2008年10月25日(土)  ひさしぶりにラジオドラマを書く

知人の中学生のお嬢さんが横浜で開かれた陸上の全国大会に出るというので、ダンナがたまを連れて見に行く。一人で過ごす休日は長くて、仕事がはかどった。今書いているのは、ひさしぶりのラジオドラマ。ラジオドラマで脚本家デビューしたからラジオが好きなのか、ラジオが好きだからラジオドラマでデビューしたのか、ラジオは書いていて無性に楽しい。

予定枚数をずいぶん越えてしまい、これをどう絞っていこうか悩むことになりそう。録ってからこぼれることがわかって削るのは辛いので、先に打てる手は打っておく。映像だったら絵を一枚入れて説明がつく場面を音だけの情報で表現しようとすると、工夫が必要になる。台詞のやりとりだと長くなるところをモノローグにしたり、遊びのシーンを削ったり、登場人物を減らしたり。あまり説明不足になるとリスナーが置いてけぼりになるので、さじ加減が難しい。

2004年10月25日(月)  ウェディングプランナー・みきさん
2002年10月25日(金)  木曜組曲


2008年10月24日(金)  掃除という名の大移動

京都時代の友人のトコロ君から出張のついでに泊めてほしいと連絡があり、急遽掃除大臣に任命され、朝から大掃除。ベランダの防水工事のためベランダからどけた大量の植木鉢が寝室を占拠していて、テレビ部屋を寝室にしているのだけど、客人トコロ君にテレビ部屋を明け渡すためには寝室から植木鉢をどかさなくてはならない。工事が終わったベランダへ荷物をUターンさせ、土やら砂やらを掃除機で吸い込み、寝室を回復。いったんはのっぺらぼうになったベランダは再びモノだらけに舞い戻った。客が来るたびに大慌てで大掃除をしているけれど、結局右のものを左に動かし、また戻しているだけで、家はまったく片付いていないという事実に愕然となる。

急いで片付けたのに、山手線の終電でやってきたトコロ君が現れたのは一時前。わたしは10年ぶり、ダンナは5年ぶりぐらいの再会で、積もる話で夜更かしする。

2004年10月24日(日)  『月刊 加藤夏希』DVD
2002年10月24日(木)  JSAを読んで考える 北と南 東と西


2008年10月23日(木)  生パスタみたいな絶品ラーメン『麺工房 山久』

ラーメン屋へはめったに行かないのだけど、去年近所に出来た『麺工房 山久』(>>>食べログ)の塩ラーメンを初めて食べたとき、おおこれは!と目を見張った。ほうれん草をねりこんだちぢれ麺にトマトがトッピングしてあり、スープは脂っこいしつこさがなくさらっとしていて、味が上品にまとまっている。麺は手打ちなのか、ラーメンというよりパスタ感覚。オリーブオイルやトマトソースにからめたらよく合いそう。

店内は小洒落た和食ダイニング風で、女性一人でも気後れせずに入れる雰囲気。テレビで紹介されてあっという間に行列店になるのではと思ったのだけど、一年経っても開店当時ののどかさは変わらず、最近立て続けに2度行ったら、いずれも客はまばらだった。子連れでも落ち着いて食べられるのはありがたいけれど、ラーメンにサービスの小ライスがついて650円というお値段でやっていけるのかと心配になってしまう。「ここ、もっと流行ってもいいのにね」とほうれん草麺をすすりながら言うと、「声がでかい。店の人に聞こえる」とダンナにしかられた。「なんで? お店を応援してるんだよ」と言い返したが、「まるで今ダメみたいじゃないか」と言う。だって、味の割に明らかにガラガラなのは事実ではないか。このおいしさが埋もれたまま店が閉まってしまうのはしのびないので、日記で紹介することにした。文京区本駒込、白山界隈にお越しの際はぜひ旧白山通り沿い、東洋大学の目の前の山久でラーメンを。

2005年10月23日(日)  ついに早稲田松竹で『インファナル・アフェア』
2004年10月23日(土)  SLに乗ったり地震に遭ったり
2000年10月23日(月)  パコダテ人P面日記 誕生秘話


2008年10月22日(水)  あまえんぼジュークボックス、たま2才2か月。

娘のたまが通う保育園の「保育参加」なるものを体験し、保育士さんに混じって子どもたちと午前の数時間を過ごした。近所まで、てくてく散歩についていく。わたしはたまと手をつなぎ、3人の保育士さんが箱乗りバギーと自分たちの手で8人の子どもたちを運ぶ。行きは良い良いだけど、帰りはみんなぐずって、歩きたがらない。たまも立ち止まり、「おんぶ」とせがむ。たまをおんぶしながら、重い、背中が痛いと音を上げそうになっていたら、保育士さんは、おんぶにだっこに手を引いて、一人で3人を相手していた。そのたくましさに頭が下がる。

