浅間日記

2005年11月30日(水) クラークケントまがい

仕事を終え、家路を辿る。

東京の暖かさに慣れた身体で、冷え込みの厳しい信州へもどるわけにはいかないから、
列車が中間ぐらいを通過する頃に、備付の個室を借りて、寒冷地仕様にフルモデルチェンジする。

インナーを変え、シャツを重ね着し、分厚い靴下をはく。
上から下まですっかり衣装換えをして、再び夜汽車の客となる。

2004年11月30日(火) 空調考



2005年11月29日(火) 一流ピカピカ

終日都心で仕事。

私にとっては、社会的に全く申し分ない方々と、一日を過ごす。

一流の服を着て、一流の靴を履き、一流の言葉で話す。

表向きは平然と向き合って仕事をするけれど、
胸中は、そのあまりの一流ぶりに、口をぽかんと開けたままである。

こういう人達も、家庭ではパジャマを着て牛乳を飲んだりするのだろうか。

自分のライフスタイルを微塵も見せないことが、
少し前の時代のビジネススタイルだったのだろうなと思う。
古くて大きい会社というのは、今でもそういうところがびしっとしている。
それがよいのか悪いのか分からないけれど、ホリエモンと違うことはわかる。



2005年11月26日(土) 世代間男女交代論

家で雑事。
来週も家を空けるから、もうシッチャカメッチャかである。
布団を干し、洗濯物を干し、掃除機をかけ、
散らばった本や新聞を片付ける。

昨日の昼、食堂にわんさかいた、20代後半ぐらいの働き盛りの女性達は、
こういう週末に何をしているんだろうかと、ふと思う。

平日は仕事に邁進し、昼は小さなバッグに財布と携帯電話と
タバコか何かを放り込んで、お気に入りの店でランチをするのだろう。
責任と権限のある仕事に生きがいを感じ、夜は酒を飲んだりもするのだろう。

ひと昔前の、男性のようである。
女性のライフスタイルはより社会的存在へと順化してゆき、
何となく似たり寄ったり、先も見えている。
そういう存在から離脱を始めた男性達と、対照的な感じがする。
有能な男性ほど、無駄に社会的に競わず、プライベートな生活での満足を最優先にする。
かなり乱暴だが、そう思う。

男と女が同時に、時代を頑張らなくて済むと言うのはありがたい。
次世代は、また女が休み、男が頑張ればよいのだ。

男女共同参画が謳われているけれど、
政策の役割は、機会均等とか基本条件の整備までだ。

その後、実態がどう選択されるのかは、別の問題であって、
私は時代でそれは代わるのだという気がする。
もちろん、抜きんでた資質と欲をもつ個人は別扱いで、
時代とか男女に関係なく、世に現れるのだが。

2004年11月26日(金) 文芸の話



2005年11月25日(金) 欠乏苦・飽和苦

本日は上京。

寒い寒い。
自分に生えている夏毛はもうすっかりぬけて、
厳しい寒さを受け入れた真っ白な冬毛に生え変わったので、
それでも年明けぐらいまでは耐えられそうだけど。



娑婆へ出るのは一月ぶりだ。
生暖かくて生臭い新宿駅の雑踏は、あらゆるもので飽和して、
人や物や時間やエネルギーが消化不良を起こしている。

それは都会には当然の情景と諒解していたはずなのに、
どういうわけか今日の自分は、そこのところに因縁をつけている。

欠乏と同じぐらい飽和も、人間の抱える苦しみだ。
空気の入らない風船も、入れすぎて破裂してしまった風船も、
どちらもそのあるべき幸せな姿ではない。
でもしかし、欠乏の苦しみは理解されやすく、飽和の苦しみは理解されにくい。


スポットライトの当たっている、絵札のような不幸の下に立つことだけが、苦を救うということでもないだろうから、これはもう許してもらうしかないのであるが、

自分にとって、どちらの苦しみに寄り添うのが自然かといえば、多分それは「飽和苦組」なのである。

つまり、例えば、曽野綾子氏の言うような「今日食べるものがない」という貧困下にいる子ども達よりも、
工業製品みたいな食べ物を家畜のように与えられ続け、一時も空腹感を感じたことのない子ども達に対して、
自分にできる救いはないのかと真剣に考えてしまうのである。

そして、「ゆっくりでいいから、そのパンパンの空気を抜いてご覧」、
というようなことは、自分でも言えるのではないかと思うのである。



誰もスポットライトをあてていない不幸がある。
一見、そこには何も深刻なことはおきていないように見えるし、
自分でも何がおきているのか分からない。

そんな理解されない混沌とした孤独に寄り添って、
「それはもしかすると苦しみなんじゃないかな」と示唆するような、
そんなことを、私は「苦を救う」と考えているみたいである。
上手く表現できないし、実際にやったこともないけれど、そう思う。

