無責任賛歌
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昨日、中国を下したサッカー・アジア・カップ決勝戦の、“その後の”様子があれこれと報道されている。暴動になるんじゃないかなーと思ってたけど、予想は当たった。 会場となった北京の工人体育場周辺では、試合開始前からスタジアムに入場できないファンが多数集まり、「小日本を打ち破れ」などと大声を上げて決勝戦の推移に一喜一憂していたが、中国の敗退が伝わった途端に、興奮した数千人の既知外どもがわけのわからぬ声を上げて大通りをデモ行進、一部の糞野郎は、持っていた紙製の日本国旗に火を付けた。「敵を殺せ」と叫びながら機動隊と小競り合いを繰り返す犬畜生、爆竹を鳴らす馬鹿猿、体育場から出る日本人が乗ったバスに投石しようとした豚コレラどももいたが、幸い、日本人の怪我人は出ずにすんだ。外道どものうち何人かは警察官に拘束されたらしいが、殆どは野放し状態である。 この騒ぎで体育場内にいた日本人サポーター2000人と日本選手団が足止めを食らって、試合終了後2時間以上にわたって場外に出られなかった。サポーターの中には家族連れもいたのである。もし、子どもたちが外に出ていたら、あの腐れ脳どもに袋叩きにあって殺されていただろう。中国政府はこれまでこんな残虐かつ非道なテロリストどもを“戦時中でもないのに”営々として育ててきたのである。その責任をカケラでも感じているのだろうか? ……人口増加で悩んでるんだろ? こいつら全部とっつかまえて焼きはらっちまえ。凸(`△´+) もちろん、この事態に哀しみと憤りを感じておられる中国人の方がいらっしゃることも存じ上げておりますので、これらの罵倒は、あの場にいた既知外どもにのみ投げかけられたものであることをお断りしておきます。 ……フト思ったけれど、『キノの旅』のキノがこの国に赴いたら、どんな感想を抱くだろうか。「逆恨みの国」?それとも「先に進むことを忘れた国」?
ほかにも昨夜は、原田親仁駐中国公使が会場を出る際に、乗っていた車が群衆の一部に後部ガラスを割られたり、阿南惟茂大使の公用車も中国人観客に蹴られたそうである。
話は変わるが、久しぶりに名前を聞いた、「阿南惟茂」という名前。 覚えておいでの方も多かろうが、阿南在中国大使館特命全権大使と言えば、2002年に起きた瀋陽の北朝鮮人亡命一家の中国武装警官による連行事件の時に、それ以前に北朝鮮人の駆け込み事件が多発していることについて「大使館に入ってくれば、不審者とみなして追い出せ。人道的な面で問題になれば、わたしが責任を取る。入ってきて、面倒なことになるくらいなら、追い出した方がよい」と指示したことが問題化し、更迭もあるのではないかと批判の矢面に立たされた人物である(ご承知の方も多かろうが、ご父君は太平洋戦争時における最後の陸軍大臣で、敗戦と同時に切腹して果てた阿南惟幾(あなみ・これちか)。岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』では三船敏郎が演じてたね。本土決戦の強硬主張派として知られてるけど、本当は陸軍大臣という立場の手前、そう主張しただけで、敗戦は冷静に受けとめていたという説も根強くある人)。 瀋陽事件については、北朝鮮家族の侵入を許し、武装警察の侵入も安々と許してしまった警備態勢の杜撰さは批判の対象になるとしても、阿南大使の発言自体は、まあ弱腰ではあるが特に問題はないと私は思っていた。単純な脱北者か、それともスパイか、区別がつかない不審人物を、保護なんてできるわきゃない。反日感情の強い北朝鮮人が日本大使館に亡命を試みるということ自体が不審なのだ。追い出して何が悪いか。ウロオボエだけど、結局あの家族、アメリカに行ったんだっけか韓国だったっけか。どっちにしろ日本に行く気は初めからなかったようで、ますますアヤシイのである。今は何やってんだろうねえ。まだ北と繋がってる可能性、あると思うけどねえ。仮に本当に純朴な脱朴者だったとしても、国は個人的な同情で動けるものではない。阿南大使へ批判の矛先を向けるってことは、「亡命者は何千人、何万人来ようがみんな受け入れろ」と主張するも同然なんだけどね、北の民衆の貧困がどの程度だと思ってるんだろうかね。 北朝鮮による拉致事件が顕在化する以前は、マスコミも世論も、無批判にあの家族側に立っていた論調が多かったけど、今、同様の事件が起きたら、割合はどうなりますかね。 日本の報道ってのは何についても尻すぼみだから、阿南大使があれからどうなったか、詳しく報道した記事はとんと見かけなくなってしまっていた。関係者は当然知っていたのだろうが、今回の件で、ああ、まだ大使やってたんだ、と一般の人たちにも判明したわけである。結局、「お咎めなし」(管理不行届で減俸くらいはあったかもしれんが)ということは、「北朝鮮人は追い出せ!」の発言は正当なものと認められたということだ。2年前、人道的見地からあの発言はどうのこうのとエラそうなことをのたまってた方々、改めて阿南大使を糾弾したらいかがですか。
