2009年04月10日(金)  『生者と死者』(泡坂妻夫)と「生と死」コラム

推理作家の泡坂妻夫さんの訃報を知ったのは、2月5日付の読売新聞「編集手帳」欄。「あわさかつまお」が本名「あつかわまさお」(厚川昌男)のアナグラム(=つづり替え語)であることも記事で知った。作家でありながら、和服の家紋を描く紋章上絵師という職人であり、プロ級の腕前の奇術師。加えて落語にも造詣が深いことを、亡くなってから知った。自作の落語(滑稽噺、廓噺から人情噺まで)とエッセイ、さらには奇術指南まで豪華演目が目白押しで「一冊の寄席」として楽しめる『泡亭の一夜』を読んで、徹底した遊び心とサービス精神にあらためて目を見張った。

わたしがこの作家を知ったのは、新聞の書評欄に「消える短編小説」と紹介されていた袋とじ小説の作者としてだった。袋とじ状態では短編小説、袋とじを解くと長編小説になる(しかも読後感は別物)という。面白いことを考えるなあと興味をそそられ、早速購入した。袋とじという性格ゆえ、借りるわけにも古本を待つわけにもいかない。内容はうろ覚えなのだけど、袋とじ部分を切るときにドキドキしたことと、「短編ではこうだったけど、長編ではこうつながるのか」を確かめながら読んだことは印象に残っている。仕掛けで読者を驚かせ、楽しませるのは、いかにもマジシャン作家らしい。

タイトルは何だっけと「泡坂妻夫 袋とじ」で検索すると、『生者と死者 ―酩探偵ヨギガンジーの透視術』だった。刊行は1994年10月となっているから、入社2年目のことだ。生者だった作者が死者になったのを機に思い出したタイトルが、そのものずばりとは、マジシャンにトランプのカードを当てられたよう。

折良くといおうか、新聞を整理していたら、4月7日の朝日と読売の一面コラムが「生と死」を語っていた。

読売の編集手帳は、「過去から現在に至る人類の総数」について読者から問い合わせがあったという話。もうすぐ一歳になる子どもの寝顔を眺めていて、「この子の母親になれたのは人類で私ひとり」と気づいた若い母親が、「何分の1」の分母に思いを馳せた問いだという。わたしも娘を見ながら、「よくぞうちへ来てくれた」と感謝と歓迎の気持ちがこみあげたりするけれど、これほどのスケールで巡り合わせの奇跡を考えたことはなかった。記事にも引用されているが、「およそ一千億」(アーサークラーク著「2001年宇宙の旅」の一節より)分の1の幸運。

一方、朝日の天声人語は、103歳の母親を看取った女性から投稿された「あっぱれな旅立ち」というエピソードを紹介。亡くなった母の日記から出てきた一枚の紙に「あの世で長いこと私を待っている、大事な人に電報を打ってあります。待ちかねて迎えに出ていることでしょう。喜びも半分、不慣れで心細さもありますが、待つ人に会える楽しみもあります」と綴られていた。すべてを受け入れた、なんという穏やかな心境。記者が「透明な境地」と例えたように、さざ波ひとつ立たない澄みきった湖面を想像させる。今年一月に102歳で亡くなったひばば(ダンナの祖母)は、「なかなかお迎えが来なくて」と口癖のように言っていたけれど、このような心持ちで旅支度をしていたのだろうか。

生まれるのも死ぬのも一度ずつ。どちらも不思議なことだらけだけど、鏡のように照らし合わせてみると、見えてくるものがある。

2008年04月10日(木)  マタニティオレンジ264 「きのこのこのこ」と「ワァニ」
2007年04月10日(火)  マタニティオレンジ105 産後の腰痛とつきあう
2004年04月10日(土)  大麒麟→Весна(ベスナー)
2002年04月10日(水)  なぞなぞ「大人には割れないけど子供には割れる」


2009年04月09日(木)  心に橋をかける映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』

今井雅子脚本の6本目の長編映画『ぼくとママの黄色い自転車』でご一緒した東映の木村立哉さんが昨年プロデュースしたもうひとつの作品、日米韓合作『The Harimaya Bridge はりまや橋』を試写で観る。英語教師として高知に暮らしたことのあるアロン・ウルフォーク監督の長編映画デビュー作。その題材と舞台に日本を選んだのは、そこで過ごした時間が監督の人生に大いなる影響を与えたことを物語っている。

わたしも高校時代にアメリカ留学をした一年間に、それまでの16年間で得た世界観を塗りかえるほどの刺激と衝撃を得た。映画長編デビュー作『パコダテ人』でしっぽをモチーフに個性や差別を描いたのは、肌の色の違いを超えて「わたしはわたし」だと発見した経験がベースになっている。また、長編3本目の『ジェニファ 涙石の恋』は、主演のジェニファー・ホームズが日本に留学したときの経験が原案の日米合作映画で、「外国人から見た日本」という視点は『はりまや橋』に通じる。

もうひとつ、『はりまや橋』に興味を抱いたのは、英語教師として高知に滞在した黒人青年ミッキーの設定。画家としての才能も発揮し、子どもたちに絵の指導もしていた彼が不慮の事故で亡くなるところから物語は始まるのだが、主人公である彼の父ダニエルは、息子が日本人女性と結婚し、二人の間に子どもがいたことを知る。黒人の青年が日本を去った後に混血の子が残るという筋書きが、わたしがガーナの脚本家John Sagoe氏とメール交換で脚本を開発した『Pacific Chocolate』と似ているのだ。

『パシチョコ』の場合は、跡継ぎのいないガーナの王様(ガーナにはたくさんの王様がいるらしい)が、かつて日本留学中に恋仲になった日本人女性との間に息子がいることを聞きつけて日本を訪ね、血はつながっているが心のつながりのない彼と心を通わせていくストーリー。ガーナ人との混血の青年はチョコレート色の肌をしていて、家具工房で働いている(ガーナは木工が盛んで、ラストは彼がガーナへ渡って指導をする)。子どもたちにも手ほどきをしていて、「チョコレート先生」と慕われているのだが、「芸術家で先生」というところは『はりまや橋』のミッキー青年に重なる。

