2008年07月24日(木)  潜在意識?『7月24日通りのクリスマス』

監督とプロデューサーと週一回ペースで会って、映画の企画を練っている。昼過ぎから夕方まで、会っている時間の半分ぐらいは雑談に費やし、最近観た映画や昔観た映画の話になる。今日、どういう流れからか、わたしの口から『7月24日通りのクリスマス』の話題が出た。たまたま三人とも観ていたことがわかり、ヒロインの妄想に出て来て恋を応援するポルトガル人の父子は『アメリ』をやりたかったのかなあ、などと話した。

そのときは何も思わなかったのだけど、家に帰って、今日の日付が「7月24日」であることに気づいて、あらっと思った。『7月24日通りのクリスマス』が公開された2006年秋、わたしは六本木ヒルズのTOHOシネマのママズシアターでマタニティビクス仲間のレイコさんと子連れで観たのだけど、他に観た人がまわりにいなくて、それ以来、誰かとこの映画の話をしたことはなかった。ほぼ2年の間記憶の底に沈んでいたこの作品のことを今日思い出したのは偶然ではなく、無意識のうちに「7月24日」という情報が記憶野の深いところをかき回した結果なのかもしれない。「なんで、突然こんな話してるんだろ」と不思議に思うことがわたしはよくあるけれど、自分でも気づかないうちに記憶につながるスイッチが押されているんだろうなあと想像した。

2007年07月24日(火)  マタニティオレンジ150 自分一人の体じゃない
2000年07月24日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月23日(水)  神楽坂の隠れ家で、英語で映画を語る。

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭5日目。審査委員長のダニー・クラウツさんとダニーさんに映画製作を教わったという百米映画社取締役のジョン・ウィリアムスさんが神楽坂で飲むというので、仲間に入れていただく。炉端焼き屋『てしごとや 霽月 (てしごとやせいげつ)』の個室に集まった約10名は国籍様々な映画関係者。審査員のリカルドさんもダニーさんとともにはるばる川口市からやってきて、「SKIPシティから抜け出したのは初めて」と言う。観光したい気持ちはヤマヤマだろうけれど、お二人とも審査にいそしみ、飲んでいる間も映画の話。根っからの映画人だ。

宴の公用語は英語で、合作映画の進め方なんかを語っている。天井が低い隠れ家みたいな部屋を飛び交う異国の言葉の映画の話は、秘密の香りがする。わたしの英語は友だちを作って意気投合するまでは出来るけれど、深く語り合うには拙すぎ、聞き役に回ってしまう。以前わたしが関わったものの成立しなかった海外ドラマの日本版を作るという企画のオリジナルを観ていた日本人の女性がいて、そのドラマの話で盛り上がった。

2007年07月23日(月)  マタニティオレンジ149 ダンボールハウス
2005年07月23日(土)  映画『LIVE and BECOME』・バレエ『ライモンダ』
2004年07月23日(金)  ザ・ハリウッド大作『スパイダーマン2』
2003年07月23日(水)  チョコッと幸せ


2008年07月22日(火)  マタニティオレンジ314 おっぱい「まだ でる!」たま1才11か月

一昨年8月22日に生まれた娘のたまは、2才の誕生日まで、あと1か月。「魔の2才児」の助走は始まっていて、日に日に自己主張が強くなっている。「あんよ たい!」(歩きたい)と言い張るのでベビーカーに乗せずに出かけると、「ここ たい!」とだっこをせがまれて閉口する。「ぬぎぬぎぽん たい!」(服を脱ぎたい)、「くるくるここ たい!」(バスタオルをぐるぐる巻いてだっこしてほしい)、「でで たい!」(出たい)、「ねんね ない!」(寝ない)、「ねんね たい!」(寝たい)と、お風呂に入ってから寝るまでの間にも要求は刻々と変化する。毎日のように仕入れて来る新鮮なコトバを駆使して交渉上手になっていく姿を見ていると、「コトバは意志を伝えるための道具」だなあとあらためて思う。伝えたい気持ちがコトバを求め、磨かせる。

