琴 星 商 事 日 乗
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2005年07月30日(土)
  花火大会 <画像あり>


左から旧呉鎮守府庁舎、ミニ戦艦大和、グラウンドより呉港方面。

 今日は呉港の花火大会。午前中に病院に行って注射打ってもらい、夕方から海上自衛隊のグラウンドが花火大会に合わせて開放されるので、浴衣に着替えて行ってきました。

 呉駅から徒歩10分程度で海上自衛隊呉地方総監部に着きます。中に入ってすぐグラウンドがあり、左手の階段の上に旧呉鎮守府(現海上自衛隊呉地方総監部庁舎)の建物が、右手の海上にはグレーの非一般船舶。その港の対岸で花火は打ち上がるハズです。
 グラウンド内では呉名物の肉じゃがやかき氷なんかも売っていて、海自の音楽隊やよく判んない売れてないアイドル?みたいな女の子がコンサートしたりしてました。肉じゃがの横には、100分の1サイズくらいの戦艦大和の模型が(確かこの中に肉じゃがの鍋が入ったような)。
 日が沈んで涼しくなってきてから、肉じゃがを食べて花火を待ちました。

 でも浴衣を着ただけで疲れて、歩いて疲れて、椅子じゃない所に座って疲れて、グラウンドだからそんなに人混みではないんだけど、やっぱり行くたんびに「もう二度と来るまい」と思ってしまう花火大会。家から見えたらサイコーなのに。ついでに言うと、海の花火より川の方がいい。


上右の写真の鉄塔がややカブってます。

 花火は20時から。その30分前に、テスト打ち上げのような花火(昼間に打ち上げるような花火だと思う)が数発。むむ、丁度鉄塔の向こうくらいだなぁ。
 そして20時ジャストに花火が打ち上がりました。打ち上げてる場所までは結構距離があるようで、光と音の時間差がすごい。海の上にはたくさん船が出てます。
 所詮田舎の花火大会なので僅か4000発しか上がりませんが、総数の割に尺玉は多かったかも。やっぱり打ち上げ花火は尺玉よね。腹の底に響く「ドン」て音がいい。仕掛け花火にはあまり興味ありません。


 帰りに駅前のショッピングセンターで夕飯を食べたかったので、終了15分前にグラウンドを出ました。駅までの道からも所々花火が見えます。駅から直結の中央桟橋にもすごい人集り。でも南風だったから、桟橋の辺りは煙直撃だったんじゃないだろーか。

 夕飯とちょっとだけ買い物を済ませてショッピングセンターを出ると、ショッピングセンター前の道路は激混みでした。ショッピングセンターの駐車場からも車出られないんだって。広告にそんなことが書いてあったけど、まさか本当に出られないとは。電車で来て良かったー。

 ちなみに頻繁に遅れるらしいJR呉線は今日も遅れてました。その原因の何割かは乗客のマナーの悪さにあるんじゃないかと思います。だって、降りる人を待たずに、みんなどんどん乗り込んじゃうんですよ。バッカみたい。しかも感じ悪い。


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・過去の「今日」。

2004年07月30日(金) 台風前夜

2005年07月29日(金)
  コエンザイムQ10 <画像あり>

写真と本文は関係ありません >>本日の空(19時前)

 昨今話題のコエンザイムQ10。配合されたクリームがバカ売れしたり、ヨーグルトにまで入っていたり、年齢と共に減るというこの物質がお肌にいいということで、世の女性達が群がっているようです。私も、コエンザイムQ10入りの飲むヨーグルトが見切り品になっていた時、買って飲んだことがあります。でもあんな量じゃ何か違ったかどうかすら判りませんでした。

 基本的に通販はしない私ですが、日焼け止めがどうしても通販でしか売っていないものじゃないと合わなくて、某化粧品会社の通販は時々利用しています。そこの会社が現在、コエンザイムQ10の化粧水・乳液・クリーム(と定番のクレンジングオイルと洗顔石鹸)がポーチに入ったトライアルキットを出していて、日焼け止めと一緒に注文してみました。
 以前、コエンザイムQ10クリームのサンプルを貰ったことがあって、そのクリームは確かに悪くなかったんです。いくら年齢より若く見られると言っても、それは今の話。この先も若く見られる為には、今から手入れを怠ってちゃイケマセン。それと、肌が弱いので、良さそうな物は試してみたい。

 で、昨日、注文していたもの一式が届きました。早速入浴後、化粧水・乳液・クリーム1セット使用。
 そして今日。確かに肌はいい感じ。カサカサしません。肌理が整った感じで、その所為か色も白く見えます。おおーいいんじゃない?
 次はボディ用のコエンザイムQ10配合オイル買おうかな〜。

 ちなみにコエンザイムQ10、ハタチくらいをピークに減っていくらしいです。「まだ20代だしぃ」なんて言ってる場合じゃないみたいですぜ。


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・過去の「今日」。

2004年07月29日(木) 諸事雑感。
2003年07月29日(火) Color me pop

2005年07月27日(水)
  夏の憂鬱

 広島は毎日暑い。
 梅雨明けして10日。でももう2週間も連続で最高気温が30度を超えている。いや、最高気温が「30度」だったのはその2週間前の14日だけで、昨日まで連日32度越えだった。今日が、久々の「最高気温31度」。但し、全て広島市のデータだから、より海に近い呉はもう少し(1〜2度程度)気温は下がる。
 暑いだけじゃない。梅雨明け前の13日(最後の最高気温20度台の日)が雨だったが、それ以降、広島は毎日晴れている。暑いから夕立は降るけれど、長時間に渡って降ることはない。今日も晴れ。明日も晴れ。先週土曜、凄い夕立に見舞われた日は広島・宇品の花火大会だった(行ってない)。今週土曜は呉港の花火。でも金曜から日曜にかけて微妙な天気予報。呉港の花火、去年は台風で中止だった。何なんでしょこのタイミング。

 朝は7時から蝉が鳴く。写真に撮るとそうでもないけど、実際の空は結構白い。子供は夏休みだから、時間・場所を問わず天敵(=子供)がいる。

 せめて空が青くて雲が白ければ(でも空は青くない)。

 御陰でここんところ、毎日毎日憂鬱だ。


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・過去の「今日」。

2004年07月27日(火) 死に際し
2003年07月27日(日) カレー談義

2005年07月24日(日)
  ある夏の風景 <画像あり>

 近くの海岸には地元の家族連れや若い人たちが海水浴に。いつもいる釣り人達は、今日は形を潜めていた。

 青い空・青い海。

 夏だなぁ。



 写真は、浮き桟橋と、本土と島を結ぶ大橋(奥)。


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・過去の「今日」。

2004年07月24日(土) そして関西へ−番外・福井初上陸編 <画像あり>

2005年07月23日(土)
  バックアップ

 昨年末頃から寒さに負けて、メインPCをPCデスクに置いてあるデスクトップ(ME)からノート(XP)に移行させています(ホットカーペットに直座りして毛布かけて使ってた)。スペック的にもノートの方が(B5ノートの分際で)かなり上なので、最早デスクトップに戻るべくもなく、小さいノートPCで全てをこなしています。

 このノート、OSのみ付けて買ったので、アプリケーションは全て自前です。で、今の今までCDやDVDのライティングソフトが入っていませんでした。
 冬頃までにデジカメで撮った写真は全て両方のPCに入っているから、一度にデータが飛ぶことは考えにくいけど、最近撮ったものはノートPCにしかデータが入ってません。写真は、同じものは絶対に二度と撮ることは出来ないし、何より大事な思い出です(たとえ下らない写真でもね)。でもライティングソフトが入ってないんじゃ、バックアップも取れやしない。

 データのバックアップには多少のお金をかけてもいいと思うし、寧ろお金をかけて安心を買いたい。だから広島の某大型家電店に行ってライティングソフトを買ってきました。

B's Recorder GOLD 8 BASIC

 焼き上がったCDは、全部で何とCD-R7枚。何とGW出雲旅行の分だけで1枚使いました。

 でもこれで、たとえノートPCを高所から落っことして破壊しても、思い出は消えません。
 ちなみにHPのデータは基本的にフラッシュメモリの中なので、PCが壊れても大丈夫・・・なハズ。時々PC本体にもバックアップとしてデータをコピーしてます。

 個人的には、一番飛んだら痛いデータって写真かなと思います。次が文字データ(文書ファイルやメール)。でもデータが飛んだという経験は、幸いなことにそれほど大事ではないフロッピー1枚しかないです。卒論や修論の入ったフロッピー(あの頃はフラッシュメモリなんてなかった)は、3枚くらいコピーして、しかも1枚は防磁ケースに入れてたなぁ。御陰様でデータが飛ぶことはなかったけれど、そのかわり、卒論提出1ヶ月前に、PCのフロッピードライブの方が逝ってしまったんですが。

 みんなー(特にそこの某ごんさん!)、バックアップ取ってるかー?


