2005年11月01日(火)  シナトレ4 言葉遊びで頭の体操

目が悪く思い込みの激しいわたしは妄想癖、暴走癖がある。小学生の頃、暗闇の中から無灯火で近づいてきた二台の自転車を見て咄嗟に「馬の親子だ!」と判断し、地面にひれ伏した事件。石鹸屋でガラス皿に盛られた商品をチョコレートと間違えて試食した事件(あ、これはギリシア土産でよくもらうチョコレートだ、と思った瞬間、口に入れていた)。それもこれも脚本家にとっては「おいしい」飯の種となるのだが。

遠くの看板から近くのチラシまで、読み間違いもすごく多い。誤解した上に想像力が加わり、とんでもない話を思いついたりもする。今日は、巣鴨のTSUTAYAに行く途中にビルの上に看板を発見。そこにでかでかと書かれた「自白」の二文字を見て、驚いた。自白とは白昼堂々呼びかけられるものだったのか、しかし誰に呼びかけているのか……と頭の中ぐるぐるさせながらよく見ると、「自白」ではなく「目白」であった。新築マンションの広告らしい。でも、たとえ視力が良くても、追われる身であれば「目白」が「自白」に見えることだってあるかもしれない。いつかサスペンスものを書くときに使おう。こうして新ネタがKOTOBANKに貯蓄される。

ガラスとカラス、天丼と天井、秋田犬と秋田大は点のありなしで大違い。challengの中にはchangeがある。「印象」をひっくり返すと「象印」になり、「印象度」を入れ替えると「印度象」が飛び出す。結婚式には二人のシンプ(新婦・神父)がいる……。言葉で遊んでしまうのはコピーライター時代からの癖だけど、言葉遊びをしながら、それがはまる場面を想像するのは、シナリオを書く上でいい頭の体操になる。

わたしの場合は、実際の作品でも言葉遊びがけっこう役に立っている。映画『パコダテ人』は「『ごきぷり』を『こきぷり』って呼ぶとかわいくなるよ」という元同僚アサミ嬢の何気ない一言から生まれたパコダテ語が活躍した。ラジオドラマ『昭和八十年のラヂオ少年』では主人公がタイムトリップ先で出会う少年の名前を「ラジオ放送がはじまった日に生まれたので『ラジオ』と名づけられるはずだったが、それじゃあんまりだというので、ラから一本引いて『フジオ』」にし、『子ぎつねヘレン』では漢字の遊びを入れてみた。普段から言葉をストックする習慣をつけておけば、いざというときに取り出せる。

2005年10月12日(水)  シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2005年7月27日(水) シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年9月6日(月) シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?

2002年11月01日(金)  異種格闘技
2000年11月01日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)

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