■『少女ヘジャル』という映画のことを聞いたのは、去年の秋だった。国境なき主婦プロデューサー、益田祐美子さんが「東京国際映画祭で知り合ったトルコ人の女性監督と意気投合したから、一緒に高山に行ってくるわー」と言って故郷まで連れて行ってしまったのが、ハンダン・イベクチ監督だった。益田さんのブログ『脳細胞のストリップ』によると、(1)主婦(2)映画のお金集めを自分でした(3)女だから撮影現場で男性スタッフになめられた という共通点が二人を近づけたのだとか。■噂を聞いてから半年以上経って、ようやく作品を観ることができた。恵比寿の東京都写真美術館のホールは、大きさといい雰囲気といい、落ち着いて観られる劇場。客層も年代的に落ち着いていて、岩波ホールに近い印象。作品は想像していたものよりずっと良かった。トルコにおけるクルド人問題という深刻なテーマを取り上げつつも、少女と老人の交流を軸に描いているので、悲惨さはオブラートに包まれている。そこが甘いと見る人もいるかもしれないけれど、この作品全体に流れるまなざしの優しさに、監督の母性を感じた。民族の対立という憎むべきものがすでにあるから、登場人物に悪い人は必要ないのだけど、それぞれを描く目線が、なんともあたたかい。家族を皆殺しにされ、九死に一生を得たヘジャル。妻と死別し、息子と離れて暮らしている孤独な元判事ルファト。ルファトに思いを寄せる未亡人。クルド人であることを隠し続けてルファトに仕えてきた家政婦。へジャルの幸せを願う同郷のクルド人、アブドゥ。どの人物もとても人間味豊かに描かれていて、最初は下膨れの愛想のない子にしか見えなかったヘジャルがだんだんかわいく見えてくるように、物語が進むにつれて登場人物たちに親しみを覚えていく。そして、いつの間にか彼らに寄り添い、彼らを見守るように作品を観ていることに気づく。ラストの別れのシーンでは、客席のあちこちからはなをすする音が聞こえ、わたしの前に座っている人は皆、あわててバッグからハンカチを取り出していた。ハンカチを持ち歩かないわたしは、ティッシュがびしょびしょになった。途中、大きな笑いもなかったが、涙も静かに流れているという感じだった。悲しみの涙というより、みんな幸せになってねという祈りのような涙だと思った。トルコ映画は初めてだったけど、とても心に残る作品になった。■監督と益田さんは雑談の中で「日本とイランの合作映画を作るなら」とアイデア出しをし、「アラビアンナイトみたいなのをやりたいわね」と話したそう。それを聞いたわたしが、友人のトルコ人・キャーミルのひょうきんさを思い出し、「トルコ人一家が日本に来て騒動を起こすコメディーは? タイトルは『トルコ行進曲』」と言うと、「コメディーもいけるかも、あの監督」と益田さん。冗談が本気になって日本トルコ合作映画が実現したら楽しい。そんな益田さんは、次回日本イラン合作映画『パルナシウス』のロケハンでイランを訪問中。
2002年07月15日(月) パコダテ語
2000年07月15日(土) 10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)