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・過去の「今日」。

2004年07月23日(金) そして関西へ−伏見疲労困憊編 <画像あり>
2003年07月23日(水) 幸せを呼ぶ○○

2005年07月21日(木)
  グリーン・グリーン <画像あり>

 観葉植物っていいですよね。

 うちの辺りは東京とは違い、一般の住居敷地内の緑が非常に少ないです。今、うちから見える所で建築している戸建も、駐車スペースのみで庭とか生け垣とかナシ。何だか見た目的にも暑苦しい家が数棟建ちだしています。いくら山があるからって、そりゃあないだろ、と思うんですが。
 だから部屋から見える緑は、ホントに山くらいしかありません。

 観葉植物っていいですよね。

 屋外もそうですが、室内に観葉植物が多いおうちも憧れます。フローリングの床に直置きの大きな鉢植え(ベンジャミンとか)、キッチンや玄関には小さい鉢植え。花瓶には季節の花。やっぱり緑があると部屋の雰囲気も明るくなるし、有機的な感じになりますよね。生活感とはまた違う、温かみとでもいうか。

 でも、でもですよ。

 大きな鉢を床に直置きしたら掃除が大変じゃない?
 ホンモノだと、虫とか付いたら嫌。
 留守がちだから、きっと枯らす。

 そんな理由で我が家に緑は少ないです。先月初め、近所のホームセンターに立ち寄った折に小さいアイビーの鉢を買いました。で、それをキッチンの窓辺に置いておいたんですが。
 何分、安くて小さい鉢植えだったので、素焼きの鉢は底に穴があいておらず。しかもキッチンの窓は西向きなので、夕陽の差し込みがキツく。更に北陸行ってた間に3本のうち2本が枯れ死に(ダメダメ)。
 取り敢えず鉢を底に穴があいている物に替えて、残りの1本(一部枯れ)を頑張らせていますが、果たしてどうなることやら。

 5月末〜6月初めに帰京した際に、実家のポトスを少し分けてもらって水栽培してるんですが、それも日当たりの所為なのか何なのか、既に葉っぱ4枚ダメにしました。新しい葉っぱも出て来ているけど、ううーむ大丈夫だろうか。

 元気いっぱいなのはベランダのアロエ2鉢だけです。奴らは東京で雪に埋もれてもめげなかったような強者だからな。日光に当てて時々水やってりゃ育つわな。

 植物を元気に綺麗に育てられる人、尊敬します。いい加減で無精で面倒臭がりで虫嫌いの私には向いてないです。


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・過去の「今日」。

2004年07月21日(水) そして関西へ−京都マニアックツアー編 <画像あり>
2002年07月21日(日) 人混み嫌い <画像あり>

2005年07月19日(火)
  チャレンジ! 水龍 <画像あり>

 昨日、夫に買ってきてもらいました。
 呉・中野光次郎本店の「水龍 上撰」。それもこれしかなかったからって一升瓶。早速、昨日今日と晩酌致しました。甘くもなく辛くもなく、さらりとした誰にでも飲みやすい感じの日本酒かなぁ。この蔵のコンセプト(?)として、気楽に楽しく日本酒を飲んでもらいたい、というのがあるようなので、多分そんな感じのお酒なんだろうなぁ。

 我が家には何でか、いい感じに「これは冷酒飲む時にしか使わんだろう」というような素焼きの小さいグラスがあり、それに氷を入れて一升瓶から直接お酒を注ぎました。

 しかし一升瓶。冷蔵庫にも勿論入らず、仕方なく食器棚の最下段に入れましたが・・・存在感ありますね。実家は殆ど紙パックのお酒だったので、普通の家の中で一升瓶、って久々に見ました(余談ですが一升瓶のカルピスがあることを御存知ですか皆さん)。しかも薄ーい和紙に包まれた一升瓶。高いお酒じゃ決してないのですが、何か、こう、食卓がちょっとだけリッチ。

 夏は冷酒に冷やしトマトとか合いますね。旬のものだもんね。こういうのが判るようになってきたって、少しはオトナになったのかしら(笑)。

 同じ「水龍」でも「推薦」の方が、同じ日本酒度±0でも甘いのかもしれない(やや甘口の本醸造なんだって)。それも試してみよう。うん。そんでもって、「水龍」の原酒は日本酒度-3なんだって。へーへーそれも飲んでみたいー。

 ところで、この「水龍」の蔵元・中野光次郎本店の蔵主さん・四代目中野光次郎氏(代々中野光次郎の名を襲名しているそうです)は、私より僅か4歳上。しかも民俗学や妖怪が好きなんだって。お酒造ってる人ってもっとお酒一辺倒なのかと思ってたけど(まさに偏見)、意外とそうでもないのね〜。
 上記店名にリンク貼った公式サイト、色々面白いですw

 この「水龍」、東京でも新宿ゆめてらす(サザンテラス内)と目黒本町の鶴屋酒店さんで買えるようですよ。


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・過去の「今日」。

2004年07月19日(月) そして関西へ−「Masaさんと」編 <画像あり>

2005年07月18日(月)
  夏本番 <画像あり>



 6月11日に梅雨入りして38日。大体梅雨って40日程度だと思うから、まあ平年に近いと思う。でも梅雨らしく雨が降ったのは今月に入ってからで、それもここ数日は夕立が関の山だった。

 今朝、窓の外を見ると、青空と入道雲。そして昼になる前に梅雨明けが発表された。
 夏だ、夏だよ。

 これから約2ヶ月は、太陽と闘いの日々。日焼け止めも買い足さないとなぁ。



 ギラつく夏の日差しを受け、東京から持ってきたベランダのアロエが一回り大きくなったような気がした。


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・過去の「今日」。

2004年07月18日(日) そして関西へ−交野荒行編 <画像あり>
2003年07月18日(金) カテキン入門

2005年07月17日(日)
  日本酒

 先月の日記なんかにもちらちら書きましたが、今、日本酒に興味が湧いてます。
 と言っても、普段家で飲酒する習慣はないし、日本酒以外のお酒の知識も特にないし、別に「きき酒師」になりたいとか知識を身に着けたい訳ではなく、ただ単に「日本酒を美味しく飲めるようになりたい」、否、「日本酒の美味しさを知りたい」くらいの感じです。

 ワインはたまに飲む機会があるし、家にも何本かあるんですが、赤ワインは独特の生臭さが苦手で、白ワインも辛口はあんまり・・・。日本酒も辛口は美味しいと思えないし、と言ってどぶろくみたいなのは、甘酒がダメなので何となくイメージ的に躊躇してしまってます。濁り酒ってやっぱり甘酒に近いのかしら? それとも全然違うもの??

