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最期の源平の戦が終わり、捕虜が都を引き回されます。
平家の家長となった宗盛は『平家』では全くの無能者として情けなく描かれていますが、平家が滅びたのは別にこの人のせいではないですよね。人格者の兄、優秀な武人の弟二人に挟まれた損な役です。
他の武将達のように入水し損なったのは、碇とか鎧とか、オモリをちゃんと準備しておかなかったから。
可愛い息子を残して死ねなかったというのもあって、リーダーとしては不適格でも大層優しいパパではあったのです。八歳と十七歳の息子ともども斬首。
一の谷で捕虜になった重衡は南都を焼き払った罪があるので奈良の僧兵に引き渡されて斬首。この人を悼んで奥さんの輔子はもちろん、知り合いの美女達がぞろぞろ尼になったという。
「此一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし」と抜かした、時子の弟・時忠は能登国に流罪。清盛と血はつながっていないから命は助けられたのでしょうか。
一方、宗盛達を護送してきた義経は、頼朝に疑われて鎌倉に入れて貰えません。
義経に遺恨のある梶原景時の讒言、頼朝に向って、義経に謀反心ありと吹き込んだのです。
ここで義経が涙ながらに無情な兄上に訴える手紙が有名な「腰越状」。
けれど京都に帰った義経に刺客が放たれます。「堀川夜討」。
ついに兄弟は全面決裂、都を落ち、西国に逃れようとして失敗した義経のその後は『平家』では北陸から奥州に行った、と簡単に終ってます。非業の最期については語られていません。
『平家物語』は平家の物語ですから。物足りない義経ファンは『義経記』のほうへどうぞ。
謎の無計画親爺・行家おじさんは義経についたので、頼朝への賞金首になりました。『平家』では最期はなかなか豪快に戦って討たれます。
都では北条時政(北条政子の父)主導の平家狩りが始まります。懸賞金に目のくらんだ者達が、幼い子供達を平家縁りの者と称して処刑させる。
本物の清盛の直系、維盛の息子・六代が捕われるのですが、この子がなにしろ都に聞こえた美男美女の子供ですから、人間とも思えない程美しい。時政も死なせたくなくて処刑を引き延ばし、あわやというところで、例の、髑髏坊主・文覚上人が頼朝の許可を得て弟子に引き受けます。文覚に逆らっては神仏の加護はないぞ、等と頼朝を脅迫したらしい。
ところが、文覚は後鳥羽天皇を批判して、頼朝の死後謀反の罪で八十過ぎで隠岐に流されます。
後鳥羽天皇と言えば、承久の乱で隠岐に流されましたよね。文覚の呪いなんですって。
それはさておき。
「さる人の子なり、さる人の弟子なり」
と、このとんでもない師匠のせいで静かに修行していた六代も斬られてしまいます。
それよりしてこそ、平家の子孫はながくたえにけれ。
(ナルシア)
『平家物語(一)〜(四)』 校注:梶原正昭・山下宏明 / 岩波文庫
2001年11月30日(金) 『クリスマス人形のねがい』
2000年11月30日(木) 『裏庭』
翌日の戦で四国を平定した義経軍は周防に渡ります。
熊野、伊予の水軍が味方して、船戦の出来なかった源氏もこれで大丈夫。
決戦前にまた義経と景時が大喧嘩して、後の遺恨を残します。
さて。いくさは今日をかぎる、と颯爽と平家を指揮するは清盛の四男・新中納言知盛卿。
開戦時、源氏は潮に押し戻され、平家は潮に乗る有利なポジション。
当初は平家が有利に戦を進めていたのですが、やがて平家方から裏切りが続出。
戦に利なく、平家の世はこれで終わり、と見てとった知盛は帝の船に渡って
はいたり、のごうたり、塵ひろひ、手づから掃除せられけり。
