2008年10月03日(金)  シナトレ11 台詞の前後を考える

「ちひろって名前もね、パパとママがいちばんいいと思ってつけたんだから」
自転車がわたしの脇を通り抜けた一瞬、聞き取れたのはその台詞だけだった。5才ぐらいの女の子を乗せたママチャリが去って行くのが見えた。言葉が途切れがちに聞こえたのは、ペダルを漕ぎながらだったからだ。母親の言葉の前に、女の子は何と言ったのだろう。その答えになるような母親の言葉に、女の子は何と反応したのだろう。「ねえママ、どうしてあたし、ちひろって名前なの? 同じ組のちひろ君と同じで、けっこんしたら同せい同名だってみんなからかうんだよ」とすねて見せたのを母親が諭したのか、「あの犬、タマって変な名前だね。ネコみたい」と笑ったのを母親がたしなめたのか。台詞の前後に思いを馳せると、それを口にした人物の人となり(キャラクター)が見えてくる。「生きた人物」が発した「生きた台詞」を手がかりに前後のやりとりを考えてみるのは、「生きたキャラクター」作りのいい練習になる。それをシーンとして書き起こす余力があれば、なおいい。

わたしの場合、夢想癖のある子ども時代から想像スイッチが入りやすい体質ではあったけれど、「人の台詞」を聞き取ることを意識するようになったのは、「頭のテープレコーダーを回せ」(この表現に時代を感じる。今ならICレコーダーかも)とコピーライターの先輩に言われてから。そして、その台詞の背景(どんな人がどんな気持ちで言ったのか)に思いを馳せ、台詞の前後を想像するクセがついたのは、脚本を書き始めてからのように思う。

以前、ある売れっ子CMプランナーが創作の極意を聞かれて、「とくに何もしてませんが、感情を突き詰めて考えるようにしてます」といったことを語っているインタビュー記事を読んだことがあった。悔しいとき、悲しいとき、うれしいとき、面白いと思ったとき、なんでそんな気持ちになったのかを突き詰めて考える。泣いている人、怒っている人を見たら、何があったのか想像してみる。なぜ人は心を動かされるかが見えてくると、15秒、30秒という短い時間で人の心を動かすCMにつながる……。記事を読んだ当時はピンと来なかったのだけど、脚本と広告の二足のわらじを履くようになってからコピーを書きやすくなったのは、「台詞の背景」を掘り下げるという脚本作りでの作業が反映されたから。そこからの逆算でいえば、心を動かされるCMにはドラマの核があるわけで、そこからストーリーを膨らませるという勉強法も考えられる。今受けてるCMの台詞の前後を考える修行を積めば、今の時代感覚も自然と身につくかもしれない。

2008年5月7日(水) シナトレ10 ラジオドラマってどう書くの?
2008年04月27日(日) シナトレ9 ストーリーをおいしくする5つのコツ
2008年04月22日(火) シナトレ8 コンクールでチャンスをつかめ!
2007年10月27日(土) シナトレ7 紙コップの使い方100案
2006年11月07日(火) シナトレ6 『原作もの』の脚本レシピ
2006年03月02日(木) シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年11月01日(火) シナトレ4 言葉遊びで頭の体操
2005年10月12日(水) シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2005年07月27日(水) シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年09月06日(月) シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?

2006年10月03日(火)  マタニティオレンジ14 ヘンなのは自分だけじゃない
2005年10月03日(月)  Paulina Plizgaの着るアート
2000年10月03日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2008年10月02日(木)  マッキャンAgain展パーティ 

3年前まで勤めていた広告会社マッキャンエリクソンの大先輩15人が合同で開いた『Again〜ヤケドしそうな広告をつくってきた仲間たちの、ふたたび』展(>>>2008年4月6日の日記 ギャラリー工にてマッキャンOB『Again』展)。4月にやったギャラリー工(こう)から場所を移し、マッキャンの受付フロアで再び開かれることになり、そのオープニングパーティに行ってきた。会社を辞めて3年あまり。有休消化期間を含めると3年半近くになるけれど、辞めてしまうとなかなか足を踏み入れ辛く、会社の下まで来て仲の良かった同僚に会うことはあっても、中に入るのは、最後に出社して以来になる。

