収穫の時期を過ぎてしまった棗(なつめ)の実を、それでもいくらか採る。 アシナガ蜂の牽制をかわしつつ、よさそうなところを、籠に一杯。
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焚付けにもってきた新聞を、陽のあたる縁側でぼんやり読む。 共同通信ワシントン支局長の、大統領選結果についてのコメント。
「…多くの国の人々が初めて真剣に、冷戦後唯一残った超大国の指導者を、 米国人だけで選んで欲しくはないと願った選挙として記憶されるだろう。 −中略− 世論調査機関は幾度も幾度も各国の世論を調べ、米メディアはそ れを大きく伝えた。世界の(政府ではなく)人々は、ブッシュ氏を望んでい るのか、ケリー氏を望んでいるのか。」
イギリスでは「米大統領選挙に参加しよう」という手紙を、 米国の選挙激戦区の住民宛に送る運動というのがあったらしい。
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いっそのこと、米大統領選だけでなく、 他の国の国政選挙も同じように−大統領制であろうがなかろうが− 世界中でリアルタイムにウォッチしたらどうだ、と思う。
あの派手なショーアップぶりや、 まるで戴冠式のような「勝利宣言」なる仕掛けも、アメリカに倣って。
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経済や環境や平和など、世界には一国で片付けられない問題が山積みだ。 だから、他国であっても、そのリーダーが誰になるかは、 重要な問題として、関心を払わなければならない。 経済や政治の場面では、もちろんそんなこと常識だ。
しかし今大切なことは、有権者の市民が、市民の視線で、 選挙という行為を通して、世界中の為政者をウォッチすることではないかと思う。
誰を選べばよいかについては、意見が錯綜するし、 火花の散る議論もあるだろう。当然のことだ。
そういう議論を超えたところで、 「為政者でない私たち」、という同じ土俵で共有できるものや 共有しておかなければならないものが少なからずあるはずである。 そういう切り口でしか前にすすまない問題というものが。
だから、自分の投じる一票が、自国以外の市民の生活や生命に 大きな影響を与えるかもしれない、ということを、 世界中の有権者達が自覚することは、必要な時代かもしれない。
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