練習日だけれども、参加するのは夕方からにして、昼からシネリーブル博多駅で、長編アニメ『マインド・ゲーム』を見る。一週間しか上映しないんで、休日利用して見に行くしか仕方がない。しげは練習に行ったが、仮に予定が一致していても「絵柄が好みじゃない」と言って付き合うつもりはなかった。「嫌いなものを好きなフリするのはやめたから」という意見はゴリッパに聞こえるが、単に我を通してるだけである。映画でも何でも、作品は見てからでなきゃ評価が下せるものじゃないので、見もせずに「嫌い」と言い切るのは即断に過ぎるというものだろう。「だってえ、あの人ってえ、車持ってないしい」という理由で自分から言い寄った男をフルような馬鹿女とレベルはたいして変わらん。これまで散々我を通してきて、さらに頑固になろうってんだから、しげの将来は因業ババアになったも同然である。今からアタマがイタイよ。 映画は『クレヨンしんちゃん』の湯浅政明監督の本格的映画デビュー作であるが、文句なしの大傑作。『クレヨンしんちゃん』はまだまだあの絵柄に“縛られて”いて、アニメとしての面白さを表現しきれていなかったのだなあ、と痛感。これを見ずして今年のアニメシーンを語ることは画竜点睛を欠くと言ってよいだろう。……いや、マジで私のココロの中では『カスカベボーイズ』『イノセンス』も遥かに越えた大感動映画でしたよ。思わず原作のロビン西の単行本にサントラ、Tシャツまで買っちまいましたから(^_^;)。
ココロに感動の嵐が渦巻いたまま、パピオビールームへ。 今日の練習参加者は千客万来、桜雅嬢、カトウ君、鴉丸嬢、ヒゲちゃんこと圭人嬢、其ノ他君、穂稀嬢(ハカセ)、しげに私。ある程度人数が揃っているので、黒子ダンスの練習をやっていた。演出としてはあまり口を出せる段階ではないので、傍観。 よしひと嬢考案のチラシ案、もう一つインパクトが弱いというので、何とかならないかと相談、結局はキャストを変えて撮り直すことに決定。其ノ他君と鴉丸嬢のツーショットではどうか、ということになる。カトウ君としげはメインキャストであるにも関わらずチラシに登場しないことになってしまったが、まあウラで熱烈紹介するつもりなのでご甘受頂きたい。 じゃあ、いつ撮影するか、ということになって、二人にスケジュールを聞いたところ、「今日しかない」ということになって慌てる。其ノ他君、明日から仕事で、一週間ほど全くからだが空かないのだ。仕方がないので、撮影場所を求めて、慌てて街中をさまようことになる。 「鴉丸さんちで撮る? 壁が白ければいいんだけど」 「ああ、うちの団地、車とかあってジャマ」 「じゃあ、ダイヤモンドシティに行く?」 ……というわけで、鴉丸嬢、其ノ他君、と連れ立って、ダイヤモンドシティに向かう。なんか最近、ここにばっかり来てる気がするな。 車中で、こないだの中村獅堂の丹下左膳はよかっただの、『誰も知らない』はイタくて見られそうにないだの、映画の話ほかしきり。今度の『丹下左膳余話 百万両の壷』は、キモノorユカタで来場すると千円興行だそうだ。こないだゲーセンでユカタを当てたばかりだったので、これをしげに着させれば、前売券を買わずにすむ。なんとまあグッドタイミングであったことか。でもこの映画もしげはあまり乗り気じゃないんだよねえ(~_~;)。 『マインド・ゲーム』面白かったよ、と言っても、しげ、プリプリ怒ってノってこない。やっぱり私一人で映画を見に行くと、それだけで嫉妬するのである。だったらスケジュール合わせて見に行きゃいいのに、偏屈と一緒に暮らすといろいろめんどうくさいのである。
エスカレーターの昇降口の壁をバックに、鴉丸嬢と其ノ他君とのラブシーンを撮影。いや、そんな濃厚なものじゃないけど、通りすがりのお子サマが見たりするとちょっとばかし教育上悪いかもしれないので、私が見張りに立って、人が来たら合図を送って、二人は素知らぬフリをして離れるという、ゲリラ撮影みたいなマネ。まあ、10分かそこらで撮影は終了したので、特に「ヘンな人たちがいます」とお巡りさんを呼ばれるような事態にはならずにすんだ(いやだから、ヘンなポーズとか撮ったりしてたわけではないのだてば)。 そのあと、ジャスコで下帯買ったり、フタバ図書で本買ったり。最近亡くなった中島らもさんや野沢尚さんの本が平積みになっていて、なんだか心が痛い。「もっと活躍してほしかった」と口にする人は多いが、所詮は現世の人間のエゴである。苦しみなど、結局は当人自身にしか分からない。人は語れば語るだけ、孤独と虚しさの陥穽に陥らざるを得ない。そこから抜け出せるものなど、ほんのひと握りにすぎないのだ。今はもう、安らかにお休みくださいとしか言えない。 みんなで和食の店でぶっかけうどんを食べる。ここで其ノ他君が生姜嫌いと判明。幸いなことに、この店は客が自分で生姜を摺ることができるのである。初めから薬味として入れてあるのであれば、せっかく注文したうどんが食べられないところであった。