 今まで飲んで一番美味しかったのが、佐渡島にある尾畑酒造の真野鶴(だったと思う)。10年前(年齢を考えてはいけません)、父と佐渡島に行った際に、父が蔵元に直接行って親戚宅に送ったものを、叔父が遊びに行くまで取っておいてくれ、少し飲ませてもらったものです。

 最近飲んだ日本酒では、福井の黒龍。大吟醸だったか純米吟醸だったか、どっちも飲んだような気もするし、知識も記憶力もないからよく判りません(汗)。

 甘くて軽い、飲みやすい日本酒。誰か教えてくれませんか? ついでにあんまり値が張らないものだと嬉しいです(笑)。

 広島の日本酒は、こんな感じらしい。→広島お酒スタイル
 元蔵元の山陽一酒造さんが、広島の地酒を全国に広めたいと運営されているネット店舗です。今気になってるのは、市内(と言ってもそんなに近くはない)の「水龍」。甘口みたいです。


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・過去の「今日」。


2005年07月14日(木)
  東西ソース問題

 関東で生まれ育った私にとって、ソースと言えばちょっととろみのある物が普通です。具体的に言えば、中濃ソースとかとんかつソースですね。うちの実家には基本的に中濃ソースしかありません。何にでも中濃を使います。
 これが関西ではウスターソースが一般的だと知ったのは、かなり後になってからのことです。はっきり言って、今でも私は「あの醤油みたくサラサラしたソースを何にかけるんだろう?」と思ってますが。

 更に、関東で生まれ育った私にとって、ソースと言えばブルドックです。東京では最もメジャーなソース会社だと思うんですが、関西や広島では殆ど取り扱いがありません。かなり驚きました。西日本ではソースはカゴメ。もしくはオタフク(広島から全国へ羽ばたいております)。最近傾いて会社更生手続に入ったイカリソースも大阪ではかなりメジャーなようです(会社が傾くまで聞いたこともなかった)。

 で、そのイカリソースの支援にブルドックが乗り出したそうです。先週の関西行で、関西のスーパーでもブルドックを売っているのを見ました(ウスターソースばかりだったけど)。これはブルドックのイカリ支援と関係があるのかしら? それともたまたまブルドックの関西進出と時期が重なっただけなのかしら?

 東京人の私は広島のスーパーに行って「ブルドックがない! 中濃ソースもない!」と愕然とした訳ですが(西日本には中濃ソースって概念がないんだろうか? カゴメの中濃も扱いが小さいです)、関西の人が東京に来ると「カゴメのソースがない!」ってびっくりするようです。いや、東京でもカゴメのソースは売ってるんですよ。シェアはブルドックより小さいですけど。でも「カゴメ」という大ブランドのソースがないって、「ブルドックがない!」よりショック大きいかもしれませんね。いや、「ブルドックはソースの全国ブランド」と当たり前のように思いこんでいた(意識すらしてない)東京人と比較すれば変わらないか。

 ちなみにブルドックの本社は東京都中央区、カゴメは名古屋市(名古屋じゃ不動産までやってるの)、イカリは大阪市、オタフクは広島市。
 イカリが傾いてブルドックが支援に乗り出し、果たして今後ソースの勢力図はどのようになっていくのか、ちょっと興味があります。広島でもブルドックの中濃が買えるようになったらいいなぁ。その為には中濃のシェアがないと駄目だけど。中濃って何にでも使えていいですよねぇ?

 ちなみに何がどうなってもオタフクだけは独自路線で突っ走りそうな気がする。うん。お好み焼きがなくならなければオタフクソースも生きていけるだろう。
 ついでにいうと、イカリソースとオタフクソースには「たこ焼きソース」があります。カゴメには中京地区限定発売の「こいくちソース」があります。ブルドックは「月島もんじゃ焼きソース」どころかもんじゃ焼きの素(キャベツと水だけ用意すればいいんだって)まで作ってます。
 所変われば品変わる。ソースって商品自体も会社も奥が深いわ。


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・過去の「今日」。

2002年07月14日(日) 夏ですな
2001年07月14日(土) Sweet Home

2005年07月12日(火)
  巫女になるって

 神社の神職になるには、一応資格が必要です。資格は、國學院大学(東京)や皇學館大学(伊勢)の神道学科とか、各地にある神職養成所なんかで取ることが出来るんですが、巫女には資格はありません。各神社が必要な時に募集をかけて採用しているだけです。
 では、どんな人が巫女になるんでしょう?

 何度か新聞の求人欄で正職員の巫女募集記事を見たことがあります。求める条件は、まず未婚であることが絶対条件。あとは年齢。高卒以上20歳以下とか、とにかく20代前半までじゃないとなれなさそうです。前に関東北部の著名神社の新人巫女研修の模様をテレビで見たことがありますが、それはどうも地元出身の中学出たばかりの子っぽかったです。

 20歳以下ってことは、大卒は無理ですね。精々短大卒。多分、多くは高卒。高卒で巫女になろうってどういう子が思うんだろう? 巫女って長く続けられる仕事じゃないし(精々10年くらいが関の山だろう)、結婚したらやめなきゃならないだろうし、そりゃまあ、あの赤い袴姿に憧れたりすることはあっても、土日も年末年始も休みじゃないし、髪型とか爪とか化粧とかにも制約があるだろうし、ひょっとしたらマニア君にストーカーされるかもしれないし、実際大変な仕事だろうなぁ、と思う。結婚式での奉仕があるような神社だったら、他人の一生に一度の晴れ舞台で失敗出来ないじゃない。浦安の舞とか舞うなんてなったら超プレッシャー。2chのそのテの板じゃ「●●神社の巫女が可愛くて萌えー(´Д`;)ハァハァ」みたいなことが語られてるしさー。

 なんてことを、大神神社の御朱印見ながら思いました。何で思ったかはさておき(ぉぃ)、巫女に御朱印書かせるなら、書道の研修もした方がいいと思うぞ大神神社。あれなら書道なんて小中学校でしかしたことのない私でも書ける。マジで。

 ちなみに、腰まで届くような長い髪の巫女ばっかりの神社は、多分間違いなく付け毛(束ねた部分で足してる)。日曜に訪れた某神社には珍しく茶髪の巫女がいました。ただの日曜だからバイトじゃないと思うんだけどなぁ。バイトなのかなぁ。


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・過去の「今日」。

2004年07月12日(月) ライフライン <画像あり>

2005年07月09日(土)
  久々の大和路紀行 <画像あり>

 夫の仕事も昨日で終わったので、今日は朝から車で奈良方面へ。奈良でも中心部は車で廻るのは不便なので(駐車場高い)、もっと南の桜井方面へ車を走らせます。京都には結構来ているけど、奈良は9年ぶり3度目。前に訪れている磐船神社(大阪府交野市)の前を通り抜けて生駒へ抜けましたが、磐船神社から生駒ってめちゃ近いのね。交野の市街に出るより近いんじゃ? 山を下ることなく街があるとは思いませんでした。

 雨そぼ降る中、最初に訪れたのは天理にある大和(おおやまと)神社。元々は伊勢の天照大神と共に宮中に祀られていたのを、第十代崇神天皇が御神威を畏み大和郷に遷御遊ばしたのだとか(2000年以上前の話)。当然、「延喜式」では名神大社、明治4年には官幣大社に列した大社。御祭神は日本大国魂神(大地主大神)・八千戈大神・御年大神の三座。その三座を宮中三殿式の御正殿に祀っているんだけど、拝殿の後だから写真にはうまく撮れないなぁ。

 本殿向かって左に雨の神を祀る高靇神社があったので、好天を祈願。雨やみますよーに!

