気がついたらエイプリルフールが終わっていた。世間的に流行らなくなったのだろうか。それともわたしが大人になっただけだろうか。子どもの頃は、好きなだけ嘘をつけるこの日が待ち遠しくてたまらなかった。今年はどんな嘘をついてやろうかと待ち構え、日が暮れるまでに何人を騙そうかと張り切ったものだ。
大人になると、無邪気な嘘を楽しむエイプリルフール適齢期は過ぎてしまう代わりに、毎日が嘘つき日和になる。自分をかばうために、相手を傷つけないために、罪のない嘘や罪つくりな嘘を重ねる。嘘をつくとき、人はとても人間くさくなると思う。嘘をついてまで守りたい何かや壊したい何かや手に入れたい何かがある。嘘をつくことそのものが目的だったエイプリルフールを卒業し、嘘は目的を果たす手段になる。
嘘をつかれた場合、それなりの事情があったんだろうなと察して許したり流したりするのが大人だけれど、あまり気分のいいものではない。でも、豪快な法螺話には愛すべきものが多い。勤めていた広告会社には、大風呂敷を広げる名人がたくさんいた。「ビッグなタレントを起用しよう。G7とか」と言って部下を仰天させたクリエイティブディレクターの発言は、法螺ではなく「V6」の言いまつがえだったけれど、「世界中のホームページは全部見た」と言い放った別なクリエイティブディレクターの自慢話は、あまりのスケールの大きさに「うちの会社のワールドワイドのホームページの間違いだろうか」「一を聞いて十を知る、の変型かもしれない」とさまざまな憶測を呼んだ。風呂敷にも適度なサイズがあり、大きすぎると道化を演じることになる。
脚本の仕事の発注を受けるときも、大音量の法螺を吹かれてびっくりすることがある。自分や企画を良く見せようと精一杯の虚勢を張りたい気持ちはわかるが、いきなりクロサワだのナルセだの巨匠監督の名を次々と挙げる人には、安心よりも警戒を覚える。「スピルバーグも関心を示している予算50億円の映画」は確かにすごいと思うけれど、そんな大企画の脚本を会ったこともない脚本家に託すプロデューサーの気が知れない。おいしいネタをごちそうさまでした、と心の中で手を合わせて丁重にお断りする。
2002年04月06日(土) カスタード入りあんドーナツ