John氏は確か3年前の東京国際映画祭直前に「来週東京へ行く」とメールをくれたのが最後で音信不通となり、パシチョコ企画は止まっているのだが、「先にやられてしまった」という気持ちと、「どんな風に仕上がっているのか」の好奇心が湧いたのだった。

実際に本編を見てみると、『はりまや橋』と『パシチョコ』の大きな違いは「心の壁」のスケールだった。ともに親子が溝を埋める話だが、『はりまや橋』のほうが溝は深い。青年ミッキーが日本へ行くのを父ダニエルが猛反対したのは、ダニエルの父つまりミッキーの祖父が太平洋戦争中に日本軍の捕虜として悲惨な死を遂げたから。父を殺した国に息子が夢を見ることは、ダニエルにとっては裏切りだった。だが、喧嘩別れした息子との仲を修復する機会のないまま、息子は日本で命を落としてしまう。

残された父にできるのは、息子が生きた証、日本で描き遺した絵を集めることだった。その目的のためだけにダニエルは日本の土を踏む。息子が現地の人の心に遺したあたたかなものには見向きもせず、絵という物を集めることだけに血眼になるダニエルは、
観客には憎むべき人物に映り、もどかしさや憤りさえ呼び起こす。だが、その心が少しずつ解きほぐされ、離れ小島になっていた彼の心は日本へ向かって開かれる。そして、彼が現れたことによって心をかき乱された人々も、それぞれの答えを導き出し、穏やかさを取り戻していく。

黒人や外国人への偏見ももちろん描かれているが、それは「心の溝」の代表例のようなもの。人と人を隔てている「わかりあえない、わかりあいたくもない」という拒絶や諦めは、相手を知らないことから始まり、親子の間であっても「知りたくない、聞きたくない」という失望が溝を生む。そこから一歩踏み出したとき、心と心の間に橋が架けられることを『はりまや橋』は静かな感動とともに伝えてくれる。橋を渡るほんの少しの勇気があれば、人と人も、国と国も、わかりあえる、つながれる。そんな希望を届けてくれる作品だった。

役者陣の熱演も光っていた。ダニエル役のベン・ギロリさんは、この作品のエクゼクティブ・プロデューサーでもあるダニー・グローヴァーさんと、スピルバーグ監督の『カラーパープル』以来23年ぶりに兄弟役で共演。教育委員会の原先生役の清水美沙さんの英語の演技には説得力があった。ミッキーの妻、紀子を演じた高岡早紀さんは見とれるほどきれいで(『さよならCOLOR』の原田知世さんを観たときのような感動!)、切なさが美しい。主題歌『終点〜君の腕の中〜』も歌っている教育委員会職員・中島役のmisonoさんは、くるくる変わる表情がなんともキュートで、たちまちファンになってしまった。彼女を見てジュディマリのYUKIちゃんを連想したら、公式サイトの「好きなアーティスト」に「YUKI」と名前があって、納得。

The Harimaya Bridge はりまや橋』は、高知での先行上映に続き、新宿バルト9ほかで6月13日よりロードショー。日本にこんな風景が遺されていたのか、と感動を覚える高知の空や坂や緑は、ぜひスクリーンで。『ぼくママ』と同じくティ・ジョイ配給なので、予告編では『ぼくママ』を観られる可能性大。

2008年04月09日(水)  マタニティオレンジ263 こどものあそびば『ピアレッテ』
2007年04月09日(月)  人形町の『小春軒』と『快生軒』と『玉英堂彦九郎』
2004年04月09日(金)  五人姉妹の会@タンタローバ
2002年04月09日(火)  東京コピーライターズクラブ


2009年04月08日(水)  Q-potのお菓子なアクセサリー

4月2日の読売新聞で、パリコレの見本市会場の古い建物の柱をホイップクリーム風に飾り付けてケーキのように仕立てた写真が目に留まった。訪れる黒ずくめファッション関係者をアリに見立てたお茶目な演出。手がけたのは、アクセサリーを出品していた日本人デザイナーのワカマツタダアキさん。プチフールやマカロンを象ったアクセサリーもパリッ子の注目を集めたという。

ワカマツさんが手がけているアクセサリーブランドの名前、キューポット(Q-pot)に見覚えがあった。ずいぶん前にバナナチョコのアクセサリーが紹介されている記事に興味を持ち、携帯電話のメモ帳に記してあったブランドだ。早速サイトへ飛んでみると、ホイップ、シュークリーム、アイスクリーム、マカロン、チョコレート……目移りしそうなおいしそうなスイーツが指輪やらピアスやら携帯ストラップやらになっている。しかも、これはと思ったものは、ことごとくsold out。バナナチョコの指輪も売り切れていて残念。

いちごのホイップの指輪とビスケットのピアスと指輪が「在庫あり」だったので注文し、待つこと数日、今日商品が届いた。いちご指輪はおもちゃみたいだけどピンクのストーンがアクセントで、コドモじゃないわよと主張。ビスケットのピアスと指輪は木でできていて、かなりかわいい。しかし、思った以上にデカイ。確かにデカイと説明があった気がするけど、ここまで主張しているとは……。オレオクッキーより大きいのではなかろうか。舞台に立つような機会があったときの、とっておきにするべきか。先日買ったPhilaeのクッキーネックレスと組み合わせてもいいかも。

4月28日にはQ-pot初のムック(その名も「Q-pot」)が宝島社から出るそうで、こちらも注目。1380円で豪華付録の“Q-pot.チョコっとエコバック”(チョコレートのポーチの中からチョコレートのエコバックが登場。写真はこちら)がついてくるとはお値打ち。いまいまさこカフェの壁紙にも似ているし、これは買わねば。

