HOME*お天気猫や > 夢の図書館本館 > 夢の図書館新館
小学生の頃に、叔父から郷土の民話の本を貰ったことが きっかけとなって、伝承・伝説好きになった。 子どもの頃に聞いた、身近な言い伝えが消えていくのが 惜しくて、自分でも三つくらい書き留めたが、 すぐに飽きてしまい、続かなかった。 民間伝承に詳しい、90歳を越えるおじいさんが知人にいるが、 いつかそのうちにいろいろ聞いてみようと思っているうちに、 時間だけが流れていく。 民話や昔語りが好きだと言っても、自分の足で集め、 それを記録するとなると、ただ好きというだけでは なかなか実行できないし、かといって、 好きでなければ絶対にできないことでもある。
『愛の妖精』の著者ジョルジュ・サンドは、 民間伝承の採集者でもあったそうだ。 『フランス田園伝説集』は、19世紀半ばに、 サンドがフランス中部ベリー地方の農村に伝わる伝説を 集めたもので、息子モーリスのおどろおどろしい挿し絵も印象的だ。
集められた伝説の中で、私のお気に入りは「夜の洗濯女」 満月の夜の荒野に、洗濯をしている女がいる。 いつまでも叩いたり絞ったりしているのだが、 洗濯物だと思って近づいてみると、 それは子どもの死体なのだ。 洗濯女の正体は、嬰児殺しの母親の幽霊で、 間引いた子どもの死体を最後の審判の日まで、 洗い続けている。
あまり、趣味のいい話ではないかもしれないけれど、 怪談として語るには、インパクトがあって、ちょうどいい。 真夜中の、道ばたに、洗濯女がいる、 洗い物をのぞくと、それは生首、だった。 というトーンで、適当にアレンジして、 小さなめいっ子たちに話してあげると、 不条理と気味の悪さがいたく子どもの好奇心、 怖いもの見たさを刺激するらしく、受けがいい。
馬鹿石、泥石 / 霧女 / 夜の洗濯女 / 化け犬 / 三人の石の怪 / エプ=ネルの小鬼 / 森の妖火 / 狼使い / リュプー / エタン=ブリスの修道士 / 火の玉婆 / リュバンとリュパン
フランス版『遠野物語』と、紹介されたりもしている。 『エプ=ネルの小鬼』の小鬼は、遠野の「座敷わらし」的な存在。 『火の玉婆』の話では、私の知っている郷土の妖怪話を 思い浮かべてしまう。
時代や場所が違っても、ところどころで相通じるものを感じる。 そして、そのほかに共通することは、こういう伝承を語れる人が 確実に消えていって、活字でしか伝承に触れることができなく なっている、ということだろうか。 (シィアル)
『フランス田園伝説集』 著者:ジョルジュ・サンド / 訳:篠田知和基 / 出版社:岩波文庫(※入手困難)
2002年01月31日(木) 『いちご物語』
2001年01月31日(水) 『ばらになった王子』
魔女とネコシリーズの第一作。
いかにもヨーロッパ系の魔女顔の魔女と、ブキミな魔女の猫、 その名もネコのコンビが、家を探し始めるというお話。
じぶんの家、相棒のネコといっしょに暮らす家。 魔女のアギーにとっては、これまでの放浪生活も 200年たって、ちょっと味気なくなったのでしょう。 ネコは定住に反対していますが。 ふたりを待ち受けていたのは、いったいどんな家?
モノクロームの世界、と帯に書かれているように、 たしかに絵本のなかは、白と黒だけ。 本のサイズも、絵本として見ると小さく作られています。 でも、表紙がカラフルなので、自然に入っていけました。 英国で人気の作家というカーラ・メイ、30冊もの児童書を 出しているとか。
アギー、つまり魔女がやってくるとわかった 町の人たちは、当然いやがって騒ぎはじめます。 アギーはどうやって問題を解決するのでしょう?
それはそれは魔女らしく、 魔女は家を手に入れるのです。 天使のようなやり方じゃありません。 こんな場合、魔女ならこうするであろうという方法で。 それって、誰にとっても大事なことかもしれませんね。 (マーズ)
『魔女とネコの家さがし』 著者:カーラ・メイ / 絵:ドフィ・ウィアー / 訳:小浜杳 / 出版社:小さな出版社
2002年01月30日(水) 『草原のサラ』
2001年01月30日(火) 『黒い仏』
学生の頃を思い出すと、気恥ずかしいことの連続。 少女マンガのように、甘美でも、甘酸っぱくもないけれど、 一人前にいろいろと切ない思いだけは抱えていた。 …思い出すだけで、本当に恥ずかしいことばかり。
そういう現実の高校生活にすごく近くて、 全然、別次元の高校生活が、くらもちふさこさんや岩館真理子さんの 少女マンガの世界。 すっごくリアルに感じられるけれど、 絶対にあり得ない、女の子のためのおとぎ話。
何の話からか、急に“くらもちふさこ”の話になり、 同僚が、速攻で『チープスリル(全3冊)』を貸してくれた。 くらもちふさこさんは好きな漫画家の一人で、 何冊も保存版のコミックスも持っているけれど、 今さら、中高生の恋愛物もねえと、 児童書やロマンス小説を読みあさっている割には、 ちょっと、冷ややかに距離を置いていた。 いろいろとせっぱ詰まって忙しかったのに、 何気なく、1ページめくったが最後、 仕事も何のその、一気に読み終わってしまった。
『チープスリル』は、3人の女の子の恋の物語で、 それぞれ、独立した別々のお話(短編)として、物語は進んでいく。 3人の女の子の物語に共通しているのが、 「梅ちゃん」と呼ばれる男の子への三者三様の思い。 「梅ちゃん」をキィに、3人の女の子のばらばらのお話が、 最後に、ひとつに収斂されていく。鮮やかだ。 大人が読んでも、少女マンガとして、十分おもしろかったけれど、 くらもちふさこさんのダイナミックかつ緻密な構成力や 微妙な一瞬を切り取る繊細さに、心から感動してしまった。 女の子の小さな心の揺れが、余韻を持って伝わってくる。 切ない気持ちが、体温を持って伝わってくる。