たまは、今日で2才2か月。あいかわらずあまえたで、おっぱいが大好きで、おむつが外れる気配はない。だけど、事後報告で「チッコ」(大きいの)「もれてる」(小さいの)と教えてくれるようになり、おまるにも嫌がらずに座るようになった。

おっぱいが欲しくなると、「とんとん、はいってるかー」と呼びかけてくる。「入ってるよ」と答えると、「いってみろう」のかけ声とともに吸いつく。「いってみよう、だよ」と何度教えても「いってみろう」になるのがおかしい。おっぱいを飲みながら、長袖の袖口に自分の手を入れて来る。恋人のコートのポケットに手を忍ばせて甘える、そんな感じ。袖口もわたしもデレデレと伸びる。

したいこと、したくないことを言葉で伝えてくれるようになり、意思疎通のストレスはずいぶんなくなった。いちご柄の半袖を着せようとして、「いちご、さむい」と言ってくれると、じゃあ長袖にしようね、となる。

言葉の発達と反比例するようにガブリ癖も治まってきてひと安心していたら、今週は二人のお友だちを引っかいてしまった。引っ張られた、おもちゃが欲しかったなど、たまなりに事情はあるようだけど、咄嗟のときは言葉より手が出てしまう。悪いことだと本人はわかっていて、「○○ちゃんに、ごめんねする」と自分からしおらしく謝りに行き、「ごめんね」、「いいよ」、握手で仲直り。我慢はまだ身についていないけれど、言葉で歩み寄ることを覚えつつある。

耳で覚えた歌をどんどん覚えて口ずさむ、その成長も目覚ましい。ポニョやらきらきら星やら、一人で機嫌良く歌っている。「すいかのめいさんち〜」に続けて「ゆ〜きやこんこ」と季節感は度外視。YouTubeで見つけた「ううあ」の歌を気に入り、次から次へと持ち歌にしている。UAと童謡というキャスティングの妙はもちろん美術や衣装もオシャレで、わたしもはまってしまった。恩恵を被りつつ思うのだけど、YouTubeは著作権保持者には脅威だ。今に映画まるごと上げられるようになったら、脚本家も二次使用料を取りっぱぐれてしまう。

2007年10月22日(月)  マタニティオレンジ197 たま14/12か月
2006年10月22日(日)  マタニティオレンジ23 たま2/12才
2005年10月22日(土)  おばあちゃん99歳
2004年10月22日(金)  クリオネプロデュース『バット男』
2002年10月22日(火)  大阪では5人に1人が自転車に『さすべえ』!


2008年10月21日(火)  満を持して『ザ・マジックアワー』 

面白いよと何人にすすめられたかわからない『ザ・マジックアワー』をついに新文芸座でつかまえる。ちょうど今、三谷幸喜さんのエッセイ『オンリー・ミー―私だけを』を読んでいて抱腹絶倒中で、血中三谷ワールド値が急上昇しているところ。『ザ・マジックアワー』を観るには打ってつけのタイミングなのでは、とおめでたい気持ちで客席へ。映画が始まり、妻夫木聡演じる若い男がヤクザの親分の愛人を寝取り、命を助けてもらう代わりに伝説の殺し屋を連れて来いと命じられる。期限は5日で、日めくりカレンダーがめくられていく絵になる。その日付が10月17日、18日、19日と読めた。もしかしたら一日ぐらい誤差があるのかもしれないのだけど、咄嗟に「期日の5日目は10月21日、今日のことではないか」と思って、今日これを観ることが運命づけられていたんだと一人で舞い上がった。

内容のほうは、三谷作品らしい笑いに声を上げて笑わせてもらいつつ、ちりばめられた伏線が見事に結実したラストがすがすがしくて、「いいもの見せてもらったー」という深い満足感があった。町並みはセットで時代設定もどこか現実離れしていて、芝居がかった物語なのに、「くたばってたまるか」と映画の中の時間を必死に生きている登場人物たちの人生には真実味があった。CMの端役をやりながらもう一度「マジックアワー」の好機を狙っているかつての名スターが、佐藤浩市演じる売れない役者に心意気を語った後、出番を知らせに来たスタッフに名前ではなく「おじいちゃん」と呼ばれる場面が強く印象に残った。エッセイ『オンリー・ミー』には脚本家として売れ始めた頃の三谷さんのドタバタ、ジタバタが詰まっているのだけど、その実体験があるから、ドタバタ、ジタバタと生きることのおかしみとかなしみをこの上なく愛おしく描けるのだろう。そう納得した。

