気功教室に通い始めて3回目。「体は水を入れる器」で「背骨はかきまぜ棒」。だから、くねくね動かして内臓を按摩すると体調が改善されるという理論は、なかなか興味深い。その背骨に沿って自在に「気」をめぐらせるという境地を目指して、「気をイメージしながら体を動かす」ことをひたすら練習する。動きは単純だから家でもできそうだけど、単純だからこそ一人だと続かない。お習字のようなものだ。
どこも悪いところがなさそうな血色のいい中国人の先生は、わたしのそばにピタリと張りつき、マンツーマン指導状態。どうやら二十名ほどの生徒の中で、わたしがいちばん落ちこぼれているらしい。先生に見られると余計にぎこちなくなってしまい、「違ウ。私ヲ良ク見テ」と見本を示される。真似しているつもりでも、やっぱり「違イマス」。いつまで経ってもカクカクが抜けないわたしの動きを、日本に来て何十年になる先生がカクカクした日本語で嘆く。気を操る術を会得した上級者の方によると、「ある日突然、白樺のようにズドーンとそびえる背骨を意識できるようになる」らしいのだけど、今のわたしは気どころか体の動きさえままならない。歩くような自然さで背骨くねくねができて初めて、「気を回す」ことに気が回るようになる。
「脊髄を洗って乾燥して、キレイになるのが見えます」とテープの声を聞きながら、背骨をゆらゆらくねくね。ひと風呂浴びて甲羅干しして骨休めしている脊髄さんを想像すると微笑ましい気持ちにはなるけれど、「内視」というより「妄想」の世界。先生に「頸柱カラ無限ノ空ヲ見テ」と言われても、「光ガ見エルデショウ」と言われても、頭の中は「これが終わったら何食べよう」でいっぱいだったりする。
ゆらゆらくねくねと単純な動きを繰り返していると、引っかかっているあの企画この企画がわらわらと顔を出す。満員電車に揺られたりシャワーを浴びたりしているとき以上の「ひらめき待ち受けモード」になっているらしい。ホワイトボードに書き殴るがごとくマッシロな頭にアイデアが飛び交い、一人ブレストが進む。これがなかなかいい感じで、頭の整理タイムとしてはかなり有効。先生の言う「光」は見えなくても、煮詰まっていた企画に光が射し込む。
2006年09月30日(土) 本と遊ぶ「おそろい展 ミヤケマイ」
2003年09月30日(火) BG SHOPでお買い物