2004年11月25日(木) 相互承認の時代



2005年11月23日(水)

灯油が無駄だとぼやきながら、夜なべ仕事。

Kさんから支給された柿を、まだ干し柿にしていないでいる。
今年はもうだめにしてしまうかもしれない。
いつまでたっても吊るされない軒下を、
Kさんは中庭越しに気付いてしまっただろうか。

2004年11月23日(火) 



2005年11月22日(火)

ぎりぎりの仕事に追われる。
自業自得なのだが、焦りとともにスイッチが入る。


こわばった表情とせつなそうな声で「仲間に入れて」と言い、
いつもの子ども集団に混じっていくAを残して、仕事へ。

この仲間入りの儀式は、ここのところの毎朝の風景で、
早く登園する子どもがイニシアティブをとり、Aはその対極にいる。

盛り上がり始めたところに、のろのろと姿を現すのだから、
そんなに簡単に仲間にするわけにはいかないのだろう。

入れてという子も、いいよと言う子も、表情がこわばっているから、
ある一人を仲間に入れるかどうかは、この子達にとって、
とてもシビアな問題であることがわかる。
視線を合わせずに、○○ちゃんに聞いてという子もいる。
判断に責任がもてないのだろう。

それでも負けずに「仲間に入れて」と言い続けることで、
やっと遊びに入れると言うわけである。

私やHなら、そんな面倒でいやらしい儀式はさっさと放棄して、
一人で遊ぶところだが、
根気よく交渉し続けるAは、偉いと思う。

2004年11月22日(月) 



2005年11月20日(日) 他人の仕事

東京より来訪のSちゃんに、ちょっとしたレッスンの講師を依頼する。

さっきまで「信州の食う寝る遊ぶ」の算段をしていたSちゃんは、
会場に入って着替え終わると、すっかりきりりと引き締まって、
ヘルス&ビューティトレーナーの顔になっていた。

かっこよくストレッチなどやっちゃって、準備している。
一緒についてきたAも、いかにもHちゃんのママだったこの人の
突然の豹変振りに、魅入っているようだ。

身体を自在に動かせることは、もうそれだけで美しい。
スポーツだろうが蕎麦打ちだろうが茶道だろうが、同じだ。
そしてとても、自由な感じがする。

「食う寝る遊ぶ」に取り残されて、なんだか下等動物みたいな私は、
毎度のことながら、Sちゃんは頑張っていい仕事を身につけたな、
と感心するのだが、
まあそれでも、自分は自分の仕事をするべい、と思うのだった。

2004年11月20日(土) 不安な気持ちはどう表すか



2005年11月19日(土) ランディさんと私

田口ランディさんを招いたT住職版「徹子の部屋」。

カチンコチンに緊張して聴衆の前に現れた彼女は、とても神経質そうに見えた。
自分に至る話題にはすべからく、どうもすみませんを発する対談に、
壊れてしまいそうな人だな、いやもう壊れているな、と感じた。

ところが、話題の方向に違和感を感じるやいなや、
指をテーブルの上でせわしく動かし、頭に頻繁に手をやり、
ロダンの「考える人」みたいな美しい表情になって、相手の話に耳を傾けている。

彼女の中では、猛烈なスピードで、理論が組み立てられているのがわかる。
そしてそれを、時にはまるで役者のように感情を込めた声を出し、
身振り手振りでアウトプットする。

この議論の行方は彼女に委ねていいのだという、ちょっと卑怯な安心感。
彼女は、足元がグラグラしている人や、「自分は足元はグラグラしない」と自信たっぷりの人が考える
正当性とか社会通念に対して、恐ろしいぐらい警戒心を抱いている。
それを跳ね飛ばすために、頭を使い理論づけしている。

そしてそれは私も同じだ。
彼女ほどではないが私だって、自分の足元など簡単に引っ繰り返ることが分かっているし、それが怖い。



ランディさんはブログでご自分のことを、「過剰な自分を抱えている」と書かれていた。
お会いしてそのことがよく分かる。

役者が「舞台」のために集中して作り上げるような破格の自意識を、
この方は小さい身体に一生懸命背負って生きているのだろう。
底に小さい穴の開いた小舟のように、
文章を書き続けなければ、沈んでしまうに違いない。




