2007年07月24日(火)  マタニティオレンジ150 自分一人の体じゃない

妊娠して、「あなた一人の体じゃない」と言われるようになったのは新鮮だった。自分の体をそんな風に考えたことは、それまでなかった。お酒を飲もうと、風邪を引こうと、自分だけで完結することだった。それが、自分の体だけではなく、自分とつながっているもう一人のことを考えなくてはならなくなった。自分をた大切にすることは、もう一人を大切にすることであり、自分を傷つけることは、もう一人を傷つけることだった。

生まれてからは母乳でつながるから、やはり自分一人の体ではない。幸い娘のたまは今のところとくにアレルギーはなく、母親のわたしは牛乳も卵も生クリームも食べられる。大好きなケーキを食べても、たまの顔にぶつぶつが出ないのをとてもありがたいことだと思っている。ところが、わたしのほうにアレルギーが出てしまった。7月の頭に左腕の肘の内側に現れた発疹がなかなか消えず、強烈な痒みを伴うので、つい掻いてしまったところ、左腕の付け根から手首まで赤くて痒いのが押し寄せた。家にある痒み止めやかぶれ止めを手当たり次第塗ったら、薬が合ってなかったのか、組み合わせが悪かったのか、ますますかぶれて水ぶくれのようになった。さらに腕の内側ばかりが外側まで赤みが広がり、右腕やおなかにも発疹が出てきた。痒みで眠れないほどで、ついに皮膚科に駆け込んだら、「多形性なんとか」というアレルギー反応(「多形滲出性紅斑」が正式名称のよう)だと診断された。見せられた症例写真より、わたしの腕のほうがひどいことになっていた。季節の変わり目などにかかりやすく、原因がわからないことが多いという。塗り薬とあわせて内服薬で治療することになった。

ここで問題。「そっか、授乳しているのね」とお医者さん(女医さんだった)。「でも、塗り薬だけだと、時間かかるわよ」と言われ、薬の服用中は授乳をあきらめることに。抗アレルギーの薬というのが、かなりきついらしく、強烈な眠気を誘う。悪寒がして体がだるくなり、自分を斜めから見下ろしているような浮ついた気分になる。鼻炎カプセルを用量の倍飲んだときのよう。この状態でたまの相手をするのがしんどかった。朦朧とした頭にたまの泣き声がわんわん響いて、ごきげんを取ろうにも気力体力が消耗していて体が思うように動かない。おっぱいが使えれば一発で泣き止ませられるのに、それが禁じ手なのが何より辛い。たまも泣き募るが、こちらも泣きたくなった。

一日二錠の抗アレルギー薬を一錠にしたけれど、それでも体は重かった。三日耐えると、肌のかぶれは目に見えて引いていった。一週間分出してもらった薬をその時点でやめ、授乳を再開。たまもうれしそうだけれど、わたしもうれしい。薬のいらない体のありがたみを噛み締める。不幸中の幸せをもうひとつ探せば、かぶれたのが顔でなくてよかった。腕なら長袖で隠せるけれど、覆面して打ち合わせには出られない。

あたためるといけないのでお風呂もお預けとなったが、おっぱいばかりか、お風呂の楽しみまでたまから奪うわけにはいかない。水風呂でも寒くない夏でよかった。水遊び感覚で、いつもより長風呂できる。とばっちりだったり、おこぼれだったり、赤ちゃんは否応なく母親の健康状態の巻き添えを食らうし、その結果もまた母親に跳ね返ってくる。「母子ともに」という言い方をよく使うけれど、体調と機嫌の良し悪しはまさに母子連動型だと痛感。

2000年07月24日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)

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