この場面、好きなんですよ。最期を悟り、落ち着き払ってせっせと舟をおそうじする新中納言。
怯える女官達には、ダークなジョークを言って覚悟を促す。
その様子を見て二位殿も心を決め、幼い主上を抱き上げ舷に歩み出ます。
「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかむとするぞ」
「極楽浄土とて、めでたき処へ具しまゐらせさぶらふぞ」
二人に続き、次々平家の人々が水に飛び込みます。
最後まで大暴れするのは能登守教経、
清盛の甥で平家一の猛将、ものすごく強くて『平家』では嗣信を射たのもこの人。
もう戦の趨勢は決まった事を知る知盛は、暴れまくる従兄弟の教経に「もうあんまり殺すなよ、たいした相手じゃないだろ」と伝言します。それを教経は、「おお、つまり大物を狙えという事だな!」と解釈して源氏の指揮官・義経に勝負を挑む。
ドラマでは出ていませんでしたが、知盛の配役が阿部寛なのを見て、壇の浦ではきっと知盛がこの勇者・教経の役を兼ねるからに違いない、‥‥と、思った通り。
義経の前に立ちはだかり、八双飛びで逃げられる有名な場面の相手は『平家』では教経なのです。
その教経も壮絶な最期を遂げます。
最後に「見るべき程の事は見つ」という至言を残し、ついに総司令官・知盛が入水。
壮絶を極めた源平の合戦はここに決したのです。
海面を覆うのは、敗れた平家の赤旗。
みぎはによするしら浪も、うすぐれないにぞなりにける。
主もなきむなしき舟は、塩にひかれ、風に従ッて、
いづくをさすともなくゆられゆくこそ悲しけれ。
(ナルシア)
『平家物語(一)〜(四)』 校注:梶原正昭・山下宏明 / 岩波文庫
2001年11月29日(木) 『青蛙堂鬼談』
2000年11月29日(水) ☆ Web書店
屋島の本拠地に戻った平家は、一の谷で生け捕られ人質になった清盛五男・重衡と三種の神器を交換しよう、という法皇の申し出を拒否。和平交渉決裂です。
一の谷の戦に加わらなかった清盛の孫・維盛は出家して屋島から熊野に渡り、入水します。とことん戦の世に向いていない人だったんですねえ。
いざ海に入ろうとする場面でも、妻子なんて持つんじゃなかった、恋しくて成仏できない、なんてぐずるんですが、エピソード3のアナキンを見てつくづく思いました。愛する者がいては我欲に囚われ道を誤る。ジェダイマスターって、仏教者ですね。マスター・ウインドウなんてどっから見てもありがたい坊様です。
そろそろ屋島に行きましょう。
義経の強攻策に、鎌倉方の重鎮・梶原景時が猛反対する「逆櫓の争い」。
私達から見れば、どう見ても景時の考えが常識的だと思われます。
景時は自分の家来や所領を守らないといけませんが、義経は自分の実力を兄に示す為の行動ですから失う物はない。
結局義経の単独攻撃により、平家は本拠地を失って再び西へ敗走します。
考えてみたら、屋島の合戦は戦の規模は大きくありません。
「そもそも源氏が勢いいか程あるぞ」「当時わずかに七八十騎こそ候め」
「あな心うや、髪のすじを一すじづつわけてとるとも、此勢には足るまじかりける物を」
いや、大臣殿、いくらなんでも平家もそんなに兵はいないでしょう。
奥州からここまで義経に従って来た佐藤兄弟の兄・嗣信は主を庇って矢に討たれてしまいます。
義経って結構喧嘩っ早いし、戦場では冷酷非道ですが、こういうところでぼろぼろ泣いちゃうので周囲に愛されるんですね。
だんだん源氏に味方する勢も増え、日も暮れて来たので今日はおしまい、と思ったら綺麗に飾った小舟が海岸に近付いてきました。
「あれはいかに」と見る事櫓に、舟のうちより、年の齢十八、九ばかりなる女房の、柳の五つ衣に、紅の袴着たるが、皆紅の扇の、日出したるを、船のせがひに挟み立て、陸に向ってぞ招きける。
