■準備中のシナリオの取材のため、余語先生と会食。わたしが親しくおつきあいしている友人の最年長者で、つい先日まで昭和四年生まれと勘違いしていたのだが、一年早い昭和三年生まれとのこと。「慶応幼稚舎に入り直したときに落第しましてね」。小学一年生を二回やっているので同級生より一才年上なのだそう。知り合ったのは四年前だが、いつ会っても年の差を感じるどころか、「負けそう」と思うほどお元気で、食欲も知的好奇心もモリモリ、よくもまあと感心するほど何にでもアンテナを張り、新しいものや面白いものをつかまえては教えてくださる。■今日もA4サイズの手提げから「四次元ポケットか!?」というほど次々と本やチラシが飛び出し、「こういうのご存知ですか?」攻撃に遭う。数多い趣味のひとつとして「篆刻」をたしなまれる先生は、わたしのリクエストに応えて「雅」という手彫りの判子を制作中。当然、篆刻にもアンテナを張っていて、先日、銀座で通りがかった篆刻展が気に入って二度足を運び、作家の垣内光(かきうち・ひかり)さん(篆香会主宰のチャーミングな女性とのこと)ともお話ししてきたそう。作品集を買い求めてきたというので見せてもらうと、一文字一文字が絵画のようで、漢字が象形文字からはじまったことを思い出させてくれる。言葉の持つ意味と広がりを文字の顔つきで表現する技術に驚き、「篆刻って面白い!」と興奮。篆刻の出来栄えもすばらしいけれど、彫られている言葉がまたすばらしく、垣内さんがつけたと思われる訳とあいまって、「見る詩集」のような作品集になっていた。いやはや、まずいものをお見せしましたねえ。私の彫るものは、こんな風にはまいりませんから」と余語先生は苦笑しながら作品集を手提げにしまった。■作品集の中でわたしがいちばん気に入ったページが個展の案内状にもなっていた。「明珠唯在吾方寸」という良寛さん(1758〜1831)の言葉に、「明るく輝く珠は はじめから 私の心の中に あったのだ」と解釈が添えられている。「方寸」とは、調べてみると、一寸四方の空間を指し、転じて「心」を意味するのだそう。わたしが『ブレーン・ストーミング・ティーン』で伝えたいこと、「宝物は私の中にある」と同じだ。明珠唯在吾方寸。余語先生もその一人。
2002年07月21日(日) 関西土産
2000年07月21日(金) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)