2008年11月06日(木)  「遊園地のドレス」「音が降る傘」

新聞の切り抜きを整理していたら、インド人デザイナーマニッシュ・アローラがデザインしたというドレスの写真が出て来た。スカート部分がメリーゴーランドになっていて、歩くと移動遊園地(記事によると「サーカス」がテーマとのこと)。面白いこと考えるなあ。愛・地球博のインド館でわたしを釘づけにしたワンピースを手がけたのと同じデザイナーではないかと勝手に推測。オレンジの地にアメコミが大胆にデザインされていて、そのポップさに度肝を抜かれたのだけど、服で遊ぶ感覚に通じるものがある。マニッシュ・アローラの服は日本未上陸かと思いきや、原宿のビームスで扱っているとのこと。お値段も派手なのか、今度見てみたい。

もうひとつ、大学生が携帯の振動子を使って「音が降る傘」を開発したという新聞記事にも惹かれた。振動を受け止めた傘がスピーカーになる仕組みだとか。いろんな傘で試した結果、和傘との相性が良かったという。試作品の評判が良ければ一万円を切る価格で量産を検討とのこと。降り注ぐ音楽に包まれるのはどんな心地だろう。相合い傘か、親子仲良し傘か、一家団欒傘か、音を聞くために広げる傘は、大きめだとうれしい。

2007年11月06日(火)  整骨院のウキちゃん1 伝説の女編
2003年11月06日(木)  よかったよ、ガキンチョ★ROCK


2008年11月04日(火)  気功教室初級編修了

全10回コースの気功教室初級編が今日修了。10回中8回出席し、基本を会得した人は次のクラスに進めるのだけど、「10年間初級をおさらいし続けている人もいます」と先生が言ったとき、目が合った気がした。最後まで「なんか違う」という先生の視線が痛かった。毎回先生が張りついたように隣に立ってお手本を見せてくれるのは、「いい『気』が出ていて見込まれているせいでは」と思ったりもしたけれど、単に飲み込みが悪かったようだ。最後の2回は、気を集めて自分の体に入れていくようなことを教わった。わたしの習熟度では、気は集められもせず入りもしていないのかもしれないけれど、なんとなく手があったかくなって、気のようなものが出ているように感じられた。病は気から、ならぬ、気は気から?暗示にかかりやすい性格なので、素質はあるのではと思うのだけど。当初の目的である腰痛対策の成果はよくわからないけれど、いつもよりは痛みが和らいだ気がしないでもない。背骨を大きく動かすのが特長の気功なので、運動不足が解消されて血行が促進されたのかも。

2005年11月04日(金)  名久井直子さんの本
2002年11月04日(月)  ヤニーズ4回目『コシバイ3つ』


2008年11月03日(月)  秋刀魚と電車目当てに銚子へ 2日目

一家でやってきた銚子の2日目。娘のたまが6時前に目を覚まし、早朝の漁港を散歩。倉庫の屋根に止まったカモメたちを「ことり ならんでるね」と指差し、「ことりはとってもうたがすき」と歌い出し、散歩中の犬を見て「おしり ふってるね」、壁の落書きを見て「じじ かいてるね」。たまの口から言葉があふれ、いつの間にそんなにしゃべれるようになったのと驚く。一緒に暮らしている家族でも、旅に出ると発見がある。

朝食は焼いた秋刀魚。脂の乗った身のほとんどはたまの胃袋へ。朝からごはんが進み、おひつは空っぽ。昨日の夜も今朝も、うちの一家がいちばんよく食べたのではないだろうか。

宿のご主人の運転で犬吠埼の灯台まで送ってもらい、99段の狭い階段を登って見晴らし台に出る。以前よりも高所恐怖症がひどくなったようで、足がすくんで膝が痺れるように痛む。キンキンズキズキ、膝が頭痛になったような感覚。


