琴 星 商 事 日 乗
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2005年06月30日(木)
  Musical Batonのこと

 寺社参詣記ブログ「神籠-ヒモロギ-」を開設して数日、友人から「Musical Baton」なるものを渡されました。音楽に関する4つの質問にブログで答えて、また次のブロガーに回す、というもののようなのですが、寺社参詣記ブログでそれってどう?と思わなくもないので、一応答えてみつつもこっちにもコピペってみることにしました。

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1.今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量
マイミュージックフォルダのサイズは1.08GB。
ここにしかオーディオファイルは入れてない(ハズ)。
ただ、「音楽」ではないオーディオファイルも入ってる気がする。

2.今聴いている曲
くるり「WORLD'S END SUPERNOVA」。
その前はglove「とにかく無性に...」。
次はMOON CHILD「requiem for the man of nomad」。
その次は松岡英明「VISION(Ver.3.3)」(ぇ

3.よく聞く、または特別な思い入れのある5曲
TM NETWORK「ELECTRIC PROPHET」
TM NETWORK「SELF CONTROL」
TM NETWORK「IGNITION, SEQUENCE, START」
ANGIE「おやすみ」
有頂天「HAPPY SLEEP」

今回は特別な思い入れのある曲で。最早思いついた順。
5曲って難しいなぁ。5曲以上あるもの。

4.最後に買ったCD
なーんーだーっけー???????
トラジ・ハイジの「ファンタスティポ」かも?
ラルクの「AWAKE」は欲しいけどまだ買ってない。

中高生の頃は文字通りアホみたいに買ってましたが、
最近はあんまり買わなくなりました。


・・・結構ムズカシイね、コレ。

さて、中でもコレが最難関。
次に回す5人です。

ごん
のりさん
littlebollさん
とみあさん
Masaさん

辛うじて5名。
私にバトンを回した張本人を除いて、私の知ってるブロガーはあなた方だけです!(w
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 詳細は神籠-ヒモロギ-の方へ。


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・過去の「今日」。


2005年06月28日(火)
  自分本位晴れ女

 昨日梅雨入りした北陸地方、何だか凄い豪雨のようですね。富山も石川も福井も大雨洪水警報が出るくらい。いやいや、北陸行きがあと1日2日遅れていたらえらいことでした。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

あたしの所為じゃないよねェ!?!

 7月上旬の関西行きも降られなかったらえらいこっちゃ自分。雨が降ったらバーゲン、降らなかったら観光します。降っても多少は観光しますがね。でも京都には伊勢丹もあるし、バーゲンもちょっと(嘘、かなり)楽しみ♪
 自分的には頑張れ晴れ女なんですが、このおかしな天候を鑑みるに、頑張っていいものなのかどうか。つーか私が頑張ったら晴れる訳でも何でもないんですけど。

 でも偶然にしては出来過ぎている・・・・・・気もする・・・・・・。


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・過去の「今日」。

2004年06月28日(月) お土産はありません。

2005年06月27日(月)
  雨はまだか <画像あり>

 北陸から昨夜戻りました。
 そして、その北陸は本日、やっと梅雨入りした模様。御陰様で、滞在中は一滴の雨に降られることもなく、どこか霞んだ晴天の下、観光してきました。この時期に実質4日間雨に降られず観光って、なかなか奇跡的では? 今年も晴れ女続行中かしら。

 広島も梅雨入りはしているものの雨が降りません。既に九州北部や四国では深刻な水不足だとか。中国地方はどうなんだろう。そもそも、自分が住んでいる地域の水瓶が何処なのかも知らない。

 訪れた北陸は毎日暑くて、紫陽花も花菖蒲も元気がありませんでした。写真は能登の總持寺祖院にて。苔生した境内がひび割れてました。

 まあ梅雨の末期に豪雨になることは多いので、7月の雨に期待でしょうか。でも関西にいる時に雨ばっかだとイヤ。頑張れ晴れ女!

 水不足にならない程度に、晴れて下さい。出来れば、晴れても暑くないといいんだけどね。


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・過去の「今日」。

2001年06月27日(水) 歯医者

2005年06月26日(日)
  in 越前(長いです) <画像あり>

 朝8時。三国町にある瀧谷寺の拝観開始時間に合わせ、宿を出ました。

 瀧谷寺。たきだんじ、と読みます。真言宗智山派に属する寺院で、創建はそれほど古くなく1375年(南北朝時代)です。国宝や重要文化財の指定を受けた建物や仏具も所蔵していますが、有名なのは日本名勝庭園の指定を受けた庭園です。でも私は庭には余り興味がないので、とにかく参拝。
 多分、私たちが本日最初の参拝客だったんじゃないでしょうか。駐車場横にある案内所で拝観料を支払って参拝のしおりを受け取り、無人の参道を進みます。
 まだ朝が早い所為か、空も靄がかかっていて地面も空気もどこかしっとりした感じ。空気はむわ~んとした熱も帯びています。
 山門をくぐり、順路通り庫裡へ。そこに御守や御朱印を扱う場所があったので奥に声を掛け、御朱印帳を預けました。出て来て下さった年配の女性は庫裡から本堂へ続く通路の手前で簡単にお寺と祀られている仏像について説明して下さり、それから参拝。本堂は薬師如来、観音堂は如意輪観音と白寿観音。それぞれお参りして、庭園を眺めつつまた庫裡に戻ります。御朱印帳を受け取り、庫裡を出て宝物殿へ。ここで国宝や重文を拝めます。
 拝観を終えて参道を下りていく途中、バスで来たと思われる団体さんとすれ違いました。良かった、いいタイミングで来たわ。

 続いて近くにある三国成田山へ。本堂に入ると、3名の僧侶が丁度9時の護摩の最中。御朱印を頂くのに、少々待たせて頂きました。こうして見ていると、暑い中、衣を纏って炎を焚き上げ、大きな太鼓を打ち鳴らすとか、坊主も体力仕事だなーとか思ってしまいました。声明じゃなくても、読経って音楽だ。