馬に乗って浪に乗り入れ弓引く若武者と、沖の舟に立つ美女の図柄。
うちの近所では鯉のぼりをあげるとき、極彩色の大漁旗のようなものもあげるのですが、一番人気のデザインは鯉に乗った金太郎と並んでこの「那須与一」。
弓は強し、鏑は浦響くほどに長鳴りして、あやまたず扇の要一寸ばかりおいて、ひいふっとぞ射切ったる。鏑は海に入りければ、扇は空へぞ揚がりける。
鏑(カブラ)は、大きな音のするイベント用の矢です。
源氏軍は少人数ですが、「屋島の戦い」、後世に残る名場面満載。
(ナルシア)
『平家物語(一)〜(四)』 校注:梶原正昭・山下宏明 / 岩波文庫
2001年11月28日(水) 『雨月物語』
2000年11月28日(火) 『ザ・マミー』(その1)
じりじりと勢力を盛り返して都に迫る平家を討つために源頼朝の弟、範頼・義経兄弟が出陣。
関係ないですが大河ドラマでは源義朝の息子・範頼を石原良純、藤原秀衡の息子を長島一茂、平清盛の孫を小泉孝太郎、と、キャスティングでも偉大な父とその息子、みたいなテーマがあったのでしょうか。
それはまあおいといて。
義経の衝撃のデビュー戦、一の谷です。
鹿のかよはう所を馬のかよはぬやうやある。
常識破りの義経の奇襲に、次々討たれる平家の公達。
♪一の谷の戦やぶれ 討たれし平家の公達哀れ
小学校の時の塾の先生が歌ってました。印象深かったのか、一度聞いただけで覚えてしまいましたが、メロディーについては先生の責任なのであってるかどうかはわかりません。
♪暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか
『青葉の笛』という歌だそうです。
一番の歌詞が笛の名手の無官大夫敦盛、二番は歌人薩摩守平忠度。
人間五十年、下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり
一度生を享け滅せぬもののあるべきか。
こちらは御存知、織田信長の愛唱する幸若舞『敦盛』。
武蔵国住人熊谷次郎直実が、自分の息子と同年輩の平家の美少年・敦盛を、この子を殺しちゃったらお父さんが悲しむだろうなあ、と涙しながら討つ悲話。
清盛の弟、薩摩守平忠度の方は悠揚迫らぬ年輩の公達。
鎌倉方がこの名乗らぬ大将軍の首を討ち、箙にむすびつけられた文を開いて見たら、こんな歌が。
ゆきくれて木のしたかげをやどとせば花やこよひのあるじならまし
うわあ、有名な忠度だったんだ、と敵も味方も惜しんで泣いたという。
祖父なんかは電車の無賃乗車、キセルの事を「薩摩の守」と言ってました。
さつまのかみ、ただのり。
数十年前までは、平家キャラは日本国民誰もが当然知っているヒーローだったんですね。(ナルシア)
『平家物語(一)〜(四)』 校注:梶原正昭・山下宏明 / 岩波文庫
2003年11月25日(火) 『公園のメアリー・ポピンズ』
2002年11月25日(月) 『うわの空で』
2000年11月25日(土) 『日本語の磨き方』
破竹の勢いで攻め来る木曾冠者義仲。
平家一門は親しい人々とそれぞれに涙の別れをかわし、都を捨て西国に落ちます。
どさくさまぎれに平家の手の中から逃げ出した後白河法皇は、京都を制圧した義仲に接近。
ところが義仲と行家(頼朝・義経の叔父)の態度があまりにデカいので、法皇今度は頼朝を頼ります。
頼朝は義仲と違って京都育ちなので、言葉がきれいだし貴人の扱いを心得ていますから、使者に好印象を与えておみやげ山ほどあげて、院は大喜びです。
ところで義仲にさんざん虐められる鼓判官、ドラマでは草苅正雄が演じていましたが、本当にお歯黒してましたよ。なかなか似合っていました。宗盛なんかもやればよかったのに。
