子どもが生まれて、出かけるよりも家で過ごす時間が増え、訪ねてくれる人の数も増えて、50㎡ちょっとのわが家が狭く感じられるようになった。不動産屋さんに相談すると、家賃を今より5万円上げても、せいぜい10㎡ほどしか広くならないと言われる。住んでいるエリアの相場が上がっているのに対し、わが家の家賃は越してきた6年前から据え置かれている。引っ越す意味があるぐらいのインパクトのある広さを獲得しようとしたら、家賃は2倍近くに跳ね上がる。さらに、不動産紹介料や礼金や引越し代もかかる。「今の物件に住み続けるのがおトク」という結論になり、「今より20㎡広い引っ越すのが難しいなら、デッドスペースを有効に使って20㎡を捻出しよう」と発想を転換。3DKのうち2部屋はウォークインクローゼットと化しているが、これをひと部屋に減らし、各部屋にあるごみごみしたものを整理すれば、体感面積は2、3割増しになる。
出産前の大掃除でかなり物を減らしたけれど、それでもまだ未練がましく溜め込んでいる「二度と着ない服」や「二度と読まない資料」とけじめをつけることに。さらに、「余計なものは拾わない、買わない」ことを肝に銘じる。もったいない精神がしみついているわたしは、まだ使えると思うものは捨てられないばかりか拾ってしまう悪い癖があり、会社の大掃除のたびに廊下に放出された不用品を持ち帰っていた。引越しシーズンの今は、マンション入口前の粗大ゴミ置き場が宝の山に見えてしょうがない。まだまだ現役オーラを放っている机や棚と目が合ってしまうが、「うちは狭いからね」と連れ帰ることを泣く泣く諦める。
かさばる雑貨は我慢し、買うなら「消えるもの」を心がける。映画の撮影で「消えもの」といえば、役者さんが演技で使う食べものや飲みものを主に指す。もとは舞台用語で、上演のたびに毎回新しいものを用意しなければならないものを指すらしく、丸めてポイされる原稿用紙や紙吹雪も消えものということになる。家賃の高いところに引っ越したつもりで何かを買うなら、「家庭版消えもの」にお金をかけようと思う。嵩張らず、狭いわが家にのさばらないものたち。たとえば、お菓子。たとえば、花。たとえば、キャンドル。手元に置かれるより、送り出されることが宿命のグリーティングカードやレターセットも、消えものと呼べようか(最近はエンボス加工のついたレターセットに凝っている)。共通点は、消えるときに、誰かの心をあたためたりやさしくしたりしてくれること。物を減らしても体感面積を広げるには限界はあるけれど、消えものの贅沢はゆとりを運んでくれる気がする。
2004年04月05日(月) シンデレラブレーション
2002年04月05日(金) イマセン高校へ行こう!