瀧谷寺三国成田山護摩
瀧谷寺の弘法大師像、三国成田山。

 通り道にあった氷川神社(多分、大宮の氷川神社の関連じゃなく、出雲の「簸川」関連だと思う)に寄ってから、式内社で旧県社の三国神社へ。カーナビが示した所は神社の裏手だったらしく、ちょっと迷って辿り着いた神社は、想像以上に大きなものでした。
 階段を10段ほど上ったところに鳥居、その階段の横には欅の物凄い大木(樹齢約600年らしい)。鳥居の先にも階段があり、随身門をくぐって右手に折れ、参道を曲がり曲がり上っていくと拝殿です。
 拝殿に辿り着くと、拝殿前左手にテントが張られていて、年配の男性が集っています。拝殿前には茅の輪。うわあ今日夏越の祭りやってる∑( ̄□ ̄;)
 と、取り敢えず参拝しないことには・・・と拝殿前に進むと、茅の輪のくぐり方の説明書きが拝殿に設置されています。斜め後ろから感じるおじいさまたちの視線。や、やらなきゃ(--;)
 茅の輪をくぐって左に、次はくぐったら右に、も1回くぐってまた左・・・。
「違うよ、ここ通んなきゃ駄目だよ」
 つ、遂におじいさんに声かけられた。
「正式にはこれを持って」
 はあ。
 何やら竹筒に入った菖蒲の葉(5月5日にお風呂に入れるヤツ)みたいなものを持たされます。
「それ持ってこうかかげて、こう礼をしてからくぐって、最後にその台にこれを置いて、参拝するの」
 おじいさんは茅の輪のくぐり方を丁寧に説明して下さいました。
 全然この辺の人じゃないんですけどいいんですかね?
「ああいいですよ」
 つーかまだ夏越じゃないのに(夏越は6月晦日)本格的に夏越しちゃっていいものかとも思ったんですが、考える余地ナシ(笑)。やるしかない。おじいさま方の視線を一身に集め(ている気がし)つつ、再度茅の輪をくぐり、台の上に筒に入った菖蒲(?)を置いて、いつも通り二礼二拍手一礼で参拝。ああ汗が出る。
 テントのおじいさま方に頭を下げて退出しようと思ったら、
「良かったら御神酒もどうぞ。車じゃないよね?」
 お、御神酒も!(いやん)
 じゃ、じゃあ・・・。
 重ねて置かれた盃を取り、注がれるがまま御神酒をいただきました(結構注がれた)。このあと永平寺行くんだけどなぁ。御神酒ならアリかなぁ。
「すみません、ありがとうございました」
 御礼を言って、社務所へと向かいました。
 拝殿から一段下った所にある社務所にも、結構な人の気配。すみませーんと声を掛け、御朱印が欲しいと言うと、「ああ、御朱印は拝殿の左」!
 うッ、またあそこに行かなきゃならんのか!
 仕方ない、戻るか・・・と踵を返したら、おじいさんが後を追ってきてました。
「あのね、これ、良かったら、まあ御守にでもして」
 そう言って、テントの事務机にたくさん置いてあったミニ茅の輪をひとつ手渡して下さいました。うわぁわざわざありがとうございます。
 ホント、わざわざ追いかけてきて下さったのに、また拝殿まで戻る私(トホホ・・・)。テントの前を頭下げて通過し(ホント何度もすみませんすみません)、茅の輪の横を通って拝殿左へ。さっきはどぎまぎして全然気が付かなかったけど、左端が授与所のようになっていて、そこに御神職(多分、宮司さんではない)が座ってらっしゃいました。
 御朱印帳を渡して待っていると、後ろから「あの女の子、何してるの?」「御朱印や」「ああ、たまにいるなぁ、そういう人」「へえ、若いのにねぇ」とか声が聞こえます。これだよ、これがイヤなんだよ!
 朱印料をお納めして、テントのおじいさま方にも何度目か最早判んないけど会釈して、そそくさと帰ってきました。随身門の手前辺りで、授与所の御神職の手元にあった由緒書を貰ってくるのを忘れたことに気が付きましたが、もう一度あのテント前を往復する勇気はなく。
 いえ、とてもよくして頂いたんですけどね。でも集団には圧倒されます。ハイ。

三国神社三国神社拝殿
三国神社(とテントのおじいさま方)。

 さて、三国神社で随分長い時間が経過しているような文章量ですが、実際はまだ11時前です。これから永平寺です。

 永平寺。曹洞宗で一番格の高いお寺です(ちなみにうちの実家は一応曹洞宗)。以前は電車が通ってましたが数年前に廃線になり、今はバスかタクシーか自家用車で来るしかありません。その所為か、門前の土産物屋の客引きの激しいこと激しいこと。何処も1,000円買ったら駐車料金タダのようで、物凄い強引な客引きです。町営駐車場に止めても駐車料金500円取られるので、文字通り門前(真ん前)の土産物屋に車を止めました。キーを預かるあたり、物凄い台数止めるんだろうな、って感じ。すげー。

 さて永平寺。丁度大型観光バスが1台やって来た所為もあり、観光客も多いです。が、負けずに多いのは坊主の数。修行僧を「雲水」と言いますが、ここでは参拝者のガイドを務めるのも雲水の役目。あっちにもこっちにも雲水。なのに、
「建物や仏像等、ご自由に撮影して頂いて結構ですが、修行僧にはカメラを向けないようお願い致します」
 いや、こんなにあちこちにいられたら、どっかしら写るよ!

 七堂伽藍は何処もピカピカ。これだけの数の雲水がいれば、そりゃあ細かいところまで磨き放題でしょう。貰ったパンフに作務の様子として廻廊を雑巾掛けする雲水たちの写真が掲載されてますが、そこに写っている雲水の数たるや約30名! 1本の廻廊をこれだけの人数で磨き上げれば、そりゃあピッカピカになるよ。

 残念だったのは、七堂伽藍中最も高い位置にある法堂が、何やら法要中で拝観出来なかったこと。そこから下を眺めたかったなー。
 門前で御利益団子(のよもぎ)を食べ、車を止めた土産物屋で羽二重餅なんかを買い、案の定敷地いっぱいに止められた車をどかしてもらって、永平寺を後にしました。

永平寺山門永平寺仏殿の須弥壇
永平寺山門、仏殿の須弥壇。

 永平寺から山を下りて、福井市内に入ります。目指すは市街地の外れにある足羽山。この山の上(車で登れる)に式内社・足羽神社が鎮座しています。
 神社に至るまで、山内の道は両脇に紫陽花。青い花が綺麗でした。神社の境内には樹齢約360年という物凄く立派な枝垂れ桜(天然記念物)。春はさぞや見事なんでしょう。

 神社まで登ってきた道は一方通行。夫は昔福井に住んでいて、ここにも義父の車で来たことがあるそうで、その記憶に従い車は進みます。
 福井って、去年豪雨で水害だったんですよね。市街地の結構ど真ん中で川が決壊したりとかしてましたっけ。
 で、その道は災害復旧工事中でした┐('~`;)┌
 案内表示によると、藤島神社に出る道しか下山する道はないようです。藤島神社。旧別格官幣社で、鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞が祭神なんですね(別格官幣社って国に功績を挙げた人物を祀る神社なんです)。武将だとか軍人だとかを祀る神社には余り興味がないので行かなくていいやと思ってたんですが、通るのならば行っときましょう。これも神縁。
 山を下りる道中、すぐ近くまで行かないと見えてこなかったので意外と小さい神社なのかなーと思ったんですが、そんなことは全然なかったです。
 社務所のある建物に「○○家 ○○家 会場」みたいな掲示が出ていました。拝殿(またしても茅の輪がかかってる)へ行くと、中で御神職が一人、結婚式仕様に椅子を並べています。ふーん、ちゃんと結婚式も出来る神社なんだぁ(って旧別格官幣社だからさ、自分)。
 社務所の窓口に行くと、初宮参りの申し込みをしている人がいました。対応している年配の男性はタキシード姿。これから結婚式だからなんだろーか。それともこれが標準?(なら何で神社でタキシード?) 取り敢えず慌ただしい感じです。結婚式はともかく(スペースの都合もあるし)、初宮参りでわざわざ足羽神社ではなく藤島神社を選んだ理由ってのはどんなのなんだろう? 氏子なのかしら。つーか同じ山に鎮座してる神社(しかも他にもまだある)の氏子域ってどうなってるんだ??