ちょうど前原星良ちゃんから先日家にお邪魔したときに置き忘れた娘のたまのスプーンが届く。星良ちゃんが作ったフェルトのケース(どんぐりのアップリケつき)とソフトクリームの髪留めがオマケで同封されていた。「アイスね! かわいー! つける!」とたまは大はしゃぎ。お菓子アクセサリー好きはしっかり遺伝。ダイニングテーブルにもお菓子なシールがペタペタ。


【お知らせ】『いい爺いライダー』東京上映会

崔洋一監督に「おれらでも映画やれるべか?」と聞き、「やれる、やれる。本気でやるなら協力するよ」と言われて、北海道の素人高齢者集団が本気で作ってしまったのが2003年の『田んぼdeミュージカル』。(函館港イルミナシオン映画祭で拝見)したが、出演者の元気良さと計算では出せない味わいに観客一同ぶっ飛んだ。

第2弾『田んぼdeファッションショー』(05年)に続き、シニア暴走族が町の合併に反対して爆走する第3弾『いい爺いライダー~easy RideR the Tanbo~』(08年)が「第17回スポニチ芸術文化大賞」を受賞。優秀賞の綾小路きみまろ氏の中年パワーを爺いパワーで押さえた快挙。その贈賞式の前日に急遽東京で上映会が開催されることになったと脚本を書かれた知人の斎藤征義さんよりご案内が届いた。2008年の「地域づくり総務大臣表彰」にも選ばれ、爆音を轟かせて絶好調な『いい爺いライダー』をスクリーンで観られる貴重な機会、ご興味とお時間がある方はぜひ。

日時:4月16日(木)17時開場 入場料1200円
会場:渋谷ユーロスペース(東急本店近く) 
舞台挨拶:原田幸一(主演) 伊藤好一(監督) 崔洋一(映画監督・総合指導) 奥泉光(作家・特別出演)

2008年04月08日(火)  はじめてのJASRAC使用料
2007年04月08日(日)  東京都知事選挙
2005年04月08日(金)  懐かしくて新しい映画『鉄人28号』
2004年04月08日(木)  劇団ジンギスファーム「123」
2002年04月08日(月)  シナリオに目を向けさせてくれた「連載の人」


2009年04月07日(火)  溶けたプラスチック入りインドカレー

打ち合わせを終えた帰り道、新しくできたインドカレー屋の前で足を止めた。今夜は娘を預けているし、ダンナの帰りも遅い。一人分の夕食をテイクアウトのカレーで済まそう。

うちに帰る頃にはナンもカレーも冷めていたので、レンジで温め直す。ナンは皿に移したが、カレーを皿に移すのを「洗い物が増える」からと横着した。プラスチック容器をレンジにかけて大丈夫なのだろうかと一瞬疑問が頭をかすめたが、「コンビニのお弁当もチンしているではないか」を根拠にレンジで2分。取り出そうとして、後悔した。容器の丸い口が楕円形にゆがみ、変形している。

あわてて皿に移し、2種類あるうちのほうれん草カレーを口につけると、明らかにプラスチックの味がする。もう一方のマサラカレーはさほど気にならないので、そちらだけを食べることに。だが、マサラカレーだけ無傷ということはあるまい。バターと生クリームで誤摩化されているだけだ。平らげてからプラスチックの味がこみ上げてきて、「まずい」と思った。空腹のあまり冷静さを失っていたけれど、これは食べてはいけなかったのである。

「プラスチックを食べてしまった!」とあわて、「どうしよう」と焦ったが、後の祭り。溶けたプラスチックが体の中で固まったりしないだろうか。職業柄、たちまち想像力スイッチが入り、胃壁に張りついたプラスチックをリアルに思い浮かべてしまう。子どもの頃、幼なじみのヨシカに「チューイングガムは飲み込んでも外に出て行かへんねんで」と脅され、ガムを飲み込むくせのあったわたしは、それまでに胃に納めた大量のガムが胃壁にベタベタイボイボとくっつく図を想像し、心底震え上がった。ヨシカは「あと、トマトの皮も」と言ったので、赤い皮も張りつき、グロテスクな眺めとなった。

忘れかけていたその恐怖がプラスチックとともに蘇った。プラスチックの材料は石油だっけ。でも、合成着色料も石油ではなかったか。だったら、少々口にしても健康を脅かすことはないか。でも、有害物質が溶け出していたら……。生命の危機に瀕すると、人間の頭は高速回転するものだと感じる。

こういうときは、とりあえずネットに聞いてみる。「溶けたプラスチックを食べた」で検索すると、同じ失敗をした人がたくさん見つかり、まずは安心。「電子レンジで変形することがあっても、よっぽどの高熱でなければ溶けない」という意見がある。歪んだプラスチック容器をよく観察すると、ところどころ透けるぐらい薄くなっていて、溶けたように見えるのだが、「変形」だと解釈することにしよう。でも、明らかにカレーは石油臭い味がしたのだが、「プラスチックの匂いを味だと勘違いするケースがある」らしい。万が一、プラスチック溶液が口に入ったとしても、「食品に使われるプラスチック容器は安全性をチェックしているので、命を脅かすような有害物質は基本的には使われていない」という。ちなみにコンビニのお弁当などに使われるプラスチック容器は「レンジOK」の材質なのだとか。

質問掲示板に駆け込んだ「プラスチック食べちゃった人」が寄せられた回答にお礼を書き込めているということは、「命に別状なし」の何よりの証拠。「大丈夫そうだ」と気が大きくなると、気分も良くなったが、命が縮む思いを味わって、カレーも味わうどころじゃなかった。皿洗いをケチるものじゃないなと反省。