2006年10月21日(土)  5本目の映画『天使の卵』初日
2005年10月21日(金)  小さな冷蔵庫 大きな冷蔵庫
2002年10月21日(月)  アウシュビッツの爪痕


2008年10月20日(月)  「袖すり合う」か「袖ふり合う」か

竹内まりあが歌う朝ドラ『だんだん』の主題歌を聞きながら、「袖ふり合うって聞こえるけど、袖すり合うじゃないの?」とダンナが言った。「すり合うじゃなくて、ふり合うだよ」と答えると、「ふり合うってどういう状況?」と聞いてくる。「だから、袖を振ってるんじゃないの? 振り袖っていうじゃない」と答えたのだけど、考えてみると、袖をぶんぶん振り合っている二人というのもおかしな図だ。

新明快国語辞典で「袖」を引くと、【袖触(ふ)り合うも多生の縁】だとわかった。「見も知らぬ旅人同士が同じ木の下に一時いこい宿るのも、決して偶然ではなく、この世に生まれる以前からの深いつながりによるものだ」とある。触れ合いの「ふり」だったのかと納得すると同時に、「他生」は俗用で「多生」が正しいのだと知る。「袖振り合うも他生の縁」と二箇所も間違って覚えていた。昔、脚本家の大先輩の荒井晴彦氏の名前を「新井春彦」と日記に書いてしまい、前田哲監督から「半分間違っていますよ」と指摘されたのといい勝負。

……と書いたら、「竹内まりあではなく、まりやです」と読者から指摘があった。これは思い違いではなくうっかりミス。この手の間違いを知らず知らずふりまいているんだろうなあ。そういえば、最近経済ニュースなどで「レバレッジを効かせる」という表現をよく聞く。leverはテコだから、leverageはテコ入れ。覚えたダンナが早速「ベバレッジを効かせる」と使っていたが、beverageはジュースなどの飲み物である。アルコールが入ってないから効かせるのも難しい。

2005年10月20日(木)  神保町めぐり


2008年10月19日(日)  おにくぼくじょう! マザー牧場2日目

娘のたまが昨夜「おにくぼくじょう」と命名したマザー牧場にご近所仲間のK家と泊まり、朝7時前に目覚める。高原の朝は爽やか。朝食前に牛を見に行く。有刺鉄線のすぐ向こう側で牛がのんびり草を食んでいる。朝ご飯のために牛舎に戻って行くところも見られた。入れ違いに、かわいい子牛たちが放牧場に行進してくる。


和食をチョイスした朝食はごはんと味噌汁と干物と海苔。食後の飲み物に選んだ牛乳のコクは、さすが牧場。こうでなくっちゃ。

大自然の中で、子どもたちも伸び伸び。たまとK家のマユタンは、木の枝を手に地面を彫ったり木の幹をツンツンしたり。バランスを崩したたまが草の坂道をトトトとつんのめるように下り、数メートル下の平らになったところでこけて止まるというハプニングもあった。多少のスリルは味わって、たくましく育ってほしい。
牛牧場へ引き返し、乳搾り体験。子どもの頃にやったことがあったような、ないような。おっぱい党のたまはおじけづいて手を引っ込め、おっぱいのことならまかせなさいのわたしは、思いのほか苦戦。ジャージー牛牧場通いで慣れているマユタンはバツグンの指使いでジャージャー搾り、飼育員さんをうならせた。

パパたちが娘たちを馬に乗せ、たまは馬乗りを初体験。メリーゴーランドといい馬といい、乗ることが好きなようで、「おうまのったねー」と後々言い続ける。

初めての馬に続いて、山頂で初めてのソフトクリームを体験(クリームよりもコーンに感激)し、ドーム型施設で羊ショーを鑑賞。これが掘り出し物で、オヤジギャグを連発するニュージーランド人の羊使いが十数種の羊を紹介したり、毛刈りをしたり。一心不乱に餌を食べ続ける羊たちの姿は微笑ましく、会場を走り回った牧羊犬が一気に羊たちの背中の上を駆け去ったのは迫力があった。子羊たちに会場から名乗り出た子どもたちがミルクをあげる場面では、哺乳瓶を飲み込まんばかりの子羊たちの旺盛な食欲にびっくり。最後はステージに上がってふれあいタイム。