さて、頼朝は義仲追討の軍を派遣します。
中学の教科書に載っていた「宇治川の合戦」の場面となるんですが、当時はすごく違和感を感じました。佐々木高綱が「馬の腹帯がゆるんでるよ」と嘘をついて、梶原景季が締め直している隙に川を渡って先陣を取っちゃう。武士のする事かい、と思いましたね。
今にして思えばいわゆる「武士道」って、ずっと後の時代、武士の価値を維持するために創られた特殊な文化だったのでした。鎌倉武士は江戸時代の侍よりもずっと合理的です。バブル崩壊後、日本に乗り込んで来た海外企業の市場原理主義的なシビアな感じは、鎌倉武士を彷佛とさせます。
平家物語は悲愴な話という先入観があるけれど、勇壮で楽しい場面が多いよ、というつもりで「宇治川の合戦」を教科書に取り上げるのでしょうか。優雅で哀しげな平家と違って、鎌倉方の武人は粗野だけどのびのびとユーモラスに書かれています。戦場でユーモアがある人ってすごく強そう。
梶原景時の息子・景季はドラマでは小栗旬君。ドラマでは義経の隣に居る場面ばかりだったけれど、『平家』ではちょこちょこ目に付く出番があります。
ついに義経が京都入り、法皇に大歓迎され、追われた義仲は遂に討たれます。木曾義仲についても、ずっと「横暴で不作法な乱暴者」というイメージを持っていたのですが、じっくり『平家物語』を読んでみると意外に格好良い。
確かに貴族文化に馴染めず、本文中でも思いっきり嘲笑される不作法者ですが、戦いの最中に大切な乳兄弟の家来を捜しまわったり、大将級の強さを誇る巴を女だからと死なせなかったりと、平家とも鎌倉方とも違う、ワイルド系のなかなか良い漢でした。最期もハードボイルド。
武勇に秀でた女武者・巴は
いろしろく髪ながく、容顔まことにすぐれたり。
ナイスバディの小池栄子が演じるというのも面白いキャスティングでしたね。ついに鎧を脱がなかった。(ナルシア)
『平家物語(一)〜(四)』 校注:梶原正昭・山下宏明 / 岩波文庫
いよいよ源氏が動き始めます。
まずは「以仁王の乱」。担ぐは若かりし頃紫宸殿の鵺退治で名を揚げた、老将・源三位頼政、ドラマでは丹波哲朗が演じていました。
追っ手を逃れるために女装した高倉の宮(以仁王)が
大なる溝のありけるを、いとものがるう越えさせ給えば
通行人があっけにとられるシーンとか、
宇治の橋を突っ切って敵に向って来る勇者が、
あがる矢をばついくぐり、さがる矢をばをどりこえ、向ッてくるをば、長刀で切ッて落とす。かたきも味方も見物す。
あんまりすごいので戦の最中なのにみんなで「見物」しちゃう。
あるいは、一人の若武者のてきぱきとした指導で、馬を筏に組んで流れの早い川を押し渡る場面なども痛快。
乱を収め、平家は三歳で即位した安徳帝を連れて、慌てて福原に都移りをするのですが、人々の不平不安が数々の怪異の形をとって表現されます。
一方、伊豆に流されていた頼朝のもとには、文覚という怪しい坊さんが、「父君義朝公のしゃれこうべ」というのを持って来て挙兵を勧めます。
兵衛佐殿、一定とはおぼえねども、
と、頼朝が内心「そんなことあるかい」みたいなツッコミを入れるところが好き。
うちの父の決め台詞に、義朝公御年六歳のみぎりのしゃれこうべ、という落語ネタがあります。
それはさておき、ついに源氏の嫡流・頼朝と清盛の孫・維盛が富士川で対決。
涙をさそう場面は得意な絶世の美男・維盛、戦は滅茶苦茶弱い。水鳥の羽音を敵襲と勘違いして逃走。
とりあえず都は京都に戻したものの、周辺の寺院勢力が無気味です。大寺院は当時強力な軍事勢力、弁慶が何千人も居るようなお寺を想像してみて下さい。
その寺院勢力を抑えようとして、清盛の五男・重衡は勢い余って興福寺や東大寺を焼き払い、大仏まで焼いてしまいます。