足羽神社拝殿内足羽山の紫陽花藤島神社
足羽神社拝殿内、足羽山の紫陽花、藤島神社。

 足羽山を下り、藤島神社を後にし、福井の市街地へ。ウチの夫オススメの店に越前そばを食べに参ります。
 越前そばはおろしそばが基本だそうで。私はおろしとざるが両方楽しめるってヤツを注文しました。夫は普通のおろしそば(大盛り)。
 ・・・でもね、何かイマイチでしたorz 何つーか、ちょっと茹ですぎな感じ。越前そばの特徴として普通の蕎麦より幅広に切るみたいなんですが、その所為なのかなぁ。私は蕎麦とスパゲッティはアルデンテ派なので、ちょっと気持ち悪くなる・・・(ォィ
 後で夫に訊いたら、やっぱり昔の味ではなかったらしいです。でも蕎麦つゆも(土地柄で)薄目だし、私は余り好きな蕎麦じゃないなぁ。

 続いて市内の神明神社へ参拝。かなり大きな神明さんです。社殿などは全て戦火に罹っており、戦後の建築。拝殿向かって左にある社務所もとても大きくて、御朱印をお願いしたらホテルのロビーみたいなところ(テレビまで付いてる)で待たされました。ちなみにテレビでやってたのは韓流ドラマ(全然興味ないから判んないんだけど)。

 更に市内で神社巡り。続いては、先程の藤島神社と同じ旧別格官幣社・福井神社です。
 福井神社の御祭神は、福井藩主の松平慶永(春嶽公)。ぶっちゃけて信仰的な興味はないんですが、ここに来たかったのにはワケがあります。
 下の写真左を御覧下さい。これが福井神社。二の大鳥居と拝殿です。福井神社の創建は、何と昭和18年9月です。創建時の社殿は総檜造り。ところが創建から僅か2年の昭和20年7月に福井大空襲で無惨にも焼け落ちます。で、戦後、福井大学工学部建築科に設計を依頼し、「コンクリート造りの永久建築物とする」(多分造ってすぐ焼けたのがショックだったんでしょうね)と決めて、「古い形をそのままコンクリートで再現するのは合理性がなく独創性もないから採用しない」(独創性って?)という方針になった結果、このような建築になったそうです(「福井神社の栞」参照)。ちなみにこれは神明造をコンクリートで表現したんだって。この神社建築的に意表突きまくりの建築が見たくてここに来たワケです。
 イヤ、この二の大鳥居を見ただけでも来た価値があったよ。だってこの「福井神社の栞」に出てる境内見取り図に「二の大鳥居」って書いてあるのを見るまで、鳥居なのかそうじゃないのか判んなかったもん。貫(下の横棒)は何処よ貫は。

 その後、近くの佐佳枝廼社(さかえのやしろ)へ。ここは越前東照宮。社務所で猫を飼われていて、ここの主の如く大きな顔で寝ていました。

福井神社佐佳枝廼社の飼い猫
福井神社の大鳥居から社殿、佐佳枝廼社の飼い猫。

 福井市を後にし、国道8号を南西へ。敦賀市へ向かいます。
 敦賀となるともう越前と若狭の境に近いですが、ここに越前国一宮が鎮座しています。旧官幣大社・氣比神宮が目指す一宮。大きく真っ赤な鳥居の横にある社号標にも、誇らしげに「官幣大社氣比神宮」と大書されてました。
 駐車スペースが裏側だったのでそちらに周り、裏から境内に入ったんですが、その格の割には小さい神社だと感じました。敦賀の市街地にあるから仕方ないのかな。
 裏から入っても、この程度の広さなら1回正面から入り直して参拝するようにしています。何となく神社は出来るだけ正面から入りたいんです。
 最初に見た大きな鳥居の横に、境内社の猿田彦神社が鎮座していました。猿田彦だけに狛犬が猿。その先には「氣比の長命水」という水が湧き出ていました。それも、甲羅に苔が生えた縁起良さげな亀の石像から。参拝後、ほんの少しだけ飲ませて頂きました(生水いっぱい飲むとお腹壊すので)。無味無臭。

 ここで時間は16時。盛りだくさんの割に順調に来ています。もう1ヶ所、このすぐ近くに見たいところが。

 氣比神宮から数百mの所に、安倍晴明がここで天文の研究をしたとか伝わる所があります。元々は稲荷神社だったんですが、明治に晴明神社と改称されたとか。大きい神社では全くなく、奉仕する人も参拝客も誰もいないだろう、ちょっと行って参拝して写真撮れればそれでいいや、と思ってたんですが、辿り着いてあらまあびっくり。
 参拝してる人がいるよ。幟も看板(社号標とか由緒書とかじゃなく文字通り「看板」)も立ってるよ。そして拝殿前にはまたしても茅の輪が!!(イヤー)
 鳥居をくぐり茅の輪の前まで来ると、社殿の中からおじいさんが「どうぞどうぞ中でお参り下さい」と声をかけて下さいました。普段神社の管理をされてる方でしょうか。夏越直前の日曜だから人が居るのか、それとも晴明様人気で人が来るから休みの日はいつもいるのか。でもラッキー。社殿に上がらせて頂き、参拝しました。
 この神社には「晴明の祈念石」と呼ばれる霊石があります。何処にって社殿の下。これを拝むには、中に入るほかないんです。だから上がれてラッキー。
 社殿内では御守なども置いていました。御守は八角形の開運厄除守(500円)しかないんですが、御朱印帳(大体葉書くらいのサイズです)より一回り以上小さい紙に例の五芒星(所謂「晴明桔梗」)と「晴明神社」の朱印が押されたものが御志納で配られていました。三宝の上に何枚も重ねられていたその紙を手に取ると、おじいさんが「何枚でもどうぞ」と。太っ腹ー! こんなのが置いてあるなら御朱印も頂けるかも、と訊いてみたら、おじいさんが書いて下さいました。
 外から参拝することしか出来ないだろうと思っていた小さい神社に人がいると、予想外だけにかなり嬉しいです。
 でも、社殿の出入り口横に置かれていた「陰陽師 安倍晴明に出会う旅 福井敦賀」とかいうパンフとか、神社前の看板とか、社殿内の芸能人のサインとか見ると、なんだかなぁ、と思ってしまうのも事実です。晴明人気衰えず。すごい。
 あ、サインに荒俣宏とか京極夏彦とかはなかったです。あったのは大和田伸也(敦賀の出身らしい)とかハイヒールモモコ(何故?)。

氣比神宮晴明の祈念石晴明神社
左から氣比神宮、晴明の祈念石、晴明神社。

 盛りだくさんの一日を終え、車中の飲み物なんかをお買い物して、北陸道経由で広島への帰路につきました。一体今日何回茅の輪をくぐったことか(^^;)

 ・・・長いなこの日記!