2005年11月17日(木) 加水かブレンドか

沢木耕太郎著「凍」読了。
世界的なクライマー山野井泰史氏と、
その妻であり同じく世界的クライマーの妙子氏の、壮絶な生還のドラマだ。

ギャチュンカンでのことは、山野井泰史本人が、著書「垂直の記憶」の中で書いている。
私はそれを既に読んでいたので、このアタックのあらましを知っていた。

「垂直の記憶」が、樽から出したばかりのウイスキーの原酒だとすると、
沢木氏の「凍」は、これに加水をして仕上げられた逸品である。
同じ水源を捜し求め、厳選し、これはとない素晴らしいバランスで加えることによって、原酒のもつ薫りを膨らませている。

沢木氏の仕事は、ブレンダーのそれではなかった。
癖のある他の原酒を一滴も混ぜることなく、自分の影を潜め、加水することにのみ専念したのがよくわかる。

沢木氏の著書「無名」には、彼の原酒としての色が濃く出ている。
父親の死に対する揺らぎや激しい感情を、100%に近い形で文章にしている。

何故、沢木氏が山野井泰史氏を題材に選んだのか不思議だったのだが、
山野井氏が、一流のクライマーとして世界的に評価されていながら、
日本国内ではあまり存在が知られてなく、むしろ無名に近いこと、
そして山野井氏本人は、無名か有名かということに全くこだわりがなく、
静かで自由な生活とクライマーとして日々生きられることを重要としている姿勢は、
沢木氏が描く彼の父親とそっくりであるような気がした。

好き勝手な想像で、二つの優れた著書である原酒をブレンドし、
読後感をふくらませるのは、読者として楽しい作業である。



2005年11月16日(水) 藪と泉

里山で独り、山の中で過ごす。

熊よけに持参したラジオから、日米首脳会談のニュース。
在日米軍再編に対して、地元自治体から強い反発があるが、という質問に、
ブッシュ大統領の「それはあなたたちが考えることだ」との科白。
目標は与えるが、方法は関与しない、とでも言いたいのだろうか。

アメリカは完全に強く、日本は完全に弱い。
2国間は平等でなく、主従に近い関係にある。
国際的にそれを取り繕う必要があるから、
こうしてたまに会って寺を見たり会談などして
さも対等であるようにカムフラージュするのだ。

歪んだ国際関係は、内政や国民性に浸透する。
子どもの未来にも、影響するだろう。

米国政府の無理に、「それは私たちが考えることだ」と言えたなら、
もう少し明るい青空が、この国の未来に見えるはずなのだが。


2004年11月16日(火) 



2005年11月14日(月) 花嫁御寮の理由

紀宮様の結婚式は、確か明日だ。
天皇皇后両陛下へのお別れの挨拶は、昨日だったから。

「長く親しんだ所を去ることが強く実感され、
静かな寂しさも感じております」

長く親しんだところを去る。
結婚しても相変わらず、ずかずかと我がもの顔で実家に出入りしている私には、
ちょっと赤面するような、お言葉である。

長く親しんだところを去り、異文化や習慣のところへゆく。
女性にとって、結婚を機にそうした決意をする必要は、
多分ほとんどなくなった。
国際結婚でさえ、紀宮様の結婚に比べれば、数段カジュアルだ。

でもしかし、そうした覚悟と決意が、花嫁を美しいものにしていたのだ。
お別れの場面の写真に映った紀宮様を何度も見ながら、そう思った。

2004年11月14日(日) 武装



2005年11月12日(土)

山の中で仕事。

国産の松茸は、高価でとても口にはいらないが、
松茸山は長野県のそこいら中にある。大いなる矛盾である。

「止山」と書かれた看板が山のあちこちにあって、テープが巻いてある。
シーズン中にうっかり足を踏み入れようものならば、すぐに見つかり、
問答無用で警察がやってくる。

松茸を出すには、それなりの山の手入れが必要だ。
丹念に落葉を掻きだして、菌が出やすいよう土壌をわざと痩せさせる。
そして仕上がったマツタケ山の入山権を、山主は入札に出すのである。

落札者以外入山禁止、と書かれているのはそのためである。
契約期間を過ぎ許可も出たので、かまわずにずんずん入る。
そして当然の反応として、よもや、もしや、と目をこらしながら、歩き回る。



2005年11月11日(金) 他人の死を引き受ける

T住職とN先生の対談を聞きに行く。
身近な人の死による喪失感や、そのグリーフワークがテーマ。

自分自身は1回しか死ねないというのに、
身近な人の死は、1回とは限らない。否、
たいていは1回ですまないはずだ。

「急死だったので、その後の3年ぐらいは、呆然として記憶がありません」と、
N先生が父親を亡くされたときの話。
大切な人を亡くすというのは、見送る側にもひどくつらい思いが残る。
それが突然の死であればなおさらだ。