トラクターバスに揺られて麓へ下り、豚を見て、ヤギを見て、羊の大行進を見て(牧羊犬に追われてイワシの大群のごとく羊がぐるぐる)、わたしとたまは巨大迷路も体験。おなかいっぱい遊んで、初めてのおにくぼくじょうを後にした。

2007年10月19日(金)  インテリアデザイン『DAYS』のマツエ
2006年10月19日(木)  マタニティオレンジ22 めぐる命と有機野菜
2005年10月19日(水)  新宿TOPS 2階→8階→4階
2003年10月19日(日)  100年前の日本語を聴く〜江戸東京日和
2002年10月19日(土)  カラダで観る映画『WILD NIGHTS』


2008年10月18日(土)  おにくぼくじょう! マザー牧場1日目

ご近所仲間のK家と泊まりがけでマザー牧場へ。K家にはうちの娘のたまより1年上の女の子マユタンがいて、先日食事をしたときに二人が遊ぶのを見ながら「今度はゆっくり旅行したいですね」と話していたのが思いのほか早く実現することになった。K家がよく行くという軽井沢のジャージー牛牧場へ行こうとしたら、牧場の宿泊施設も周辺のペンションも軒並み満室。2日前の駆け込みでは予約が取れない軽井沢人気を見せつけられ、牧場違いで「マザー牧場はどうでしょう」となった。

アクアラインを使うと、あっという間に海を越え、文京区を出て一時間ちょっとで到着。マイカーを持たないので、クルマってこんなに楽なのかと驚く。両家ともマザー牧場を訪れるのは、初めて。宿泊先のコテージはずいぶん年季が入っていて、備え付けの柄つきポットや黒電話は昭和の雰囲気。わたしが勤めていた広告会社が広告を手がけていて、けっこう新しいイメージがあったのだけど、できて50年近く経つらしい。

牧場は、とにかく広い。9月に大阪へ帰省したときに訪ねたハーベストの丘も広々していたけれど、それが5つ6つ入りそう。見晴らしがよくて、空気がきれいで、山に来たという感じがする。広さに加えて夕方だったせいか入場客の姿はまばらで、山頂まで坂を上ったところにあるミニ遊園地は、客よりもスタッフのほうが多いほど。落差一メートルほどのミニ急流すべりでは、誰も乗っていない船をおじさんが所在なげに押していた。娘たちはアンパンマンや電車の乗り物にお金を入れずに乗ってごきげん。大人たちは一人200円のボール当て射的に4人で挑戦し、戦果ゼロ。たまはメリーゴーランドを気に入り、「メリーゴーラン」と言い続けた。

夕食は焼き肉。さすが牧場!というおいしさにあふれていないのが、惜しい。メニューにもう少し工夫があれば、レストラン目当てに来る客が増えそうなのだけど(そこはハーベストの丘に軍配が上がる)。それでもみんなでワイワイと肉をつつくのは楽しく、家で焼き肉をしたことがないたまにとっては新鮮だった様子。寝かしつけるときにK夫人が「今日はクルマに乗ってどこにおでかけしたかな」とマユタンに語りかけていたら、「おにくぼくじょう!」と割って入った。以来、両家でのマザー牧場の呼び名は「おにくぼくじょう」に。

娘二人が寝た後は、大人の時間。ブルーベリーワインを飲み、スナック菓子をつまみ、K家が持って来たドイツの図形パズルに挑戦したり、新聞の旅行広告を見ながら「ご近所仲間で船旅をしたいですねえ」と話したり。

2007年10月18日(木)  マタニティオレンジ195 ママ友に取材 
2005年10月18日(火)  体にやさしくておいしい中華『礼華(らいか)』
2002年10月18日(金)  「冷凍食品 アイデア料理のテーマパーク」で満腹!


2008年10月17日(金)  イランの非常に強い漢方薬

目にいいという漢方薬をイランからのお土産にいただいた。薬の名を聞くと、「日本語はわからないけれど、ペルシャ語では『黒い穀物』」だという。穀物というよりは石と形容したくなる固さで、ヒマワリの種大の不揃いな小石状のものが袋にびっしり詰まっている。

歯が立つ固さではなく、まずは口に入れるために小さくする必要があった。フードプロセッサーでは刃が負けそうなので、ベッドの足で踏んづけることに。木の鍋敷きの上に何粒か置き、ベッドの足を乗せて体重をかけると、「バキッ」という不吉な音とともに鍋敷きがまっぷたつに割れた。