伝えたいことを、読み手に的確に伝えていける表現力。 言葉であっても、絵であっても、それがマンガであっても、 小説であっても、エッセイであっても、言うまでもなく一番大切なことだ。 マンガにせよ、小説にせよ、物語を編み上げていくために必要な、 要素が凝縮されているようだった。
マンガのおもしろさを離れて、 文章を書くこと、物語を編んでいくことについて、 大切なことは何か、しみじみと考えさせられたりもした。 (シィアル)
『チープスリル』(文庫版・全2巻) 著者:くらもちふさこ / 出版社:集英社
2002年01月29日(火) 『やわらかい手』
2001年01月29日(月) 『雪女のキス』
『あこがれのフード仕事』についた女性たちを取材して、 フード関連の仕事に就くための学校案内や職域ガイドも 一冊にまとめられた入門書。
私はおそまきながらカフェを開こうとしているのでも、 フードコーディネーターや食品の輸入業や、 ソムリエになろうとあこがれているのでもない。 ただ、熱意のある人たちの取材本や、 ものをつくっていく過程のあれこれが好きなのだ。
一軒ごとのお店の取材は量としては少ないが、 いろんなお店のオーナーの体験をかいま見ていくうち、 どうしても、自分のまわりや、自分自身のやっていることと オーバーラップしてくる。
特に印象にのこったのは、ひとりは、 ケータリング業の女性。この方のバイタリティーとか 言ってることの雰囲気、まさに私の地方生まれの個性が そのまんま出ていて、ここにいたら、「えらもん」と 呼ばれるにちがいない。
もうひとりは、愛パン家という肩書きを好んで使うという パンの本や雑誌の執筆を手がける女性。 いろいろなパンをとにかく食べ歩くのが基本で、 まずいと思ったものはとりあげず、好き嫌いでいえば 「好き」だけを紹介するのだという。
かくいう私も、好きでここ数年、児童文学やファンタジーを 片端から読んで紹介しているが、おなじく、 まずいと思ったものは一切とりあげていない。
猫や三人三様で、なんのためにやっているかは それぞれちがう。 私も具体的に決まった目的があるわけではないし、 していることは筋肉トレーニングに近いと思う。いわば修行。 ともかく、今いる場所でこの分野を体系的に学ぶのは難しいだろうから、 勘と出会いを頼りに、10年くらいつづければ、 それ相当な知識と経験(読むという個人的体験)が たまっていくはずである。 こういうことは時間がかかる。 本は読み込まねばならないし、読み飛ばしては 意味がない。近道できないのだ。
たとえば、個人サイトで連載しているライフワークは、 私の怠けと遅さもあるが、 資料集めから執筆終了まで、10年近くかかりそうな見込み。 運がよければ今年中に終わるだろう。 どんなテーマでも、 部分的にあれこれ書くことは比較的時間がかからないが、 全体を知ってあれこれ書くには、やはり時間がかかる。 だからなのか、この分野でそういうことをしている人がいなくて、 それなら私が書こう、という気合だけは入っている。
書評らしきものにしても、 こんな行き当たりばったりの方法でいいだろうかと 思うこともしばしば。
しかし、やめればそこまで。
甘い夢で終わることのほうが、ずっと多いのだ。 いつの時代でも、それは同じ。 実体験から書かれていることは、業態がちがっても、 自分が迷っていることへの、ヒントになりうる。 だから私は、こういう本にひかれるのかもしれない。 (マーズ)
『フードの仕事』 著者:瀧清子 / 出版社:主婦の友社
原題は『スチュアート・リトル』。 最近このタイトルで日本でも映画が公開された、 ネズミが主人公のお話。
名作『シャーロットのおくりもの』の E・B・ホワイト(エルウィン・ブルックス・ホワイト)が贈る、 子どものための本、第一作。 アメリカでは人気の古典だという。 日本ではシャーロットと同じく、長く消えていた本の新訳である。 映画のタイミングに合ったことで、新しい読者が 増えるのではないだろうか。
それにしても、ファンタジー作家ならではの設定に 最初はとまどってしまう。 リトル家の次男は、なぜか、ハツカネズミそっくり。 もちろん、兄も含め、リトル家のほかの人たちは、普通の人間。 そんな家族のなかで大切にされて育ったスチュアートだが、 ある日、仲よしの小鳥を追って旅に出ることに。
前半に細かく描かれている、スチュアート(外見はネズミに しか見えない)の生活ぶりは、『ガリバー旅行記』や 『床下の小人たち』を連想する楽しさ。
スチュアートはけっこう独立心に富んでいて、 家族に知られずにいろんな冒険をものしているのだが、 スチュアートの家族は、 『スチュアートがへんな考えを持つといけない』から、 生活のさまざまな場面で、先回りし、 気をくばる。
スチュアートが危ない目にあわないように。 悲しい思いをしないように。 行方知れずにならないように。 元気で大きくなるように。 普通の大きさの、人間の子どもに願うことすべてを。
しかし、当の本人は、ハンディなど感じていない。 ただ、他の人たちとちがう自分を受け入れているだけ。 小さくてネズミそっくりだからといって、 夢をあきらめはしない。
このエンディングは私にとっては意外で、 続編があるのだろうか?とも思ったが、 こういう終わり方があってもいいのかもしれない、とも 考えさせられた。 (マーズ)
『スチュアートの大ぼうけん』 著者:E・B・ホワイト / 絵:ガース・ウイリアムズ / 訳:さくまゆみこ / 出版社:あすなろ書房
2001年01月27日(土) 『ピエタ −pieta− (1・2)』
今日は本がないので、仕事用の手帳の話。
なんといっても、ないと生活できない。 それくらい、何度となく手帳を開く。 運転しながら書き込むこともよくある。 手帳にあずけた「Today's Task」は、頭から追い払って その場その場で忘れるようにしているのだから。