子守の都合がつかなかったので娘のたまを連れて行くことにしたが、知っている人に会えなくても、たまが一緒なら間が持つという保険でもあった。でも、フタを開けてみると、「お、今井だ」「ひさしぶり」と次々と声がかかり、放っておかれる心配ご無用だった。お世話になった人たちが「仕事順調そうじゃん」「活躍してるね」などと喜んでくれ、あまり仕事で関わりがなかった人も日記を読んでいてくださっている。最後に仕事をしていたクリエイティブディレクターは、「いま幸せ?」と聞き、「おかげさまで」と答えると、「君が幸せそうで安心しました」。この会社に飛び交う言葉はやっぱりオシャレだ。「作品は、正直いいんだか悪いんだかわかりません」「僕は作品を出していません。僕自身が作品ですから」など、祝辞のスピーチも味がある。たまが絶妙なタイミングで「あれ?」などと声を発すると、「そこ、うるさいよ。なんたって今井の娘だから」と突っ込みが入った。

クリエイティブという部署にいたこともあって、「いま何読んでる?」「最近何観た?」が挨拶のような職場だった。そんな中で十年あまり仕事をできたことが、脚本を書く基礎体力を鍛えてくれたと思っている。わたしが脚本と二足の草鞋を履くことにも寛容で、面白がり、応援してくれた。肩身の狭い思いをするどころか、全社メールで新作を案内したりチケット購入を呼びかけたりさせてもらった。そんな会社にいたから、なかなか辞める踏ん切りがつかなかったともいえるのだけど、子ぎつねヘレンのロケを前に、脚本に専念することを決めた。上司は「君が一本立ちすると決めたってことは、それだけ脚本の仕事が軌道に乗ったということだね」と祝福し、「でも、うまくいかなかったら、帰っておいで」と送り出してくれた。

社員として戻って来なくても、ときどきは立ち寄りたいと思いつつ、かこつける用事がなくて今日になってしまった。子連れでの初めての帰省をあたたかく迎えてくれたマッキャン。この先わたしが再就職することがなかったら、ここが人生でたったひとつ会社となるけれど、いい選択をした、と今でも思えることがうれしい。

2006年10月02日(月)  マタニティオレンジ13 おかげの花
2004年10月02日(土)  「平均年齢66-1才」若返りの会
2000年10月02日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2008年10月01日(水)  行列のできる脚本家

以前仕事をしかけたプロデューサーさんから新しい仕事の依頼が舞い込んだ。「ありがたいお話ですが、今、けっこう立て込んでまして」とこちらの事情を打ち明けると、「でも、僕らとしても、客のいないレストランには入りたくないわけで」とプロデューサー氏。うまいことをおっしゃる。

たしかに、この店入ろうかなとのぞいてみて、中はガラガラで、ヒマを持て余した店主と目が合ったときには引き返したくなる。デパ地下のスイーツも、すんなり買えるより少し待たされるぐらいなほうが期待が高まる。映画やドラマのキャスティングにしても「お仕事ですか! 待ってました! もうヒマでヒマで」と飛びつかれるよりは、「厳しいんですけど、調整します」と言われたほうが、ありがたみがあったりする。

ヒマなときにもそれなりに混んでいるフリをしてみるべし。

2006年10月01日(日)  マタニティオレンジ12 お宮参りイベント
2004年10月01日(金)  「Licensing Asia2004」にCook81(クック81)登場
2002年10月01日(火)  Mr.少林サッカーからのプレゼント
2000年10月01日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2008年09月30日(火)  脊髄を洗って乾燥してキレイになる

気功教室に通い始めて3回目。「体は水を入れる器」で「背骨はかきまぜ棒」。だから、くねくね動かして内臓を按摩すると体調が改善されるという理論は、なかなか興味深い。その背骨に沿って自在に「気」をめぐらせるという境地を目指して、「気をイメージしながら体を動かす」ことをひたすら練習する。動きは単純だから家でもできそうだけど、単純だからこそ一人だと続かない。お習字のようなものだ。