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・過去の「今日」。


2005年06月25日(土)
  北陸巡り <画像あり>

 朝、金沢を発ち、まず目指すはお隣富山県。南砺市(旧井波町)の越中一宮高瀬神社へ行きます。
 今日は高岡から羽咋へ抜け、能登半島を更に北上して總持寺祖院に行ってから福井に向かう予定でいるんですが、ここ高瀬神社は若干金沢-高岡間のルートから外れるので、行こうかどうしようか迷ってました。でものりさんが訪れた際の写真を見ていいなぁと思い、参拝を決めた次第。

 峠を越えて砺波平野に入ると、田植えを終えたばかりの田圃が広がり、空が広い。お天気だけどガスがかかっていて空はちょっと白め。でも広ーい空は気持ちいい。
 その広ーい空の下に、高瀬神社は鎮座しています。
 拝殿より後方、本殿の周りには「鎮守の杜」があるけれど、拝殿前や神社の周りはとても明るい感じ。深山幽谷にある神社も好きだけれど、平野に広がる田畑の真ん中にある神社も、明るさが清々しくていいなぁと思います。

 高瀬神社から砺波平野を北上して、高岡市へ。古城公園内の射水神社に参拝します。
 まだ10時過ぎ。でもとても暑い。そんな中、拝殿内では古式ゆかしく結婚式が行われていました。神楽奏上や巫女による浦安の舞の奉納。拝殿内は風が通るからそれほど暑くないのかもしれないけど、それでも振袖の参列者や白無垢の花嫁さんは暑いだろうなぁと思いながら見てました。

 さてこの射水神社。「延喜式」神名帳では越中国唯一の名神大社として掲載されている格の高い神社ですが、現社地に移転してきたのは、当然高岡城の廃城後のこと。元々の鎮座地・二上山麓には現在、二上射水神社が鎮座しています。なのでこちらにも参拝。

高瀬神社射水神社・浦安の舞二上射水神社
左から高瀬神社、射水神社・浦安の舞、二上射水神社。

 続いて同じ高岡市内の気多神社へ。この神社も(一説には射水神社も)越中国一宮を称しています。最初に行った高瀬神社も一宮。これは越中の国府が移転したことに関係しているようです。つまり、井波にも高岡にも一宮があったってこと。
 気多神社は、この後行く羽咋の気多大社の分社。境内には越中国総社跡伝承地もあります。昔、この辺が越中の中心地だったのは間違いないのです。

 それから能登半島の付け根を横切り、再度石川県に入って羽咋の気多大社へ。ここは、もし公共交通機関で来ようと思ったらかなり不便な所です。
 神社向かいの広場(大駐車場なのかも)には大きなテントが設営されていて、これから何かのイベント(だか会議だか)が行われる模様。神社横の駐車場に車を止め、正面に回って鳥居をくぐります。
 さてこの気多大社。こちらの公式サイトを御覧下さい。万葉集にも出て来る歴史ある(辺鄙な所にある)神社が、何を思ったのか若い女の子向けに猛アピールです。その甲斐あってか参拝客も年配の方より若い女の子のグループやカップルの方が多め。鳥居から続く参道の先にある神門には案内役の神職が控えており、「あちらからお参り下さい」と指示された先の建物内には、気多大社が掲載された女性誌(勿論若い子向け)のオンパレードに、恋愛成就なんかを謳った社、それに御守。何だかなーと思いつつその建物をあとにし、拝殿へ。いつも通り普通に参拝し、境内の奥へ。
 気多大社本殿の後方には、広大な常緑広葉樹の自然林が広がっています。その広さたるや約3.3ha。この中に奥宮があるのですが、ここは「入らずの森」(いらずのもり)で一般人の立ち入りは許されていません。遙拝所から木々を眺めるのみ。
 遙拝所近くの授与所には、お正月の巫女「幸娘」募集に関する女性誌の記事が貼られています。6月にそんなもの見せられても。しかも、その雑誌のモデルらしき女の子が幸娘の衣装を着る過程をレポしてたりして、金かかってそうです(笑)。辺鄙過ぎる上に冬の海岸で禊ぎもしなきゃいけないらしいので、人集まらなかったのかなぁ。
 ・・・何か商売っ気が見え隠れする神社です。もっと自然な感じが見たかったなぁ。ちょっと残念。

気多神社本殿気多大社気多大社奥宮遙拝所
左から高岡の気多神社本殿、羽咋の気多大社、気多大社奥宮遙拝所。

 ここから能登半島を門前町の總持寺祖院に向けて北上。途中、道の駅赤神で休憩しました。ここら辺の岩が赤いから「赤」神なのかな。
 道の駅の向かいは日本海。流石、瀬戸内海と違って綺麗です。底が遠浅の砂地みたいで、ちょっと南国チックな海の色をしてました。
 その少し先の蕎麦屋でざる蕎麦を食し、海を離れて總持寺祖院へ。

 現在横浜・鶴見にある曹洞宗第二の寺格を誇る總持寺。その祖院が能登にあります。明治31年春に七堂伽藍の大半が焼け落ち、それを機に布教伝道の中心を鶴見に移し、能登にも堂宇を再建して今日に至る訳です。つまり、祖院とはいえ、建物の古さは鶴見の總持寺と変わらないってことか。
 鶴見の總持寺には昨年訪れてますが、印象がよく似ています。造りが似ているのは、伽藍配置にもある程度決まりがあるからだと思うんですが、それを「似てる」と思うのは、伽藍配置だけじゃなく、植栽とか雰囲気も近いからなんだろうなぁ。
 香積台では僧侶がご婦人方に御詠歌の講義をされてるようでした。香積台は総受付、台所、浴室、東司を付属する總持寺の中枢部で、御朱印もここで頂きました。柱には大きなすりこぎとしゃもじ。それぞれ「己が身をすりへらしてぞ人のため 世のためつくす御佛の慈悲」「己が身は水をも火をもいといなく すくい上ぐるぞ御佛の慈悲」という歌が書かれた紙が貼ってありました。こう考えるとすりこぎとしゃもじって偉い。すりこぎは使わないけど、毎日熱いごはんの中に突っ込んでごめんよしゃもじ。

 總持寺祖院を後にしカーナビをセットすると、東尋坊に着くのは6時くらいになりそう。ならば、と寄り道をして金沢に戻り、市街の大野湊神社へ。社殿向かって右手にあった神馬舎の中には作り物の馬像。台座に載っていて「ころ」が付いてるんですが、引き回すことがあるのかなぁ。
 大野「湊」という割に内陸にあるな、と思っていたんですが、社務所内に飾られていた航空写真を見るとそうでもなさそう。

能登の海總持寺祖院・僧堂大野湊神社の神馬
左から道の駅・赤神前から能登の海、總持寺祖院・僧堂、大野湊神社の神馬。

 東尋坊に着いたのは、案の定6時。日本海に夕陽が沈む東尋坊を散策です。土曜日だけれど東尋坊タワーも土産物屋も全く開いてなくて、黄昏時という時間も相俟ってちょっと寂しい感じ(しかも案内所みたいな所には「生きる喜び」みたいな掲示物とかある)。でも東尋坊の崖の上には結構人がいます。柵なんかない高ーい岩場の上に座り込んで語り合うカップルや家族連れ。私たちも岩場に下り、崖から下を覗き込んでみます。高ぁ。これは飛び降りたら水面に到達する前に崖にぶつかって死ぬんじゃなかろーか。つーか自殺する人は一体何時頃ここに来るんでしょう? 人がいない時じゃないと、飛び降りようにも飛び降りれないよね。
 しばらく辺りを散策しましたが、三脚にカメラを構えて太陽高度がいい塩梅になるのを待つ人や、散歩をする人で結構賑わってます。でも土産物屋が全部閉まってるってことは、ここも斜陽なんでしょうか。景勝地なのに。

