ドイツの社会学者で哲学者のハーバマスという人のインタビュー記事。 以下引用する。
文化を異にする他者との断絶、そこから引き起こされる憎悪と暴力の連鎖を、どう乗り越えていけばいいのか。ハーバーマス氏が着目したのが、公共性の概念だった。 「すべての人の平等を尊び、相互に承認しあう道徳律が、人間の安全装置となる。社会の中心から追いやられ、周辺化されがちな少数者を、相互承認のネットワークに受け入れる。それが、人がつながりあう時の基礎となる行動規範になりうる。」
ハーバマス氏は言う。 「現代世界は確かに、袋小路に陥っているかに見える。ただ私たちはゼロから出発するわけではない。国連憲章をはじめ、対話のための形式は、世界を形作るルールとして定められてきている。今ほど異文化間の対話が必要とされている時はない。その中からコスモポリタン的な、世界市民的な秩序を構想していくことはできないだろうか。」
引用終り。
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欧州の歴史に対する絶大な自信が、アジア人としてはいささか鼻につくが、とはいえ、 昨今の、諍い事というのは、武力や権力でなければ解決できない、と、 そういう錯覚を起こしそうな嫌な世の中でこういうメッセージは大変ありがたく、 極東の小さな島国の、さらに山奥に暮らす私にまで届くのである。
これは、国家間や地域紛争やテロなどの大きな諍い事だけの話ではない。 家族、学校、職場、全ての社会の中で、改めて確認すべきことだと思う。
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同じ日の新聞記事では、 エジプトで開催されたイラク支援国閣僚会議では、 民間人に多くの犠牲者を出している米軍などの過度の武力行使の回避を求める共同声明が出された。とあった。
武力で何かを鎮圧することはできるかもしれないが、 武力で何かを解決することは決してできはしない。
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