どこも悪いところがなさそうな血色のいい中国人の先生は、わたしのそばにピタリと張りつき、マンツーマン指導状態。どうやら二十名ほどの生徒の中で、わたしがいちばん落ちこぼれているらしい。先生に見られると余計にぎこちなくなってしまい、「違ウ。私ヲ良ク見テ」と見本を示される。真似しているつもりでも、やっぱり「違イマス」。いつまで経ってもカクカクが抜けないわたしの動きを、日本に来て何十年になる先生がカクカクした日本語で嘆く。気を操る術を会得した上級者の方によると、「ある日突然、白樺のようにズドーンとそびえる背骨を意識できるようになる」らしいのだけど、今のわたしは気どころか体の動きさえままならない。歩くような自然さで背骨くねくねができて初めて、「気を回す」ことに気が回るようになる。

「脊髄を洗って乾燥して、キレイになるのが見えます」とテープの声を聞きながら、背骨をゆらゆらくねくね。ひと風呂浴びて甲羅干しして骨休めしている脊髄さんを想像すると微笑ましい気持ちにはなるけれど、「内視」というより「妄想」の世界。先生に「頸柱カラ無限ノ空ヲ見テ」と言われても、「光ガ見エルデショウ」と言われても、頭の中は「これが終わったら何食べよう」でいっぱいだったりする。

ゆらゆらくねくねと単純な動きを繰り返していると、引っかかっているあの企画この企画がわらわらと顔を出す。満員電車に揺られたりシャワーを浴びたりしているとき以上の「ひらめき待ち受けモード」になっているらしい。ホワイトボードに書き殴るがごとくマッシロな頭にアイデアが飛び交い、一人ブレストが進む。これがなかなかいい感じで、頭の整理タイムとしてはかなり有効。先生の言う「光」は見えなくても、煮詰まっていた企画に光が射し込む。

2006年09月30日(土)  本と遊ぶ「おそろい展 ミヤケマイ」
2003年09月30日(火)  BG SHOPでお買い物


2008年09月29日(月)  たま大臣にインタビュー「日本をどんな国に?」

大臣の問題発言がニュースを騒がせているのを見て、ひさしぶりにあれをやってみようと思い立った。娘のたまが言葉らしきものを発するようになった春頃だったか、ビデオを向けて「たま大臣にインタビュー」を試み、わかっているんだかはぐらかしているんだかの絶妙なやりとりに大笑いしたことがあった。今ならもう少し突っ込んだ意見を聞けるのでは、と寝かしつける前の布団の中で大臣をつかまえた。

わたし「たま大臣、日本をどんな国にしたいとお考えですか」
たま「バナナ」
わたし「バナナ? バナナのような国といいますと?」
たま「いっこ」
わたし「バナナが一本? そのようなシンプルな国づくりをしたいと?」
たま「うん」
わたし「たいへん哲学的なお言葉ですね」
たま「わかんなーい」
わたし「大臣、いきなりはぐらかさないでください。ご自分の発言には責任を持っていただかないと」
たま「あはははははは」
わたし「笑ってごまかさないでください」
たま「チュー」

笑ってごまかし、最後は口封じ。ずいぶんふざけた大臣だけど、ここまで無邪気で無責任だと腹を立てる気力もそがれて脱力効果バツグン。いい年した大臣が「バナナみたいな日本」なんて口にしたら、それはそれで「大丈夫か?」と心配やらお怒りやら買いそうだけど。言葉に責任を持つというのは、年相応の分別が求められることなのかもしれない。「バナナみたいな日本ってどんな国だろ」と思い出し笑いしながら、幼い大臣の母は眠りについた。

2006年09月29日(金)  金太本、ついに出版。
2005年09月29日(木)  レストランJ→カフェ・プラハ→レストラン・キノシタ
2002年09月29日(日)  『パニックルーム』→餃子スタジアム→出社の長い日曜日


