出産前に気がかりだったのは、オムツのことだった。友人が子どものオムツを替えている場面で「やってみる?」と声をかけられるたびに「今はやめとく」と遠慮してきた。果たして一日十回を超えるというオムツ替えに耐えられるだろうか……。だが、案ずるより生むが安し。生まれてきたわが子はウンチまでかわいいのだった。
記念すべき最初のオムツ替えは生後14時間後。「海苔の佃煮みたいなのが出ますよ」と助産師さんに言われた通り、真っ黒などろっとしたものがドバッ。母親のおなかの中で溜め込んでいるうちに熟成されるのだろうか。「胎便」と呼ぶらしい。「出ました!」と助産師さんに知らせに行くと、「おめでとう。口から肛門までつながってる証拠ですよ」と言われ、ありがたーい気持ちになる。
最初は真っ黒なウンチは、母乳を飲み始めると少しずつ茶色くなっていく。「そのうちカプチーノみたいなのが出ますよ」(なぜか食べものに例えるのが好きな助産師さん)と言われた数時間後、「出ました、カプチーノ! 抹茶ですけど」と報告すると、怪訝な顔をされる。カプチーノというのは色のことで形状のことではなかった(「噴射」される勢いで泡立つのだった)。このときは本当に抹茶のような鮮やかな緑だったのだけど、なぜこんな色になったのかは聞きそびれた。
出産前にメリーズのサンプルプレゼントに応募したらドーンと60枚パックが送られてきた。その心意気と使い心地を気に入り、今も愛用。オシッコが出るとラインの色が変わり、ウンチの流出防止ギャザーがあり、留めテープは何度でも貼り直せる。最初のうちはウンチブロックギャザーを立て忘れてウンチが飛び出したり、おへそがオムツに擦れて血まみれになったり(おへそが乾燥するまでは当たらないように避ける)、おなか回りがきつそうだと思って緩めたらヒップハングになって脱げかけたり。連日のオムツ特訓の成果で手際は良くなったけれど、替えてる最中にジャーだのブリだのされたり、替えたと思ったら汚されたりは日常茶飯事。それでも笑って許し、便秘で苦しんでいるときは「がんばれウンチョス」と応援し、たくさん出たら「トリニダードバコだねー」と喜ぶ、そんな自分を面白がっている。
何枚替えても苦にならないものの、ダンナにもたまには参加して欲しい。300枚替えた頃に、「まだ一枚も替えてないよね」と言ったら渋々一枚だけ参加。その後も及び腰だったけれど、小学五年生の女の子がうちに来てオムツ替えを手伝ってくれた日、自分から「やってみる」と言い出した。小学生にできるなら自分にもと自信を持ったらしい。それが400枚目の頃。さらに100枚ほど替えた頃、夜中にぼそぼそしゃべる声で目を覚ますと、隣でダンナがオムツを替えているではないか。わたしを起こさないよう小声で娘に話しかけながら。「ほうら、すっきりしましたねー。ギャザギャザもあるから安心しなさいよー」とわたしの口調をしっかり真似ている。知らん振りしているようで、ちゃんと見てたんだなあ。オムツの数だけママもパパも成長するのだ。ありがとう、その一枚でもう少し眠れますと心の中でお礼を言って、また眠りに落ちた。
心苦しいのはゴミのこと。オムツでずっしり重いゴミ袋を持ち上げると、一昨年訪ねたイギリスの動物園で見た「紙オムツが地球環境を破壊する」というメッセージを思い出す。布オムツでがんばっている妹は「慣れればそんなに大変じゃない」と言うけれど、今の育児生活からオムツを洗う時間とエネルギーを捻出するのは難しい。子どものためにきれいな地球を守りたい気持ちと、子どもがいても自分の時間を守りたい気持ちの引っ張り合い。オムツが取れるのは2才前後だという。これから先、一体何枚替えることになるのか。間もなく700枚。
2004年10月16日(土) SolberryのハートTシャツ
2002年10月16日(水) カンヌ国際広告祭