つい先日のこと、「とんとん!」とおっぱいを欲しがり続けるので、「もう出ないよ」と言ったところ、「まだ でる!」と泣きながら言い返してきて、ダンナと大笑いした後に、「もう」と「まだ」の使い分けができるとは、と驚いた。実際には「もう」という単語を知らないので「まだ」を使うしかないのだが、普段はnot yetの意味合いで使っている(「うんちは?」と聞かれて「まだ でない」のように)のをstill moreの意味合いでも使いこなしたことに感心した。2才を前にしても卒乳の気配はなく、トイレトレーニングも「まだ!」。

この一か月の目覚ましい変化は、助詞を使えるようになったこと。「ママと いく」「ママと いっしょ」と「と」を使うときは、二人で出かけたいとき。パパに手を引かれて出かけるときには、「ママも くる?」と振り返る。「ここに ある」「あっちに いく」など、場所や方向の「に」も使いこなすようになったが、これに相手を示す「に」が加わり、昨日わたしが打ち合わせから戻ると、「ママに コーローケ」と得意げに指差した。「じいじばあばの家から持って帰ってくれたのね」とお礼を言ったら、ダンナが実家でのエピソードを披露してくれた。たまはコロッケを夢中で食べた後に「ママに コーローケ」と言い出し、ダンナ母が「どうしよっかなー」とふざけてはぐらかしたら、テーブルに突っ伏して泣いたという。自分が食べておいしかったものをママにも食べさせたい、その気持ちがいじらしい。親は子を喜ばせるために心を砕くけれど、子どものほうから笑顔以上のお返しが来るようになった。

人を笑わせたいというサービス精神も旺盛。今月お目見えした芸は、「バレリーナ」。レッスンバーよろしく柱などにつかまって片足をひょいと上げ、「バレリーナ」のかけ声とともにポーズを決める。それだけでも笑いを誘うのだけど、「あれ?」と首を傾げる仕草がまたおかしい。自分で突っ込みを入れるなんて、誰に教わったのか。関西人の血ゆえの天然仕込みなのだろうか。機嫌がいいときはいつもフンフン鼻歌を歌っている。「ハッピーバースデー ディア あま〜」と2才の誕生日に向けてバースデーソングを練習中。

2007年07月22日(日)  マタニティオレンジ148 ダブルケーキに仰天!たま11/12才
2005年07月22日(金)  万寿美さん再会と神楽坂阿波踊り
2002年07月22日(月)  10年前のアトランタの地下鉄の涙の温度


2008年07月21日(月)  マタニティオレンジ313 なす術なし!の手足口病

先週の金曜日、打ち合わせを終えて娘のたまを保育園に迎えに行くと、「さっきから熱が出て、今また上がって38度6分です」と保育士さん。「手首と足と口のまわりと口の中にブツブツができていますから、手足口病かもしれません」と言われて小児科へ直行すると、予想的中。体の抵抗力が落ちたときにウィルスに負けて引き起こされる
症状だそうで、薬はとくにないとのこと。

「ブツブツが出てしまえば熱は引くし、ブツブツにはとくに痛みやかゆみはないけれど、口の中にできたものに限っては、しみるので、食べるときに痛がるかもしれません」というお医者さんの言葉通り、熱が引いてからが大変だった。食べものを口に入れるたびに顔をしかめて「いたい!」と泣く。空腹と痛みに加えて、食欲はあるのに痛くて食べられないもどかしさと不満が苛立ちを募らせ、機嫌は悪くなるばかり。可哀想にと同情を誘われるけれど、親にもどうしてやることもできない。丸三日苦しんで、ようやく今夜あたりから少し食べられるようになったけれど、それまでは白いご飯さえも受けつけないほど固形物は一切ダメで、牛乳とお茶とおっぱいでしのいだ。一度なれば免疫ができるという類いのものではないらしく、弱っているときにウィルスが入ってくれば何度でもなるというのが厄介だ。

「手足口病? 何それ?」とダンナ母は初耳のように言い、「うちの三人の子どもたちは一度もかからなかったから特殊な病気に違いない」と言い張ったけれど、わたしが子どもの頃から身近にあって、「てあしくちびお」と呼んでいたのを覚えている。わたし自身がかかったときの記憶なのか、妹や弟がかかったときだったか。そのものずばりの病名が子どもにも親しみやすく、覚えやすいがゆえに忘れられなかったのだけど、今回「手足口病」をネットで調べて、英語では“hand-foot-mouth disease”と呼ぶことを知った。日本オリジナルのネーミングかと思いきや、直訳なのだろうか。

