿るべきか、それは憲法改正か自衛隊の自衛軍化かと、観客の身としてはそこまで考えたくはなるのだが、そこまでのメッセージをこの映画は描いてはいない。それを描いていたのは『パトレイバー2』の押井守である(なのにあちらにはサヨクからのバッシングは全くなかったね)。
 今後の日本の行く末は、「映画の外」で観客が勝手に考えればいいことだろう。だから、右の方であろうと左の方であろうと、本作を「自分たちの都合のいいように」思想的に読み解くことは、一般の観客にとってはメイワクなことでしかないのである。だから映画として、アクションやそれぞれの陣営の攻防、役者の演技や演出、そういったものに注目して批評しましょうよ。あと原作と比べてどうってのも、映像表現としての意味を探るよすがの一つとして見るならともかくも、単純比較だけでどっちが上とか下とか、不毛で無意味で馬鹿げたことはしないようにね。

 で、ようやく前置きが終わったのであるが(笑)。いやもうあとは短く書く。
 もう最近は寺尾聰の演技に釘付けになっているので、その「軍人らしさ」に舌を巻いてしまったが、あの「静かな怒り」の表現は寺尾さん以外にはまずできない至芸だろう。これまでの福井作品に主演してきた役所広司や江口洋介、鹿賀丈史と言った連中は寺尾さんの爪の垢を煎じて飲むがよろしい。
 いや、寺尾さんのみならず、これまでの戦争映画や怪獣映画に出演して安っぽい演技で我々のアタマを悩ませてくれていた吉田栄作とか谷原章介とか豊原功輔とか池内万作とか、この人たちが格段に「上手く」なっているのである。これは阪本順治監督のリアルな演出もさることながら、自衛隊の全面協力があったことも大きいだろう。谷原・豊原の二人は「VSゴジラ」シリーズでそれぞれ主役を張った経験があるが、二人ともパンフのプロフィールにそれを載せていない。まあ、こういう渋い演技ができるようになれば、とても恥ずかしくて載せられるものじゃないだろうが。
 怪獣映画で閣議シーンが出てくると、これがもういい役者さんを集めていてもどこか絵空事めいて見えてしまうものであるが、これが実に「ちょうどいい」緊迫感を醸し出しているのである。総じて現実の政治家も緊急事態にはオタオタしてまるでマンガのような醜態を晒してしまうものであるが、現況をなかなか認識できない総理大臣を原田芳雄は好演している。「なんでオレのときに」と呟き、自分の選挙区に帰ることの方を気にしている様子はカリカチュアされているが、現実の総理がこれ以上にマンガチックな存在でであることを我々はよく知っている。平泉成、佐々木勝彦、天田俊明、鹿内孝ら、内閣の面々も、適度な無能さである。
 中井貴一は口跡がハッキリしているわりに、どこかリアリティを感じさせない発声で、ちょっと「使いにくい」役者だろうなあと思っていたのだが、これが某国人にはよく似合う(笑)。ヨンファとジョンヒ(チェ・ミンソ)とが実は兄妹であるという設定は映画の中では具体的に語られず、二人の過去に何があったのかもよく分からない。だから「説明不足だ」と文句付けてる人が多いのだが、家族の写真をヨンファが燃やすシーンで、「何かあったのだろう」と察するだけで「映画としては」充分である。そこに文句を付けるのは映画の見方を知らない人間のすることだ。あとは二人の「妖しい雰囲気」(照)を感じておけばいいではないの。
 で、いいとこだらけかと言うと、主役の二人が演技的には一番弱い(苦笑)。
 如月行の勝地涼君(『1980』で、ともさかりえとエッチしてた子だな)は頑張ってはいるが、アクションに今ひとつ腰が座ってなくて、プロフェッショナルな工作員という感じがしない。真田広之はもう、最近はどの映画に出ても真田広之で。あのいつも鼻で笑ってる演技、役柄を考えて少しは控えるようにしてほしいものだ。
 主役二人がイマイチでも、ほかの要素がかなりよいので、トータルではやはり福井三部作では一番の仕上がりになっている。特撮にあまり頼ってないのもポイントが高い。自衛隊のホンモノの迫力には人間の演技はなかなか太刀打ちできないやな。
 でも世間にはフ抜けた前二作の方が「ファンタジックでよい」なんて批評もあるから、人の感じ方は全く様々である。まあ戦争なんて現実、ファンタジーとして認識しなきゃやってられないってのはあるんだろうけれどもね。