灯台から10分ほど歩くと、銚子電鉄の犬吠駅。バブル時代の名残のリゾートペンション風駅舎の前に古い車両を改装したレストランがある。たまは運転席に陣取って運転士気分。ドリンクが300円、手作りプリンとのセットが400円。迷うことなくプリンつきに。小ぶりながら卵度が高く、素朴な甘みがおいしい。激しく「す」が立っているところも手作り感たっぷり。つみれ入り魚麺(300円)は、半分食べてもこのボリューム。

犬吠駅ではおばちゃんがその場で醤油を塗って焼いているできたての「ぬれせん」を買って食べられる。醤油の焼ける香ばしいにおいに誘われて、一枚。さらに、電車に乗って観音駅まで行き、名物たい焼きを一匹。
観音を見て(どう見ても大仏に見えたのだけど、あの方が観音だったのだろうか。たまも「だいぶつ」と指差していたけれど、どこで大仏なんか覚えたのだろう)、魚市場のほうへ歩き、市場前にあるお店の魚の活きの良さと値段の安さに驚く。秋刀魚は6〜8匹で千円。中には「18匹千円」のものも。八百屋では「里芋一袋50円」。車だったら買い込んで帰るのになあと嘆いたのだけど、結局買い物ができた。知人に紹介された地元の人に連絡を取ると、その方が車でおすすめの店に案内してくれたのだった。マリンパークでふえすぎたペンギンを譲り受けたペンギンを見られるという京成ホテルの駐車場にも連れて行っていただく。上野動物園よりも近い目の前でペンギンを見られて、たまは大喜び。水に飛び込もうとしているペンギンたちに「がんばれ〜」の声援を送ったところで力つきて眠り、帰りの高速バスが東京駅に着くまで眠り続けた。

2006年11月03日(金)  マタニティオレンジ25 国産車か外車か
2005年11月03日(木)  柴田さん、旅立つ。


2008年11月02日(日)  秋刀魚と電車目当てに銚子へ 1日目

旬の秋刀魚を魚屋さんで買ってきたのを娘のたまが夢中で食べた。とれたてはさらにおいしかろう、と銚子の港が食卓の話題にのぼり、「そういえば、子どもの頃に家族で行ったことがある」とわたしが言うと、だったら行こうかとダンナが言い出した。秋刀魚と犬吠埼の灯台と朝ドラ『澪つくし』のロケ地の他に何があるのか調べてみると、銚子電鉄というローカル線が走っている。ご近所仲間で鉄道に詳しいT氏に問い合わせると、「銚子電鉄は『ぬれせん』で走っています」。電車の修理代を稼ぐために開発されたという名物ぬれ煎餅の他、たい焼きが人気や古い車両のレストランがある駅もあるとは、自称「食べ鉄」のわたしには耳寄りな話。「銚子行って電車乗って魚食べる?」と娘に聞くと、「行く!」と乗った。

一日3本の特急しおさいなら東京駅から銚子駅まで1時間50分。特急料金を浮かすためローカル線で行くと、2時間半。退屈して動き回る2歳児を押さえつけながらの電車の旅は、なかなか辛い。さらに銚子駅から銚子電鉄に揺られて終点の外川駅へ。『澪つくし』に登場したそのままのたたずまいの駅舎から徒歩5分の民宿『元治』に到着。家を出てから4時間近い長旅となった。


海沿いの定食屋『見晴』でお昼を食べ、海に落ちる夕日を求めて海沿いを歩く。釣り人が集まる先の広い空を見つめているうちに雲が出て来てしまい、赤く燃える太陽を拝むことはできなかったけれど、マジックアワーな色合いに染まった空もまた良かった。

夕食は魚三昧。アップグレードした刺身は6種類。魚好きのたまは、秋刀魚の刺身を気に入り、ほとんど一人で食べてしまった。かさごの煮付けもモリモリ食べ、この食べっぷりを見るだけでも来た甲斐あったと思う。民宿だから子連れでも大丈夫だろうとは思ったけれど、たまより小さな子どもがいる家族があと二組いて、畳をハイハイして交流していた。田舎の親戚の家に泊まりに来たみたいだなあと思う。