 御朱印を頂きに社務所に行き、宮司さん(だと思う)に御朱印帳を預けて待っていると、建物右手から何かの気配が。あ、犬だ。縁側に白い犬が出て来てじっとこっちを見ています。その気配に好意を感じたので、寄っていって目を合わせてみます。犬も寄ってきて私のにおいを嗅ぎます。うん、大丈夫そうだ。よーしよし、可愛いねぇ。頭や背中をなでなで。綺麗な毛並みをしています。可愛がられてるんだね。
 宮司さんが戻ってこられた気配がしたので、(せいぜい2m程度なんだけど)戸口に戻ります。宮司さん、犬が出て来ていて私と遊んでいたのを察した様子。
「犬飼ってらっしゃるんですか?」
 いいえ、ペット飼えないんで。(賃貸だからね)
「へえ、そうなんですか。知らない人が来るといつも吠えるんですけどねぇ」
 え、そうなんですか。(「わん」とも「ウー」とも言わなかったけど)
「タチ(性質)が合うんですかねぇ」
 犬って犬嫌いな人のこと追っかけたりしますしねぇ。
「ヒメって言うんですよ。ヒメ、ヒメ!」
 縁側に横たわっていたヒメちゃんは、宮司さんに呼ばれてもそっぽ向いたまま。ヒメちゃーん。あ、こっち向いた(笑)。
「雨、だいぶ弱まってきましたね」
 宮司さんの言葉に後ろを振り返ると、確かに参拝していた頃にはかなり降っていた雨が、傘無くてもいけそうな程度に弱まってます。お、高靇神社に祈った甲斐あったかも。
「それはそれは。きっといいことがありますよ」
 宮司さんと少々世間話をして、御礼を言って帰ろうとすると、何処かうろついていた(多分煙草でも吸ってた)夫が戻ってきました。ねーねー犬がいるのー。
 夫を連れてヒメちゃんに近付くと、ヒメちゃんはパッと体を起こし、一瞬唸ります。おおっ、私の時にはなかった反応! でも私がいるからか何なのか唸ったのはそれだけで、なでてやったら体を横たえ、お腹を見せてくれました。ええ子じゃええ子じゃ。

 ヒメちゃんを手懐けたところで(違)、続いて桜井の大和国一宮・大神(おおみわ)神社へ。
 大神神社は背後に聳える三輪山を御神体とする為、本殿がありません。ここの神様にまつわる神話は結構有名です。「日本書紀」に載っているお話ですが、三輪山の神様が小さい蛇になって倭迹迹日百襲姫命という女性(箸墓古墳の被葬者とされています)のもとに夜毎通った神婚伝承。そう、三輪山の神は蛇神なんですね。御陰で境内のあちこちに蛇の好物の卵が供えられ、手水舎の水も蛇の口から出ています。

 拝殿前には夏越の茅の輪。北陸で散々くぐった茅の輪に、またしてもご対面です。もう誰に訊かずとも迷わずくぐれます。ただ、くぐる際の唱え事は、所により違うようだけど。まあ折角だからちゃんとくぐってから参拝。
 参拝を終えて授与所で巫女さんに御朱印をお願いすると、何とその若い(絶対私より若い)巫女さんが墨書もするじゃないのさ! 多くの神社では巫女さんは墨書しない(つか出来ないと言った方が正しいんだと思う)んですが、ここでは神職がいないワケじゃないのに巫女がするんだぁ。そりゃー巫女も大変だ。でもそれならもう少し書道の練習した方がいいんじゃないかと思うんですが。だってここ一宮じゃん。一宮の巡拝してる人は多いから、御朱印もいっぱい出るでしょうに。

 若宮社を経て末社の久延彦神社へ。祭神の久延毘古命は「かかし」のこと。居ながらにして世の中の事をことごとくお知りになっている神様だから、智恵の神様として信仰されています。天神さんと同じく合格祈願の絵馬がいっぱい。
 ここでも御朱印が頂けるんですが、ここも巫女さんが墨書します。腕前も、本社と似たり寄っ(ry

 大神神社から若宮社・久延彦神社へ向かう道に、いくつか三輪素麺のお店がありました。時間もお昼前。大神神社のすぐ近くにある普通の民家(と言っても年季は入ってる)っぽいお店でお昼。冷やし素麺をいただきました。


大和神社御正殿(の屋根部分)、大神神社手水舎の蛇、三輪素麺(冷やし)。

 腹ごしらえも済んだところで、同じ桜井市内の安倍文殊院へ。あ、ここも文殊だから智恵の仏様ですね(^^;)
 安倍、といえば、昨今有名な安倍晴明。ここ安倍文殊院は、大化改新時に左大臣になった安倍倉梯麻呂(くらはしまろ)が一族の氏寺として建立した寺院です。「天の原 ふりさけ見れば 春日なる・・・」の歌で有名な阿倍仲麻呂も当地の生まれといい、安倍晴明もその子孫と言われます。どこまで本当だか判りませんけど。駐車場から本堂に向かう途中にある特別史跡・文殊院西古墳は倉梯麻呂の墓と言われています。玄室内に入れるんですが、花崗岩で覆われた内部は「これ本物?」と思うほど綺麗に削られています。古墳内部の美しさは日本一と言われてるんだって。入口は天井がやや低いですが、内部は普通に立てます。でも出口で頭を打つのはお約束w

 本堂の拝観料は700円。相場を考えるとやや高めです。が、ここの拝観には何と智恵の抹茶と手作り落雁が付いてくるんですよ。受付を済ませると入口を入ってすぐの部屋に通され、懐紙を受け取って赤い毛氈の上に座って待っていると、抹茶と落雁がやって来ます。でもさ、お茶の作法なんて(情けないことに)判らないので、テキトーに味わわせて頂きました(^^;) ごちそーさまです。
 本堂に安置されている本尊「智恵の文殊」文殊師利菩薩騎獅像は、高さ7mで日本最大。しかもあの有名な快慶の作だとか(台座の獅子は安土桃山時代の補作)。へーへー。文殊菩薩の左右に置かれた善財童子、優填王像、須菩提像も全て快慶作。全部まとめて重要文化財。へーへーへー。写真は撮れないけど、かなり近付いて拝観することが可能。ちなみに、ぼけ封じにも御利益ありですよん。
 本堂を出てから、境内の晴明堂も拝み、文殊院を後にしました。ちなみに、駐車場の駐車料金高いっす。

 さてここから市内の山の中へ。多武峰の談山神社へ向かいます。多武峰。中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を討つ為の謀を談じたと伝わる地です。「談い(かたらい)山」故に「談山」。同じ市内なのに随分山道を車で進んでいきます。
 駐車場に車を止め、雨の中土産物屋の前を通り抜けると「別格官幣社 談山神社」の社号標と鳥居が。神社にしては珍しく拝観料500円を支払い、境内へと階段を登ります。拝殿・本殿は階段の上ですが、途中に左右に抜ける道が。右は恋神社こと東殿、左は神廟拝所や蹴鞠の庭。ここは取り敢えず左に行っておこう。
 神廟拝所の横を抜けて正面・蹴鞠の庭へ出ると、上には権殿と有名な十三重塔が見えます。神廟拝所には「勝運祈願 鎌足公御神像公開中」「秘仏 談峯如意輪観音像特別展観中」「特別朱印 十三重塔朱印」といった貼り紙が。如意輪観音はあじさい祭りの期間のみ一般公開されている模様。あら、いい時期に来たじゃない。
 神廟拝所内を拝観し、御朱印も頂き、上へ登って十三重塔も拝み、拝殿へ。拝殿内では若い女性の集団が研修か何かで訪れていたようで、引率者のもと、神職の説明を聞いていました。何か入りにくかったけど、入らなきゃ意味がないので中へ。
 拝殿に入って左奥(本殿に向かうと右側)に「藤原氏族一覧」というパンフレットが置かれていました。藤原氏、即ち鎌足に連なる氏族約4,000の姓を書き連ねたパンフ。実は私の母方は江戸の初めまで武家でして、藤原氏の出です。ちゃんとパンフにも姓が出ていました。一部100円。でも小銭がなかったし、面白いけど必要なワケではなかったので買いませんでしたw
 神社の裏の御破裂山に鎌足公の墓所(古墳)があるんですが、そこまで徒歩20分。流石に雨の中登山ってのは嫌なので、行きませんでした。