2008年09月28日(日)  オレンジの壁のユキちゃんち

ニューヨークで5年ほど暮らしていたユキちゃんサトちゃん夫妻が帰国、一家で遊びに行く。日本にいなかった期間まるまる会っていないのだけど、久しぶりの再会という感じがしない。年に何度か思い立ってメールを送ると「わたしもちょうど思い出してたとこ!」という偶然が度々あり、ユキちゃんサトちゃんがニューヨークでご近所づきあいしていた台湾人アーティストのリン(林世宝)さんが来日したときに知り合う機会もあり、離れていても近しく感じていた。親しさを測るのは会う回数じゃないんだなと感じる。

ニューヨークからメールのやりとりで築40年のマンションをフルリフォームしたお宅は、とてもわたし好み。鮮やかなオレンジに塗った壁が目に飛び込んだ瞬間、住みたくなってしまった。額装された林世宝作品の大きさと色の洪水とちょっとした個展並みの点数を余裕で受け止めるオレンジ壁の存在感と包容力。作り付けたこげ茶のクローゼットやニューヨークの蚤の市でそろえたという白塗りのチェスト(ゲイの店員さんが自分で塗っていたそう)もよく合っていて、ため息のように「いいなあ。好きだなあ」を連発した。ハロウィーン前のこの時期はオレンジ壁が一年でいちばんしっくりする季節。カボチャやクモの飾りつけがよく映え、わたしが手土産で持って行ったカボチャの植木鉢の観葉植物も見事に部屋に溶け込んだ。

うちのダンナと娘のたまはサトちゃんユキちゃんとは今日が初対面。前々からダンナ二人を引き合わせたいねとユキちゃんと話していたのが、5年のブランクを経て実現。まだぎこちなさはあるものの「お見合い」は好感触。子育てが共通の話題の一つではあるけれど、サトちゃんユキちゃんは大先輩。3人の子どもとともにニューヨークへ発ち、一人増えて4人の子だくさんで帰国。まだ8か月の末っ子君は、2歳児のたま以上にたくましくしっかり者に育っていた。たまはおっかなびっくりお姉ちゃんお兄ちゃんに近づき、惑星のようにまわりをぐるぐる。手巻き寿司やサラダでおなかいっぱいになった頃、共通の友人のミナが彼氏を連れて登場。ユキちゃんたちと知り合った30代前半の頃にタイムスリップした気持ちで楽しく飲んだ。

2005年09月28日(水)  『Spirit of Wood. Spirit of Metal(平成職人の挑戦)』
2002年09月28日(土)  料理の腕前


2008年09月27日(土)  生傷が絶えない足

ひさしぶりに風呂に入った、と言うと誤解されそうだけど、膝の傷をかばって、湯船につかるのを控えていた。2週間前、大阪へ飛行機で発つ朝に東京の自宅をつっかけで飛び出して、スーツケースを引いて歩道を駆け出したら、つっかけが脱げて派手にダイブし、左足の膝頭と甲を地面に打ちつけながら滑り込み着地。膝がパックリ破れたスパッツ(最近は「レギンス」と呼ばれているけど、なじめない)からこれまたパックリ開いた傷口をのぞかせたまま飛行機に乗り、伊丹空港から梅田に向かい、阪神百貨店でスパッツを買って履き替えた。穴と伝線でズタズタの血染めスパッツには我ながらギョッとしたけれど、派手な上半身に目を奪われたのか、奇抜なファッションだと思われたのか、気遣いの鑑のようなCAさんからもデパートの店員さんからも「大丈夫ですか?」と声をかけられなかった。

ズキズキ痛む傷を抱えたまま15日の万葉ラブストーリーのイベントに参加したのだけど、その3か月前、6月に万葉ラブストーリーの審査で奈良に行ったときは、左すねが血まみれになる事件があった。携帯画面を見ながらぼけっと歩いていたら、歩道から突き出している高さ60センチほどの自転車止めに気づかず激突。ケンケンで歩道を跳ね回るほどの痛みだったが、その傷跡が癒えないうちに新しい傷が加わってしまった。