2007年07月21日(土)  体に寄り添う仕事用の椅子
2005年07月21日(木)  日本科学未来館『恋愛物語展』
2004年07月21日(水)  明珠唯在吾方寸(良寛)
2002年07月21日(日)  関西土産
2000年07月21日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月20日(日)  映画祭と日常を行き来する通勤審査員

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2日目。今日から国際コンペティションの長編部門と国内コンペティションの短編部門が始まり、会期中に各作品2回の上映機会がある。昨日はオープニングだから盛況だったけれど、今日はどうだろう、と行ってみると、朝一番の上映から立ち見が出るほどで、初日だけじゃないんだ、となんだかうれしくなった。長編部門の審査員5人は12本のノミネート作品を観た上でクロージング前日の審査会議で受賞作品を選び出す。どの作品をどのように観てどのような感想を持ったかについて、審査が終わるまでは記さないほうが良さそう。どれもクオリティが高く紹介したい作品ばかりで、一度目の上映で観た作品を「ぜひ観るべし!」と二度目の上映に誘うことができたらと思うのだけど、それができないのは歯がゆい。

今日は審査委員長のダニー・クラウツさんと審査員のリカルド・デ・アンジェリスさんとそれぞれのアテンドの通訳さんと行動を共にした(写真は会場に特設されたシネマカフェでの休憩時に食べたカレーパン)。ダニーさんはオーストリアでDOR FILMという製作スタジオを立ち上げ、100本以上の映画やテレビをプロデュースされている。「こっちが3才の娘で、こっちが18才の娘」と子どもの写真を見せてくれたので、「15才も離れているの」と驚いたら、「他に5人いる」と言われて、もっと驚いた。「映画作りと子作り、とても生産的な人生ですねえ」と感心。映画祭の会期中に妻と子の誕生日があるので、プレゼントを日本で見つけなきゃと言う。精力的に仕事をこなしつつ家庭を楽しむ大らかさに好感。

リカルドさんはアルゼンチンの撮影監督で、3作目の『A Place in the world』がアカデミー賞候補に。16本撮った長編作品のうち8作品がデジタル撮影で、南アメリカにデジタル技術を広めている。とにかく機械が好きで、記録撮影のクルーが担いでいるカメラや会場にあるハイビジョンテレビなどに興味津々。英語は片言だけどコミュニケーション能力はバツグンで、表情が実に豊か。この人のいる現場は笑い声が絶えないだろうなあ。あるいは、南米の人たちって、皆さんこんなに陽気なんだろうか。9才の孫娘の写真(ご自身で激写)を見せて自慢するお茶目なじいじでもある。

スペイン語の響きが好きで、イタリア語とともにぜひ習得したい言語なのだけど、リカルドさんが話しているのを聞いていると、ますますその気持ちが募る。ジャケットは「ジャケッタ」。上着は「カンペッラ」。ここ(この席)は「アキ」。「アキは日本語で空いてるって意味」だと教えると、「アキ、アキ?(ここ空いてる?)」。おいしいは「デリシオーソ」も使うけど、「リコ」のほうが簡単でかわいい。

「映画祭と家をback and forthするのかい?」とダニーさん。家から会場まではドアtoドアで40分ぐらいなので余裕で通える。だけど、映画祭に通勤する難点は「浸る」ことができないこと。家に帰れば乳飲み子が泣き、洗い物は満載。食事を作っている間に今日スクリーンで観た映画の数々は吹っ飛び、頭の中は現実に支配される。これまで行った函館や宮崎や夕張の映画祭では、その街に滞在するという非日常の中に映画というさらなる非日常があった。線として映画祭を楽しむ滞在型に比べ、映画と日常を行き来する通い型は、断続的な点での体験となる。でも、それはそれで面白く、娘に授乳しながら「人生にとって映画とは何だろう」なんてことをふと考え、「そもそも映画とは映画館を出て日常に戻って行く人のためにあるのだ」なんて当たり前のことにあらためて気づいたりしている。

2005年07月20日(水)  立て続けに泣く『砂の器』『フライ,ダディ,フライ』
2002年07月20日(土)  トルコ風結婚式
2000年07月20日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月19日(土)  世界は広くて狭い! SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008開幕

