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ハロウィーン的怪奇趣味たっぷりのミステリと言えば 密室トリックの教祖、ディクスン・カーの作品でしょう。 『火刑法廷』は無気味なサスペンスにして本格派の推理小説、 おまけに幻想的な怪奇小説としても読めるお得なミステリ。 出版は海外本格ミステリの最も輝ける時代、1937年。
十七世紀・ルイ十四世の宮廷で最も名高い毒殺魔、 その身を火刑に処せられた、かの美貌の貴婦人が 現代に蘇るなどと言う事が現実にありうるのでしょうか。 都会の編集者である主人公は、週末を過ごす別荘の 隣人一家に降り掛かった不可解な事件に巻き込まれ、 超自然的な存在なくしては説明のつかない謎の数々を 自ら体験する事になってしまいます。
ふと彼はこの夜が四月の終りではなく、十月末の万聖節の前夜なのだという 気がした──というのも、車が動きだしたとき、たしかに通りの誰かが彼の 名前を呼ぶのが聞こえたからだ。 (『火刑法廷』第一部より)
アメリカ人がぞっとする雰囲気を感じるのは、ハロウィーンの頃なわけですね。 舞台は1929年、人家の少ないフィラデルフィア郊外の古めかしい館。
火刑法廷(The burning court)は十七世紀のフランスで、 魔術的な犯罪を裁き火炙りの刑に処した法廷です。 かつて薬物を邪な目的に用いる事は魔術の一種であると 見なされたため、毒薬を使った者は火刑に処せられたのです。 薬物使いが魔女として処刑されるなら、 私や友人達は何度焚かれる事やら。
居心地のよさそうな小ぢんまりした部屋の卓上カレンダーには、赤い文字で 十月三十日と出ている──翌晩が万聖節前夜ということになる。 (『火刑法廷』エピローグより)
ラストシーンはちゃんとハロウィーンの時期になってますよ。
久しぶりに読んでみると、最初のうちはなかなか読みづらい文章です。 でも文体の取っ付きの悪さとか翻訳の誤りとかそんな事には全く気にせず、 中学生の私はクイーン作品に続いて、家の壁一面を埋めた細長い ハヤカワ・ポケットミステリのカー作品(カーター・ディクスン名義含む)を 片っ端からのめり込むように読みました。楽しかったなあ。今、少年少女達が 毎週、「まるで悪霊の呪いとしか思われない密室殺人の謎」等に対して名探偵 コナン君と推理を競っているのの先祖みたいなものかな。
ところで、海外ミステリの熱烈な紹介者でもある江戸川乱歩はカーの大ファン ですが、『火刑法廷』のオチに関してだけはあまり好みじゃなかったみたいです。 でも、今となってみればエンターテイメントとしてはカーの手法が主流かも。 さすが。(ナルシア)
『火刑法廷』著者:ジョン・ディクスン・カー/ 訳:小倉多加志 / 出版社: ハヤカワミステリ文庫1976
2004年10月28日(木) ☆なつかしい童話全集。(その1)
2003年10月28日(火) ハロウィーン休みのお知らせ。
2000年10月28日(土) 『屍の声』
ニューイングランドの地方都市・ライツヴィル、 本格推理小説ファンには忘れられない田舎町。 高名な推理小説作家にして我らが名探偵、 エラリイ・クイーン氏の愛する、calamity town。
三十一日は狂乱の一日だった。〈丘〉の家々は一日中だれが鳴 らしたともわからないドアのベルで悩まされ続けた。舗道には色のチョークで恐 ろしい記号が書かれた。夕方になると、いろいろの衣装をつけた奇怪な子鬼 たちが、顔に絵具を塗り両腕を降りまわしながら町中をとびまわった。 (『災厄の町』ハヤカワ文庫)
小学校の図書館から始まったクイーンの フェア・プレイ謎解きにはまって、 父の蔵書を読み倒していた中学生の頃は、 とにかくトリック解きと犯人当てに必死でした。 新古書店で安く手に入るようになった古典ミステリの誘惑に負け、 犯人が判ってるのに今読んで楽しめるのだろうか、 と訝りながらライツヴィルを舞台とした第一作目、 懐かしい『災厄の町』を先日再読してみたら。
惨劇の舞台は三人の美しい娘を持つ、町一番の名家。 ハロウィーンの日に発見された「配達されない三通の手紙」によって予告された 悲劇は、感謝祭、クリスマス、新年、聖バレンタインデー、復活祭、と華 やかで楽しい祝日イベント毎に現実の物となってゆきます。
あの頃はハロウィーンなんて身近なものじゃなかったから、 重要な場面の情景も、きっと当時の私の中では 全然イメージできてなかったんだろうなあ。 謎解きに夢中になっていた中学生の頃とはまた違って、 地方都市の美しい四季の情景と豊かな暮らし、登場人物の心理等は 大人になってからの方がより楽しめるので、得した気分です。
夕食前に近所を散歩したクイーン氏は、もう一度子供にかえって、 十月三十一日のハロウィーンのわるいいたずらをやってみたくなった。 (『災厄の町』ハヤカワ文庫)
ニューヨークっ子のエラリイのやった「わるいいたずら」って、
どんなのだったのでしょう。ペーパーぐるぐる巻きとか落書きとか?