まもなく清盛が重病になって、
京中・六波羅、「すわ、しつる事を」とぞささやきける。
「そーれ見た事か」と噂されてしまう。
とにかく熱が高いので、身体を冷やそうと水風呂に入れると
水おびただしくわきあがって、程なく湯にぞなりにける。
二位殿が、何か言い残す事は、と聞いたら
頼朝が首をはねて、わが墓のまへに懸くべし
そしてついに、
悶絶びゃく地して、遂にあっち死にぞしたまひける。
飛び抜けてスケールの大きかった清盛が物語から退場する所で、平家物語前半の終わり。
源氏はますます勢いづいてきました。
東国には草も木もみな源氏にぞなびきける。
信濃では木曽義仲が、機略を用いて追討軍を撃破。(ナルシア)
『平家物語(一)〜(四)』 校注:梶原正昭・山下宏明 / 岩波文庫
2001年11月22日(木) 『横溝正史集/面影双紙』
2000年11月22日(水) 『フラワー・フェスティバル』
岩波文庫第一巻は平家物語巻第一〜巻第三まで、かの有名な『祇園精舎の鐘の音』で始まります。
『平家物語』が後世に一番影響を与えたキャラクターイメージといえば
六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申し人のありさま、伝うけ給るこそ、心も詞も及ばれね。
なんといっても大悪人・平清盛!
文章では悪、悪、と書いてはあるけれど、読んだ印象としては個々の善悪がどうこうというというレベルを越えてパワフルで、スケールが大きくて、ものすごくカッコイイです、「平家物語」の清盛。
『平家物語』では登場人物も事件も史実に沿ってはいますが、「物語」として盛り上がるように実に上手く構成されています。当然史実とは異なっている場合も多いのですが、「物語」を成立させるために造形された人物像や事件構成のほうが、日本人の心に実像として残っているのを見ると、「物語」の底力を思い知らされます。
本編に清盛が登場したときにはもう五十歳過ぎ、前太政大臣ですでに出家しています。栄華を極めた一族の振る舞いは殿上人の反感を買い、それまで清盛とうまくいっていた後白河法皇を含めた、アンチ平家が陰謀を画策します。
有名な「鹿ヶ谷」の密議の晩、共謀者達の駄洒落に法皇が大受け。
法皇ゑつぼ(笑壷)にいらせおはしまして
この時代でもツボに入ると笑いがとれるんですね。
こんないい加減な陰謀はあっさりバレて、陰謀の首謀者達は悲惨な末路を遂げます。
西光法師を縁先に引き据え清盛が責める場面が大層な迫力。憎々しげに嘲笑う西光、怒りの果てに静かに残虐な刑を言い渡す清盛、一歩も引かぬ悪人対決。
宮尾本を読んで比べてみましたが、同じ場面でも現代語にするとそれほどには感じない。これこそ原文の威力だな、と感心して、以降どっぷり原文びいきとなりました。
この悪の魅力全開の清盛に対して、長男・重盛という人は父親とは対象的に、道徳を重んずる落ち着いた人格者に設定されています。
実際は、「天下の乗り合い」事件で復讐したのは清盛ではなく重盛だった、という資料もあるらしいので、それほどの人格者ではなかったのかもしれませんが、「物語」では道を外しがちの父と、道を説く息子の構図になってます。
あまりにも優等生で説教臭いので重盛は嫌い、という人もいますけれど、私は大したキャラだと思いますよ。だって、あのパワフルな父に真正面から「正論」を説いて暴走を止めちゃうんですから。武力を使わず言葉で怪物をコントロールする論理派。
ところが、病で惜しくも四十三歳で亡くなってしまいます。
かくして清盛の暴走を止めるものがなくなり、そのあげくの果てが政府高官の総とっかえに、後白河法皇の軟禁。重盛が死んだらさっさと領地をとりあげちゃう法皇も考えが無いのですが、朝廷側から見れば神をも畏れぬ所行。