5月に長編国際コンペティション部門の審査員を打診されて存在を知った、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭。今日から27日まで9日間開催される第5回のオープニングセレモニーに参加するため、会場となる埼玉県川口市のSKIPシティを初めて訪れた。映画祭期間中は無料シャトルバスが会場と結ぶ川口駅は、わが家の最寄り駅から乗り継ぎを含めて20分ちょっと。こんなに近いのに足をのばす機会がなかった川口市とSKIPシティに、縁あって何度か通うことになる。

川口シティの中に位置するSKIPシティとは、うまく説明するのが難しいけれど、埼玉県や川口市や企業が、ここから何かを生み出そうとしている情熱と希望が詰まった拠点で、映画祭はそのパワーがひとつの形として発信されたものと理解している。控え室で名刺交換した後、オープニングセレモニーの挨拶に立たれた上田清司県知事と岡村幸四郎市長も気合い十分。夕張の映画祭を盛り上げた中田市長のスピーチも熱かったが、こちらも負けていない。アメリカのVariety誌が選んだ「世界の見逃せない映画祭50」に日本国内で唯一名を挙げられたのがSKIPシティの映画祭だとか。長編コンペ部門の受賞者が翌年カンヌで受賞したり、実力のある監督たちが目指す映画祭にもなっている様子。「Dシネマ」のDはdigitalで、この映画祭でかけられる作品は長編短編ともに撮影から上映までを一貫してデジタルで行う。世界的にはデジタルでの上映環境が整っているのはアメリカが突出していて、日本はまだまだデジタル上映に対応できる劇場が少なく、「デジタルで撮ってフィルムで映す」というもったいないことをしているデジタル作品が多いという。

そんな興味深いデジタル事情を垣間見られた開会スピーチのリレーに続いて、オープニング上映はシネマ歌舞伎の『人情噺文七元結(もっとい)』。いわゆる「劇場中継」のジャンルがデジタル技術の発達で飛躍的にグレードアップし、一流の生の舞台を特等席で観る感覚を映像で味わえるようになった。今後サンプルとして紹介された英国ロイヤルバレエ団の『ロミオとジュリエット』の映像の美しさと臨場感に目を見張る。「映画館で観られる映画以外のもの=Other Dightal Stuff略してODS」と呼ばれるこのジャンルは、今後新たな観客を映画館に呼び込むコンテンツとなりそう。

さて、『文七元結』の監督は名匠・山田洋次氏。たしか明治の頃に書かれたという脚本にも手を入れ、よりわかりやすい人情噺に仕立てたという。上映前に紹介されたメイキング映像で役者さんと打ち合わせする監督の姿が映り、生身の監督に一度だけお目にかかったことがあるのを思い出した。松竹の打ち合わせ室を訪ねたとき、見知らぬ初老の紳士が先に席に着かれていて、部屋を間違えたかなと思って引き返したところに、同じ打ち合わせに出ることになっていたプロデューサーが現れた。「あの、どなたか入ってらっしゃるんですけど」とわたしが言って部屋まで確認に行ったプロデューサーは、「どなたか、というより、山田洋次監督ですよ」と呆れていた。そのとき一瞬お会いした紳士と同じお顔がデジタル映像で、はっきりくっきりと映っていた。

話を映画本編に戻して、この『文七元結』、デジタル映像のクオリティの高さもさることながら、監督が翻案した効果なのか、物語が実に明快でよくできていて、台詞もわかりやすく、解説ぬきでこれほど内容を理解できた歌舞伎は初めてだった。英語字幕を同時に読むことで、より理解が深まった部分もあるかもしれない。字幕の英訳も見事で、日本語がわかる観客とわからない観客が同じタイミングでどっと笑った。上映前に話しかけて来たレバノン人男性のビシャラ・アテラ(Bshara Atellah)さんに「どうだった?」と感想を聞くと、「人を信じなさいとか自分に正直でいなさいとか、子どもの頃に教わったけど忘れていたことを思い出させてくれる作品」と激賞。『Under the Bombs 邦題: 戦禍の下で』の助監督・スタイリスト・ジャーナリスト役を務めた彼はわたしが知り合った初めてのレバノン人(レバニーズという)。歌舞伎が好きで、これまでにもシネマ歌舞伎を観たことがあって、「日本にすごく興味があったから来日できてうれしい。それだけで賞をもらったも同然」と言う。彼のほうは日本を熱く語ってくれるのに、わたしはレバノンってどんな国なのか、ほとんどイメージが浮かばない。世界地図のどの辺にあるのか、左のほう……ぐらいしかわからないのが情けない。