お父さんがニューヨーク市警の警察官だから、
とんでもなく「わるい」事はできないだろうけど。
エラリイが田舎町のハロウィーンに郷愁をそそられたのは1941年、
静かな町の外からは密やかに戦争の影がしのびこんで来ています。
ライツヴィルは架空の町ですが、世界中の読者にとっても、懐かしい。
(ナルシア)
『災厄の町』著者:エラリイ・クイーン / 訳:青田勝 / 出版社:ハヤカワミステリ文庫1977
2003年10月24日(金) 『オズの虹の国』
2001年10月24日(水) 『おやすみなさいフランシス』
2000年10月24日(火) 『夏の夜の夢』
ハロウィーンシーズンにおすすめの一冊は、 アン・マキリップの異世界ファンタジー。(シィアル推薦)
タイトルどおり、猫が大活躍します。 しかも、黒煙色の美猫。ニフィ・キャット。
どうやら人語を解し、自分の役割−亡き主人のマンガン摂政から預かった使命、 つまりエスファニア公国の若きジェイマス大公を守ること− を心得ているようです。 そう、まるでマンガンが乗り移ったかのように。
そして、聡明な彼女が戦う相手は、悪に長けた魔女姉妹。 なんのためらいもなく、邪魔者を消す魔女の片割れは 隣国の王妃となって、エスファニアをも狙ってきます。
王になったジェイマスと、隣国の貴族の娘とのロマンスあり (3人の娘のうち、彼が選んだのは誰か?読んでのお楽しみ)、 毒薬の陰謀あり、怪物狩りありで、一冊とはいえ短い物語は 飽きさせない展開です。
そんななかで、猫らしい魅力もたっぷりふりまいてくれる われらがニフィ・キャット。
作品の中でも、「猫にわかるわけないわ」 なんておっしゃるのは、猫ぎらいの人です。 猫好きは、猫のすることを信じ、見守ります。
そう、だからこそ猫は、使命を果たせるのです。
大切な人の命を守るという、犬も怖じける危険な使命を。
(マーズ)
『だれも猫には気づかない』著:アン・マキャフリー / 訳:赤尾秀子 / 出版社:創元推理文庫2003
2004年10月22日(金) 『川を下る小人たち』
2001年10月22日(月) 『死の泉』
2000年10月22日(日) 『平成お徒歩日記』
アイヴァンホーとレベッカの恋(と読者が信じるもの)は、スコットの物語で 終わったのではなかった。
なんと、ロウィーナと結婚して幸せに暮らしたはずのアイヴァンホーが、妻と別れ、レベッカと再会してハッピーエンド(ロウィーナも気の毒だが)になる、という続編を書いた狂信的ファンがいる。
その人は、『虚栄の市』で知られるサッカレー。 しかも、この代表作直後の出版だから、ほとんど同時期。最も脂が乗っている時期とも言えるだろう。タイトルはずばり『Rebecca and Rowena』(1850)。読みたくてたまらないが、本邦未訳。ここにも悪人たちは登場するのだろうか?それとも三人の関係が主体だろうか?と妄想が先走るのみ。誰か翻訳していただけないものかと願う。
そもそも、何かそこまでの行為に走らせるヒントが作中にあるのかと問われるなら、 『アイヴァンホー』のエンディング一歩前に、それはある(と読者は信じる)。
彼のロウィーナとの生活は長く幸福であった。(中略)それでもレベッカの美しさと潔らかさがしばしば彼の心に浮びアルフレッドのこの美しい子孫のロウィーナが必ずしも心地よく感じないこともあったのではなかろうか、しかしそういうことを考えて見るのはいささか詮索にすぎることだろう。(下巻448Pより引用)
ファンというものは、作品のなかでついに幸せになれなかった主人公に、だからこそ執拗に想い入れるものなのだろう。人より強くもあり、同じくらい人間的弱みをも持った彼らに。
『風と共に去りぬ』で悲恋に終わったスカーレット・オハラとレット・バトラーのために、続編『スカーレット』を書いたアレクサンドラ・リプリー。ドラマ化もされている。
『オペラ座の怪人』へのオマージュから、F・フォーサイスは13年後の怪人を『マンハッタンの怪人』で知らしめ、スーザン・ケイは『ファントム』で怪人の子ども時代を創造した。