 さて、時間足りないかなーと思ってたんですが、意外と時間が余ってしまいました。何だこんなことなら三輪で狭井神社や檜原神社も行っておけばよかった。でもまた戻って行くのもなんだしなー。どうせまた行くこともあるしなー。さてどうしたもんか、地図を見ながら色々思案を巡らせます。あら、談山神社から南へ抜けると吉野神宮まですぐなんだ。吉野って遠いと思ってたのに、意外とそうでもないのね。でも吉野に行くなら吉野神宮だけじゃなく吉野山の上まで行きたい。だって修験の地じゃない。そこで吉野神宮だけで終わらすなんて有り得ない。じゃあ何処にするか。うーん。帰り道がてら行けそうな所・・・よし、廣瀬大社にしよう。

 法隆寺の近くを抜け(法隆寺を拝観するには時間足りないので今回はパス)川を越えて廣瀬大社へ。こちらも「延喜式」名神大社、旧官幣大社という立派な社格を誇る古社なんですが、一の鳥居もそう大きくないし(平成10年の台風で倒れて再建したそう)、境内にも誰もいない(雨だからか?)。思っていたよりこぢんまりとした神社です。
 但し、拝殿前には広い何もない空間。玉砂利ではなく砂が敷き詰められているのには意味があります。
 廣瀬大社の鎮座地は、北葛城郡河合町川合。大和川(初瀬川)・佐保川・寺川・飛鳥川・曽我川・葛城川・高田川・富雄川という大和盆地を流れる全ての川が合流する地点にあります。この社は水の神様。拝殿前の砂の広場では、毎年砂を雨に見立てて掛け合う「砂かけ祭」と呼ばれる祈雨のお祭りが行われるんです。砂利でそんなことしたら痛いでしょ?
 古そうに見える(でも明治以降の建築だそうで)拝殿は吹抜(壁がないの)で自由に上がって参拝出来そうだったので、上がってみました(駄目だったらすみません)。スイカとメロンが供えられた神前。水神という性格を考えれば、瓜科であるスイカとメロンが供え物っていうのはとても相応しいかも。拝殿内からは正面に春日造りの本殿が門越しにちらりと見えました。こっちは平成12年に大改修を終えたばかりだそうで、朱も鮮やかです。
 天気は残念だけど、水神だから仕方ないかぁ。


安倍文殊院西古墳、談山神社十三重塔(と後ろに権殿)、廣瀬神社拝殿より御本殿。

 廣瀬大社を後にして生駒へ向かうと、雨も徐々にやんできました。途中、やや道が混雑していた所で、前の車3台が続けて駐車場に入ったスーパーにつられて立ち寄り。だって看板には「激安」の文字、混み合う駐車場、しかも前3台が全部入るって。ホントに安そうじゃない。
 入ってみたら、ホントに結構安かったです。ちょっとお買い物して帰りました。

 雨上がりのこの辺りの山は、水蒸気を上げてとても幻想的でした。


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・過去の「今日」。

2004年07月09日(金) そうだ、選挙に・・・

2005年07月08日(金)
  大阪地下鉄ツアー <画像あり>

 今日は午後から大阪へ。まずは梅田に出ました。
 そう言えば何処にも書いてなかったかもしれませんが、今回の関西逗留は夫の大阪出張によるものです。今日は早く終わるそうなので、夫がいる大阪中心部ら辺をうろうろしようと、梅田に出て来たワケです。

 昨夜から大阪中心部の地図を見て何処に行こうか考えました。天気が悪かったらバーゲンでいいやと思ってたんですが、生憎(?)天気は良好で、東京以上のコンクリートジャングルは真夏の暑さ。日差しから逃げるように日傘を差し、アーケードに入り、お初天神へ向かいます。

 お初天神。近松門左衛門の「曽根崎心中」で有名な話ですが、実話なんだそうで。遊女お初と手代徳兵衛がこの神社の「天神の森」で情死した話。これが「曽根崎心中」となり評判を呼び、「お初天神」と通称されるようになりました。そう、「お初天神」って通称なんですね。正式名称は「露天神社」。1300年の歴史を持つ古社なのです。
 「天神って菅原道真じゃないの?」と思ったアナタ。鋭いけれど違います。「天神さん」といえば確かに菅原道真を指すんですが、「天神社」は必ずしも天神さんじゃないのです。
 創建が道真以前に遡るような天神社が何を祀っているのかというと、「天の神様」です。正確に言えば「天津神」。日本神話で高天原にいた神様の系譜に連なる神様を祀る神社を「天津神の社」ということで「天神社」というんです。天神社の多くは、その名前に引かれて菅原道真公を合祀しているので、よりややこしくなってますが。

 さて、そんなお初天神に参詣し、再び梅田に戻ります。さーて次はどうしようかな。どう廻るか考えて、行きたいところから行こうと決断し、目的地を本町に決定。切符を買わなきゃ・・・。
 切符売り場にパラパラと「本日ノーマイカーフリーチケット使えます」という表示。何だノーマイカーフリーチケット。乗車券や回数券なんかの説明書き看板を探し、読みます。毎週金曜はノーマイカーデーで、市営地下鉄・バス・ニュートラムに600円で1日乗り放題。
 乗 り 放 題 !
 地下鉄の初乗りは200円。3回乗ったら元取れます。3回なんて乗るでしょう。決定、このチケット購入です。
 ノーマイカーも何も車の免許すらないですが、恩恵に与ってみました。これで今日は地下鉄乗り放題♪(バスに乗る気はナシ)

 本町まで行き、まずは旧府社の難波神社へ。駅から御堂筋を南下した所にあります。
 参拝を済ませて御朱印を頂いていると、年配の男女が社務所にやってきました。「ちょっとお伺いしますが」と中にいる女性に話し出した男性。曰く、近くのホテルに宿泊しているのだが、朝、●十人くらい(数字忘れた)でラジオ体操とミーティングをやる場所を探している、境内でやっていいか、というようなことらしい。言われた女性と、女性が困っているのを察して出て来た男性神職、「近くに●●公園がありますけど」というけど「ちょっと遠いんです」という男性。確かに、神社ってのは広く市民に開かれたスペースだろうとは思うけど、数十人でラジオ体操されたら、ここの境内はいっぱいです。他の人がすごーく参拝しにくくなると思うんだよね。勿論、すごく広い境内がある神社ならそれもアリかもしれないけど、この程度の広さでそんなこと頼まれても困るよなぁ。
 私は御朱印帳を受け取って神社を後にしましたが、きっと断られたことでしょう。雰囲気的に「いいですよ」って言ってもらえる感じじゃなかった。

 それから今日最も行きたかった旧官幣中社・延喜式名神大社の坐摩(いかすり)神社。本町の駅まで戻り、駅を通り過ぎて西に。伊藤忠かなんかのビルの横に神社はあります。
 完全に周囲はオフィス街。ビルとビルの間に立つ鳥居は、三輪鳥居でした。へー何でだろ。参拝しようと拝殿に近付くと、中ではスーツ姿の男性集団が祈祷中でした。近所の会社の方達かなぁ。
 境内には「陶器神社」があります。陶器製の灯籠がたくさん奉納されてて、ちょっと異色な感じ。

 さて、この坐摩神社。鎮座地の住所がまた異色です。
 「大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3」
 渡辺って! ここが全国のワタナベさんの発祥地だとかで、知る人ぞ知る地名です。