いわゆるシステム手帳が苦手で、ここ数年はずっと、 表紙だけ使いまわして、同じタイプの市販の手帳を使っている。 数年間使ったピンクの表紙がさすがに消耗し、 この3年くらいは茶色になったが、基本的には 同じタイプのものだ。
皮っぽく見えるビニール製で、サイドに止め具とシャープペン ホルダーがついている。 シャープペンはロットリング社の0.5HB仕様のもの。 以前はボールペンを使っていたが、訂正しにくいこともあって すぐシャープペンに変えた。
リフィル(というか、表紙を捨てて勝手にリフィルとして 差し替えているわけだが)は、見開き一週間で、 大安だの仏滅だのが書き込まれている。 同じくここ数年は、高橋書店の「T’beau」(ティーズビュー) というシリーズを使っている。 大きな文具店ならたいていある普及品だ。 ただ、世間の倣いなのか、今年は日曜が週のアタマに来る ようになったので、とまどいつつ使っている。 いずれ慣れるのだろうか。
ちなみにこの手帳には紐しおりがついているが、 今週のページにゼムクリップをはさんでいるから、 しおりは使うことがない。 巻末には罫線つきメモと、ミシン目の入った色無地のメモページが ついていて便利。 年末には使い込まれて、ミシン目のはなくなっている。
社会人になってから先輩に教わったことで、 ずっと手帳に活かしている小ワザがある。 どうということはないのだが、わかりやすくて役に立つ。 すべきことがらを書くとき、アタマに○をつけておき、 完了したら塗りつぶして●にする。これだけのこと。 もし半分やりかけで終わったら、半分。 ○ばかりの日だってあるわけで、よほど不測の事態が 起こったか、急に何もかもやりたくなくなったとか。 一週間以上にわたって、○のついた項目があると悲しい。
10個くらいの●が並ぶと、気分は模範生である。 そういえば、私は神経質だけど大雑把なのか、この●がどうしても きちんと縦に並ぶということがない。 午前と午後もあまり区別してない。 あわてていると、よけいバラバラと好きな場所に書くため、 私の手帳はちっともきれいに見えない。 雑然としている。私の部屋のように。
このごろやっと、どうせやることはひとつふたつじゃない のだから、項目が決まる前に、10個くらいの○を 二列で並べておけばいいのだと気づいたが、それもなんだか。 (マーズ)
2002年01月24日(木) 『ほんとうはこんな本が読みたかった!』
2001年01月24日(水) 『審問』(上・下)
こたつでごろごろしているうちに、 ロマンス小説ばかり、数冊、読み終わっていた。
リンダ・ハワードにはまったこともあって、 ここ一年、ロマンス小説をずいぶん読んだ。 ロマンス小説といえども、「ロマンス」しかない物語は、 全くつまらない。 それに、もちろん、人物に魅力がなければ、読む気も起こらない。 ロマンス小説こそ、当たりはずれがすごく大きいジャンルだと、 最近、よく思う。
その点、リンダ・ハワードは、別格で、 多少、濃厚なロマンス小説ではあるけれど、 人物が生き生きとしているので、読んでいて元気が出るし、 物語自体も、しっかりしていて、単純に面白いといえる。
リンダ・ハワード以外では、ジェイン・アン・クレンツは、 安心して読めるロマンス作家だと思う。 ちゃんと、ヒロインが住んでいる街が描かれ、 仕事が描かれ、ヒロインを取り囲む面々も魅力的だった。 以前読んだ、『ささやく水』がわりと、面白かったので、 『曇り時々ラテ』も早速読んでみた。 どちらも、ロマンス小説だけれど、サスペンス色が強いのと、 ヒロインのプロフィールが魅力的。 『ささやく水』では、ヒロインが燃え尽きた元デパートのCEOで、 小さな海辺の町で書店を経営。
一方、『曇り時々ラテ』のヒロインは、 演劇一族の中で唯一演劇の才能がなくて、 ケータリング会社を経営し、一族の中で唯一の堅気な仕事。 ロマンスとか、サスペンスだけでなく、転職願望がさりげなく くすぐられるところもポイントかもしれない。
『曇り時々ラテ』
シアトルで小さなケータリング会社を営むデズデモーナと、
IT業界注目の若き起業家スタークのロマンスに、
ハッカーや殺人など、きな臭い事件が絡んで…。
『ささやく水』
元デパートのCEOで、小さな海辺の町で書店を営むチャリティと、
名うてのブローカーだったエライアス。
二人はカルト教団がらみの殺人事件に巻き込まれていく。
ジェイン・アン・クレンツには、他に、 アマンダ・クレック名義で、ヒストリカル・ロマンス小説もあり、 上・下巻の長編だが、一気に読んでしまった。
『エメラルドグリーンの誘惑』
没落した貴族の娘ソフィーは、広大な領地を持つ
レイヴンウッド伯爵と結婚するが、
彼女には、彼の真の愛を得ることと、
妹をもてあそんで死に追いやった人物に復讐するという
密かな目的があった。
最近読んで、面白かったヒストリカル・ロマンスには、 他に、アイリス・ジョハンセンの『女王の娘』がある。 ヒロインがスコットランド女王メアリの隠し子で、 王位継承争いもからみ、イギリスのエリザベス女王や スコットランド王のジェイムズ6世なども登場し、豪華な味付け。
『女王の娘』
スコットランド女王メアリの隠し子ケイトと
辺境の島の領主ロバートの愛のない結婚。
しかし、そこで運命の歯車は大きく回り始めた。
ロマンス小説でも数を積み上げれば、 それなりに、思うところも出てくるようで、 書きあげると切りがなかったりする。 続きは、また、いつか、機会があれば。 (と、中途半端で終わったレビューが幾つあることやら。) (シィアル)
ジェイン・アン・クレンツ: 『ささやく水』(二見文庫),『曇り時々ラテ』(二見文庫)
アマンダ・クレック: 『エメラルドグリーンの誘惑』(ヴィレッジブックス)
アイリス・ジョハンセン: 『女王の娘』(二見文庫)
2002年01月23日(水) 『気持ちよく暮らす100の方法』