2006年11月02日(木)  ハートの鍛え方
2005年11月02日(水)  ウーマンリブVol.9『七人の恋人』
2003年11月02日(日)  ロンドン映画祭にも風じゅーの風!
2002年11月02日(土)  幼なじみ同窓会


2008年11月01日(土)  「恋愛地理学」の朴教授

昨日、『ぼくとママの黄色い自転車』の初号試写の反応に気を良くして、新宿で電車を降りて一人でワインを飲み、『P.S.アイラブユー』を観た後、偶然新宿で飲んでいたダンナと合流した。京都時代の共通の知人でチベットやネパールのことを研究しているツキハラさんが上京したので囲もうという飲み会で、セピー君や同級生だったウヅカ君がいた。もう一人、初めて会う男性を「ほら、この間話した韓国の」とダンナが紹介してくれ、思い出した。

以前、『韓国人を愛せますか?』という本を出した面白い人と会ったよ、と言って、インタビュー記事のコピーを見せてくれたことがあった。「えっと、『韓国人が好きですか』を書いた人でしたっけ?」とわたしが言い、ダンナが訂正しかけると、「『韓国人は好きですか? 』という本も出してます」。「それ、タイトル似すぎてて紛らわしくないですか?」「そうなのよ。それで、もう持ってると思って二冊目買ってくれない人が多くて。タイトル失敗しちゃったかなあ」。

ノリのいいこの韓国人男性は、朴(パク)チョンヒョンさんといい、日本に留学して、そのまま地理学の大学教授になってしまった。年を聞けば同い年。わたしが会った教授では最年少で、「ほんとに教授? あだ名とか自称じゃなくて?」、そんな冗談を初対面で言えるほど、話しやすく距離を感じさせない人。「好きですか」「愛せますか」と問いかける本の著者が愛せないキャラクターでなくて良かった。

「この人はね、恋愛地理学の権威なんですよ」とツキハラさん。パクさんとツキハラさんは研究者仲間なのだという。落ち着いた大人のツキハラさんとハイテンションのパクさん、対照的な二人だけど、ウマは合うらしい。「恋愛地理学って言葉、キャッチーですねー。それを本のタイトルにすればいいのに」とわたし。「じゃあ今度出す2冊のうちどっちかをそうしようかな」とパクさん。

すごい勢いで飲み、しゃべる人なのだけど、その勢いでガンガン書いて売り込んでいるらしい。ちなみに恋愛地理学とは、恋愛を地理学的に分析するようなものらしく、「東男に京女」のようなものかと勝手に理解した。学術的データの裏付けの上に「群馬の彼を射止めるなら富士山デートが吉」のような法則を打ち出せたら、血液型占いより流行る気がする。

「恋愛地理学、これは当たる!」と一同が盛り上がったのは、パクさん行きつけのMARUGO(マルゴ)IIというワインバー。ワインのおいしさと値段のギャップに驚き、パクさんとはすっかり顔なじみのやり手ママが手がける系列のヴィオレットというバーへ。洋梨や柿やブドウといった秋の味覚を使ったカクテルがおいしかったけど、時計は2時を回り、わたしは半分寝てた。パクさん、タフだなあ。

Share

2005年11月01日(火)  シナトレ4 言葉遊びで頭の体操
2002年11月01日(金)  異種格闘技
2000年11月01日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年10月31日(金)  『ぼくとママの黄色い自転車』初号試写

この夏に撮った『ぼくとママの黄色い自転車』の関係者初号試写が今日あった。「初号」とは完成版の第一号。初号より前の版は「0号」と呼ばれる。となると、初号に改訂が加わったものは「2号」「3号」と数字が増えていくのだろうか。脚本の「2稿」「3稿」みたいに。今度プロデューサーに聞いてみよう。撮影が終わってからの編集作業には数か月かかるので、「あの作品どうなったかなあ」と気になった頃に初号試写の連絡が入る。