 今日の宿泊は芦原温泉。東尋坊から車で10分弱。東尋坊周辺の三国神社や瀧谷寺は、明日の朝イチで参拝することとしましょう。




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・過去の「今日」。


2005年06月24日(金)
  10年来の友と過ごす金沢の初夏 <画像あり>

 昨夜金沢に着いたのは9時頃。ホテルのすぐ傍にある尾山神社の夜間ライトアップだけ見て、寝ました。
 そして今日は富山に住んでる友達と金沢観光です。

 友達は9:22に金沢駅に着く電車で来るということだったので、それに合わせて夫(駅近くで10時から学会)に駅まで送ってもらいました。その前に尾山神社で御朱印を頂き、幼少時の泉鏡花が境内で遊んだという久保市乙剣宮に参拝。

 金沢に来るのは8年ぶり。その時は飛行機で来たんですが、空港行きのバスに駅前から乗った記憶があります。でも到着した金沢駅前は・・・何じゃこりゃ∑( ̄□ ̄;) 駅前に得体の知れないドーム状のものが。説明板によると、今年の春に出来た「もてなしドーム」というものらしく、「雨や雪の多い金沢を訪れた人々に、そっと傘を差し出す金沢人のやさしさ、もてなしの心を表現するもの」だそうで。

 駅構内(コンコース)は、まだ朝早い所為か人もそれほど多くなく、何だか広々としすぎ。友達と無事出会い、金沢21世紀美術館を目指してバスに乗りました。
 石浦神社前のバス停で下り、ついでに石浦神社にも参拝(ホントに目の前だったので)。石浦神社は金沢最古の神社だそうです。
 そんな寄り道を経て美術館へ。見事な円形の建物で、何処から入ったらいいものやら(入口が複数あるようです)。館内には無料で入れるスペースもあるらしいので、取り敢えず案内図を見て総合受付のある入口へ。入館料を払って中へ入ります。が、衝撃の事実が。7月1日まで展示入替のため一部入れない。がーんがーん。何か殆ど見れなくない?
 受付で「此処を左に行って右が入口です」と言われ、左に建物の壁に沿って進んでいたら、1周しそうなイキオイ。あっさり行き過ぎました。途中にはガラス張りの図書室(レファレンスルーム?)とか託児所もありました。かなりの入館者数を誇って話題になっている美術館らしく、視察に来ている団体と遭遇したり。とにかく来た道を戻って、無事有料部分(コレクション展示「アナザー・ストーリー」)に入れました。
 最初の展示が「世界の起源」という作品名の、大きな黒い楕円。展示室入って左手の壁面が傾斜していて、そこにその楕円があります。しゃがんで見ると真円に近付き、展示室の端から見るとより細長い楕円になる。が、実はその楕円は描かれたものではなく、穴が空いているんだとか。そして色は深い青で黒ではないんだとか。確かに、穴に奥行きを感じるし、色も何となく青みを帯びているような気もします。でも何が錯覚で何が錯覚でないのかを認識するのは困難です。
 でも一番見たかった作品「スイミング・プール」は、地上部分から見ることしか出来ず、地下部分には入れませんでした。残念無念。これだけの為に金沢を再訪するのも癪だなぁ。


尾山神社(拝殿から神門)ともてなしドーム

 美術館を出る頃にはお昼も近付いていたので、香林坊まで歩き、お昼ご飯。それから、歩いて犀川を渡り、妙立寺へ向かいました。
 妙立寺。通称の「忍者寺」の方が通りがいいでしょう。忍者屋敷のようなお寺なので、こう呼ばれます。
 拝観予約をしていなかったので到着してから予約し、20分ほど待って本堂へ。13時半、係のお姉さんがやってきて説明スタートです。
 お姉さんに案内されつつ回る建物内。あちこちの扉が開き、床板が外れ、階段がある。2階建ての外観に4階7層の内部。一人で歩いたら絶対迷子になります。それをお姉さんは立て板に水で解説しながら、私たち参拝客を誘導していきます。ここまで出来るようになるのに、どれだけ訓練がいるんだろう?
 このような構造になっているのは、この寺が金沢城の「出城」としての機能を持っていたから。でも実際に戦火に遭うことはなかったそうです。
 ちなみに拝観料は800円。普通よりお高いですが、値段分は楽しめます。

 それから歩いて金澤神社に参拝。拝殿前では氏子の方?が夏越の茅の輪を作ってました。

 さて、北陸は未だ梅雨入りしていません。今日も良い天気です。若干風があるので日影に入るとそれなりに涼しいですが、歩いているとやっぱり暑い。それに、金沢と言えば和風甘味でしょう。
 兼六園からほど近い所にある塗り物屋さんの4階にある甘味屋で、友達は抹茶クリームぜんざい、私はバニラクリームぜんざいを食べました。窓の外には近代文学館(旧四高)と周辺の緑。2時間ほどお喋りして過ごしました。
 ちなみに、確かここの若旦那は私たちと同じ大学の出身だったハズ(8年前にも来た覚えが)。

 友達は17時半前の電車で富山に帰りました。約14ヶ月ぶりの再会。
「実際、28になっても変わらないよね」
 学生時代、社会人入学してきた9歳上の後輩に驚いた当時を思い出し、今の自分たちを思う。いやホント、若い頃に考えていたほど、年取っても変わらないんですよね。若い人から見るとババァなんでしょうけど。
 いや、こういうことを考えるようになったってことが、年を取ったっていうことなのかな。そうだよね。自分たちは変わってなくても、時は流れて、時代は変化しているんだから。年を取るって、時代に取り残されるってことなんだろーか。

 そんなことを考えた、10年来の友と過ごす金沢の初夏でした。


忍者寺外観、ホテル10階から見た尾山神社。



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・過去の「今日」。

2004年06月24日(木) DOUBLE-DECADE TOUR FINAL <画像あり>
2003年06月24日(火) 命の所有権

2005年06月23日(木)
  北陸行ってきます

 今日午後から日曜まで旅に出ます。北陸です。
 基本的にネット落ちしますが、時折ブログ「神籠」の方でモブログ投稿しようかと思っています。

 しかし、6月も末だというのに雨降りません。北陸は遂に梅雨入りすらしませんでした。いくら自分が晴れ女だとて、これは予想しなかった事態です。折りたたみの雨傘より日傘を用意しなきゃいけなかったんだろーか(--

 では、皆様もよい週末を。

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 沖縄は60年目の慰霊の日です。
 太平洋戦争終結から60年の今年、各地で、その土地その土地の「60年」を迎えています。来月1日は呉の空襲から丁度60年。そして広島では、8月7日の「被爆60年」の話題が年頭から出ていました。
 でも所詮広島人ではない私にとっては、今年は「戦後60年」。両親とも戦後生まれで、父方・母方の祖父共に戦争に行っていない私には、地域単位の目ではなく大きな視点でしか戦争を見ることが出来ません。
 ただただ、慰霊と共に平和を祈るのみです。あの時代の戦争も惨いけど、今のゲーム感覚で出来そうな戦争も惨い。


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・過去の「今日」。

2004年06月23日(水) またしても東京です
2003年06月23日(月) うまたせ! <画像あり>

2005年06月21日(火)
  100万人のキャンドルナイト <画像あり>

 今日は夏至です。北海道じゃ午前3時台に日が昇るらしいですね。スゲー。縦に長く横にも結構ある日本、各地で日出没の時間がかなり違うのは、初めて沖縄に行った時に実感しました。高校の修学旅行だったんですけど、「まだ暗い」ことを理由に寝過ごした思ひ出(おほほ)。

 閑話休題。

 毎年、夏至と冬至の頃に「100万人のキャンドルナイト」というイベントが開催されているのは、2003年夏至の初回当時から知っていました。「でんきを消して、スローな夜を」をキャッチフレーズに、全国各地で色々な「明かり」が消えてしまいます。東京タワー消灯の様子は、テレビでも放映されていましたね。

 さて。
 自宅で気楽に出来るイベントには参加してみたいと思うタチではあります。ホシミスト(星見する人)でもありますから、夜間の無駄な明かりは消してほしいと切に願う方でもあります。
 ならば今日、20時から22時の2時間くらい、電気を使わない生活してみたっていいんじゃない?