2008年04月07日(月)  マタニティオレンジ262 たま大臣の記者会見
2007年04月07日(土)  G-up Presents vol.5『アリスの愛はどこにある』
2004年04月07日(水)  2人で150才の出版祝賀会
2002年04月07日(日)  イタリア語


2009年04月06日(月)  『韓流「女と男・愛のルール」』(朴チョンヒョン)

物を書く仕事をしている縁で、書物を贈られる機会が多い。わたしも自著を贈った経験があるけれど、贈る側からすると、すぐさま読んで感想を聞かせて欲しい、できればネットなんかで宣伝もして欲しい。書籍の売り場争奪戦は、映画の小屋争奪戦以上に厳しく、話題にならない本はどんどん淘汰され、売り場から撤退させられてしまう。せっかく口コミしてくれるなら、早ければ早いほどいい。

それがわかりつつ、一月下旬に届いた朴チョンヒョン(漢字で表記すると、チョン=人偏に宗、ヒョン=玄)さんの『韓流「女と男・愛のルール」』に手をつけずにひと月経った頃、著者ご本人から「本届いていますか? お礼がまだですが」と彼らしいストレートでお茶目な問い合わせのメールがあった。早速あわててページをめくると、面白さと読みやすさもあり、数時間で読みきれた。なんだ、これぐらいの時間ならもっと早く取れたのに、と申し訳なさも手伝って、大急ぎで感想をまとめ、「わたしの日記でも紹介しますね」と書いたのが、2月20日。それからあっという間にまたひと月。朴さん、ごめんなさい。

朴さんに会ったのは昨年のこと(>>>2008年11月01日(土)「恋愛地理学」の朴教授)。朴さんの研究仲間であるツキハラさんの上京に合わせて、ツキハラさんの友人たちが集まった会にダンナとともに同席した。ちょうど朴さんがこの本の原稿を執筆中のことで、登場するエピソードのいくつかを披露してくれたのだけど、なかでも「韓国人は記念日好き」という話が印象に残った。わたしが大の記念日好きで、誕生日や結婚記念日はもちろんのこと「出会った日」や「初めてデートした日」をしっかり記憶し、歳月がめぐってもそれを思い出し、相手にも同じことを求めるがゆえに軋轢を生むことがある。その被害者であるダンナは、「韓国の女性とつきあったら、うちの嫁以上に面倒くさそうだ」と思い、わたしは「韓国の男性なら、わたしの記念日好きにつきあってくれるかも」と思ったのだった。

実際に読んだ本のなかでも、最も興味を惹かれたのが、この「記念日好き」話。バレンタインデー、ホワイトデーにちなんで、韓国では毎月14日に恋人たちの記念日が設定されているという。記念日信仰者のわたしでさえ、1歳までは毎月祝っていた娘の月誕生日を最近は忘れがちなので、恋人と月に一度の記念日を祝おうと思ったら、かなり高熱な恋愛温度と強度な恋愛体力(忍耐力)が必要になる。キムチとプルコギで蓄えたスタミナが恋愛にも活きているのだろうか。

とくに面白かったのは、恋人がいない男女が黒ずくめの服装で黒いものを食べて独り身をアピールする4月14日の「ブラックデー」。朴さんが来日してから生まれた記念日で、何も知らない朴さんがたまたま黒を来て入った店で黒いものを食べ、ふとまわりを見たら辺り一面真っ黒で何事かと慌てたという。本人の口からすでに聞いた話だったけれど、本を読みながら、また笑ってしまった。「世にも奇妙な物語」とか短編映画にそのままできそうなヘンな光景だ。

ホワイトデーのひと月後にブラックデーをぶつけるのは、「白黒つけたがる」韓国流の現れにも見えて興味深い。本の中では、「グレーでいようとする」日本流との対比で「韓流白黒のつけ方」が描かれていて、なるほどお隣の国なのに真逆だなあとカルチャーショックを受けた。たとえば、5人グループの中で2人が仲違いをした場合、日本では当事者同士は絶縁しても、あとのメンバーとのつきあいは続く。A子と喧嘩したB子は、B子以外の3人とはこれまで通りつきあいを続けるし、B子もA子以外の3人との縁は切らない……というのはよくあるパターン。ところが、韓国では、「A子派とB子派にグループが分裂」するのだという。どっちつかずの自分を許せず、立ち位置をはっきりさせてしまうらしい。ううむ、ここにもキムチ・プルコギパワー。日本流では「A子ともB子とも仲良くする」ことに疑問や葛藤を感じないのは、「なあなあ」という曖昧さがクッションになっているからかもしれない。

他に興味をそそられたのは……。

「韓国人は口喧嘩するけど手を出さない」という指摘。日本人は言葉にする前に傷つける行為に走ってしまう、その背景に「怒りをぶつけるボキャブラリーが貧困だから」という説は新鮮。

韓国の母の息子への溺愛ぶりは、身につまされて読んだ。韓国の男性と結婚した日本の女性は、家庭に干渉する姑の越権行為に辟易としてしまうらしい。溺愛度なら日本のわがダンナの母も負けておらず、「あなたはいいわねえ、毎日あの子に会えて」などと真顔で言われたりする。彼女にとっては息子は永遠の恋人で、嫁はライバル。口出しもしたいし、手出しもしたい。わたしの場合はダンナ母に「まいりました」と白旗を上げたうえで、いろいろと教えてもらったり助けてもらったりしている。息子への愛のお裾分けをいただくつもりでつきあうのが、嫁姑円満の秘訣かもしれない。

「秘密」の取り扱いの日韓の違いも面白かった。秘密を「言うな」と言われたらその約束を守ろうとする義理の日本人に対し、韓国人は言うべき相手との情を優先させる。隠すにせよ打ち明けるにせよ秘密のやりとりには感情の動きが伴うので、脚本を書く上で(ドラマを転がす上で)はとても大事な要素。でも、日韓では、そのタイミングや相手が変わってくる。女友達の秘密を黙っていた妻を夫がなじる(夫婦の絆のほうが親友の絆に勝るという判断)くせに、女友達が泊まりにきたときには、妻は夫とではなく女友達と寝るのが普通なのだというから一筋縄ではいかない。