作戦を変え、トンカチで砕くことに。木のテーブルに直接粒を並べてガンガンやったら、粒の形にテーブルがへこんだ。何ということ! わたしもへこんだ。

胡椒挽きのような道具があればと思いめぐらして思い出したのが、イタリア製のキッチンツール。友人イヅミ嬢がロンドンに引っ越したときの置き土産で、粒胡椒を粉にする道具だと思っていたのだけど出番がないまま台所の引き出しの奥で眠っていた。粒が大きすぎるとうまくつぶせないことがわかり、鉄鍋の上でトンカチで粒を細かくした上で、つぶし器でさらに細かくしていく。と、あろうことか、持ち手の柄がまっぷたつに。鉄より強い漢方薬。強いの意味合いが違うのではないか。

わが家に数々の被害をまきちらした漢方薬を最後にねじ伏せたのは、ヨーグルト。味がしなくて砂を噛むような感覚なので、「ヨーグルトをまぜて食べるといい」とアドバイスをもらっていた。3ミリ角ぐらいになった荒めの粒をヨーグルトに一晩つけると、手に負えるやわらかさに。雨垂、石をうがつ。ヨーグルト、イランの強力漢方薬を負かす。

2007年10月17日(水)  マタニティオレンジ194 長生トマトの歌にノリノリ
2006年10月17日(火)  マタニティオレンジ21 赤ちゃんと話したい
2002年10月17日(木)  Globe Trotter×ELEY KISIMOTOのスーツケース


2008年10月16日(木)  偶然の遭遇

先日、七里ケ浜の駅で待ち合わせたテスン君とユキコさんと海沿いのレストランを目指して歩いていたときのこと。「あっちが山だから、海はこっちです」と自信たっぷりなテスン君を信じてついて行ったら、「あれ? 間違ってました。海はあっちですね。ここ曲がりましょう」となり、道を右に折れた。すると、少し先にロケバスらしきものが停まっていた。「なんかの撮影かな」と話しながら目をやると、ロケバスの脇に立っていた男性がじっとこちらを見ている。「あ」とテスン君が気づいて、「こんなところで」と声をかけた。

飲み仲間のテレビ局プロデューサーだというその彼に、テスン君が「こちら『子ぎつねヘレン』を書いた脚本家の今井雅子さん」と紹介してくれた。3年前の映画だし、ピンと来ないかも、と一瞬思ったら、「ああ。あの犬、死んじゃったんですよね」と思いがけない反応。ヘレンの餌を横取りしようとしてほふく前進で近づくというアカデミー賞に動物部門があったら受賞間違いなしの名演技を披露したロッシは、映画撮影から間もなく亡くなり、『子ぎつねヘレン』が遺作となった。そのことはノベライズ本の後書きなどでも触れられているけれど、ヘレンと聞いて真っ先にロッシの死と結びつけた人は初めてだった。「実は、あの犬を最初に起用したのは僕なんですよ」と言われ、納得。「『ロシナンテの災難』というドラマで……」「それ見てましたよ」「それで、ロッシって名前になったんです」「そうだったんですか」……。テスン君が道を間違えて、あの角を曲がらなければ、聞けない話だった。

その翌日に鎌倉山で陶芸教室を体験したのは、工房を主宰する陶芸家のダンちゃんとダンナの遭遇がきっかけだった。二人は小学校時代の同級生。焼き鳥屋のカウンターで隣に座ったのが、二十歳のときの同窓会以来18年ぶりの再会となった。

ご近所仲間の会も、店で隣合わせになった偶然から始まった。会社の元同僚のイズミ嬢と当時はまだ恋人だったチョッキー君がお昼を食べている隣のテーブルにわたしとダンナが案内された。向こうは食事を終えかけていて短い会話を交わしただけだったけど、また近いうちにあらためてとなった。二度目に再会したときに映画と鉄道を愛するT氏と彼女のミキちゃんを紹介され、三度目に再会したときに、後にたまのひとつ年上のマユタンが誕生することになるK夫妻を紹介され、その4組がご近所仲間の会としておつきあいを続けている。

『http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103810017/imaimasakocaf-22/自由が丘物語』という子育て日記本で出会った「偶然は人生最高の香辛料」という言葉をしみじみと思い出している。

2007年10月16日(火)  マタニティオレンジ193 シュレッダーごっこ
2006年10月16日(月)  マタニティオレンジ20 ビバ!ウンチョス!
2004年10月16日(土)  SolberryのハートTシャツ
2002年10月16日(水)  カンヌ国際広告祭

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