初号試写は、シーンがつながって音と絵が組み合わさって一本の作品となった初めてのお披露目。制作スタッフや出資者はもちろん、作品を観て小屋を開けるかどうか決める劇場主や、ノベライズやコミック化などを検討中の出版関係者が品定めにやって来る。わが子はかわいいけれど、皆様のご期待に応えられているだろうか。「思っていたのと違う」という落胆の声や「なんでここはこうなったんだ?」という疑問の声が飛んでこないだろうか。作り手は「まな板の上の鯉」になって審判を仰ぐ。

脚本家は微妙な立場で、出資者をはじめ作品の実現に尽力してくださった方々の反応はもちろん気になるけれど、それ以上に「自分の書いた脚本がどう料理されたか」が気になる。この台詞はこんなニュアンスで言ったのか、このシーンはこういう場所をロケ地にしたのか、ここの芝居はこういうテンションでやったのか……。予想通りのこともあれば予想外のこともあり、答え合わせのような見方になってしまうから、初号を観るときは作品を味わうところまで行けない。自分では冷静な評価ができないから、観ている最中や観終わった後の客席の反応をうかがうことになる。

さてさて、本日の試写はいかに。1回目の上映が終わって30分ほど後に2回目が組まれていたので、1回目を観終えた人が2回目を見に来た知り合いに感想を伝えるところに居合わせることができた。「よかったよ」「安心したよ」といった好意的な声を聞けて、まずは安心する。控え室の前を通りがかると、金髪に日に焼けた肌の恰幅のいい男性がプロデューサーと話していて、その方が原作者の新堂冬樹さんだった。原作『僕の行く道』の繊細さと対極にあるような迫力オーラがあった。

座席に着くと、「さっきの試写で、あの○○さんが泣いたらしいよ」「俺も泣いちゃうかな」などとスーツ姿のおじさまたちが実にうれしそうに盛り上がっていた。男の人にとって、泣くということはイベントなんだなあ。上映が始まると、本当にあちこちから涙の気配。答え合わせに忙しいわたしは感情移入に出遅れたけれど、河野圭太監督が本作りのときからこだわっていたラストの一瞬に、不覚にも涙を誘われた。監督が「こうしたい」と力説していた場面が見事に表現されていて、すべてはこの一瞬のためのホンだったんだと腑に落ちつつ、一観客として感動できた。「泣ける」ことが作品の出来を保証するとは思わないけれど、終映と同時に湧き起こった拍手はこれまでに立ち会ったどの初号試写よりも大きなもので、関係者のお愛想以上の熱がこもっていた。

帰りの電車が途中駅で急行の通過待ちをしていたとき、「今見てきた映画、すばらしかったよ」と興奮した声がホームから聞こえて来た。思わず目をやると、携帯に向かってまくしたてているのは、試写室でわたしの前の席に座っていた男性。「社長に伝えといて」と電話を切ったその人は、すぐさまもう一件かけ、「観てきたよ、よかったよ」と繰り返した。出資者関係の方だろうか。いち早く伝えずにはいられないほど気に入っていただけたんだとうれしくなり、新宿ピカデリーで『P.S.アイラブユー』(偶然だけど、この作品も「愛が届けさせた手紙のトリック」が物語の鍵を握っている)を観る前に入った無印良品カフェでワインを注文してしまう。外で一人でお酒を飲むなんて、初めてだったかもしれない。

2006年10月31日(火)  マタニティオレンジ24 体重貯金
2005年10月31日(月)  もしも、もう一度子育てができるなら。
2004年10月31日(日)  ご近所の会@タンタローバ
2002年10月31日(木)  青年実業家