脚本といえば、朴さんは日本のテレビドラマをかなり見ていて、日韓恋愛観の違いを見比べる材料にもしている。本文中にもいくつかのドラマが引き合いに出されているが、脚本家の名前を明記していたのは好評価。テレビのドラマ欄でも脚本家の名前が記される機会は少ないので、わたしが所属する日本シナリオ作家協会はクレジット表記に躍起になっているという事情とあわせて、朴さんにはお礼を伝えた。

「今井さんとダンナさんも登場していますよ」と朴さんに教えられていたので、どんな風に書かれているのかしらんと期待して探してみたら、「プロポーズのなかったカップル」として登場。韓国の男は愛の言葉を臆面もなく口にし、プロポーズにも気合いを入れて白黒つけるが、日本の男はプロポーズさえ出し惜しみする。その日本代表に抜擢されていた。ううむ。

するっと読めるけれど発見盛りだくさんな『韓流「女と男・愛のルール」』。興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。

他に大阪出身でコピーライターから脚本家に、という経歴がわたしと似ている友人の川上徹也さんから『仕事はストーリーで動かそう』が、わたしが脚本を書いたラジオドラマ『アクアリウムの夜』に出演された秋元紀子さんの友人、井上豊さんから5月刊行予定の『冒険リクタウミ』が届いている。近いうちにご紹介したいと思う。

2008年04月06日(日)  ギャラリー工にてマッキャンOB『Again』展
2007年04月06日(金)   エイプリルフールと愛すべき法螺吹き
2002年04月06日(土)  カスタード入りあんドーナツ


2009年04月05日(日)  新聞広げて宝探し

一歩も外へ出ず、家にこもってパソコンに向かう。気分転換に、たまった新聞の整理をする。ネットで記事を読める時代ではあるけれど、新聞を広げる時間には代えられない。森の中から木の実を探すようなワクワク感も、深海に眠る真珠を掘り当てる興奮も、視界に納まりきらない見開きの新聞紙から見つけ出すという行為あってこそと思う。ダンナが「バサバサとうるさい」と非難するほどの音が立つので、かなりのスピードでめくりながら目を走らせているのだけれど、アンテナに引っかかる記事は、どんなに小さくても、「ここですよ」と知らせて光っているみたいに目に留まる。

今日の宝探しで拾った小さな記事は……。

3月21日(土)朝日。毎週楽しみに読んでいる落合恵子さんのエッセイ「積極的その日暮らし」。根つきのセリの根っこを水を張ったグラスに挿して、伸びたセリをまた料理に使ったり、人参の頭から出る葉っぱを楽しんだり、生ごみになるはずの野菜から生まれる窓辺の緑たちが、「人生のちょっとした煩い」を吹き飛ばしてくれるという言葉に共感。『人生のちょっとした煩い』を書いたアメリカの女性作家を「キッチンテーブルライター」のひとりと紹介している。書斎を持たず、子どもが食べたクッキーのかけらが散らかっているような台所のテーブルが仕事場。わたしもそれだ、とわがキッチンの窓辺の森を眺めながらうなずき、「キッチンテーブルライター」の呼び名を気に入る。

3月30日(月)朝日。「先生からのサプライズ」と題した投書。小学校卒業を間近に控えた6年生に担任の先生が6年分の同窓会をプレゼント。1時間目は1年生のクラスの同級生と、2時間目は2年生のクラスの同級生と集まり、一日をかけて6年間を振り返ったという。何て粋な贈りものだろう。

4月2日(木)読売夕刊。くるくる回る部分がいちごにペイントされたカナダ・バンクーバーを走るセメントミキサー車の写真。そういえば、アメリカで食べたいちごは長細かった気がする。日本だったらいちごよりタケノコかな。

4月3日(金)朝日。明治・大正の記事データベース。1879(明治12)年の記事には自転車が登場している。1925(大正14)年の記事では、不景気で菊池寛の収入が激減。1922(大正11)年の献立には「豚肉と野菜のカレー」や「焼きナスのマヨネーズソースかけ」が登場。未成年の飲酒禁止は1922(大正11)年からで、1889年(明治22)年に「13歳の少年がそば7杯、酒を6合」無銭飲食して警察に突き出されているが、飲酒は問題になっていないのが興味深い。

2008年04月05日(土)  桜吹雪舞う鎌倉
2007年04月05日(木)  消えものにお金をかける
2004年04月05日(月)  シンデレラブレーション
2002年04月05日(金)  イマセン高校へ行こう!


2009年04月04日(土)  朝ドラ「つばさ」第2週は「甘玉堂よ、永遠に」

つばさ第1週の放送最終日の6日目。BS2で観て、総合で観て、一週間分まとめて放送を観る。娘のたまの「たま語」のつばさ語録も一週間でずいぶん収穫できた。30日の初日から「シ〜ザ〜」と主題歌に合わせて歌い、「なんでシーザーっていってるの?」と突っ込み、わたしが「ママはお仕事で『つばさ』作ってるんだよ」と教えると、「たまちゃん、おしごとで、ちょうちょさんつくってるの」と張り合っていたが、毎日毎日何度も観るものだから、次第に「つばさ」を「ママを横取りするライバル」視するようになった。「ちゅばさ、おわり〜」とテレビを止めようとしたり、「たまちゃんでてないよ」と訴えたり、「だんだんがいいよ」と前作を引き合いに出したり。「だんだん」と言えば、竹内まりやさんのナレーションが「また明日。だんだん」と締めくくることが多かったが、たまはそれが印象に残っているらしく、「つばさ」の放送が終わると、「ちゅばさっていわないの?」と不思議がる。