2001年01月23日(火) 『閉じられた環』
受賞時のタイトルは、「亡兆のモノクローム」。 たしかに硬質なタイトルだが、内容を想えば嵌る。 亡びの兆し、そのほころびが痛い。
長崎の原爆投下場面から始まる歴史ミステリ。 主な舞台は現代だが、あえて歴史と呼びたい。 著者本人は実体験として知らない「過去の戦争」に 生きた人々の生々しい記憶をたずさえ、 この不穏な時代への警鐘を鳴らす。
綿密な背景の積み重ねと、 計算された文章、にじみ出る哀感。 意図してにじみ出したはずなのに、 じわっとにじみ出してくるような。 著者は、仙台在住のコピーライターだという。
コピーライターの書いたミステリ、 しかも地方(都会ではあるが)の人というので、 どんな視点で書いているのか興味もあった。
仙台の骨董市で、広告会社に勤める主人公、 日下哲が手に入れたのは、 骨董の渓流釣り用リールと、 そして一缶の古い謎のフィルムだった。
半世紀を越え、隠されていたモノクロ映像は、 「日本」そのものの覆われた過去の記憶。 やがて真実が暴かれる時、あの時代への杭が打たれる。 流れる血は、誰のものか。
あの時代と現在は、まぎれもなくつながっている。 忘れてしまったはずのことが、 あるときふっと、顔を出す。 伏流水となった流れが、どこかで地上に出るように。 流れは決して、砂に吸われたわけではなかった。
もういちど、あふれだそうとして。 あるいは何かを、うるおそうと。 (マーズ)
『滅びのモノクローム』 著者:三浦明博 / 出版社:講談社
2002年01月22日(火) 『いまやろうと思ってたのに…』(その2)
2001年01月22日(月) 『ザ・マミー』(上・下)その2
舞台となるアメリカの町、クリーヴランド。 ジム・ジャームッシュの映画『ストレンジャー・ザン・ パラダイス』で、主人公が行きたがっていた町、 とすぐ思ってしまう。
この短い本は、その町にいる(はずの)人たちの独白で つづられている。すぐに読めるし、淡々と、そこで 起こったことをつづっているから、 ・・・と思ったけれど、やっぱり泣かされた。
アメリカにはいろんなものがごちゃまぜにあって、 決してすべてが一色にはならないで、 そして、こんな風な作品も、とてもアメリカらしい。
裏ぶれた町の片隅に、 ゴミ捨て場と化した空き地があった。 ある日、ヴェトナム移民の少女が、ほんの思いつきで、 豆を蒔いてみる。
そこから芽を出し、つるをのばし、広がっていったのは、 ギスギスして受け入れることを知らなかった 町の人たちの間の、「つながり」だった。
だれの人生にでもおこりうること。 奇跡と呼ぶにはあまりにもささやかな、 けれども決意なしには生まれなかった変化。
世界がどんな風に連鎖していくのか、 そしていったん種が蒔かれたら、 どれほど有無を言わさず伸び広がるものなのか。 彼らひとりひとりの独白を読みながら、 胸には「アメイジング・グレース」を流していた。 (マーズ)
『種をまく人』 著者:ポール・フライシュマン / 絵:ジュディ・ピーダセン / 訳:片岡しのぶ / 出版社:あすなろ書房
2002年01月21日(月) ☆本をどこで買いますか?(その6)
ロンドンの町かど、赤いポストのとなりに、 ジムの場所がある。 みかん箱に腰掛けて、一日を過ごすジム。 もうすぐ80歳になるジム。 若い頃はずっと、船乗りをしていたジム。
近所の人たちは皆、ジムに何がしかの施しをし、 子どもたちはジムになついている。 なかでも、いちばんの仲よしは、デリー少年。 ジムはデリーに、船乗りの見た不思議な世界を いつでも惜しまず語ってくれる。
ゆり木馬号に乗って、 話をするペンギンや、巨大な海へびに出会ったり、 大波を退治したりする、奇想天外なお話を。
ジムの家がどこなのか(家はないのかもしれない)、 何とか食べていけているのかどうか、 そういう心配も出てくるが、 ともかくも、南国の楽園ではないロンドンの町で、 こうして、「なんとなく」近所の人たちの目に 守られながら、マイペースで暮らしている老人がいるということは、 きっと大丈夫なのだろう、と思うような雰囲気がある。 町の人たちは、手づくりやお古の衣類をジムにあげるけれど、 お金をあげている風ではない。 それに、少なくても、ジムは「施設」の住人ではない。 そして、長生きしたいと願っている。
読みながら、物語の最後には、なにか幕引きの事件が 起こるのではないかと危惧していた。 ファージョンでなければ、 ちがったエンディングもあっただろう。 けれども、ファージョンは、この寓話的な小品のなかで、 最後まで人間を信じる意志を灯している。 福祉の充実した英国人らしい老後への希望をもかいま見て、 あながち夢物語でもないのかもしれない、と思う。
あとがきによると、 読み聞かせにも人気の本だそうである。 (マーズ)
『町かどのジム』 著者:エリノア・ファージョン / 絵:エドワード・アーディゾーニ / 訳:松岡享子 / 出版社:童話館出版
2001年01月20日(土) 『わたしの日曜日』&『とっておきの気分転換』
この本の中の「信仰」や「信者」という言葉は、宗教上のそれではない。 ほどんどの人にとっては、 何の興味も関心もないようなものでも、 一部の人たちにとっては、猛烈に心を惹きつけ、 惑わせる蠱惑的なもの(あるいは人)や場所、状況がある。 そういうもの・人・場所・状況への思いが「信仰」であり、 重度のフリークが「信者」である。 (白状すると、実は、私は、この本をナンシー関さんによる 「新興宗教」のおもしろレポートのように誤解していた。 ホンモノの宗教とは、全然関係ありません。)