2008年10月30日(木)  「FM COCOLO」のいとう真弓さんと再会

『パコダテ人』公開のとき、ラジオに出演して作品を語る機会があった(>>>2002年6月30日 FM COCOLOで『パコダテ人』宣伝)。パーソバリティのいとう真弓さんは、大学時代の応援団で同期だったトンちゃんの妹マーちゃんの高校時代のテニス部同期。「わたしの友だちに映画紹介の番組持ってる子がいるで」とマーちゃんが紹介してくれた。

それから、あっという間に6年あまり。朝ドラ『つばさ』に脚本協力として関わるようになり、コミュニティ放送のことを読んだり調べたりして、FM COCOLOやいとうさんのことを思い出していたら、いとうさんから「東京に引っ越して来ました」と連絡があった。この6年まったく音沙汰なかったのにこのタイミングで連絡が来るのも何かの縁。ドキドキしながら渋谷のイタリアン・クッチーナでランチ再会となった。

いとうさんは今はパーソナリティを辞められて、東京に来て新しい仕事を始めたのだけど、そちらの仕事もわたしの脚本業と接点があり、また何かでご一緒できるかもと話す。あとは、お互いの仕事の話、共通の友人であるマーちゃんの噂、東京のおいしいお店紹介などをしていると、あっという間に1時間半。いとうさんは沖縄料理が好きで、一人でお酒を飲める人だとわかった。考えてみれば、いとうさんとは番組出演のときにお話ししただけで、お互いのことをあまりに何も知らないのだった。

友だちの友だちは友だち。人の縁って面白い。

2005年10月30日(日)  同窓会は最高のセンセイ
2004年10月30日(土)  グリー(gree.jp)1か月
2002年10月30日(水)  2002年10月に書いたもの


2008年10月28日(火)  シナトレ12 こじつけ解釈で発想を鍛える 

娘のたまと「テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ」とロシア民謡の『一週間の歌』を歌っていたら、「つまらない女」とダンナが言い放った。機嫌良く歌っている妻と娘のことではなく、歌の主人公のこと。ヒマすぎるにもほどがある。そんなヒマを自慢なんかして、つくづくつまらない女だと言う。

「違うよ。これは恋人にかまってほしい嘆きの歌だよ」と咄嗟に口から出た反論に自分で驚いた。子どもの頃はそんなこと考えなかったはずだけど、数十年ぶりに再会したら、歌の解釈が変わっていた。たしかに歌詞は能天気だけど、あの物悲しいメロディに乗せると、自虐を込めた恨み節のほうがしっくり来る。

テュリャテュリャを除いた『一週間の歌』の歌詞をつなげると、こうなる。

 日曜日に市場へ出かけ 糸と麻を買って来た
 月曜日にお風呂をたいて 火曜日はお風呂に入り
 
水曜日に友達が来て 木曜日は送っていった

 金曜日は糸巻きもせず 土曜日はおしゃべりばかり

 恋人よ これが私の 一週間の仕事です



彼女は彼のために何か手づくりするつもりで糸と麻を買ったのだけど、彼のことが気になって何も手につかない。ぼんやりしているうちに焚いたお風呂のことを忘れて日付が変わり、湯船の中でも想うのはあなたのことばかり。水曜に来て木曜に送っていった女友達は、そんな彼女の恋の相談につきあって泊まっていったのだ。金曜になっても糸巻きする気分にはなれず、土曜日はまた女友達に話を聞いてもらっている。あなたのせいで悶々として、そんな一週間なのよ……。子ども向けの歌詞では恋人は「ともだち」になっているけれど、呼びかける相手は「恋人」でなくっちゃ。

糸巻きからの発想で歌の主人公を女だと決めつけているけれど、男説も否定できない。糸と麻を買わされる男は、妻にこき使われている。子どもが多いので、月曜日に風呂をたいても全員入れ終えて自分が入るのは日付が変わってから。妻は怠け者で、友だちが泊まりに来ては家事をさぼり、金曜は糸巻きもせず、土曜はおしゃべりばかり。そんな妻とたくさんの子どもたちの相手をするのが、俺の一週間さと嘆いている。一週間ぶりに会った恋人に膝枕で耳掃除でもされながら愚痴を聞いてもらっているのかもしれない。