 こないだ買い損なってた『鋼の錬金術師』のパンフレット、デラックス版の方もようやく入手。しかしデラックスと言ってるくせに、たった46ページで1200円ってのはかなりボッてるよなあ。『イージス』がやはり大部でシナリオまで完全収録しているけれども、それでも1000円、『妖怪大戦争』は大判サイズで700円だ。こんなところでセコく稼ごうっての、松竹が未だに傾いたままだっていう証拠なのかな。



(これより本日の日記) 

 深刻なんだかふざけてるんだか、妻が自殺未遂を働いた。
 とだけ書いちゃうと深刻にしか聞こえないので、実態を説明しなきゃならないのだが、しげがやろうとしたのは首吊りでも飛び込みでもなくて、「アイスクリーム死」である。
 昨日の夜中、トイレに起きてみると、しげが台所でうずくまっている。
 「何してんだよ?」と問いかけてみると、「アイス食ってる」と言う。
 様子がおかしくはあったが、私はまだ寝ぼけていたので、「ふーん」と言って便所を済ますと、また寝床に戻った。
 それからしばらくして、またトイレに起きたのだが(頻尿なので、3時間もすれば目覚めてしまうのである)、しげはまだ冷蔵庫の前にうずくまっている。
 「……何やってんだよ?」
 「アイス食ってる」
 「さっきもじゃん。いつまで食ってるんだよ」
 しげはうつむいたまま返事をしない。こちらもまだ眠いので、「いい加減で早く寝ろよ」とだけ声をかけてまた布団にもぐりこんだ。
 その時点で、こいつは「アイスを食いまくって腹を壊して死のうとしてるんだな」と気づいたが、放っておいた。冷蔵庫には二十個くらいアイスを買い込んでおいたが、これを全部食って腹を壊したところで、そうそう死ねるものではないと思ったからである。
 朝になったら、しげはおなかを押さえながら、「しょうゆアイスはまずいよ」と言った。どうやら戦時中に醤油瓶飲み干して徴兵忌避しようとしたエピソードを思い出してやってみたらしい。「そりゃまずいだろう」と言って笑った。
 「アイス食って死のうと思ったのか?」と聞いたら「あんたに助けられたね」と答える。「特に助けなくてもいいと思ったから放っといただけだよ」と返事をして、「アイスはまだ残ってるの?」と尋ねてみたが、もう三、四個しか残っていないと言う。一人でやはり十数個は食っちゃったようだ。これ以上食われても困るので、残りは私が食うことにした。それでこの件は終わりになった。
 しげが本気で死ぬつもりだったのかということについてだが、しげのアタマの状態を考えれば充分本気だったろうと思われる。きっかけや原因はよく分からない。唐突にそんな気分になったものか、例の自殺サイト殺人事件に影響でも受けたのか、最近、私の体調がよくないので不安になったものか。
 どっちにしろ、しばらく傍にはいないといけないかなあと思って、ちょうど仕事がひと段落ついたところでもあったので、今日から夏休みを取ることにする。アイス食ってこちらも腹が壊れてしまったし(笑)。

2004年08月08日(日) 悪魔と狂人の間に…
2003年08月08日(金) 新車の名前はまだない。/DVD『諫山節考』/『低俗霊DAYDREAM』5巻(奥瀬サキ・目黒三吉)ほか
2002年08月08日(木) モラリストは読まないように(^_^;)/『軽井沢シンドロームSPROUT』1巻(たがみよしひさ)ほか
2001年08月08日(水) 代打日記
2000年08月08日(火) ボケ老人の夕べ/『カランコロン漂流記』(水木しげる)ほか



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