「信仰の現場」はあらゆるところにある。 冒頭の「永ちゃんライブ」から始まって、 想像通りの濃い世界(「劇団ひまわりの子役たち」)から、 こんなところにもと驚くマニアックな世界 (「『男はつらいよ』幻の庶民」)まで。 ありとあらゆるものが、場所が、人々を盲目的な信仰に導き、 回りの第三者から見れば、ちょっと滑稽で愛すべき「スキ」を さらけ出させている。 当人にとって、至極真面目なことが、冷静な第三者から見ればつい、 笑いを誘っているのである(ちょっと意地悪だけど)。 とは言っても、それは、きっぱりと、「自分とは縁のない世界」と、 言い切ることは難しい。 日常の中のワンダーランドという落とし穴は、至る所に存在していて、 油断していると、うっかりはまりこんでしまうかもしれない。 笑っている場合ではないかも。
で。
私も、この定義からいけば、なにがしかの「信者」である危険性は高いと、
自分の行動様式、生活全般をチェックしてみた。
…うーん。わからない。
何一つ、タガがはずれているところなどない気がする。
まあ、それもそのはずで、何かを盲目的に信じている(あるいは、愛している)
当人には、客観的に自分が見えていないのだから、
なかなか、「今、自分はレッドゾーンに踏み込んでいる」という自覚は
持ち得ないだろう。
だから、依然、私にも、本人にとってはすごく真面目でまともあっても、
他者(特にナンシーさんのような鋭い眼光の、)から見れば、
タガが見事にはずれた、愛すべきスキがあるのかもしれない。
あるいは、ほんの数センチずれただけで、
はまりこみそうな落とし穴が、ほら、そこに。
「正月、初売り、福袋」
「「笑っていいとも!」お昼休みの魔術」
「ドッグショー。トップブリーダーの謎」
「高級花「らん」の夢と現」 e.t.c.
残念なのは、94年に刊行された本なので、 取り上げられている世界が、うっすらと、セピアに色褪せはじめている。 いや、そう思っているのは私だけで、「信者」の方々にとっては、 10年の歳月も何のそので、いつまでも輝き続けているのだろう。 (シィアル)
『信仰の現場〜すっとこどっこいにヨロシク〜』 著者:ナンシー関 / 出版社:角川文庫
2002年01月17日(木) ☆本をどこで買いますか?(その4)
2001年01月17日(水) 『決断するイギリス─ニューリーダーの誕生─』
少女向け漫画雑誌『ネムキ』に連載されただけあって(?)、 絵のタッチも正統的な(あえて)アタゴオル譚とは趣を変えている。 次々に出てくるオリジナルキャラクターが強烈で、 特に主役の女王ピレアと輝彦宮はギャグ的にも秀逸。 ヒデヨシやギルバルスは、彼らと対等にわたりあうのだが、 それにしても壊れ方が凄い。
舞台となるギルドマ・ジャングルは、 アタゴオルの西にひろがる森。 その森を支配しようとする不気味な闇の植物の女王と、 それに対抗する(光の)力とが、意外にも拮抗し、 そこにヒデヨシも観戦しながら参戦してゆく。
脇役キャラのなかで印象に残ったのは、「網弦」。 これはもしや、植物の支配する未来世界を描いた古典SF 『地球の長い午後』(ブライアン・オールディス著)に出てくる、 寄生アミガサダケの変形では? 「神聖樹」にも、あの壮大なSFからの風を感じてうれしくなる。
そんなこともあって、ファンタジーではあるけれど、 プラス、SF的な読後感が残った。 そして、いつもとはまた次元の異なる壊れ方をしている ヒデヨシをはじめ登場人物たちのセリフにも馴染んでしまい、 盗んで腐った紅マグロを食べてしまったかのように、 酔ってうつつを抜かすのである。(マーズ)
『ギルドマ』 著者:ますむらひろし / 出版社:朝日ソノラマ
2002年01月16日(水) 『いまやろうと思ってたのに・・・』
2001年01月16日(火) ☆ 身の回り整理術
『のっぽのサラ』でニューベリー賞を受賞した パトリシア・マクラクランの佳品。
海の魔法使いの赤ちゃんが、しきたりに従って、 自分で自分の名前を見つけるまでの物語です。
おねえさんは、ハマエンドウ、白雪姫ちゃん、 おにいさんは、レックス。 それぞれ、自分が選んだ名前には、思い入れがあります。
でも、海の赤ちゃんは、お母さんやお姉さんたちの心配をよそに、 どうしても1つの名前に決められません。
みんなが色んな名前を探してきてくれても、 ただにこにこと返事をするだけで。
花の名前。犬の名前。 海の魔法使いたちの耳に届くいろいろな言葉。 いろんな名前(言葉)が出てきます。 きっと、小さな子どもたちに読んで聞かせてあげたら、 名前の響きを、言葉の響きを、 きっと声に出して喜ぶと思います。
ただ、どうしても訳されたもので読むと、 私にとっては、「ナス」や「ハマエンドウ」の響きは、今ひとつ。 「ナス」は「eggplant」でしょうか? じゃあ、「ハマエンドウ」は何と言うのでしょうか? やっぱり、「beach pea」?! 海の魔法使いたちは、純粋に音の響きを楽しんでいるようなので、 私も、原語の響きを知りたくなってしまいました。
『海の魔法使いの赤ちゃん』 原題は“All the Names of Baby Hag” インターネットで、一生懸命、探してみましたが、 どうやら、アンソロジーの中の一編でしょうか。 洋書を扱うサイトでも、 原書を見つけることができず、残念です。
最後に海の魔法使いの赤ちゃんは、 自分にいちばん似合う名前を見つけます。 もし、読んで聞かせてあげたら、 子どもたちは、その名前を聞くと、 きっと、声を上げて、はしゃぎそうです。 しかし、大人の私は、ぜひ、その名前を<原語>で知りたい。 たぶん、この本を読み終わった大人のみなさんも、 「ん?」と、知りたくなると思います。 (シィアル)
『海の魔法使い』 著者:パトリシア・マクラクラン / 絵:中村悦子 / 訳:金原瑞人 / 出版社:あかね書房
2002年01月15日(火) ☆本をどこで買いますか?(その3)
2001年01月15日(月) 『アムステルダム』
リンダ・ハワードのロマンス中編が、三つも!