 本町から地下鉄に乗り、今度は北浜へ。目指すは薬の町・道修町。ここに鎮座する薬の神様・少彦名神社へ参拝です。
 小野薬品の本社ビル?の横に鎮座するこじんまりとした神社ですが、製薬業界や薬学部受験、薬剤師国家試験受験なんかの方々に信仰されているようで、絵馬も結構な数かかってます。社務所のビル(ビルですよ)の上階には「くすりの道修町資料館」まで。宮司さんが近くの銀行まで出掛けているということで、御朱印帳を預けて資料館を見学しました。
 社務所ビルに社号標と共にデカい虎の像が立ってます。これは江戸時代、大坂でコレラが流行した時に「虎頭殺鬼雄黄丸」という丸薬が作られ、併せて張り子の虎を病除祈願の御守りとして施与したことによるよう。阪神タイガースなのかと思った(嘘)。


坐摩神社の鳥居、壁の住所表示、少彦名神社の社号標と虎。

 続いて北浜から堺筋線に乗り1駅の南森町へ。もうすぐ始まる天神祭の大阪天満宮へ。あれだけの祭りをやる神社ですからそれなりの規模を想像していましたが、敷地面積はともかく、社殿などの豪華さは想像通りでした。

 境内に入ったところで夫から電話が。何だよもう終わっちゃったのか。次に行く谷町九丁目の駅で待ち合わせることにして電話を切ります。

 参拝して社務所へ行き、御朱印をお願いして待っていると、中年男性が「合格御守はないですか?」と中にいる巫女さんに訊いてました。いや、天満宮で合格御守がないなんてことはないだろう。そう思って聞いていると、巫女さんが「こちらになります」と示した御守にびっくり。肌守(身に着ける御守、要するに普通の御守の中身)と家にお祀りする御守(小型の御札みたいなモン)、それに絵馬と神社の方で祈願する為に住所氏名なんかを書く紙全部まとめて3,000円。さんぜんえん!? 巫女さん曰く、合格御守はそれしかないとのこと。男性は仕方なく(だと思う)それを求めていましたが、
男性「絵馬はいい、いらない」
巫女「絵馬がなくても3,000円お納め頂きますが・・・」
男性「いい」
巫女「こちらの用紙にお名前などご記入頂いて、ご神前にお供えして祈願させて頂きますが・・・」
男性「いい、いい」
 この男性はここじゃなくて他の天神さんに行った方が良かったんじゃないだろうか。交通費考えても北野天満宮とか行った方が・・・ねぇ。
 でも料金変わらないなら絵馬も祈願も断ることないのに。あとで不合格だったりしたら、「あの時断らなければ」って後悔しそうじゃない。抑も何の合格祈願なのか知らないけど。
 しかし合格御守が3,000円のもの1点のみ。すげえ大阪天満宮。流石大阪の天神さん!

 南森町から谷町線に乗り、谷町九丁目へ。夫と合流して最後の目的地・高津宮へ向かいます。
 高津宮の周辺は公園のようになっていて、今日今まで訪れた神社と違い、しっかりと社叢(所謂「鎮守の森」)に覆われています。高台にあるようで、北西は石段。境内西側には展望スペースのような所があったんですが、その傍らに石碑が建ってました。
 「大 阪 市 歌」
 そんなものがあるのか。
 「一、高津の宮の昔より よよの栄を重ねきて 民のかまどに 立つ煙
   にぎわいまさる 大阪市 にぎわいまさる 大阪市」
 以下3番まで。すごいな大阪市。


商業地の大阪天満宮と社叢に埋もれた高津宮。

 梅田の阪神デパート(確か)に入ってたAfternoon Teaでお茶をしてから、お好み焼きを食べて帰りました。お好み焼きはキムチとチーズをトッピングしたんですが、標準で紅ショウガが入ってるんですよね。それが結構な量で、キムチの味がしませんでした。しかも紅ショウガってあんまり好きじゃない罠。うーんイマイチ。


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・過去の「今日」。

2004年07月08日(木) 偽りのあたし
2002年07月08日(月) まだまだイケる!(かもしれない。)

2005年07月07日(木)
  七夕、嵐山、ホクトベガ。 <画像あり>

 義母に駅まで車で送ってもらい、今日はのんびり嵐山へ。七夕だし、交野の星田妙見・機物神社へ行っても良かったんだけど、七夕だけに祭りのメインは夜だからやめました。

 まずは阪急松尾駅へ。松尾大社を目指します。が、駅に下りてみると、意外と梅宮大社にも近いということが判明。500mか、ならば行ってみるか。松尾大社は駅の左側にデカイ鳥居が立ってるけど、ひとまず四条通を逆方向に桂川を越えて進みます。「←梅宮大社」(だったかな)という標識を左折すると、路地の向こうに標識に隠れ気味の社号標と石造鳥居、その向こうに赤い鳥居と随身門。門の二層目には酒樽が並んでいます。そう、此処は醸造祖神。今はどうやら授子安産の神としての方が有名みたいですが(酒造りの神様なんて一般には縁ないもんね)。そんな神様にも「子供が出来ませんように」と祈る女が一人( ̄m ̄*)
 社殿ではカップルが祈祷中(やっぱ授子祈願だろーか)、境内には猫がいっぱいいました。どうやら神社の飼い猫のよう。社務所の縁側でも2匹寝てました。

 それから桂川を再度渡って、やや南にある月読神社に寄り道し、当初予定の松尾大社へ。ここも実はお酒の神様。梅宮大社は醸造祖神でしたが、松尾大社は日本第一酒造神(どっちがえらいのか不明)。駅前に立つ大鳥居の横にはとっくりのオブジェ(?)がふたつ。境内には「お酒の資料館」まであります。奉納されてる酒樽の数も多い。
 そして異色なのが手水舎。ここの神使は亀。そのため水が亀の口から出ています。よく天神様には「撫で牛」がいますが、ここには「撫で亀」がいました。
 社殿前にはたくさんの笹。夕方以降、七夕祭りが行われるようです。


梅宮大社の鳥居と随身門、松尾大社の手水舎、松尾大社の酒樽。

 松尾駅から再び阪急に乗り、嵐山駅へ。渡月橋を渡り、暑さに負けてジェラードを食します。メニューに「空」というのがあったので「何ですか?」と訊いてみると、ラムネのジェラードにマシュマロが入ったものだそうで。空と柚子のジェラードをダブルで頂きました。
 店内に椅子とテーブルがあったので、そこへ行って涼みつつジェラードを食べます。折角なので、友達に絵葉書なんかも書きつつ。が、余りの暑さに体がヘロヘロで、手にうまく力が入りません。ただでさえ文字を書かなくなった故に乱れまくりの字が更に歪んでます。まあいいか、読めれば(いいのか?)。汚い字の葉書を受け取ったそこのアナタ、大変失礼致しました。

 体内から冷えたところで、バス停へ。大覚寺か化野念仏寺へ行きたいんですが、バスはまだちょっと早い。ならばと近くの野宮神社へ行きました。竹林を抜け、人は結構いるのに不思議な静けさを湛えた野宮神社。観光地然したところもあるんですが、それでも伊勢の斎宮が伊勢に行く前に潔斎したという場所だけのことはあるなぁと感じました。
 ここも社殿の前に笹。黒木鳥居のこの社は、黒木の色と丹の色と木々の緑のコントラストが印象的です。


渡月橋より桂川、野宮神社に続く竹林、野宮神社。

 野宮のバス停に行くと、すぐにやって来たのは大覚寺行きのJRバス。迷わずそれに乗って大覚寺へ。
 大覚寺には過去に2度行ったことがあります。大覚寺のすぐ横に大沢池という池があるんですが、池に向かって御堂が舞台のように張り出していて、そこから眺める景色が良いのです。
 JRバスも市バスも大覚寺が終点なので、駐車場のようなスペースがバス停です。
 辿り着いた大覚寺も御影堂が修理中でした(ホント今回多いな)。でも目指す御堂は本堂である五大堂です。
 五大堂では一般の方が写経出来ます。取り敢えず中に入って本尊・五大明王を拝み、一度外に出て池を眺めます。ちょっと怪しげな雲行き。物凄く暑いから、夕立くらい降りそうです。