いい年して生傷が絶えないなあと情けなく思っていたら、先週開かれた広告会社時代の同期飲み会でアートディレクターのヒダイ君が「入社式のとき、会議室に入って来る同期の女子の足元を見てたんだよ」と昔話を始めた。「俺、ディテール観察するの癖だからさ。さすが代理店に入ってくる女の子は、いい靴はいて、歩き方も颯爽としてて、ぬかりないなあって感心してたのよ」。へぇー、わたしにもそんな時代があったのか、と懐かしい思いで聞いていたら、続きがあって、「最後に素足に蚊に刺されたふくらはぎが入ってきてさ、それが今井だった」。一人異質な彼女は何をやる人だろうと思ったら案の定コピーライター。それがわたしの第一印象だと聞いて、顔から火を吹きそうになった。そんなこと覚えていないし、初めて聞いたのだけど、「今井といえば、あのふくらはぎを思い出す」とヒダイ君。15年前の記憶がくっきり。あーあ、昔から成長してない。

さて、ケガのその後。固まっては割れるを繰り返し、グジグジ膿んでいた膝頭の傷口は、一週間かけて、ようやく巨大なかさぶたになった。大学時代にもすねに大きなかさぶたを作ったことがあり、あまりに見事なので、日記をつけていたノートに糊で貼って再現したのだけど、下宿先のおばさんのミチコさんに見つかって心底イヤな顔をされた。そのとき以来の大物を写真に撮りたい衝動を抑えられるぐらいには大人になった。

2007年09月27日(木)  1979〜80年「4年2組 今井まさ子」の日記
2005年09月27日(火)  串駒『蔵元を囲む会 十四代・南部美人・東洋美人』
2003年09月27日(土)  ハロルド・ピンターの「料理昇降機(THE DUMB WAITER)」
2002年09月27日(金)  MONSTER FILMS


2008年09月26日(金)  スーパー家事執行人Mさんの仕事っぷり

京都からSMAPのコンサートを追っかけて上京中のMさんは、2夜続けてコンサートを堪能し、今日は終日フリー。わたしも執筆を休み、娘のたまの保育園を休ませ、平日の休日を楽しむことに。

いつもはベーグルを持ち帰る近所の『白山ベーグル』の店内で朝食。カリッと焼いたベーグルに、クリームチーズやツナ(または卵)をつけて食べる。ベーコンとサラダと飲み物がついて580円。食べながら、Mさんがお手伝いしている高級ゲストハウス『仁寿殿(じじゅでん)』の朝ごはんの話に。Mさんは「自分にできるお手伝いはひととおり何でもやっている」らしく、もちろん得意の料理をふるって朝食も作っている。野菜たっぷりボリュームしっかりの体に良さそうなメニューに、地元のおいしいパン屋さんのパンと、ゲストハウスのマダムがこだわって選んだ「京都でいちばんおいしいコーヒー」がつくのだとか。金閣寺の近くにある隠れ家的なゲストハウスとのことで、サイトで拝見したお部屋も素敵。(※サイト情報によると、パンとコーヒーのコンチネンタルブレックファーストは通常500円で、年内はオープン記念で無料。季節野菜のポタージュや卵料理のついたフルブレックファーストは1500円)

「いまいまさこカフェ」読者予約特典「Mさんのケーキ」
11月5日Mさんより「仁寿殿マダムが日記で紹介されているのを知って喜んでいるよ」とメールあり。お友だちに日記読者がいらっしゃるそう。そこで、予約時に「いまいまさこカフェ日記を見て」と申し出ていただいた方に、Mさんのお手製ケーキをごちそうしますの大盤振る舞い。後を引く幸せをぜひ。ちなみに「あんたの書いている関西オバンばりの小姑Mは他人のようですぜ。仁寿殿で優雅に朝食をサービスするMちゃんと同一人物とは思えません」と本人から抗議あり。宿泊すると、麗しいMさんにも会えるかも。