旅の友にと持っていったけれど、人前で読むには かなり赤面するおなじみのシーンが定期的に出てくるので、 大丈夫かなと思いつつ読んだ(カバー外し済み)。 しかし、空港の書店にもリンダコーナーが あったから、女性たちの旅に需要は高いのかも。 リンダのハードさは、表紙やタイトルだけ見ても、 男性にはわからないだろうなと思いながら。
『見知らぬあなた』というのは本全体のタイトル。 ヒロインが見ず知らずの男性と、どこか危険で強烈な恋に 落ちてしまうという共通のストーリーゆえんだろう。 もちろん、ハッピーエンドなのはリンダの鉄則。
収められているのは、 「ブルームーン」 「夢のほとり」 「白の訪問者」の三作。
とりわけ、ソウルメイトの出会いをテーマにした 「夢のほとり」では、「夢のなかの騎士」に登場した ナイルの名前も出てきて、まさに現実離れした設定に 酔わせてくれる。
こうして、リンダのヒロインたちの芯の強さ、 前向きで、身体をはって運命を受け入れる『強さ』を知るにつけ、 『女らしさ』への抵抗が薄れていく。 一見相容れない要素のようだけれど、 ヒロインたちは、まっすぐで『女らしく』、 それが自然な姿に思えてくるから。 (マーズ)
『見知らぬあなた』 著者:リンダ・ハワード / 訳:林啓恵 / 出版社:二見文庫
読んだ端から、次々と忘れていくので困りものだ。 おかげで、常に新鮮な気持ちで本に臨めると、考えることにしよう。
特に歴史が好きというわけではないが、 イギリスの中世史やハプスブルク家の歴史は興味深い。 ファンタジーが好きなこと、実際に何度か旅行したことで、 イギリスの歴史を知りたいという思いは、 どちらかというと、実際的な必要から。 その点、ハプスブルク家については、 教科書の世界史の知識から出発して、 もう少し知りたいなという、純然たる好奇心から。
ハプスブルク家について手軽に、楽しく学ぶのに、 講談社現代新書の『ハプスブルク家』、 『ハプスブルク家の女たち』(共に著者は江村洋) は、最適だった。 特に、『ハプスブルク家の女たち』を読んだことで、 ハプスブルク家の娘たちの起伏に富んだ人生を垣間見、 ドラマティックに大きくうねる人生の悲哀、 つまりは、はじめて、「人間」の存在を感じた。
さて。 さらに、好奇心を満たすのに、 ハプスブルク家の人々の「食生活」というのは、うってつけ。 ヨーロッパを支配した権力を支えた食の秘密を覗くわけだから。
ハプスブルク家の長い歴史の中には、 グルメの皇帝もいれば、精進料理を愛した皇帝もいる。 過食やダイエットに苦しんだ皇帝や皇妃も。
「オーストラリアにマリア・テレジアあり」と その名をはせた、女帝マリア・テレジア。 多くの子どもに恵まれ、 ハプスブルク家の結婚政策を積極的に押し進めていった。 その活力の秘密が、「オリオ・スープ」だという。 非常に高カロリーなスープで、 それまでの粥状のスープからずいぶんと洗練されたものだったそうだ。 ハプスブルク家の結婚政策は、外交とは離れたところで、 オーストラリアの食の技を フランスやスペインに伝える役割をも果たしていた。 また一方では、マリア・テレジアの時代に フランス料理が登場するようになり、 ウィーンの宮廷料理に大変革をもたらしたそうだ。
他にも何人かの皇帝や妃が登場するが、 ミュージカルでも有名なエリザベート皇妃。 ヨーロッパ随一の美貌を誇るシシー(エリザベートの愛称)のダイエット法。 「ジュース療法」「乳清療法」「肉ジュース療法」 医学的な裏付けもなく、危険なものであったらしい。 事実、リューマチや貧血、胃腸障害、骨粗しょう症、 神経痛に悩まされていたという。 その危険なダイエットの一方で、 甘いものが大好きで、スミレのシャーベットや スミレのアイスクリームなどには目がなかったそうだ。 宮廷生活を嫌い、旅に身をまかせたシシーの不安定さを 「食」からも、うかがえるかもしれない。
マリア・テレジアのオリオ・スープや シシーが好んだというキジのクリーム・ポタージュスープ、 スミレのシャーベットやハプスブルク家の当時のレシピも 紹介されていて、ビスケットやラスクくらいは試せないものかと、 ハプスブルク家の宮廷料理に闘志を燃やしている。
この本を読み始めた頃(思い返せばずいぶん前だが)、 TVで「ヘンリー八世の食卓再現」を見たこともあり、 中世から近世の食の歴史に大いに関心を持つようになっている。(シィアル)
※ハプスブルク家(おおざっぱに言えば、15C〜20C初頭のヨーロッパで大きな影響力・政治力を持っていた家柄。) ※ヘンリー八世(在位1509〜1547)
『ハプスブルク家の食卓』 著者:関田淳子 / 訳:林啓恵 / 出版社:集英社
第1章 皇帝たちの食卓
第2章 宮廷料理の舞台裏
第3章 華麗なるウィーン宮廷菓子
第4章 栄華の象徴―食器と銀器の饗宴
2002年01月10日(木) ☆本をどこで買いますか?(その1)
2001年01月10日(水) 『茨姫はたたかう』
猫やのお客さまからの推薦本。
1974年に『ガラス山の魔女たち』というタイトルで 刊行され、長く絶版になっていたが、新訳・新版元で 2002年に復刊されている。 新しいタイトルは、原題の「THE WITCH FAMILY」に より近いものになった。
ちょうど猫やの掲示板でこの本が懐かしいと話題になった折、 復刊されたのがわかり、手に入れた。 私にとっては初めての、魔女たちとの対面である。
ガラス山に住んでいるのは、魔女のかしらの、魔女ばあさん。 つるつるしたガラスだけしかない山のてっぺんに、 魔女ばあさんを追服(つまり追放と征服をひとつにした言葉)したのは、 公園通りに住む7歳の女の子、エイミー。 ただ、エイミーが、「そこへ行け!」と念じただけで、 魔女ばあさんは、ハロウィンの日だけしか下界へ降りられなく なってしまった!