世界の75の国と地域から693編が集まったという長編部門。12本に絞られたノミネート作品の監督など関係者はSKIPシティに招かれ、会期中滞在し、最終日の審査発表を待つ。レバノンのほか、スペイン、トルコ、中国、エストニア、ドイツなど様々な国から若い才能が集まって来て、映画の未来を背負って立つ意気込み十分の彼らが持ち込んだ「気」が会場に渦巻いている。広告会社時代に行ったカンヌ国際広告祭の熱気と興奮を思い出し、わたしも10才ぐらい若返った気持ちになる。そういえば、カンヌへ行ったのは、ちょうど10年前、1998年だった。

オープニングパーティでは法被を着ての鏡割りを体験。わたしを審査委員に挙げてくださったプロデューサーの戸山剛さんとも挨拶できた。2年前の函館港イルミナシオン映画祭で名刺交換させていただいた戸山さんは、現在、『風の絨毯』の益田祐美子さんがプロデュースする『築城せよ』劇場公開版のラインプロデューサーとして制作準備に奔走中。戸山さんが最近まで在籍していた百米映画社(100 Meter Films)社長のジョン・ウィリアムスさんの師匠が今回の長編部門審査委員長であるダニー・クラウツ(Danny Krausz)さん。映画の世界は人と人のつながりが命で、国際映画祭は、世界に目を開かせてくれると同時にit’s a small worldを感じさせてくれる。

2007年07月19日(木)  忘れ物を忘れる速度
2005年07月19日(火)  会社員最後の日
2002年07月19日(金)  少林サッカー
2000年07月19日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月18日(金)  マタニティオレンジ312 『JUNO』を観て思い出した9か月

これは観なきゃと思っていた映画『JUNO』をついに観た。16才の女子高生がまさかの妊娠をして……という話。だけど、暗くも説教臭くもならず、おしゃれにかわいく作られている、とすでに観た人の評判はすこぶる良い。画面に登場したJUNOは、いきなりガロンサイズ(4リットル弱!)のジュースをグビグビ飲んでいる。妊娠の事実をなかなか受け入れられず、3本目の妊娠検査薬のために水分補給していたことが後でわかるけれど、「そうそう、妊娠初期は喉が渇くのよね〜」とわたしは勝手に勘違いして共感。2年前の今頃は8か月のおなかを揺すって、ペンギンみたいにペタペタ歩いて、せりだしたおなかの上に汗の水たまりを作っていたっけ。旅行したことのある土地の風景を懐かしむように、妊娠という旅の記憶をたどりながらの鑑賞となった。

ヒロインとわたしは妊娠時で二倍以上の年の差があり、片や未婚の高校生、片や既婚の仕事持ち。妊娠以外の共通項はないぐらいなのに、JUNOの気持ちがすっごくわかる。何者かが自分の中に芽生えて、日に日に大きくなることの神秘と畏れ。あの感覚はJUNOも初めてだったけど、わたしも初めてだった。結婚していて収入も貯金も十分あって年齢も十分熟していたくせに、妊娠がわかったとき、わたしは動揺した。産婦人科の先生に「今さらその年で『まさか』はないでしょう」と苦笑されたけれど、会社を辞めて脚本をバリバリ書こうという矢先だったから、「これからってときに……」と焦った。実際は、妊娠してむしろ調子づいたぐらいで、出産間際までバリバリ書けたし、妊娠・出産を体験することで書きたいものも広がったし、子育てしながら今も書き続けているけれど、そのときは失うものの大きさに気を取られていて、家族が一人ふえるということ以外に得るものがあるなんて想像していなかった。