死別の悲しみなど、ろくなものではない。
コントロール不能な状態に襲われ、何年でその嵐が去るかもわからない。
仕事もおぼつかなくなり、下手をしたら、自分自身の命も危ない。
江藤淳さんのように、つれあいを亡くした悲しみで死んでしまう人もいるのだから。

そんな危険性のある「誰かとの死別」は、しかも、いつ訪れるか知れない。
大往生だけではない。病気や怪我、不幸な事故も含めて、
あらゆる角度から、あらゆる方法であらゆる時に、人は死ぬ。
自分が悲嘆に暮れ、少なくとも数年をフイにする危険性が、常に潜んでいるのだ。



そこまで面倒な悲しみを背負うのはまっぴらなので、
自分は誰とも一切関わらずに独りで生きていくのだ、
というのも一理ある。
砂をかむような味気ない人生かもしれないが、合理的でもっともだ。

でも、やはり私は、どちらかを選ばなければならないとしたら、
「死別の悲しみ」を引き受けてでも、出会うべき人とは出会い、
関わるべき人とは関わりを深めて生きる方を選ぶと思う。

「失って悲しくて仕方がないもの」をもてることは、
人生を深く、豊かにすると思うし、
人と人が、お互いの死を引き受けて共に生きるというのは、そう悪くない。

2004年11月11日(木) 月と暦



2005年11月10日(木) silent violence

石原産業の土壌埋め戻し材「フェルシルト」の不正処理問題。

驚いたことは、2つ。
この犯罪の影響の大きさと、もう一つは、その報道の小ささ。



産廃と認識していたものを、商品と偽って販売した、犯罪の性質。
責任は元副工場長という個人にあり、関与を否定する、会社の姿勢。
過去に2回、重大な公害問題を引き起こしているという、犯罪履歴。
そして、製品は既に中部・関西の広域な範囲に使われており、
途方もないことが予想される、問題解決までの時間とエネルギー。


撒き散らされた六価クロムやふっ素の上に暮らしているかもしれない人達は、きっと生きた心地もしないはずだ。

企業利益のために環境を汚染するという暴力は、分かりにくい。
ものによっては、今日明日に影響を及ぼさないものもある。
誰が誰にどんな被害を与えているのかも、明確ではない。
ニュースとして扱うには専門性が高く、派手さはない。

でも私は、戦争やテロリズムのような暴力と同じぐらい、
環境犯罪は−その被害者であるなしに関わらず−意識して然るべきものだし、
国民の怒りのエネルギーを使ってよいところだと思う。

それが兵器であろうとなかろうと、大量に無差別に環境を汚染し、
回復不可能な影響を与え、子孫の生命と健康を脅かす、という点で、
環境犯罪は許しがたいのである。

これほど重大な影響をもたらすことが、企業の利益などという、
ケチな理由で発生してしまうことが、さらにやりきれないのである。

2004年11月10日(水) バーチャル懐古



2005年11月09日(水)

帰宅。

居間は、空き巣が入ったかと思うほど、散乱している。
これが、HとAを置いて数日外出した後の、いつもの状態である。

散らばった人形や、猫やら変な虫やらが描かれた紙、
絵本や服を、定位置にもどす。

私のいない間、Aが寂しくないようにと、
Hが、文字通り手を替え品を替え、全身全力で奮闘してくれた様子を思い浮かべ、
ひとつひとつ感謝しながら、片付ける。

2004年11月09日(火) 支給日



2005年11月08日(火) 鳥災

まだまだテレビ猿が続く。

鳥インフルエンザの報道。
羽をばたつかせている鳥が、次々と業者の手で回収されている。

この鳥達のすべてが感染している訳ではない。健康な鳥もいる。
ただ感染の恐れがあるから、食物にもなれずに殺されるのである。
それは、人間が安全を確保する上でしかたがないことなのだ。

だから、映像に向かって憎々しい視線をおくるのは間違いで、
本来ならば、供養塔のひとつでも建てるのがスジなんである。



スーパーへ行けば、
国産牛肉はニコニコした生産者の写真と一緒に売られていて、
私たちが大切に育てましたなどと書いてある。

三菱自動車の欠陥車みたいに回収処分される鳥の命と、
ニコニコ生産者のトレーサビリティ付きの命。

それが自分たちに有益か有害かで、かくも命の奪われ方は変わる。
鳥たちに罪はない。

こういうものに対する想像力をどうするかは、
今はやりの食育とか生命教育とかいうものの、深みが問われるところだと思う。

2004年11月08日(月) 戦場は自然現象ではない



2005年11月07日(月) 見ざる、聞かざる、言う

出かけた先で、テレビを観る。
普段見ない分、猿のように飽きずに見る。



安部官房長官の会見。
普天間基地移転についての沖縄県知事の「容認できない」発言に対して、
「今後も引き続き沖縄県民の理解を得るために努力する」とのコメント。

筋違いの努力。理解の押し売り。
テレビのこちら側から安部氏に向かってつぶやく。



公に会見を開くのならば、
嫌だと言っている沖縄県民の声や、その言い分はもっともだと思う国民の意見に対して、
政府にどれほどのものが寄せられたのか、それに対してどう思うのか、
そのことを一度、報告する必要があると思う。