そう、この物語のすべては、 主人公のエイミーと、その仲よしのクラリッサが 遊びながら空想し、絵に描いた世界のなかにある。
エイミーの空想こそが、魔法となってはたらき、 魔女ばあさんに魔女家族をもたらし、 悪さをしないよう監視するマルハナバチを はべらせたりするのだった。
何かの「つもり」、その空想遊びの最も深い醍醐味は、 現実と空想の区別がつかなくなって、 本当のこわさや、本当の楽しさを その夢の世界で味わうことなのかもしれない。 それは、ほどほど、ということができないと踏み外すし、 ほどほどにしすぎると面白くなくなってしまうから。
魔女ばあさんに狙われる、ぬりえ畑のイースターうさぎたちの ユニークな闘い方は、私の記憶のどこかにひっかかっているが、 それが忘れてしまった昔にこの本で出会ったものだったのか、 他のぬいぐるみが出てくる本のなかでだったのか、 わからないのが残念。
最後の章は、浮かれ騒ぐハロウィンの夜で終わる。 そこでエイミーはどんな体験をするのだろうか? それは読んでのお楽しみ。 黒猫、ほうき、魔女の学校に人魚まで登場する 魔法と発想に満ちた本をうみだしたエイミー、 彼女の金髪は、魔女の黒ずくめルックに、 よく似合いそうだ。 (マーズ)
『魔女ファミリー』 著者:エレナー・エスティス / 絵:エドワード・アーディゾーニ / 訳:井上富雄 / 出版社:瑞雲舎
2002年01月09日(水) 『青い瞳』
2001年01月09日(火) 『キリンと暮らす、クジラと眠る』
今、私の手元に、「リンダ先輩S」のもとから借りてきた 未読『リンダ・ハワード』が8冊ほどたまっている。 この楽しみにやっと手をつけた。 『天使のせせらぎ』、原題は『エンジェル・クリーク』。
時代は1876年。 西部開拓時代である。 コロラドの新興の町、プロスパーを舞台に描く、 リンダの意欲作(2002年刊)。
『エンジェル・クリーク』と呼ばれているのは、 ヒロインのディーが、女ひとりで切り盛りしている 農場をうるおす雪解け水の流れ。 この水のおかげで、他が干ばつにあえいでも、 谷は緑に満ちている。 ディーにとって、なにものにもかえがたく、 わかちがたい聖なる場所。 この農場での収穫が、 両親の亡きあと、暮らしの支えとなった。
そんなある日、プロスパーきっての大農場の息子が故郷に帰り、 ディーのもとをたずねる。 エンジェル・クリークを売って欲しいというのだ。 これまで気に入らない客は散弾銃で追っ払ってきたディーは、 ルーカスの申し出にも当然、ノーと答える。
しかし、ディーの予想に反し、読者には暗黙の了解のもとに、 そこからの展開は、いつもとはちがったものに・・・ というストーリー。
リンダといえば、どういう状況をテーマに書いても 徹底して調べ、ロマンス小説でありながら、他ジャンルとしても 成り立っているというのは、ファンなら周知のこと。
ただ、今回のストーリーで、おおっと思ったのは、 ヒロインが三人いることだ。 確かにディーはメインの主人公だが、 銀行家の令嬢オリビア、 酒場の女ティリーも、 きちんと描かれている。 ちゃんとしたヒロインが三人いて、一冊の ボリュームに収まるのは、今までの作品からすると 物足りないのではと思われるかもしれないが、 プロットで巧妙に結ばれている彼女たちは、 むしろ三人いることでバランスがとれているかに見える。
そしてここには、リンダファンにとって、 もうひとつの楽しみもある。 『風と共に去りぬ』が少女時代の愛読書だったという リンダがいつか描きたかったにちがいない、 アメリカがアメリカとなるまでの時代を描いた 大河歴史ロマンの香りが。
南北戦争が終わって十年あまり。 もちろん、女性たちはまだまだ自由ではないし、 ディーのように若い女性がひとりで生きるなど、 とんでもない時代である。 南北戦争を闘ったあのスカーレット・オハラでさえ、 夫がいたのだ。
読みながら、リンダの力強いメッセージが、 エンジェル・クリークの清らかな 流れとともにあふれてくる。
どんな人にも、その人だけの出会いがあるから。 そのときには、素直にチャンスをつかみなさい、と。 (マーズ)
『天使のせせらぎ』 著者:リンダ・ハワード / 訳:林啓恵 / 出版社:ヴィレッジブックス
2001年01月08日(月) 『FAST FLOWER ARRANGING』
人を不幸にするものは、何だろうと、 読み終わってしみじみと考える。 同時に、人生を豊かにするものや、 美しさについて、思いをめぐらせる。
少女・コリーは、決して幸せとはいえない。 貧しさ故に、13歳で嫁がざるを得ず、 しかも、その結婚もコリーの持参金目当てであり、 夫たる少年も、すぐに病死してしまい、未亡人となってしまう。 義母は、ずっとコリーにつらく当たり、 義父の死後、コリーを未亡人の町へと捨ててしまう。 ひどい話だ。 しかし、これは現代のインドを舞台にした物語。
どんな逆境にあっても、 コリーは自分の身を嘆いたり、 打ちのめされたりはしない。 意地悪な義母のためにひたむきに働いている。 コリーを支えているのは、 義理の妹シャンドラとの友情であり、キルト作りだ。 キルトは、美しい思い出や自由な思いなど、 コリーの心を写している。 やがて、シャンドラが嫁ぎ、去って行っても、 義父から文字を習ったコリーは、 タゴールの詩集と出会い、 誰も奪うことのできない大きな力を得る。