主人公が決断を迫られる出来事に直面して、答えを出しながら成長していく、というのは、ストーリー作りの王道だけど、JUNOを見ていて、思い出した。妊娠から出産にかけては、人生最大の決断キャンペーン。「いつ、誰に、どんな風に告げる?」の迷いは、おなかが目立つまで知り合いの人数分続くし、「いつまで仕事を続ける?」「いつから再開する?」「どこで(病院? 助産院? 自宅?)産む?」とセットで「どんなスタイルで産む? (分娩台、水中出産、フリースタイルなど選択肢いろいろ)」に悩む。「家族を立ち会わせるか否か」「事前に性別を聞いておくのか」「犬帯を締めたり戌の日参りのようなことはやるのか」……披露宴みたいに招待客がいるわけでもないのに、決めることが山ほどある。しかも、子どもが出てくる9か月後までに決めなきゃいけない。実際には妊娠に気づいたときには残り時間は8か月ぐらいになっている。わたしは産む気持ちが揺らいだことはなかったけれど、大きくなっていくおなかを見ながら「もう引き返せない」と思ったことは何度もあった。こちらの心の準備が整っていようとなかろうと、おなかの中身は着々と外に出る準備を進める。
「時間の枷」もストーリーを盛り上げる大きな要素。妊娠期間は普通に過ごしているだけでも十分ドラマティック。

忙しい役所よりも決裁事項が山積みなのに、人の命、一生に関わることだから、安易には決断を下せない。羊水を採って先天性異常を調べる検査を受けるかどうかの選択は、産まれてきた子に障害があっても受け入れる覚悟があるかどうかを問われる。名前は、どんな人生を歩んで欲しいかの祈りでもある。答えをひとつ導き出すたびに、自分はまだ見ぬおなかの中の命とどう向き合おうとしているのか、態度が定まってくる。おなかが大きくなるにつれて妊婦の腹が据わってくるのは、おなかの中身について考え続ける(そうせざるを得ない)からだと思う。

「産むかどうか」悩んだ末に「産むけれど別の人に託す」選択をしたJUNOには、産むことへの迷いと戸惑いがつきまとい、思いっきり動揺する。だけど、流されない。壁にガンガンぶつかり、不安や苛立ちをぶちまけながらも、自分の直感を信じて、こっちだと思った方向へ突き進み、未来をひとつひとつ選んでいく。その真っすぐさが、観ていて気持ちよかった。怖いぐらいのスピードでおなかの中の命が育つ一方で、おなかの主もかつてないスピードで成長する。あの激動の9か月の興奮と手ごたえを思い出させてくれたJUNO。失ったものはたくさんあったはずなのに、出産を終えた彼女が不幸せに見えなかった。

2004年07月18日(日)  ニヤリヒヤリ本『ニッポンの誤植』
2000年07月18日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月17日(木)  最近食べたお菓子

会社に勤めていた頃、朝出社するとオフィスのあるビルの地下の喫茶店でモーニングを食べ、ランチの後にお茶をし、午後はカフェでアイデア出しをし、知り合いが訪ねてくればまたカフェへ行った。お茶するために会社に行っているようなものだった。会社を辞めてフリーになって、その機会がめっきり減った。喫茶店で顔合わせや打ち合わせをすることはときどきあるけれど、打ち合わせ相手に「お茶しない?」と声をかけるのは毎日顔を合わせる同僚たちに比べてハードルが高い。そういうわけで、このごろはもっぱら家でお茶している。

最近食べておいしかったもの。先日バレエを隣の席で鑑賞したカヨちゃんがおみやげにくれた神楽坂のPetit Bave(プティ・バーブ)というお店のクッキーいろいろ。「baveってフランス語でよだれって意味なんだって。フランス人とのハーフの友だちが、お店の前を通る前に笑うの」とのこと。お隣には「Bistro de bave」(よだれビストロ)があるそう。たぶん「よだれが出るおいしさ」という意味を込めたのだろうと想像。その意図を汲み取れる、ちょっぴりよだれが出る味。

日光の『明治の館』はティールームの雰囲気が大好きで、何度か行ったことがある。ニルバーナというチーズケーキが絶品で、上品な甘さのヨーグルトも絶妙なおいしさ。乳製品系が強いのは、近くの牧場から新鮮な牛乳が運ばれてくるからだろうか。いただきものの焼き菓子の圧倒的な幸福力も、優秀なバターの賜物かも。

焼き菓子といえば、銀座プランタン地下に入っているmielのドーナツをようやく体験。ドーナツを揚げるのではなく焼くという新発想が売りで、未知との遭遇を期待したのだけど、食感も味も固めのカステラのような感じ。「焼きドーナツ」といえば新しいけれど、「穴のあいたカステラ」とも言える。開店して間もない頃は一時間待ちの行列が伸びていたけれど、今日は待ち時間ゼロ。皆さん、一度食べて納得してしまわれたか。

うまいと評判のドーナツをあちこち食べ比べているけれど、近所の豆腐屋・太田屋の「おからドーナツ」の右に出るものがなかなか現れない。おいしい豆腐は揚げてもおいしい。揚げ菓子独特の油感を味わえるのに、5個入りパックを一気に平らげても胃がもたれない軽やかさ。5個350円というお値段もブラボー!