これらの続編を私は未読なのだが、たとえば、トマス・ハリスが『ハンニバル』を あのような形で終わらせなくても、おそらくは誰かが跡を継いだのだろう。
とりわけ、一部の読者、大衆のエッセンスである読者は信じている。
主人公たちのアンハッピーエンドは「まちがい」だったのだ、と(笑)。
(マーズ)
『アイヴァンホー』(上・下)著:サー・ウォルター・スコット / 訳:菊池武一 / 出版社:集英社2005
2003年10月14日(火) 『オリスルートの銀の小枝』
2000年10月14日(土) 『ファッションデザイナー』
では、主役はだれか。
主役はリチャード獅子心王でもなければ、
騎士でもなかった。
「シオンの娘」、ユダヤ人の美女レベッカである。
傷ついたアイヴァンホーの命を救い、お互いに惹かれ合うが、
宗教と人種のちがい、アイヴァンホーにはすでに婚約者がいるなど、
容易に超えられない壁があって、レベッカは潔く去ってゆく。
ロウィーナからすれば恋敵でありながら、 その彼女に対しても、礼儀を尽くして去る聡明な美女。 長い物語のなかで、ロマンスが主題とされていることは 知っていたが、てっきりロウィーナとアイヴァンホーの話だと思っていた。 しかし、最後には結婚するものの、二人の関係には何ら、表面に出る深い交流が見られない。 アイヴァンホーとそういう関係になるのは、窮地を分かち合ったレベッカであり、 それでもなお、レベッカは人種的な偏見を感じ取る。
レベッカには先祖より伝わる医術の心得もある。 レベッカの唯一の身内である老いた父は、「ヨークのアイザック」と 呼ばれる、典型的なイメージの、ユダヤ人の高利貸しである。 知名度ではシェイクスピアの『ヴェニスの商人』に登場するシャイロックや、ディケンズの『クリスマス・キャロル』のスクルージと並ぶのではないだろうか。
迫害されつづけてきたユダヤ人の運命は、財産があっても不確かで、 時の権力者に利用されながら、強い同族のネットワークで未来に希望をつないでいる。
黒髪のレベッカ、彼女の性質は、こう描写されている。いざという時に強いタイプである。
ほかの境遇であったら傲慢にもなり、生意気になり、片意地にもなったかもしれなかった気性が、おとなしくなり、どちらかといえば間違いのない判断をするところまで折れていた。(下巻10Pより引用)
一方、金髪のロウィーナ姫は、こんな感じ。危機にのぞんでは、あまり役に立たない。 まさに陰陽好対照というか、相手に不足はないだろう。
生まれつきの性分は、人相見が色白の女の持ち前と思うもの、つまり、おだやかで、臆病で、やさしかった。しかしこの性分は育ったまわりの情況のために焼きを入れられ、まあ固められたといってよかった。(中略)姫の尊大、いつも人をさしずする習慣は、生まれつきの性分につけ加えられたこしらえものの性分であった。(上巻365Pより引用)
さらに、レベッカとの報われない恋によってウェイトが高まるのは、暴力的な悪人として描かれる御堂の騎士ことボア・ギルベールである。最初登場したときの血も涙もない無情ぶりはサイボーグのようだった。それが、レベッカに出会って苦悩するものの、さりとて恋のために名誉や命を捨てるほどの善人にはなりきれず、レベッカにも冷たくされ、振り回され、破滅に追い込まれてゆく姿は、まさに人間的。
そしてもう一人、敵に捕らわれて老いた悲劇の美女ウルリカの最後。彼女がいなかったら捕らわれた主人公たちは救われなかったかもしれないほど重要な立場にいる。『アイヴァンホー』は女性達の活躍にもかなり重点が置かれているし、御堂の騎士とウルリカという絶望的な運命を背負った二人がいなかったら、物語はずっと生彩のないものになっていたことは確かだろう。
そういう意味では、当時の女性読者にとって、表向きは騎士道華やかなりし世界の物語でありながら、裏で活躍するのは芯の強い女性たちなのだから、かなり溜飲が下がったのではないだろうか。
→その3へつづく
(マーズ)
『アイヴァンホー』(上・下)著:サー・ウォルター・スコット / 訳:菊池武一 / 出版社:集英社2005
2003年10月11日(土) ☆「ハロウィーン」を、ミッケ!