昼から四ツ谷駅近くの土手で花見。同席した皆さん、「つばさ、観てますよー」。スタッフに面と向かって悪口言う人はいないだろうから贔屓点は加算されているだろうけれど、「面白い」「ヒロインが可愛い」などと好意的。「家事の描写が細かくてリアル」と細かいところをよく観てくれている人も。作り手の意図や意欲がけっこう伝わっていることに、ほくほくする。

「つばさ」は一週間ごとの「パッケージ感」を意識していて、毎週月曜日の入口と土曜日の出口をしっかり作り、サブタイトルもその週にふさわしいものを吟味してつけている。第1週「ハタチのおかんとホーローの母」に続いて、第2週は「甘玉堂よ、永遠に」。この週も小ネタがいろいろ登場。斎藤清六さん演じる中古機械のブローカー・田中さんが紹介する和菓子製造機の「あずき2号」。わたしのご近所仲間で鉄道ファンのT氏は「あずさ2号が登場するのですか!」と興奮したが、「あずさ」に横棒一本足して「あずき」である。鉄道といえば、西武鉄道と東武鉄道が競い合うように「つばさ」ラッピング電車を走らせているのが話題になっているが、つばさの弟・知秋が「鉄道ファン」らしきものを愛読しているのも見逃せない。どうやら知秋は「鉄」の様子。知秋を演じる冨浦智嗣君は、わたしのまわりの主婦の間で話題沸騰。声といい、動きといい、想定外なところが「気になる〜」「くぎづけ〜」となるそう。

今後も度々登場する「一見おふざけ、でも重要」アイテムとしては、一週で外箱だけ登場した「センジュくん」。掃除道具を千手観音状態にした便利なんだか不便なんだかわからない代物。つばさの母・加乃子が一攫千金を目論んだものの大量の在庫を抱え、玉木家で場所を取ることに。こういう売れないものに夢を託してきた結果、加乃子の借金は膨らんでしまった模様。2週ではセンジュくんを実演販売する加乃子も見られ、放浪の10年間の生き様がうかがえる。

そして、これまた「一見おふざけ、でも重要」なサンバダンサーが玉木家のお茶の間に登場。何度も見ると感覚が麻痺してくるけれど、初めて見ると度肝を抜かれるかもしれない。畳の上を踊り歩くサンバダンサーは、なんともシュール。

連続テレビ小説「つばさ」
【放送】
総合・デジタル総合 (月)〜(土)8:15〜8:30
デジタル衛星ハイビジョン (月)〜(土)7:30〜7:45
衛星第2 (月)〜(土)7:45〜8:00
[再放送]
総合・デジタル総合 (月)〜(土)12:45〜13:00
衛星第2 (月)〜(土)19:30〜19:45 (土)9:30〜11:00(一週間分)

2008年04月04日(金)  アートフェア東京で名久井直子とミヤケマイ作品集の話
2007年04月04日(水)  マタニティオレンジ104 ママ友さん、いらっしゃいませ。
2004年04月04日(日)  TFS体験入学
2002年04月04日(木)  前田哲×田中要次×松田一沙×大森南朋パコダテ人トーク


2009年04月03日(金)  たんすの肥やしに絵を描く

ちょこっと時間が空いて、気分転換に仕事から離れたことがしたくなった。でも、たまりにたまった家事からは逃げて、絵を描くことに。宮崎あおいちゃんが舞台『その夜明け、嘘』で着てた衣装に手描きっぽい模様があったのがすごく可愛くて、わたしも服に絵を描いてみたくなったのだけど、なかなか時間が取れなくて、ひと月経っていた。

たんすの奥に眠っている生成りのワンピースと白のオーバーブラウスを引っ張り出す。ワンピースはアメリカに留学したときに買ったインド製のもの。30ドルぐらいだっただろうか。かなりサイズが大きいので裾を端折り、肩を結ばないと引きずってしまう。こちらは20年以上持っているけれど、10年以上着ていない。学生時代に京都の新京極で2980円で買ったオーバーブラウスはマタニティウェアとして重宝したけれど、出産してからは袖を通していない。

なくても困らないけど捨てるには忍びない2着をキャンバスに、これまた棚の奥から絵の具箱を取り出し、パレットにリキテックスを溶いて、まずオーバーブラウスで練習。布を引っ張りながら描かないと筆がつっかえて止まってしまう、生乾きのまま持ち上げるとあちこちに色がつくなどの反省を踏まえてワンピースは少しましな仕上がりになった。余っているボタンもつけて、ちょっぴり華やぎ、この春は出番がありそう。

娘のたまは壁に掛けた2着に咲いたオレンジの花を見て、「ママがかいたの?」と興味しんしん。ダンナが帰宅すると、「パパ、これママがかいたんだよ」と報告していた。そういうわけで、今夜の子守話は、オレンジの花のお話。

子守話53「オレンジいろの そらとぶじゅうたん」

オレンジいろのはながいちめんにさいている
おはなばたけに たまちゃんがやってくると
どこからか ちいさなこえがしました。
「たまちゃん はるがきたよ。
 いっしょに はるをさがしにいこうよ」
たまちゃんは あたりをみまわしましたが
たまちゃんのほかには だれもいません。
「どうやって はるをさがしにいくの」とたまちゃんがきくと
「おはなのうえに ねっころがってごらん」とこえがこたえました。

そこで たまちゃんが おはなのうえにねっころがると
オレンジいろのじゅうたんが ふわりとまいあがりました。
たまちゃんをのせた そらとぶじゅうたんは 
なんと たくさんのちょうちょたちでした。
おはなとそっくりなオレンジいろのはねのちょうちょたちが
おはなばたけのはなのうえで たまちゃんをまちうけていたのです。 