そして、7月前半に食べたいちばんおいしかったお菓子は、知人宅でごちそうになったケーニヒスクローネのシュークリーム。ここのお菓子はことごとくわたし好みだけど、シュークリームは初めて。栗入りシューの、その名はミュンヘン。チョコ味よりオーソドックスな皮が好み。シュークリームランキングの2位に浮上する勢い(一位のウエストは不動)。

2007年07月17日(火)  マタニティオレンジ147 働くお母さんの綱渡り
2005年07月17日(日)  阿波踊りデビュー
2004年07月17日(土)  東京ディズニーシー『ブラヴィッシーモ!』
2000年07月17日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月16日(水)  JASRAC著作権料9円!

著作権とはありがたいもので、これまでに脚本を手がけて映画やドラマになった作品の二次使用料が、再放送されたり海外で放映されたりDVDが売れたり借りられたりするたびに入ってくる。月に一度、こういう名目でいくら入りましたという報告書が、わたしの著作権料の管理を信託しているシナリオ作家協会から届くのだけど、報告書に並んだ作品の名前を見ながら、あちこちに旅立った親孝行なわが子たちがせっせと仕送りされているような、くすぐったい気持ちになる。シナリオ作家協会の会費(ひと月3000円)を数か月分天引きされたらチャラという月もあれば、会社員時代の給料ひと月が何にもしないで転がり込むこともある。

たべものソングの作詞も手がけるようになって、こちらはJASRACからの報告書が音楽制作会社経由で3か月に一度送られてくる。先日届いたばかりの最新版を見て、目が点になった。この3か月で発生した著作権使用料は、なんと9円。こんな微妙な数字、稼ごうとしてもなかなか難しい。DVDがどーんと売れたときよりも、1桁の衝撃は大きかった。

2005年07月16日(土)  『リトルダンサー』と『アマデウス』と『マノン』
2004年07月16日(金)  島袋千栄展 ゴキゲンヨウ!


2008年07月15日(火)  6本めの長編映画『ぼくとママの黄色い自転車』撮影中

『パコダテ人』『風の絨毯』『ジェニファ 涙石の恋』『子ぎつねヘレン』『天使の卵』と来て、6本目に脚本を手がけるの長編映画のタイトルは『ぼくとママの黄色い自転車』。2005年秋に撮影された『天使の卵』以来、約3年ぶりの映画で、7日にクランクインし、現在小豆島で撮影中。お天気に恵まれ、とてもきれいな絵(映像)が撮れているとのこと。

監督は『子ぎつねヘレン』の河野圭太さん。声をかけてくださったのは、ヘレンのプロデューサーだった共同テレビジョンの井口喜一さん。アニマルトレーナー(母に会いに行く少年・大志とともに旅をする子犬が登場)の宮忠臣さんもヘレンつながり。さらに、ヘレンで警官役だった阿部サダヲさんが父親・一志役で出演。母親・琴美役は鈴木京香さん。大志少年は『いま、会いにいきます』の武井証くんが演じる。主題歌はさだまさしさんの書き下ろしというのも楽しみ。

原作は新堂冬樹さんの『僕の行く道』。母を想う少年の一途な想いに心を打たれるこの物語に、出産後にめぐりあえたのも何かの縁かもしれない。母親の気持ちが少しはわかるようになってきた今だから、「自分だったら」という目で原作に向き合い、脚本を書けたように思う。「母親とは」「家族とは」……議論を重ね、脚本を作りながら、考えさせられた。映画を観る人にとっても、親子の絆を問いかける作品になりますように。

2007年07月15日(日)  MCR LABO #4 愛憎@shinjukumura LIVE
2004年07月15日(木)  見守る映画『少女ヘジャル』
2002年07月15日(月)  パコダテ語
2000年07月15日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)

<<<前の日記  次の日記>>>