世間ではどんな解釈があるのかと気になって「一週間の歌」をネットで引いてみると、この歌について思うところある人の多いことがわかった。「『一週間の歌』のよう」に生きたいと憧れる人、生きる気力をなくした友人の生活を「『一週間の歌』のよう」と心配する人。ある人にとっては、スローライフ、ある人にとっては自堕落な生活の代名詞になっている。「『一週間の歌』の作者はマフィアの男で、市場で買った麻とは大麻のこと。金曜は黙秘したが、土曜に自白してしまった」という大胆な説もあった。この場合、歌いかける相手は共犯者になるから「ともだち」のほうがいいのかもしれないけど、恋人で共犯者というのも色っぽい。

視点を変える、発見する、こじつける、膨らませる。ひとつの歌を様々に解釈する頭の体操は、発想力を鍛えるトレーニングになる。脚本作りの打ち合わせの現場では投げられたボールを瞬時に打ち返す反射神経が試される。先日の『万葉ラブストーリー』イベントのトークで出された万葉集の歌を咄嗟に「女の子から男の子へのプロポーズの歌」と解釈したのも、日頃の筋トレが役立ったのだと思う。

「こじつけ力」は脚本家の身を助けるだけでなく、マスコミなどの入社試験の創造力テストでも役に立つ。わたしが受験した広告会社の入社試験の最終問題は、「『馬の耳に念仏』を自分なりに解釈して1000字で述べよ」というもの。競走馬の耳元で騎手が「負けたら馬刺にするぞ」と唱え続け、馬鹿力を出せて馬を勝たせたというホラ話が受けて、コピーライターとして採用された。

2008年10月3日(金) シナトレ11 台詞の前後を考える
2008年5月7日(水) シナトレ10 ラジオドラマってどう書くの?
2008年04月27日(日) シナトレ9 ストーリーをおいしくする5つのコツ
2008年04月22日(火) シナトレ8 コンクールでチャンスをつかめ!
2007年10月27日(土) シナトレ7 紙コップの使い方100案
2006年11月07日(火) シナトレ6 『原作もの』の脚本レシピ
2006年03月02日(木) シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年11月01日(火) シナトレ4 言葉遊びで頭の体操
2005年10月12日(水) シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2005年07月27日(水) シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年09月06日(月) シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?

2006年10月28日(土)  田邊のおじさまの還暦音楽祭


2008年10月27日(月)  青森りんご「あおり21」の悲しいニュース

金曜日だったか土曜日だったか、新聞を見て、えっそんなことがと絶句した。青森県が年に一千万円の予算をかけ、24年の年月をかけて開発した新種りんご「あおり21」の品種登録が、期限内に農水省に6000円の登録手数料を払い忘れたせいで取り消されたという。手数料を払い忘れたのはミスだけど、そのミスの代償に失った何億や何十年の大きさに呆然となり、こういう結果になるしかなかったのだろうかとやりきれない気持ちになった。自分たちの県のお金と人材を投入して開発した新種を、青森県は独占管理する権利はなくなった。

このニュースが入ったのがぎりぎりで記事を差し替える時間がなかったのか、日曜版には、あおり21の開発裏話を紹介する記事があり、よけいに哀しい気持ちになった。品種登録取り消しなんて結末を、誰も予想していなかったのだろう。まさか、そんなことがと思っていたからこそ招いてしまたともいえる。