『平家物語』の「悪」と言うのは、人間を苦しめる事以上に、神仏をないがしろにする事を指すのでしょうね。天皇は神の子孫ですから、それを貶める以上の悪はない。
かくして平家は滅亡への道を転がり落ちて行く。(ナルシア)
『平家物語(一)〜(四)』 校注:梶原正昭・山下宏明 / 岩波文庫
2003年11月21日(金) 『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』
2002年11月21日(木) 『シルクロードの鬼神』その2
2001年11月21日(水) 『図説 ニューヨーク都市物語』 / 『イスラームの日常世界』
2000年11月21日(火) 『十月のカーニヴァル』
今年もあっというまに残り少なになりました。
某公共放送放映大河ドラマも、残すは語るも涙の悲運の英雄の最期。
今年、我が長年の望みがこのドラマのおかげで達成されました。
『平家物語』原文全文読破!
折角TVで義経の生涯をやるのですから、その豪華な映像を挿し絵代わりにして、ずっと以前から読みたかった『平家物語』を読み通そうと思ったのです。
と、言う訳で琵琶法師の台本に近い「語本」系の「覚一本」と呼ばれるテキストを岩波文庫全四巻で読んでみました。
どうなる事かと思いましたが、読み始めたらこれがとまらない。
あまりの面白さに、あっというまに読み終わりそうになって、これはいけない、ドラマの進行に合わせて読む事にしようと、気をつけて少しずつ少しずつ半年かけて読みました。
いやあ、本当に面白かったですよ。さすがに八百年近く数多くの人々に磨き抜かれ愛され続け、後の数々の文芸のネタ本にもなった作品だけの事はありますね。これで平家物語関連の謡曲や、少し前の時代の小説で普通に引用される故事も、何の場面だか理解する事ができるようになって、いっぺんに「日本人度」が上がった感じです。
国文科どころか文系ですらない素人に原文で読めるのか、と読み始める前は不安も感じないではありませんでしたが、全然問題ありませんでした。分からない単語は多いですが注釈もありますし、細部まで理解できなくても日本語ですから流れはわかります。
なんといっても、調子が良い。もともと耳で聞く文芸だけあって、声に出すくらいの感じで読むと、文章のリズムに乗ってとても良い気分で読めました。イリアスやニーベルンゲンも面白かったけど、原文の響きを味わえるのは自国語の作品だけですから。
読み通せるかどうかは知識というより、こういった古文のノリが好きか嫌いか、という文章との相性が大きいのではないでしょうか。『平家』は謀略ありラブストーリーあり戦闘シーンありで、文体も迫力ある漢文調あり雅びな和文あり臨場感ある擬音あり、とバラエティに富んでいます。
現代語訳も出ていますけど、原文の名調子はやっぱり読んでいてわくわくするほどカッコイイ。七五調の決めゼリフなんかが好きな方には原文が絶対おすすめです。
文章に慣れたら、強烈な個性のキャラクター達にどっぷりはまって、華麗極まりない平家の公達と共に滅びの道をひた走ろう。(ナルシア)
『平家物語(一)〜(四)』 校注:梶原正昭・山下宏明 / 岩波文庫
2003年11月18日(火) ☆教科書を、読む?(その1)
2002年11月18日(月) 『ゆき』
2000年11月18日(土) 『心霊写真』
著者のウェブ日記を愛読していた。 たぶん私は中期頃からの読者と思う。
なぜ枕もとに、そろえた靴が置いてあるのか。 それは著者にすらわからない事実なのだった。 酒が関係している、ということ以外には。
ほとんどまったくお酒の飲めない私でも、 彼女の見せてくれる世界は、ハードボイルドとユーモアと 詩情ゆたかなフィクションが織り混ざった、 まるで行きつけの店の、いつものカクテルのよう。 (飲めないので行きつけはないが)