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 夫が帰宅するのがいつも20時過ぎで、食事はそれからです。帰宅していきなり真っ暗って嫌かな。しかもキャンドルライトでご飯って嫌かな(しかも今夜は和食)。
 電気を使わず、ふたりで出来ること。テレビも見られない、CDも聴けない、読書も出来なくはないけどキャンドルライトですることもあるまい、と思う。しりとり? うーん・・・・・・・・・・・・。

 昼 寝 d(ゝ∀・)ネ♪

 ダメだ、我が家は絶対コレになるorz

 現在19時半。果たして我が家のキャンドルナイトや如何に!?

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 22:15追記。
 結局、キャンドル2本の明かりの中、夕飯を食し、アルコールを摂取し、テレビやネットから隔絶した空間での語らいを楽しみました。
 1本は普通の白い蝋燭(停電時用に買ってある)、もう1本、というよりひとつは、結婚した時に友達に貰ったバスセットの中に入っていたフローティングキャンドル。時々、ステンドグラス風の模様の入った小さいグラスに浮かべて灯してます。ありがとう、ごん。


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・過去の「今日」。


2005年06月20日(月)
  試行錯誤

 本日、どうやら4万ヒットを達成したようです。4年弱で4万ヒット。どちらかといえば亀ペースでの達成だと思うんですが、あちこち検索避けしている割には頑張った方かなぁと自分では思っています。いらして下さった皆様に多謝多謝m(vv)m

 前回のリニューアルが2月の頭でした。それからまだ5ヶ月も経っていないんですが、早くもサイトのあり方を考えております。
 具体的に言えば、ひとつは御朱印帳のページ。もう少し神社・寺院そのものについて記す部分があってもいいなぁとずっと思っていたんですが、御朱印と同じページにそれを記すのは、現在のレイアウト的には無理があります。ならば別にページを作ろうかなぁと思っていたんですが、実験的にブログを用意して、そっちに書いてみようかと。
 取り敢えず、ブログをふたつレンタルしてきました。ひとつは参詣記用、もうひとつは未定です。未定、というか、何かの役に立つかも、と取り敢えずレンタルしてきたと言った方が正しいかも。

 取り敢えずの参詣記用ブログはコチラ。まだまだ試行錯誤・仮運営中です。
 「神籠-ヒモロギ-」 http://himorogi.jugem.jp/

 もうひとつは珍姓大辞典。先頃、個人情報保護法が施行されたワケですが、当サイトは様々な観点からこの法律に抵触することはないと考えています。まず、当サイトは個人で運営しているものであり、「個人情報取扱事業者=個人情報データベース等を事業の用に供している者」(同法第二条3)には当たりません。そしてこの法律で定める「個人情報」が「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう」(同法第二条)と規定されているので、姓とその電話帳による所在地しか扱っていない当サイトでは、同法上の「個人情報」は扱っていないといえると思います。
 ただ、です。
 珍しい姓に自分自身が興味があり、ネットデビューする遥か以前からちびちびと収集していたものを、より効率的に集め、自分もデータを閲覧しやすく、且つ誰かの役に立つなら、と公開したものに対し、「個人情報保護法が云々」とか言われたり考えたりするのは、誤解を恐れずはっきり言えば「面倒臭い」のです。
 だから、掲載データが5,000件を超える前に、このページについては閉鎖しようと思っています。5,000という数字には意味があります。個人情報保護法に於いて、「事業の用に供する個人データによって識別される人数が5,000以下の者」は「小規模事業者」と規定され、この法の適用を受けません。抑も事業者ではない「琴星商事」で、「姓」自体「個人情報」とは思いませんが、「もうすぐ5,000」は良い節目だと思うのです。

 サイトの構成、ブログの用途をちゃんと考えて、夏中には今後を見極めたいと思っています。

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 アニメ「ブラックジャック」の主題歌がいつの間にかglobeになっててビビッた今夜7時。


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・過去の「今日」。

2004年06月20日(日) 広島市内観光? <画像あり>

2005年06月19日(日)
  旅の計画

 木曜午後から北陸へ行ってきます。来月上旬には関西です。これは決定事項。

 24日には富山在住の友達と金沢で会います。金沢は8年ぶり2度目。正直、もう二度と行くことはないだろうと思っていたんですが、また行くことになってしまいました。
 金沢の観光地はほぼ見尽くした感があるので、友達とも高岡か富山で会おうと思っていたんですが、金沢21世紀美術館(前回の時はまだなかった)には行ってみたかったので、金沢まで出て来てもらうことになってしまいました。金沢でのその他の予定は未定です。取り敢えず、尾山神社と金澤神社には参拝するつもりでいますが。忍者寺はどうしようかな。
 金沢の次は芦原温泉で1泊。途中、越中一宮(気多神社・高瀬神社・射水神社)や能登一宮(気多大社)、總持寺祖院なんかにも参拝して、福井では東尋坊ついでに成田山別院や三國神社、時間があれば瀧谷寺なんかも参拝して、福井市内の足羽神社と何はともあれ永平寺に。越前一宮の気比神宮に詣でてから広島に戻る所存。かなり欲張っているので、果たしてどれだけスケジュールをこなせるか。金沢の甘味(白玉クリームあんみつとかいいな)・越前蕎麦・永平寺の御利益だんごも外せません。海鮮以外で美味しい情報あったら是非。

 関西では3日間一人で時間を潰さないとなりません。土曜日には車で奈良に行こうと思ってますが、あとは全く未定。京都なら知恩院や平安神宮周辺、ひっさびさに嵐山方面なんかも考えてます。大阪なら坐摩神社とか、七夕の機物神社と星田妙見宮とか(笑)。奈良は、桜井市内(大神神社・大和神社・談山神社・安倍文殊院など)と御所の高鴨神社・葛城一言主神社あたりは行きたいなぁと思っています。あと奈良市内でいくつか。奈良は本当に久しぶりなので、東大寺や興福寺もまた行きたいし、何より春日大社には未だ詣でてない(^^;) 生駒方面にも行きたいところはいっぱいあるけど、今回は厳しいかなぁ。