そらのうえからみおろすと みどりがくっきりとみえました。
いろとりどりのおはなばたけも みえました。
とりたちがうたいながらとぶのも みえました。
そこにもここにも はるがたくさんありました。

そらとぶじゅうたんは はらっぱにおりたちました。
たまちゃんをおろしたオレンジのはねのちょうちょたちは 
たまちゃんにバイバイしながら いっせいにとびたちました。
そらにおはなばたけがあらわれたようで そこにもはるがありました。

「つばさ」視聴率はいったん17%を割り、昨日放送の第4回は初日と同じ17.7%に浮上したそう。視聴率はそもそもCMの値段や打ち方を決める指標で、コピーライターをやっていた頃は、この数字を使ってキャンペーンの予算配分をプレゼンしていた。脚本家になった今は、CMのない番組で視聴率の浮き沈みに一喜一憂しているのが不思議。

2008年04月03日(木)  アテプリスペシャル宣伝デー
2007年04月03日(火)  マタニティオレンジ103 保育園の入園式


2009年04月02日(木)  御伽話な法螺話が気持ちいい『フィッシュストーリー』

伊坂幸太郎原作×中村義洋監督作品第2弾『フィッシュストーリー』を観る。前作『アヒルと鴨のコインロッカー』を気に入った伊坂氏から中村監督に映画化をお願いしたのだとか。伊坂幸太郎作品はわたしもいくつか読んでいるけれど、一読者として心底楽しみながら、一制作者として「映像化は難しそうだなあ」といつも感じる。だから、前作で原作者を唸らせ、次につなげた中村監督の力量にわたしも唸ってしまう(脚本は前作が中村監督と鈴木謙一さん、今作が林民夫さん)。『チーム・バチスタの栄光』に続いて公開中の『ジェネラル・ルージュの凱旋』も海堂尊原作2連発。

中村義洋監督がデビュー作『ローカルニュース』をひっさげて函館山ロープウェイ映画祭(翌年から函館港イルミナシオン映画祭に改名)に現れたとき、わたしは初めてシナリオの賞をもらい、授賞式のために映画祭に参加していた。『ローカルニュース』の設定のバカバカしさと登場人物の愛らしさに「こういうのも映画なのか」と驚き、同じ1970年生まれの監督がその後脚本家としても活躍するのをひそかに眺めていたのだけど、ここ数年はとくに注目作が続き、ますます目が離せない監督になった。

そんな中村義洋監督の最新作に朝ドラ「つばさ」でご一緒している多部未華子さんが出演とあって、これは観ねばと池袋シネ・リーブルへ向かったのだった。ちょうど連載エッセイ「出張いまいまさこカフェ」11杯目が載ったbuku(池袋シネマ振興会のフリーペーパー)が3月下旬に出たばかり。表紙は多部さんで、『フィッシュストーリー』のインタビューと出張いまいカフェを続きで読める。


さて、期待十分の作品の中身は……。原作はまだ読んでいなくて、あらすじの情報はチラシだけ。早過ぎたパンクバンド「逆鱗」の最後のレコーディング曲(1975年)が時代を超えて誰かの人生に影響を与え、最後は2012年の地球滅亡の危機を救うという壮大なストーリー。』時代がどんどん飛ぶということで、ついていけるかしらと不安になったが、一度も混乱することなく物語に入っていけた。

忘れられた「逆鱗」の最後の曲『フィッシュストーリー』は、無音の間奏部分に女性の悲鳴が聞こえるという噂とともに呪いマニアの間で生き残るが、消された間奏部分には元々何が入っていたのか? 意味不明とも哲学的とも取れる『フィッシュストーリー』の歌詞の出典は? 歌に影響を受けた大学生は、合コンで出会った霊感の強い女子大生の予言通り人類滅亡の危機を救う人物となれたのか? 冒頭から何度か出て来る「正義の味方ゴレンジャー」の意味するものは?……それまでの約100分でちりばめられた数々の謎や伏線のパズルのピースが一気につながるラストが実に気持ちいい。

多部さん演じる「眠りこけてフェリーを下り損ねた名門私学理数系の修学旅行生」の伏線も見事に回収され、人類滅亡の絶望が晴れるのと観客の頭の中の疑問符が吹き払われるタイミングがうまく合って、目の前がすっきりと開けたような爽快感。それは伊坂幸太郎作品の読後感によく似ていて、ラストは原作とは変えているらしいけれど、作品の持つ空気の映像化に成功していると感じた。

見逃せないのは、作品で重要な役割を演じる音楽の説得力。『フィッシュストーリー』が力のある曲でなかったら、「誰かの人生を動かす埋もれた名曲」であることが嘘っぽくなってしまう。伊坂氏が多大な影響を受け、強い絆で結ばれているという斎藤和義氏の音楽がなければ、この映画は成立しなかったと思う。劇中で何度聴かされてもしつこさを感じさせず、むしろ病み付きにさせる旋律と歌詞(伊坂氏との共同作詞のよう)。加えてボーカル役の高良健吾さんの声に哀しみと色気があって、ゾクゾクした。

タイトルのフィッシュストーリーとは、法螺話のこと。「逃した魚はでかかった」と釣り人の話は大きくなりがち、というのが語源らしい。その連想もあって、ティム・バートン監督の『ビッグフィッシュ』を観終えたときの何ともいえない幸せな気持ちも思い出した。自分たちの曲はきっと売れないとわかりつつも、もしかしたら誰かの心に届いて、その人生を変えて、何年か後に人類を救うかもしれない。そんな法螺話のような未来を語るバンドメンバーが愛おしい。その「ありえない未来」が映画という嘘の中でかなったとき、人生バンザイな気持ちになった。めぐりめぐって、まわりまわって、何が起こるかわからない。だから、人生はやめられないし、明日が今日より楽しみになる。彗星が地球に衝突する直前の地球を舞台に、法螺話で御伽話をこしらえてしまう伊坂幸太郎氏にもあらためて感心した。