どうしてこのニュースにこんなに胸を締めつけられるのだろうと考えて、企画がなくなるときの喪失感を重ねているせいではないかと思い当たった。時間をかけ、労力をかけて練った企画は、なくなるときはいともあっさりで、不条理な理由で打ち切られることも多い。誰を責めていいのかわからず、運が悪かったと諦め、時が慰めてくれるのを待つしかないことも珍しくない。これが世に出たらすごいぞ、面白いぞという未来を励みに苦労を重ねてきたのに、その未来が奪い去られた瞬間、それまでに積み上げてきた過去も否定される。企画が成立し、作品が完成しても、出資者が離れてしまったり、助成金を取り損ねたりという悲劇はある。『風の絨毯』は文化庁の助成金の審査に通ったのに、期日までにフォルムがイランから届かず、数千万を逃すことになった。

それでも24年間、数億円かけた企画が消えたという話はなかなか聞かない。かけた年月から考えると、携わった人の数も相当なものだろう。その一人一人の無念を、自分が味わった無念の何倍かに膨らませて想像し、悶々としてしまうのだった。

2007年10月27日(土)  シナトレ7 紙コップの使い方100案
2004年10月27日(水)  TakashimaKazuakiの服


2008年10月26日(日)  上野動物園で芸を仕入れる

年間パスポートを持っている上野動物園へ。4回行けば元が取れる計算で、たしか今回が4回目。入場券を買って入ると長居しないと損した気になるけれど、パスポートだと、ゾウだけ見に行く、ウサギだけ見に行く、と気軽にふらっと訪ねられるのがいい。

今日のお目当てはワニ。今まで場所を見落としていた爬虫類館が池之端門を入ったすぐ脇にあると知り、娘のたまが好きなワニを見せてあげようと思い立った。アクリルプールの縁の上までジャンプすることもあるらしいが、今日は水底に体を押しつけたまま動かず、ワニなのか流木なのかわからなかった。

ワニが外れた代わりに、ゾウが大当たりで、身づくろいをするところを初めて見られた。長い柄のついたブラシのようなもので飼育員さんがゴシゴシ磨き、体についた土を払うのだが、ブラシでトントンと横腹をノックされたのを合図に、ゾウは足をぐにゃりと曲げてゴロリと巨体を横たえる。ズドーンと転がるのではなく、その場に静かに横になるなめらかな動き。ブラシでゴシゴシされる間は気持ち良さそうにしていて、終わるとまたノックを合図に足を踏ん張って立ち上がる。4000キロを越える塊が立ったり寝たり。それだけでも目が離せないのだけど、さらにお楽しみは続き、後ろ足をノックされると、片足ずつ上げて、足の裏をゴシゴシされる。その動きがまた何ともチャーミング。きれいになったところで、よくできましたとバナナのごほうび。バナナを差し出されると、長い鼻をひょいと持ち上げ、バナナにかぶりつく。鼻で食べるイメージがあったけれど、口で食べるのか。

一部始終を食い入るように見ていたたまは、家に帰るなり、「たまも ゾウさん やる!」。「ゾウさん、ゴシゴシしますよ」とわたしが呼びかけると、じゅうたんにゴロン。手でゴシゴシしてやり、「ゾウさん、きれいになりましたよ」と言うと、立ち上がる。「ゾウさん、あんよゴシゴシしますよ」と言うと、片足ずつ上げてゴシゴシ。「じゃあ最後にバナナ食べましょう。なんちゃって」と言うと、長い鼻に見立てた片手をひょいと上げて「なんちゃって」のポーズをしながらバナナを食べる真似。

今日は他に片足を上げてポーズする一発芸「フラミンゴ」を仕入れた。たまは持ち芸「バレリーナ」との合わせワザを思いつき、伸ばした足を上げた後に曲げて持ち上げ、「バレリーナ〜、フラミンゴ〜」。こうやったらもっと受けるのではと工夫する芸人根性は大したものだけど、人前に出ると固まってしまい、宝の持ちぐされ。舞台度胸がつけばコメディエンヌの才能が花開くのでは、と親バカなことを考えている。

2007年10月26日(金)  愛知工業大学で「つなげる」出前講義
2004年10月26日(火)  ジュアールティー1年分

<<<前の日記  次の日記>>>