そうした返答を飛び越して、「理解のために努力する」というのは、
恐ろしいほど無礼な態度であり、対話のプロコトルを逸脱している。
つまり聞いていないのだ、と受け止められる。

余計なことを言えば、狡猾なアメリカの政治家ならば、
「県民の声を理解するために努力する」ぐらいのリップサービスをするかもしれない。

もっと言うと、安部氏の発言は、知事に対して「あんたの票田には私が責任もって説得するから呑んでくれ」というニュアンスすら感じる。

2004年11月07日(日) お休みの日の男親は



2005年11月06日(日) 出発

曇天。ほっとする。
Aを山の家に残して、仕事にでかけなければならない。

Aは長丁場の不在を知っているので、
くもり空のように泣きそうになって見送る。

振り切って車を出したら、曲がり角の石垣へ、大きい音をたててぶつけた。

それを見てAは石垣の上でゲラゲラ笑い顔になって、
まるでそれはチャプリンの映画か何かを見ているようだった。

2004年11月06日(土) 為政者ではない私達



2005年11月05日(土)

今日も晴天

ゲストの人徳か、雨の予報は完全に外れて、
本日も晴天である。

もうこの乾燥には耐えられないので、早く雨が降らないかなと思う。
山のカエデはそんなこととは関係なく、青空の下で呑気に発色している。

2004年11月05日(金) 小春日和



2005年11月04日(金) スーパードライ

山の家で過ごす。

快晴の秋の日は、夏の一日よりハードな時がある。
夕立ちがこないからだ。

あらゆるものが乾ききってしなびていく。
地表は砂埃が舞い、すべてのものから瞬時にして水分が奪われる。

ついに横井戸の水も危うくなってきて、
これからの数日のためには水を使う優先順位を考えなくてはならない。

水源が枯れるというのは−資源が枯渇するというのは−、
そこでの暮らしの中へ、実に気味の悪い影をおとす。


2004年11月04日(木) 大統領の選び方



2005年11月03日(木) 出来高ボート

東証のシステムダウンのニュース。
3時間にわたり、2520銘柄の取引が前面停止したのだそうだ。


ラジオのニュースを聴きながら、関係者はさぞあわてたことだろうと思う。

自分をスルーしていく情報やモノを、自分の存在意義にする生き方がある。
最新の便利な製品、流行の服、利益のあがる投資の情報。
自分という市場の出来高こそが成果になる生き方。

それは、一見自分で漕いでいるようにみえるけど、
実は周りの風景が動いているボート遊びみたいなものである。
あらゆるものが手に入るし、どこへだって行かれるけれど、
本当はどこへも向かっていないし、一ミリだって動いちゃいない。

それはそれでよいのだと思う。
それで幸せを感じられるなら、実にうらやましいとさえ言える。
市場のシステムが複雑になればなるほど、それは逃れられない生き方だ、とも思う。

しかし、「本当は舟は動いていないのではないか」という
ぼんやりした不安や焦燥感は必ずついてまわるから、
それとどう向き合うかは、考えておいたほうがいい。
そして、いよいよもう駄目だと思った時には、
それがどんなに不器用で醜くても、自分の力でボートを漕ぎだす勇気も。

2004年11月03日(水) お家に帰ろう



2005年11月02日(水) 記憶に残るもの、生きていくもの

季節の変わり目で、ぼんやりしているまま仕事へ。

B.スプリングスティーンの「Born in the USA」をかけながら、
高速道路へ車をはしらせる。

もしもシャッフルされたら、今のこれがいったい何年の秋なのか、
私にはきっと判別つかないだろう。

何も変わらない、申し分ない秋の晴れた空。
何も変わらない、B.スプリングスティーンの若々しいヴォーカル。

この宝物のような記憶復元装置を、私は墓場まで持っていくぞと思う傍ら、
「ブルースのロックは、アメリカ人の演歌そのものだなあ」などと
新規のよけいな想念を上書きしてしまう。


2004年11月02日(火) 避難とは何か


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