愛知県新城市にある星農園から有機野菜がどっさり送られてきた。農園主の星洋輔さんは、一昨年の春に亡くなったわたしの幼なじみ・寺岡佳夏のいとこ。長女たまの誕生を知った佳夏のご両親がお祝いにと気をきかせてくれたのだった。子どもが生まれて以来、体にいいものを食べることには一層関心を持つようになったので、無農薬・無化学肥料の野菜はありがたい。
14種類の野菜の中にはツルムラサキ、壬生菜など普段食べないものも。あぶって味噌をつけて食べるだけでご馳走になる万願寺とうがらし、長〜い葉っぱの先までおいしく食べられる大根、空心菜は「アンチョビと炒めてもいい」というアドバイス通りにやってみたら、びっくりなおいしさ。にが瓜はゴーヤチャンプルにし、二十日大根は蒸してテンメンジャンをつけ、チンゲン菜はにんにくとオイスターソースで炒めた。どれも野菜の味がしっかりして、噛み締めると「自然をいただいている」気がする。はるばるついてきた赤ちゃん青虫君はベランダに放した。
洋輔さんは有機野菜の研修を終え、今年三月に就農したばかりの駆け出しとのこと。添えられた手紙には「野菜がとれるようになって思うのは、佳夏に食べてほしかったということ。私が百姓をするといったらおもしろがってくれていました。今井さんに食べてもらうよう佳夏がつなげたような気がしています」とあった。その昔、隣同士だった佳夏の家と今井家は有機野菜の共同購入をしていた。『ノアの箱舟』という名前の会だった。当時のわたしは無農薬のありがたみにいまひとつピンと来ていなかったが、熱血少女の佳夏は教室でクラスメートを前に「食べものが体を作るねん! せやから健康な土を守らなアカンねん!」と熱く語っていた。佳夏が食べられなかった分もわたしが食べよう。そして、佳夏と同じ8月の終わりに生まれた女の子に栄養を注ぎ込もう。そんなことを考えていたら、命はめぐるんだなあとしみじみ思えた。人は死んだら土に返るというけれど、土はまた命を育む源になる。その恵みをいただいてわたしたちは生きていく。
◆2004年6月20日 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと
2005年10月19日(水) 新宿TOPS 2階→8階→4階
2003年10月19日(日) 100年前の日本語を聴く〜江戸東京日和
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