柴田さんは背がすらりと高くて物腰は優雅で絵になる紳士だった。69歳。ダンナの父の高校時代の同級生。柴田さんから見れば、わたしは「親友の息子の嫁」ということになるが、とてもかわいがってくれた。『パコダテ人』の東京公開中にわたしのトークショーがあった日、仕事帰りのスーツ姿で銀座シネパトスに現れた柴田さんは、場違いなほどかっこよかった。
去年、柴田さんが倒れて入院して以来、義父はどんどん元気がなくなり、口数が減り、食べる量も減った。しぼんでいく義父は、柴田さんとつながっているように見えた。持ち直したと言っては涙ぐみ、今日はしんどそうだったと思い出しては涙ぐみ、そんな義父を見て義母は「あなたまで倒れたらどうするんですか」とオロオロした。やがて柴田さんは言葉を発することも不自由になり、身振りと目で会話するようになるが、「雅子の『子ぎつねヘレン』のチラシを持って行ったら、じーっと見てなあ。テーブルに置こうとしたら、もう一度見せてくれって手を伸ばしてきてな、いつまでも手から離さないんだ。春まで頑張って一緒に観ようなって言ったら、うなずいてたよ」と義父が話してくれたのが、一週間ほど前だった。
あと数日で孫が生まれるのも待てずに柴田さんは逝ってしまい、今日、告別式となった。いつも穏やかな笑みをたたえた人だったけど、棺の中の柴田さんはいつも以上に優しい顔をしていた。お孫さんの誰かが描いたのか、胸の辺りにそっと置かれた画用紙に、クレヨンの飛行機を見つけたら、涙が止まらなくなった。「あんな優しいやつはいない」と義父が言うのを何度聞いたかわからない、柴田さん。あの飛行機に乗って、今頃は空のはるか上に着いただろうか。