2003年07月23日(水)  チョコッと幸せ

新聞整理をしていたら、「幸せとは」という言葉がやたらと目についた。柳生博さんの「Happiness is……」に影響されて、敏感になっているせいかもしれない。「幸せとは幸せをさがすことである」「幸せとは目的ではなく結果である」「不幸だと嘆く人は、自分が思い描く幸せと現実とのギャップを嘆いている」などなど。発信している人はすべて違うけれど、どれも、「幸せとは、幸せ探しの道に落ちているもの」というようなことを言っている気がする。

理想と同じ姿かたちをした幸せを求めると、探し疲れてしまうけれど、思いがけないところにひょっこり顔を出した驚きや発見は、たとえささやかでも、プレゼントになる。オマケのようについてくる幸せに気づけることが「幸せ」なのかもしれない。こんな風に思えるようになったのはここ数年のことで、20代の頃は記念日を祝ってもらえないとふてくされ、映画「プリティウーマン」を見て、うらやましさのあまり泣いたりした。映画のヒロインと自分を比べて「わたしは不幸だ……」とメソメソ。今思うと、アホちゃうかとあきれる。幸せ渇望病のようなものだったのだろうか。

切抜きの中に「人は幸せを握りしめて生まれてくるが、生まれた途端、手を開くと幸せを逃してしまう。それを追いかけるのが人生だ」という内容の台詞を見つけた。教師が教え子に贈った言葉なので、「幸せは自分の手でつかまえろ」という激励だったのではと思うが、わたしは別な意味も想像した。幸せとは、手でつかめるぐらいの大きさのもので、それは、手をのばせば届くところにあるということ。

「これ、今日の今井さんみたいだったので」と会社で背中合わせの席に座っている新卒の女の子が、チョコレートを一箱くれた。この席には研修のローテーションで4週間おきに新卒の女の子がやってくる。彼女で4人目。最初はお互いドキドキだけど、チョコレートが溶けるみたいにちょっとずつ打ち解けていく。「わあ、アポロ大好き! ピンクのとこだけ離して食べたりしたよね」「これは大きくって、中にクッキーが入ってるんです」「ほんとだ。このタイプのお菓子おいしいよね。たけのこの里とか……」なんて他愛もない会話が楽しい。ピンクのワンピースを着ていてよかった。小さな幸せを口の中で転がしながら、思いをめぐらす。赤ちゃんが握りしめる幸せって、チョコレート一粒ぐらいの大きさなのかもしれない。アポロより大きくて、クッキー入りアポロより小さくて。アポロだと手の中で溶けちゃうけれど。

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