2002年10月11日(金) ☆オオヤケの本棚。
2001年10月11日(木) 『コレリ大尉のマンドリン』
2000年10月11日(水) 『君について行こう』
サー・ウォルター・スコットといえば、私が何を どこからどう語っていいのか戸惑うほど古典中の古典。 それなのに、日本ではこの岩波文庫版も切れていて、 簡単に手に入るのはダイジェスト版ぐらい。他の作品も 新訳はないし、ほとんど古書しか入手できない状態だ。
19世紀のイギリスで最も評価されていたスコットランド生まれの 詩人・作家のスコットは、あのモンゴメリやアンデルセンもそうだったが、 とにかく19〜20世紀の作家たちに多大な愛着を呼び起こした伝説の人物。
この『アイヴァンホー』しか読んでいない私が 何を言えるかというと、もう、この本のなかの人間関係について 言いたいことを言い放つのが関の山だ。
ちなみに、『アイヴァンホー』は1819年の暮れに発売されるや、 一週間でたちまち売り切れたという。 歴史ものといっても時代的に合わない虚構の設定が多々混じっているにもかかわらず、 スコットの著作中、人気ナンバーワンだったらしい。
獅子心王リチャードがパレスティナから帰国した当時、12世紀のイングランドが舞台。 ローマ帝国の衰退後、イギリスに定着していたサクソン人が、ノルマン人に征服されている情況下で、リチャードから王位を奪おうとする王弟ジョンの暗躍、 王侯貴族と騎士、奴隷や僧侶などの階級に別れた人間模様と、 キリスト教徒対ユダヤ教徒という宗教的な相容れなさを絡ませ、 シャーウッドの森に住む義賊で弓の名手ロビン・フッドも登場する。
しかし、主役のはずの青年騎士アイヴァンホーは、 サクソン人の貴族セドリックが後見しているサクソンの王の末裔、 ロウィーナ姫と恋仲になったため、実の親であるセドリックに勘当されている。 しかも、戦場でノルマン王家のリチャードに仕えている。 そこで帰国後、名前を隠して槍試合に出る時、「勘当の騎士」と名乗るのもすごいが、 結局試合の結果、名誉は得たが大怪我をしてリタイアしたまま、 後半4/5あたりまで何の活躍もしない。最後の試合も活躍というよりは、相手が自滅するだけだ。
前半を読んでわかったのだが、それもそのはず、主役は彼ではないのだ。 タイトル的にはあまり意味が限定されないにもかかわらずインパクトのある名前で、 これはスコットが考えついたグッドなネーミングらしいのだが、 アイヴァンホーことウィルフレッドは、 どう考えても本書の主役ではないのだった。
→その2へつづく
(マーズ)
『アイヴァンホー』(上・下)著:サー・ウォルター・スコット / 訳:菊池武一 / 出版社:集英社2005
2003年10月06日(月) 『マクベス』(その1)
2000年10月06日(金) 『ささなみのアケロン』
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管理者:お天気猫や
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