真に人を不幸にするのは、 状況ではなく、自分自身なのだと、 本を読みながらしみじみと感じる。 どんなに不幸な状況にあっても、 自分で自分を見捨てない限り、 自分の不幸を嘆き悲しまない限り、 幸せいっぱいとはいかなくても、 まだ、大丈夫なのだと。
そして、心に、誰にも奪うことのできない強さがある限り、 自分自身を嘆くことはない。 少女・コリーのように。 心の底から湧き上がってくる美しい思い。 それを巧みに縫い上げていく、巧みな指先。 文字を得て、自分のものとすることができたタゴールの詩の世界。 自由な思いを自分の心と言葉で、織り上げていくことができる。 何にも勝る、豊かさをコリーは持っていたのだった。
人によって幸せの価値観は違うけれど。 人間としての、「芯」は、しっかり持っていたいと思う。 心の中にある、今日までに培ってきた美しいものすべてが、 最後の最後には、力強く、人生を支えていくパワーの源になるのだと思う。
コリーが未亡人の町に捨てられてから、 物語は、俄然おもしろくなる。 コリーが幸せになる、その姿を見届けようと、 ページをめくるのももどかしい。
日頃、目にするインドとは違い、 インドの貧しい庶民たちの日常生活が垣間見られる。 しかし、そこには貧しさだけでなく、 自然の豊かさや、キルトやサリー作りの手仕事など、 人が生きている、日常の美しさを感じることができる。 身につまされるシーンも多々あるけれど、 ひたむきに生きて、やがて幸せを手にするコリーの姿に、 心が温かくなり、すがすがしい気持ちになる。
繰り返しになるけれど、『家なき鳥』を読み、 自分で自分を不幸にするような、 そんな生き方、心の持ち方だけはしてはいけないと、 あらためて、強く思った。 (シィアル)
『家なき鳥』 著者:グロリア・ウィーラン / 訳:代田 亜香子 / 出版社:白水社
猫やのお客さまからの推薦本。
老人性痴呆症の母を世話するため、 東部での華やかな出版の仕事をあきらめて 故郷のいなか町に帰ってきた図書館長、 ジョーダン・ポティートが探偵役の、 シリーズ第一作。
1995年のアガサ賞と、マカヴィティ賞(最優秀処女長編賞)を ダブル受賞した謎解きミステリである。
ジョーダンが帰り着いた故郷は、 テキサス州ミラボー。 一見、なんの恨みつらみも─少なくても 思い余ってひとを殺すほどの─なさそうな町で殺人事件が起こり、 ジョーダンはその第一発見者かつ、どこから見ても 疑わしい状況に追い込まれ、みずからの手で 聞き込み捜査を始めるのだった。
姉とその息子、病気の母とともに生家で暮らす 主人公の生活は、幼いころからの確執や、 甘くも苦くもある過去の日々の記憶と分かちがたく結びついた、 身につまされる哀感をともなっている。
人間は決して強くないかもしれないが、 そうそう弱くもないのかもしれない、と 思わせるユーモラスな文体は、 話の性格上、中盤に余儀なくされる 関係者への総当り聞き込み場面を、 注意深く読み進ませるためにも 役立っている。
プロットだけを追うミステリよりも、 人生のなんとやらをほのめかすミステリが好きだから、 私は読みながらあまり伏線に気をとめない(誰が犯人でも かまわないのだろう)が、 結末を知ればやはり、数々示された証拠に うなずいてしまった。
おそらく、田舎町を舞台にしたミステリには、 あなどれないものが多いのだと、改めて思う。 特に、作家がそのような町で育った場合。 誰もが顔見知りの田舎町というものは、 決して平穏無事な人生の溜まり場ではないという 警告も含めて。 (マーズ)
『図書館の死体』 著者:ジェフ・アボット / 訳:佐藤耕士 / 出版社:ハヤカワ文庫
私の料理指南、「100文字レシピ」の川津幸子が贈る、 お得なごはんづくり応援ガイド。
『ビンボーDeli.』のモットーは、 『B級の値段で、A級の味をあなたに』。
このご時世、できるかぎり安く上げることは 家計の至上命令でもあるわけだけれど、 安い材料でつくっても、決して 安っぽくも手抜きにもならないレシピだからこそ、 『おいしい!』『またつくろうっと』になれる。
何度も何度も自分の至らなさを吹聴するかのようで 気がひけるのだが、 私のように、料理との関係が疎遠な者にとって、 たまに台所に立つとき、背後にいる川津幸子の精神的支えは 強いものがあるのだ。
今回の料理構成は、 豚バラ肉を素材にしたレシピ集から始まって、 卵や、チキン、ひき肉といった なじみのお手ごろ素材を駆使した料理に加え、 ビンボーでもできるフレンチ、 アジアンごはん、 どんぶりものと幅広い。 この本と例の「100文字」があれば、 私の場合、あとはカレーとシチューと、卵とじうどんで何とか なりそうなくらい、ありがたい(笑)。
特に、私にとってうれしいのは、 普通の「中華丼」が入っていること。 これが自分でおいしく、しかも格安に作れたら、 安心して暮らしていけそうな気がするくらい、 私にとっては重要な存在なのだった。
今年の目標: 『中華丼をマスターする。』
(マーズ)
『ビンボーDeli.』 著者:川津幸子 / 出版社:オレンジページ
>> 前の本 | 蔵書一覧 (TOP Page) | 次の本 <<
管理者:お天気猫や
夢図書[ブックトーク] メルマガ[Tea Rose Cafe] 季節[ハロウィーン] [クリスマス]