帰宅して、日記を書いていたら、椅子の上でそのまま寝てしまう。カラダの節々が痛むが、床で寝ても本の山にはさまれて節々が痛むので、状況はたいして変わらないのであった。 今日読んだ本、さくらももこ『ももこのトンデモ大冒険』(徳間文庫版)。 ガッツ石松・鈴木佑希『最驚! ガッツ伝説』。
「アトランティス大陸」はアイルランドだったという新説をスウェーデンの地理学者が発表したって。 もうご承知の方も多かろうが、アトランティスは古代ギリシャの哲学者プラトンが『クリティアス』『ティマイオス』の中で紹介している伝説の島で、高度な文明を有していたが、地殻変動のために約12000年前に大西洋に没したとされている。一昔前のSF作品だと、やたらモチーフに使われてたけど、今はもうネタに使うことも憚られるくらいに陳腐になってしまっている。『百億の昼と千億の夜』とか、『アトランティスから来た男』あたりまでが何とか「マジメに」取り上げられていた最後の例じゃなかろうか。『ふしぎの海のナディア』あたりになると、ワザと狙ってやってるのがハッキリしているので、素直にノレないのである。 なんたって、文献資料がプラトンの著書にしかないから、マジメに考えれば、実在の可能性などないに等しい。けれどその「ロマン」に惹かれるのか、「アトランティスはここだ!」という説を唱える人はこれまでまさに百花繚乱、ポルトガル沖のアゾレス諸島、エーゲ海の島などさまざまな説があり、合計するとその説は千とも二千とも言われている。 今回の「アイルランド説」を唱えたのは、地理学者のウルフ・エルリングソンという人。世界中の大きな島50について、データを収集調査したところ、プラトンが描写したアトランティスの大きさ、地形、景色にほぼ当てはまり、特に中央に広大な平原があったのは、アイルランドだけだったという。 ……と聞くと、「あれ? でもだったら『大西洋に沈んだ』という記述はどうなるの?」と誰しも疑問に思うだろうが、それについても氏はこう説明している。アトランティスが海底に沈んだという伝説は、英国北東100キロ沖の北海にあった浅瀬ドッガーバンクが津波で紀元前6100年に沈んだ出来事と混同したのだと。……ま、大陸があっという間に沈んじゃったって記述をまんま信じるよりはずっと科学的ではある。 けれど、「アトランティス探索」ってのをマジメに研究するとすれば、「それがどこにあったか」ということよりも、「その伝承がいかに形成されていったのか」という民俗学的研究の方が本当は重要なんで、場所の特定にはあまり意味はないのだ。その点、日本の「邪馬台国はどこにあったか」論争と似ているところがある。 「一夜で沈んだ島」の伝説など、世界各地に散らばっている。アトランティスは東洋で言えば蓬莱島なのであって、なぜ人は「島」に理想郷を求めるのか、そういった思想はどこからどのようにして伝播していったのか、それを辿ることで人類の文化、思想の源泉を求めていくことができるはずであり、その方がずっと意義あることだし面白いと思うのだが。 このエルリングソンという人が勘違いしてるなあ、と思うのは、ロイター通信に対して、「誰もこれを思いつかなかったことに驚いている。信じられない」と語っていることである。信じられないも何も、「そんなつまらない説なんて誰も考えたことがなかった」というのが本当のところだろう。「ロマン」を求めるということがどういうことなのか、魚戸いさむの『イリアッド』を英訳して、読ませてやりたいところである。
2003年08月08日(金) 新車の名前はまだない。/DVD『諫山節考』/『低俗霊DAYDREAM』5巻(奥瀬サキ・目黒三吉)ほか 2002年08月08日(木) モラリストは読まないように(^_^;)/『軽井沢シンドロームSPROUT』1巻(たがみよしひさ)ほか 2001年08月08日(水) 代打日記 2000年08月08日(火) ボケ老人の夕べ/『カランコロン漂流記』(水木しげる)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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