 しばし眺めてから、ちょっと考えて写経の手続を。今まで散々朱印=納経印を頂いておきながら、未だきちんと写経をしたことがありません。ここ大覚寺は心経写経の根本道場。写経するならまずはここだ、と少し思っていたんです。しかも、般若心経全部写すと1,000円なんですが(相場です)、般若心経の最後の真言部分「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 般若心経」だけの写経が300円で出来ます。これだ、これだよ。
 そこにいた若い僧侶に「300円の方の写経したいんですけど」と告げ、お金を納めて用紙などをもらいます。初めてなので説明を受け、塗香を掌に擦り込んで全身を浄め、五大堂に戻ります。空いていた最前列に正座し、いざ写経!
 しかし、しかしですよ。さっきジェラード屋で絵葉書書く時に暑さで手もヘロヘロだったんですよ。当然今だってヘロヘロですよ。まずは写経用紙の左端にあった住所氏名欄を記入したのですが、筆(ペン)だから余計に力加減が難しい!
 有り得ないくらいヘロヘロな字で住所氏名年齢を書き入れ、いよいよ写経。1画1画丁寧に書いてはいるんですが、ヘロヘロなのは如何ともし難い。少しずつ力加減を掴んで、少しずつマシにはなっていきましたが、筆で字を書くことなんて普段ないし、書道(つか習字)も小中学校でしかやってません。すらすらと筆で字が書けたらカッコイイよなぁ。そんな煩悩満載で写経を終えました(駄目じゃん)。

 拝観を終え、受付で御朱印をお願いしました。オリジナルの御朱印帳がステキだったので、それを購入。御朱印帳が1,200円、御朱印が300円×2で1,800円のハズなんですが(御朱印帳に御朱印代ひとつ分が含まれてても1,500円)、受付の女性は「1,200円でいいですよ。サービス」と言ってくれました。やったぁ、写経した甲斐あるぅ!
 大覚寺には受付を入ったところに授与所兼売店のようなスペースがあるんですが、待ってる間、そこでお茶まで頂いてしまいました。
 が、先程から怪しかった空模様。遂に雷が鳴り出し、大粒の雨が降ってきました。おおー来たよ来たよ。熱を帯びた空気が急速に冷えていきます。気持ちいい。

 雨が小降りになってからバス停へ行きました。まだ少し時間があるから、昨日タイムアウトだった仁和寺に行こう。嵐山から京福線で行けるし。そう思ってバスの時刻表を見ると、そのすぐ下の金具に見覚えのある物が引っかかっていました。
 きっと誰かが落とした物を拾った誰かが引っかけたんでしょう。キーホルダーの付いた鍵。そのキーホルダーがとても見覚えあります。馬。緑味を帯びた青色のメンコを着けた馬。手に取ってゼッケン部分を確認します。確認しなくても絶対間違いないんだけど、やっぱりホクトベガ。七夕の今日、まさかこんなところで出会うとは。
 持って帰りたいけど、流石にそれは出来ない(−−

 バスで嵐山に戻り、京福線に乗って御室まで。無事16時前に仁和寺に着くことが出来ました。
 仁和寺に来るのは多分10年ぶり2度目だと思うんですが、前回は伽藍のみ拝観して、拝観料が必要な庭園や宸殿は見なかった気がします(お金ないし)。今回は世界遺産にもなったことだし、拝観料払って中へ。ぐるっと1周しましたが、流石世界遺産。外国の方(特に白人)がとても多かったです。


大覚寺式台玄関より、バス停のホクトベガ、仁和寺二王門。

 帰り、仁和寺前のバス停でフランス語を母国語としているらしいカップルに祇園バス停までのバスを英語で訊かれました(最初「ジィオーン」て言うから何のこっちゃ判んなかった。フランス語的発音で「ギオン」なのね)。そう言われてもここから祇園に行くバスなんかないし。カップルの男の方が「プレゼント」とか言ってます。ああ、土産物買いたいのね。でも祇園は買い物するところじゃなくて食事するところじゃん。そうこうしている間に三条京阪行きのバスが来ました。買い物するなら三条と四条の間だ。あれ、あのバスに乗って四条河原町辺りまで行くんだ!
 ・・・つーかフランス人(と仮定)と私が英語でやり取りするのってすごーく不毛だと思うのよ、うん。最終的に四条河原町まで辿り着いてたから、まいっか。

 そんな七夕の京都でした。


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・過去の「今日」。

2002年07月07日(日) りにうある

2005年07月06日(水)
  京都プチ修学旅行 <画像あり>

 昨夜から大阪の夫実家に来ております。これから日曜まで滞在です。
 さて、本日まず向かうは石清水八幡宮です。京阪の八幡市駅で下車し、ケーブルカーで男山山頂へ向かいます。ケーブルの駅は、京阪の駅を出て西へ少し行ったところ。改札を入ると、七夕の笹が飾られてました。

七夕Station 2005
只今、京阪全線でお客様の願いのこもった「短冊」を募集しています。
?短冊は?
枚方の機物(はたもの)神社へ奉納します。

 そう色とりどりのチョークで書かれた小型の黒板の脇に、たくさんの短冊が結ばれた笹と、事務用長机。机の上には短冊とマジックが置かれています。
 機物神社。祭神は天棚機比売大神、即ち織姫。短冊にも神名が入っています。織姫と言えばベガですよ。書くでしょう、そりゃあ短冊書くでしょう。
 と言う訳で短冊を書いてからケーブルカーに乗りました。尚、「枚方の機物神社」って書いてありましたが、機物神社は枚方ではなく交野にあります。

 ケーブルを下りたらすぐに石清水八幡宮があるのかと思ったんですが、結構歩きます。特に標識もなく、ホントにこの道で合ってるのか若干不安もある中(だって誰もいないし)、5分ほど歩くと神社に着きました。良かった。
 残念ながら昨年秋より本殿修復工事中で、本殿はシートに覆われてしまっています。嗚呼、去年来ておけば良かった。更に昨年11月20日に神馬・彌櫻号が25歳の天寿を全うし、永眠したとのこと。うわーホントに去年来ておけば良かった。後悔することしきりで山を下りました。
 さて続いて京阪に乗って京都へ♪ ・・・ではありません。まだ行くとこありますよ。
 兼好法師の「徒然草」に「仁和寺にある法師」という話があります(第五十二段)。その法師が、石清水八幡と思い込んで参拝してきた高良社にも行って見なきゃ。
 放生池には蓮が綺麗に咲いていました。

 高良社を拝んでから、京阪で四条へ。八坂神社で夏季限定の御霊会(祇園祭ね)の御朱印を頂き、知恩院を拝観。そうこうしているうちに、朝は曇っていたのに晴れてきました。お昼も近かったので休憩所で聖護院饅頭を食し、平安神宮へ向かいます。
 平安神宮の真っ赤な大鳥居が見える頃には、頭上には青空が広がっていました。

 平安神宮の境内は、白い玉砂利が敷かれています。拝殿目指して境内に入ると、暑い! 折りたたみの雨傘を日傘代わりに差していたんですが、下からの照り返しで半分無意味。うぎゃー、ここは夏に来る所じゃない!


