近頃のニュースを見ていて、あ、あれを読んでなかったと思い出したのが『JSA』だった。去年、映画が封切られたときに見て、その内容にショックを受け、圧倒されたのだが、何よりビックリしたのはロビーでの異様な光景だった。そこかしこに今見てきた作品への感想や疑問をぶつけあう人の輪ができ、熱い討論を交わしている。こんなに観客を論じさせるこの映画はなんなんだという驚きとともに、自分は論じるほど作品を理解していないことに気づき、慌てて原作を買い求めたのだった。
原作を読んで、映画は原作を大胆に切り取っていることがわかった。切り捨てられた部分には、はじめて聞く南北朝鮮の歴史があり、そこを読んであらためて映画を思い起こすと、謎めいていた兵士たちの行動の背景が見えてきた。この原作は小説の新人賞に応募されたもので、最初は「38度線を警備する南北の兵士が心を通わせるなんてありえない」と設定の甘さを指摘されていたのだが、その後、小説と同じような南北兵士の交流が現実に起こり、急に作品がリアリティを帯びて受け入れられたというのも興味深い。人間は知らないものに恐怖を抱くし、敵だと教えこまれた者に対峙するときには極度の緊張を味わうけれど、間近で接してみると意外と話が通じるじゃないかとわかった途端、緊張の弛みとともに心を許す傾向があるのかもしれない。先入観で固められた憎しみは、心と心で溶かすことができる。憎むこともできるかわりに、愛することもできるのが人間のいいところで、その気持ちがあれば戦争なんて必要ないという気もする。
そもそも、ひとつの民族が北だから南だからという理由だけで相手を徹底的に憎んだり退けたりするのは苦しいことではないのだろうか。どちらの国にもそれぞれいいところと悪いところがあり、愛すべきところもあれば嫌うべきところがあるんじゃないかと思う。ペンフレンドのアンネットの国が東ドイツだったとき、西ドイツとひとつになるのを望んでいるかと聞いたら、彼女は戸惑っていた。ベルリンの壁を壊したのは「情報」だと言われているし、アンネットもマクドナルドのある世界に憧れた一人ではあったけれど、「西のすべてがバラ色じゃないし、東のすべてが灰色じゃない」と彼女は答えた。心に国境線が引けないように、北と南、東と西、右と左という言葉のようには人の心はくっきり分けられない。愛と憎しみ、幸福と不幸、希望と諦め……。様々に揺れる感情にはバラ色から灰色までのグラデーションがあるのだろう。そんなことを最近よく考える。