 梅雨の候、何より問題なのは天気です。北陸は、週間予報では大丈夫そうだけど、関西は果たしてどうなることやら。大雨だったら海遊館とか行っちゃおうかなぁ・・・一人でw

 夏休みは高知が最有力。でもまだ未定です。高知なら鯨を見に行きたい。

 旅は、こうしてあれこれと計画を立てている段階が、実は一番楽しいような気もします。勿論、ずっと見たいと憧れていたものや、思いがけない事象に出会った時なども心が動きますが。

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 先週に引き続き、昨日も皮膚科に行ってきたんですが、行くたびに注射を打たれます。針を刺した辺りの血管が青くなってますよ。左腕の方が刺さりやすいからって、2週続けて同じ方の腕を出すべきじゃなかったんだろーか。次は右にしてみよう。今週末は北陸だから、1週空くけど。


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・過去の「今日」。

2003年06月19日(木) 其処に居た。

2005年06月17日(金)
  父の日

 今度の日曜は父の日です。
 うちの父は酒飲みなので、朝イチで隣町の酒蔵に行き、今年金賞を取ったというお酒を直送してもらう手配をしてきました。

 広島に来るまで知らなかったんですが、広島って酒所みたいです。私の中で酒所と言えば、新潟と灘。でも呉の北に位置する東広島市の西条という地区に、結構な数の酒蔵があります。そして呉市内にも西条ほどじゃないけどいくつか酒蔵が。

 酒蔵で宅急便の伝票を書いて支払いを待っている時、お巡りさんが配送の手配をしにやって来ました。勿論制服。てことは職務中よね。
 支払い終えて外に出ると、酒蔵の隣の駐車場に小型のパトカーが止まってました。パトカーで酒蔵に乗り付けることが許される町。いいのかそれで。
 隣町は、私が住んでいる地区より電車の便が悪い所為か開けていなくて、のんびりしている感じです。今日行った酒蔵もとても古い建物(お巡りさん曰く100年以上)で、周辺にも古い感じの家が多くありました。うちの方はああいうのは余り残ってません。

 西条では土日も複数の酒蔵を開けて、「酒の街・西条」を観光に活かそうとしているようです。そのうち飲み比べに行ってみたいなぁと思っています。
 日本酒が美味しく飲めるようになると、人生もっと楽しいんじゃないだろうか、と最近思うのです。辛いお酒は苦手なので、フルーティな甘口しかいけませんが。

 あ、腰痛は回復しました。いきなり無理して再発すると嫌なので、来週くらいからのんびり運動再開しようと思っています。


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・過去の「今日」。

2004年06月17日(木) 続・数学の話
2003年06月17日(火) 相変わらず・・・。
2002年06月17日(月) We are in OKINAWA!! (←ANAのCF) <画像あり>

2005年06月15日(水)
  

 ここ数日、腰痛に見舞われております。

 もともと第五腰椎の形がおかしいという致命的欠陥を抱えているんですが、今回は骨から来る痛みではなく、軽く捻ったモヨウ。
 原因は、そうですね、腹筋・背筋ですね(情けない)。

 つーワケで運動はお休みしています。それどころか立っているのが辛いので、寝てるか座ってテレビ見てるかPCしてるかくらいしかしてません。体重に変化はないですが、体脂肪率は鰻登り、基礎代謝は急降下。

 どうにかせねば。腰ってホントカラダの要よね。


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・過去の「今日」。

2004年06月15日(火) 梅雨真っ只中ですが

2005年06月13日(月)
  さよなら <画像あり>

1998年 シルクロードS >>Carrot Lunch Photo Service

 さよならはいつも突然訪れる。

 丁度6年前の今日、1999年6月13日・安田記念。それが彼女の日本ラストランだった。その24日後、7月7日・七夕。彼女はファンに何の挨拶もすることなく、生まれ故郷のアメリカへ帰った。

 6年目の七夕を待たずして、繋養先のケンタッキー州レーンズエンドファームで10日、彼女が急死したという報が入った。現在11歳。寿命と言うにはまだ早すぎる。

 天国で、息子の走りを見ていてね。


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・過去の「今日」。

2004年06月13日(日) 温度差

2005年06月11日(土)
  入梅 <画像あり>

山を飲む雲 関東地方に遅れること1日、中国地方(山口を除く)も本日午前、梅雨入りしたようです。
 暦の上でも入梅の今日、未明から降り続いた雨は昼過ぎに上がり、明日は梅雨入り早々晴れ予報。来週は曇りや雨の日が多いようです。これから大体4、50日ほど第5の季節を楽しみましょう。
 雨の中出掛けるのは嫌いですが、雨の音は好きです。
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 広島に戻ってから、夏に向けてカラダ改善に勤しんでおります。
 取り敢えず腹筋・背筋・スクワットを1日に各60~80回くらい(まだ軟弱)。お風呂上がりにはストレッチ。食事も、旬の野菜を意識して多く摂れるように。今は冷蔵庫にトマトが12個(2パック)とゴーヤーが2本入ってます。今からゴーヤー1本使って甘酢漬け作って、常備菜にしようかと。残り1本は明日か明後日にチャンプルー。

 話はそれますが、ゴーヤーで検索をかけると「ゴーヤ」が大量に引っかかります。沖縄では「ゴーヤー」と語尾ものばすと思うんですが、「ゴーヤ」の表記の何と多いことよ! ちょっとびっくりしました。みなさ~ん、正しくは「ゴーヤー」ですよ~。

 つーワケでこれから甘酢漬け作りしてきます。食べ頃は2、3日後。


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・過去の「今日」。

2004年06月11日(金) 更に子供の名前(つか人名)について考えてみます

2005年06月08日(水)
  光の軌跡 <画像あり>

 夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
――「枕草子」
 市内、それも町内で蛍が乱舞していると聞いた。夕飯後、デジカメと三脚を持って、自転車で蛍が舞うという橋へ。

 生まれ育った東京でも、昔、ほたる祭りなんていうのをやっていて、小さい頃、母に連れられて見に行った。そこで売っていた籠入りの蛍も買って、しばらく家で飼っていたこともある。でも、野生の蛍が乱舞しているなんていう光景は、流石に見たことがない。

 15分ほど自転車を漕いで辿り着いた橋の下。河原や中州に光が舞っていた。
 少し緑味を帯びた光が、約2秒間隔で瞬く(ちなみに、源氏蛍は西日本では約2秒毎、東日本では4秒以上の間隔で発光するらしい)。

 蛍が盛んに発光するのは、7時半から9時にかけて。時間は既に9時を少し回っている。急いで写真撮らないと、光が減ってしまう。
 慌てて三脚をセットし、カメラの向きを整え、ふと顔を上げた瞬間。

 ――あ、蛍ってこんな上にも飛ぶんだ。

 と思ったが、経験が瞬時に「違う」と判断した。

 ――流れ星だ!!

 蛍の放つ光の色じゃない。白い光が、すぅっ、と空を流れた。北斗七星の下、火球とまではいかないけど、かなり明るい流星。

中州飛んでった蛍これも中州
IXY DIGITAL 40で撮影(マニュアルモード Tv:10 Av:2.8 ISO:400)

 月もなく、雨も降らなかったけれど、星の流れた夜。清少納言が見た夜は、月があってももっと暗かっただろう。でも蛍は、同じように瞬いたかな。


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・過去の「今日」。


2005年06月06日(月)
  落下!