石清水八幡宮への参道、放生池の蓮、平安神宮の大鳥居。

 平安神宮を出てそこから北に。去年も参拝した聖護院で神変大菩薩(役行者)の御朱印を受け、去年は暑さの余り断念した金戒光明寺へ。
 聖護院の辺りは普通に平地なんですが、金戒光明寺って高台になるんですね。入口の門を入って階段を登った上に三門があります。地名は「黒谷」なのに丘の上って・・・orz
 大きな御影堂に入ると、見晴らしもいいし風通しもいいし気持ちいい♪ 御堂の右端に授与所があり、そこにいた若い僧侶に3種あるという御朱印をお願いしました。
「今週末、会津藩士の方々の法要があるんですよ。今その準備中なんで、晴れて良かったです」
 そう言ったお坊さんに「私、晴れ女なんですよ」と告げると、
「そうなんですか! それはありがとうございます」
 と感謝されました(笑)。「またいらして下さいね」と笑顔で告げてくれたお坊さん。御堂内で法要の準備をしているお坊さん達も「こんにちは」と挨拶してくれます。いいお寺だなあ。

 さて、ここからが(気分的に)長いです。コンセプトは「一人で修学旅行」。何だかしょっちゅう関西に来ているようなイメージがあるかもしれない私ですが、実は初関西は18歳、大学1年の夏休みです。修学旅行が中学は東北、高校は沖縄だったので、金閣とか銀閣とか行ってないんですよ。
 つーことで銀閣まで歩きます。ちょっと距離があるけど歩きます。真如堂の前を通り、住宅地を適当に歩いて、白川通に出て銀閣寺へ。
 拝観料を支払って例の入場券ならぬ入場札を受け取って中へ。やっぱり修学旅行生がいっぱいいます。ここも国宝・東求堂が工事中だったのですが(今日は多いなぁ)、まあぶっちゃけそんなのはどうでもいいでしょう。問題は銀閣こと観音殿です。
 でも、でもですね。私、書院造りには余り興味がありません。庭園にも余り興味がありません。正直に言っていいですか?
 (裏、それも近くから見たら特に)ただのボロ家にしか見えねー。
 一番良かったのは向月台。

 白川通に戻り、よくガイドブックなんかに出ている銀閣寺キャンディー店でアイスキャンディー(ミルク)を食べました。修学旅行の中学生が1グループいましたが、男子は(私が見ていた範囲内で)3本食べてました。若いって凄い。
 銀閣寺道からバスに乗り、金閣へ。北大路通を端から端まで行く感じだから、結構距離ありますよね。

 金閣も修学旅行生がいっぱいだろうな、と思ってたんですが、時間の所為なのか銀閣ほどじゃありませんでした。寧ろ多かったのは外国人観光客。日本人ぽく見えても喋っているのは(多分)中国語だったり、あの場にいたのは日本人の方が少なそうです。
 ひょっとしたら夕焼けの金閣が見れるかなー、なんて思ってたんですが、この時期は拝観時間中には夕焼けは望めませんね。フツーに青空です。金ピカでやっぱセンス悪ぅ〜とは思いましたが、銀閣よりは拝観料払う価値あるかな、と感じました。
 金閣、銀閣。どっちも黙っていても拝観料が高額でも参拝客がやってくる観光地でしょうが、金閣の方が人は良かったように思います。授与所で御朱印書いてくれたおじさんも、関西の気さくなおじさんでした。銀閣はちょっと高飛車な感じ(あくまでも感じですが)。


金戒光明寺、向月台越しの銀閣(何か合成っぽい?)、裏側から金閣。

 さあて、ここで時間は16時15分。ダッシュで行ったら仁和寺の拝観時間に間に合うかしら? うまい具合に山越中町(仁和寺の先)まで行くバスが来たので、取り敢えず乗ってみます。銀閣から金閣まで乗ったバスで市バス1日乗車券を買ったので、均一区間ならいくら乗っても同じだし。  でも仁和寺は拝観時間は16時半までなんですが、受付は16時10分までで敢え無くタイムアウトorz
 仕方がないので今日は帰りましょう。京都駅に出たかったんですが、京都駅まで行くバスは当分来ないので、取り敢えず四条か三条に出てバス乗り換えて京都駅に戻ろう。

バスから撮った写真 ひとつ手前のバス停を過ぎ、次が四条河原町・・・というところで、窓の外、河原町通を警棒を持ったお巡りさんやサイレン鳴らしたパトカーが走っていきます。何だ何だ?
 前方(丸善とスーツカンパニーの交差点)には凄い数のパトカーや覆面、そしてお巡りさん(刺股持ってる人も)が。お巡りさん達は左の蛸薬師通へ走っていきます。通りをパトカーが封鎖してしまい、バスは止まってしまいました。斜め前にいるタクシーは野次馬に囲まれちゃってます。
 しばらく見ていると、蛸薬師通からお巡りさんに身柄を確保されたおじさんが出て来ました。ちょっと暴れ気味です。野次馬に携帯のカメラを向けられつつ、おじさんは抵抗虚しくパトカーに押し込められ、パトカーはあっという間にサイレン鳴らして走っていきました。
 ・・・結局、あれは一体何だったんだろう? 誰か7月6日17時過ぎ頃、この辺で何があったか知ってる人教えて下さい。

 四条のよーじ屋で美緒菊さん(昨日の日記参照)にお祝い兼お礼兼お土産を買い求め、バスで京都駅に着き、駅舎の2階へ上がると、何やら折り鶴を折る集団が。広島・長崎に持っていく折り鶴らしいです。誰でも折って良いようだったので、久々に折ってみたくなり、好きな色の折り紙1枚を取って、折ってしまいました。
 何故広島県在住の私が、わざわざ京都駅で広島・長崎に持っていくという折り鶴を折っているんだろう。謎だ。
 更にJR京都伊勢丹の化粧品売り場で試供品をゲットし、やっと電車に乗りました。京都駅に着いてから妙に長かったのは何でだ?


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・過去の「今日」。

2004年07月06日(火) FOMAの使い道

2005年07月05日(火)
  名披露目

 昨年、友達が日本舞踊の名取になりました。で、先日、名披露目の公演があり、遠方で見に行けなかった私の元にも、当日のプログラム、手拭い(勿論名前入り)、お菓子が送られてきました。

 日舞で名取になるのって、すっごいお金がかかるんだそうで。今回の名披露目も、通常でも50万くらい、今回はたまたま会場が凄い所だったので、100万くらいとか言ってました。

 日本人として、日舞とか、あるいは琴とか三味線とか、興味があることはあるし、何も出来ないのも情けないなぁと思うこともあるんですが、こういうの聞くと私には絶対出来ません。パトロンでも付かない限り無理!

 でも次の機会にはせめて見に行きたい。友達が出るとかでもないと、なかなか日舞を見に行くなんてこともないだろうし・・・。

 これからも芸の道に精進してね、美緒菊さん♪

 ちなみに私は、日舞とか琴とか三味線とか日本の伝統芸能だけでなく、ピアノとかバレエとかバイオリンとか、勿論ギターとかドラムとか西洋のものも何もかも一切出来ません。小学校の合奏で使う楽器くらいが関の山。音楽委員会とかやってたから、木琴鉄琴とか大太鼓中太鼓小太鼓とかならどーにかなったんですが。バス木琴の音は好き。


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・過去の「今日」。


2005年07月03日(日)
  都議選と豪雨

 先月11日に梅雨入りして以来、空梅雨が続いていました。
 が、今月になったらいきなり豪雨です。今日も昨日も一昨日も、そして予報では明日も雨。それも雷が轟いたり大雨洪水警報が出たりするような雨。昨日今日と車で外出しましたが、やたらパトカーを見ました。事故が多いみたいです。今日は黄色いスポーツカーが交差点の電柱に突っ込んでる現場に遭遇。
 ちなみに、呉市の6月の総降水量は僅か36.5mm(平年比15%)。それが今月1日2時〜2日21時までで164.5mmと6月全部の4.5倍の雨が降っています。今日も結構降ったからもう200mmは超えたでしょう。
 我が家は山からも崖からも海からも川からも少々離れているので、全然大丈夫です。ご心配なく。たまにスカパーが映らなくなるくらい。

 これから梅雨が明けるまでは豪雨の多い時期。どうぞ皆さんお気を付けて。

 そんなことより、現在の私の驚きは、ここ広島でもNHKは都議選の速報を報道していること。流石首都東京。地方の人って生活者ネットワークなんて知ってるのかしら??


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・過去の「今日」。


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