ところで、彗星が地球にぶつかって人類滅亡の危機といえば、わたしが一晩に二度読むほど惚れた『終末のフール』を連想させる。調べてみると、原作『フィッシュストーリー』は、後に単行本『終末のフール』に納められる連作短編を小説すばるに連載していた終盤、「演劇のオール」(2005年8月号)と「深海のポール」(2005年11月号)の間、2005年10月号の小説新潮に掲載されている。単行本『フィッシュストーリー』には他に4編が所収されているから、原作は短編らしい。ぜひ近いうちに読まなくては。『終末のフール』も中村義洋監督なら映像化できるかも。

2008年04月02日(水)  マタニティオレンジ261 「お母さん、しっかりしてください」と歯医者さん
2007年04月02日(月)  21世紀のわらしべ長者
2005年04月02日(土)  アンデルセン200才
2002年04月02日(火)  盆さいや


2009年04月01日(水)  (ホームレス)公田耕一氏と(アメリカ)郷隼人氏

毎週月曜の朝日新聞朝刊に掲載される朝日歌壇からこのところ目が離せない。掲載された歌の作者名の上には(東京都)のように所在地が記されるのだが、(ホームレス)公田耕一という作者が昨年の暮れ頃に現れた。すでに(アメリカ)郷隼人という常連がいて、漢字ばかりの地名の中でカタカナ4文字が異彩を放っていたのだが、編集者が(住所不定)ではなく(ホームレス)の表記を選んだことで、カタカナ所在地作者が双璧を成すことになった。

(アメリカ)郷隼人氏の作品は、わたしが見る限り100%ではないかと思われる高い掲載率を誇り、三十一文字の私小説を連載で読みながら主人公の郷隼人氏を少しずつ理解している。どうやらアメリカで服役中で、その年月は数十年を数えるらしいが、その一週間、一週間は短歌の投稿で刻まれている。塀の内から塀を越え海を越えた歌が毎週のように掲載され、読者は彼の無事を知るが、作者本人は朝日新聞を読み、掲載の有無を確かめる手だてはあるのだろうか。

一方、(ホームレス)公田耕一氏の三十一文字私小説も、ときどき休みの週はあるけれど、作者の人となりを想像するのに十分。赤いきつねと迷った挙げ句に朝日を買うという内容の歌があったりする。2月頃に「連絡求む」の記事が朝日新聞に載った際に紹介された「選に漏れた歌」によると、体を悪くされている様子。その記事を追って「ホームレス歌人の記事を他人事のやうに読めども涙零しぬ」という歌が掲載された。読者からのお便り欄にも反響があり、さらに「連絡を取る勇気がない」との申し出があったという続報が載り、それでも(ホームレス)公田耕一氏の投稿と掲載は続き、ますます朝日歌壇から目が離せなくなるのだった。

そして、一昨日の朝日歌壇を開いて、あっとなった。

温かきコーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えし
コーヒー啜る   (ホームレス)公田耕一

囚人の己が〈(ホームレス)公田〉想いつつ
食むHOTMEALを   (アメリカ)郷隼人


気になる二人の作品が並んで掲載されている。公田氏と郷氏のそれぞれに思いを馳せ、「公田氏の上には屋根がなく、郷氏の上には屋根があるのだろうか」などと考えたことはあったけれど、二人の一方がもう一方を想う場面を想像したことがなかった。「あの人はあたたかいものを口にしているのだろうか」と思いやる郷氏への返事のように、公田氏はカイロ代わりに抱いて冷めたコーヒーを詠んでいる。今週も公田氏は赤いきつねの代わりに朝日を買っただろうか。アメリカからのメッセージが家なき人に届きますように。もしかしたら、近いうちに公田氏の歌に郷氏のことが詠み込まれるかもしれない。(アメリカ)と(ホームレス)が短歌を通じてつながった瞬間に興奮を覚えた読者はわたし一人ではないだろう。二人のカタカナ詩人を見守るたくさんの読者と、わたしもやわらかくつながっている気がする。

今日は春の嵐で夕方から雷雨。娘のたまは雷が珍しいらしく、窓の外がピカッと明るくなるたびに不思議そうに見ていた。というわけで、今夜の子守話は雷一家のお話。たまは気に入ったのか、終わるたびに「かみなりのはなし」と再演をせがみ、3回繰り返して聞かせた。
子守話52 かみなりかぞく

そらがピカッとひかって 
ドンガラガッシャンとおとがして
あめがザーザーふっている。
どうして こうなっているか わかる?
そらのうえで かみなりのかぞくが おおげんかしているから。

ピカッとひかるのは かみなりママの てかがみ。
かみがたが うまくきまらなくて 
あさからずっと かがみとにらめっこ。
「おい いつまで やってんだよ! 
 はやく ばんごはんを つくってくれよ!」
おなかをすかせた かみなりパパが おこりだして
たいこをたたいて ドンドンドンドン。そうしたら
「もう しずかにしてよ! べんきょうできないよ!」
かみなりにいちゃんも おこりだして
あしをふみならして ドンドンドンドン。そうしたら
「うるさくって でんわがきこえない!」
かみなりおねえちゃんも おこりだして
かべをたたいて ドンドンドンドン。そうしたら
「しずかにしないと ごはんつくらないわよ!」
ばくはつあたまのママも いかりがばくはつして
なべをたたいて バンバンバンバン。そうしたら
たなのものがゆかにおっこちて ドンガラガッシャン。
ねんねしていたかみなりあかちゃんが めをさまし
エーンエーンとなきだして あめがザーザーふりだした。

2008年04月01日(火)  今井雅子作品『これコレ』と『アテプリ』届きました
2007年04月01日(日)  歌い奏で踊る最強披露宴
2004年04月01日(木)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」刊行
2002年04月01日(月)  インド料理屋にパコの風

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