独特の文体で引きずり込む文章の切れ味、 泣かせどころ、構成の妙は言うまでもない。 数あるウェブ日記のなかでも異色な文章でありながら、 バックグラウンドの確かさはプロの仕事だ。
おそらく、共感のわきおこる一因には、彼女と私の境遇が 決定的な一点を除いて似通っている、というのもあるだろう。 と思いながら、お酒が飲めなくてもこれだけ共感するのだから それもあまり関係ないのだと気づく。
ともあれ、長い日本列島の南に住んでいる私にとって、 著者の繰り広げる世界の掟でもある「北海道の日常」は、 時折、異国的風物でもあった。冬用のワイパーがあることも 知らなかったし。
そして、「春洗い」や「闇染め」「影の手入れ」「夜まつり」といった風習は、 つくられたものでありながら、北国で暮らすという喜びを 郷愁とともに私のなかに植えつけたのだった。 (出版でカットされている部分がぜひ 読みたいというファンも多いだろう)
出版準備のころからウェブ日記の更新は終了してしまったけれど、 ごくたまに近況などが書かれているので(本のこともそこで知った)、 楽しみにのぞかせてもらっている。 (マーズ)
『枕もとに靴』著:北大路公子 / 出版社:寿郎社2005
2003年11月14日(金) 『バカの壁』
2001年11月14日(水) 『最新ニュースが一気にわかる本』
2000年11月14日(火) 『魔女の1ダース』
徹頭徹尾、男と女の話である。
などと書いてしまうと誤解も生まれるが、でも、それもまた、アースシーの知られざる伝説の一端なのだから。
いや、結局のところラブ・ストーリーはいつでも、 どこでも起こりうる。(まえがきより引用)
ロークの魔法学院が、どのように形づくられ、男と女の知恵が結晶し、やがて女が退けられ、どのように男だけの世界となっていったか。時代時代に、ロークと関わった伝説の人物たちの物語でもあり、彼らの真(まこと)の名前−本質−があらわれゆく物語でもある。
外伝には「あの人」は登場するのだろうか?不明なまま読んだのだが、ちゃんと登場していた。しかも、全盛時代のあの大賢人が。「あの人」すなわち「ゲド」だけでなく、他の「あの人」たちもまた、それぞれに、再生の場所を与えられて。
ゲドが登場するのは「湿原で」。私にはサプライズだったが、これはネタバレにはならないだろうから。ここで登場する意外な人物にもまた、最大級の癒しが与えられている。癒しとは、「誰か」、自分以外の誰かからの受け止めである。
発売前から予約していたにもかかわらず、1年以上たってやっと読み、さらに時間を経てやっとここに書いている。その間、清水真砂子さんの講演に行けなかったり、残念なこともあった(内容は教えてもらったが)。あまり時間を経たので、ここにもいろいろは書けなくなった。
まえがきにある、グウィンからの言葉を引用する。
物事は変化するものである。
作者も魔法使いも必ずしも信用できる者たちではない。
竜がなにものであるかなど、誰にも説明できない。
昨今、ファンタジーの古典が次々と映像化されている。しかしゲドだけはまだその足音が聞こえない。著者が存命なこともあるのだろうけど、いつかは真打ちの異世界ファンタジーとして映像化されるのだろうか。もしそうなるのなら、相当に骨太で隠れロマンティストの文芸監督にお願いしたい。しかしいったい、誰がゲドになれるのだろう? (マーズ)
『ゲド戦記外伝』著:アーシュラ・K・ル=グウィン / 訳:清水真砂子 / 岩波書店2004
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