 東京から広島に向かって高速走行中(私は助手席専門)。静岡の裾野ICの少し手前で、前方の空に軍用ヘリが飛んでいるのが見えた。日本には「軍」は存在しないことになっているから「軍用」ヘリという言い方はおかしいのかな。とにかく、自衛隊の輸送ヘリがゆっくりと飛んでいた。
 最初は右手から左手へ。それからゆっくりと旋回してまた右手へ。何となくフラフラと不審な動きで、「落ちるんじゃないか?」とじーっと見ていた(それでなくても飛行機やヘリが飛んでいると目で追ってしまうのだけど)。

 ヘリはそのまま高速道路の右手(即ち北側)にゆっくりと飛んでいった。

 ぱらっ。

 ――落ちた!

 ヘリから細長い何かが落ちた。うわあ遂に壊れた!
 ・・・と思ったら。更に続いてぱらっ。そして先に落ちた何かが、ぱっと開いた。

 落下傘!!

 パラシュート部隊だ。パラシュート部隊が降下訓練してる!

 パラシュートを着けた人が次々と規則正しくヘリから飛び出す。斜めに一列に並んで、順々にパラシュートが開いていく。

 徐々に後方へと遠離っていくヘリとパラシュートの群れ。すごいすごい。

 初めて見た光景に、かなり興奮した道中でした。


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・過去の「今日」。

2004年06月06日(日) 雨の安田記念 <画像あり>
2002年06月06日(木) 豪気に忘れ物

2005年06月05日(日)
  安田記念(今年は晴れ) <画像あり>

 ある種、今回の帰京のメインイベント・安田記念 at 東京競馬場。午後の降水確率は50%とか60%とかで雷までなるかも、なんつー予報の中、一応雨支度して傘も持っていざ府中!(何しろ去年はホントに雨だった)

 勝浦クンとテレグノシスの応援幕の裏で安田記念のパドックを待ってました。出てきたテレグノシスは今日はとても落ち着いて見えたんだけど、レースは結局6着。それより大差で18着に終わったダンスインザムードが心配です。
 レースは、ウィナーズサークルの最前で見ました。一応、藤田×アサクサデンエンのウィニングランも撮りました。

 結局、天気は一日中保って、日差しがとても暑かったです。日焼け止めは当然塗っていきましたが、パドックではそれも無意味。日焼けしました。年甲斐もなく。帰り、駅ビルに入ってる雑貨屋で、ドクターシーラボの美白ゲルのテスターを塗って帰ったのはヒミツです。


真ん中はパドックにてテレグノシス号(勝浦クン騎乗)。
右はホースプレビューより検量室前でインタビュー受けてる勝浦クン(最終レース後)。
当然ガラス越しだからかなり反射してますが(^^;)

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 明日、広島に戻ります。次の帰京は今んとこ未定。一眼レフ写真は、広島で現像に出します(上のは全部デジカメ写真)。


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・過去の「今日」。

2003年06月05日(木) 人生の栄養ドリンク

2005年06月03日(金)
  友に会いに行く×2 <画像あり>

 春に新居に引っ越した友達の家に遊びに越谷まで行ってきました。うち(実家)から電車を乗り継ぎ約1時間半。この辺は初めて来ました。
 駅前で友達と落ち合い、ドトールでお昼を食べて、ちょっくら近くの久伊豆神社まで。
 久伊豆神社は荒川流域にいくつか分社がある神社で、本家(?)の久伊豆神社はここじゃない筈なんだけど、今いちばん大きい久伊豆神社は多分ここ越谷の久伊豆神社。樹齢200年超の藤の木(もう花は終わってるけど)とか参道の松並木とか、木々が鬱蒼としてました。
 目を引いたのは社殿横(つか中?)にある狛犬。「足止めの狛犬」と言って、家出をしたり悪所通いをする者に対して、家族の者が狛犬の足を結ぶと、必ず帰ってくると言われているんだそうで、前足が苧殻?でぐるぐる巻きにされてました。勿論、左右にいる狛犬どっちとも。うーん、ちょっと狛犬が可哀想。

 新居にお邪魔して、しばらくしてもう一人の友達も合流してから、甘い物いっぱい食べました(笑)。部屋でまったりとテレビ見ながら、色々お喋り。


 その後、神保町で別の友達と待ち合わせ。蕎麦を食べてきました。日本酒を飲みつつ、刺身湯葉と米茄子の田楽とお通しのピーナッツ味噌をつまみつつ蕎麦を待ちながら、最近は面白い本がないとか、そんな話を。
 蕎麦はつゆが濃口と淡口が選べるんですが、勿論濃口で。神田で蕎麦食うのに濃口じゃないなんて有り得るかってんだ(江戸っ子)。私はざる蕎麦を、友達は二色蕎麦(ざると変わり蕎麦)を頼みました。今日の変わり蕎麦は何とペパーミント。1本貰いましたが、すごい爽やかな蕎麦(笑)。いや、これは確かに「変わり」蕎麦だわ。
 食べ終わってお茶を飲んでいると、すぐ横のガラスの向こうで御主人と思しき男性が蕎麦を打ち始めました。面白いようにのびていくもんですね。すごいなぁ。
 お蕎麦は、個人的にはもっと「蕎麦」の味がしていいなぁ(結構白い蕎麦だった)。田舎蕎麦のが合ってるのかも(笑)。
 そのあと、あんまりお店が開いてないのでカラオケ館で1曲も歌わずに1時間お喋り。カラオケ店に入って1曲も歌わなかったのは、恐らく初めてじゃないだろーか。「カラオケ館でもいいんじゃん?」って提案したのは私だけど(^^;)

 次に私が帰京した時にでも山梨方面の神社を巡ろうと約束して別れました。うふ、楽しみにしてますv いつ帰って来ようかな。

 友達と過ごす時間は、ホント、あっという間に過ぎちゃうんだよなぁ。今回の帰京も、残すところ実質2日です。明後日は競馬。


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・過去の「今日」。

2004年06月03日(木) 日光へ <画像あり>
2003年06月03日(火) 指摘

2005年06月01日(水)
  街歩き

 東京を離れると、街歩きする機会は殆どない。ましてや一人でなんて本当にない。特に目的もなく電車に乗って出掛けるなんて、電車賃考えたらなかなか出来やしないんだもの。

 午後から新宿へ出た。空は薄曇りで、思ったほど暑くもない。6月。今日から衣替え、そしてもうすぐ梅雨入り。

 目的は特になかった。MY CITYを下から上までぶらついて、キャミソールを2枚購入。それからコムサを覗いて、紀伊國屋書店本店へ。広島にも大きい本屋が無いワケじゃないけど、専門書・学術書の品揃えはどうしても劣る。1階の新刊コーナーをざっと見てから、5階の人文科学・文芸評論書売り場へ。歴史書のコーナーでちょっと立ち読みをし、民俗学・日本文化論・民俗信仰のコーナーで品定めして、リファレンス系の書籍を2冊購入。\5,680-ナリ。

 それから近くのビルにあるCheese cake cafeで買ったばかりの本を繰りながらケーキとホットミルクティ。

 嗚呼幸せ・・・・・・・.:。*.:*゜(=∀=):。*.゜*.

 誰のことも気にせず、自分の好きに動けるってステキ。フラフラっと目的無く街歩きが出来るのって、都会に住んでないと難しいのよね、意外と。


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・過去の「今日」。


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