Mさん自身は、自宅でときどき知人友人を招いて「ワンデーレストラン」なるものを開いているのだけど、口コミで広がって、京都の食通たちをうならせているという。町家を自分で改装している自宅は日々進化中で、そのうち「心ばかりのお礼をいただく」ようなゲストハウスもやりたいとのこと。

わが家に来て以来、掃除炊事に大活躍のMさん。小石川植物園に案内したところ、植物にもかなり詳しいことがわかった。「わたしは昔、絵を描いてたからねー。デッサンでよう描いたから植物の名前はたいがいわかるんや」。青い実を拾って、「これ、クルミやで。置いとくと、茶色くなってシワシワになるから、見ててみ」。足元の銀杏に「茶碗蒸し一年分!」と歓声を上げ、一面のハコベ(だったと記憶)を見て、「これでお茶作りたい」。これは染料になる、これも食べられる、などと大はしゃぎ。「ここがうちの庭やったら、まるごと使いきったるで」。

お昼ご飯にベーコンときのこのパスタ、夕食にブリの照り焼きとカボチャの煮物と里芋のサラダを作ってもらう。「うちの調味料で、こんな味が出せるの?」と驚く出来映え。たまが前のめりになってむしゃぶりつき、「うめ〜」ととろける。これではまるで普段ろくなものを食べさせていないみたいではないか。食卓はうるおい、キッチンはピカピカ。高級家事代行サービスをお願いしても、こうはいきますまい。

【お知らせ】『犬と私の10の約束』(脚本協力)DVD本日リリース

脚本協力した映画『犬と私の10の約束』のDVDが本日リリース。スクリーンで見逃した方も、もう一度観たい方もぜひ。

作品と今井雅子の関わりについては、過去の日記、2007年08月09日(木) ちょこっと関わった『犬と私の10の約束』をどうぞ。試写を観た感想は2008年01月29日(火) 母の気持ちで……映画『犬と私の10の約束』(脚本協力)に。

犬10は脚本協力という形だったけれど、それなりの時間を費やした作品で、手をかけた分、思い入れがある。自分の関わった作品が映画館で大々的にお披露目された後、手に取れるサイズになって手元に届くと、「おかえり」という気持ちになる。

2006年09月26日(火)  マタニティオレンジ11 ひるまないプロデューサーズ
2005年09月26日(月)  『東京タワー』(リリー・フランキー)でオカンを想う
2004年09月26日(日)  新木場車両基地 メトロ大集合!撮影会
2003年09月26日(金)  映画の秋
2002年09月26日(木)  ジャンバラヤ
2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙


2008年09月25日(木)  ロハス(LOHAS)より愛せるセコ(SECO)

SMAPのおっかけで京都から上京しているメグさんが昨日からわが家に宿泊中。宿賃代わりに家政婦を買って出て、食事を作ったり食器を洗ったり掃除をしたりしてくれている。その昔高級クラブでバニーガールをやりながら客の食べ残した皿をなめてソースの味を覚えたというメグさん。料理の腕前はそこらの名店に引けを取らず、自宅でときどき開くワンデーレストランでは味にうるさい食通京都人をうならせているとか。掃除のプロでもあり、メグさん襲来に備えて必死でわたしが片付けた台所を見て、「ひどいことになってますなー」。ヤシの実洗剤やらスポンジやらを買って来て、「こんだけ汚いと燃えるわあ」とゴシゴシやり始めた。ステンレスのシンクも重層と酢の手づくり洗剤で「ピカピカに磨き上げたるでー」と意気込む。

ダイニングキッチンはわたしの仕事場でもある。食卓でパソコンに向かっている2メートル先でメグさんが「なんやこれ?」「こんなもん使ってるんかいな」「ようこんなんでやっていけるわ」「どうしたらこんな汚れになるんや。信じられへん」「これ細菌やん.食中毒菌やで」「目的地にたどり着くまでが大変やな。チョモランマや」などと反応するたび、「しょうがないでしょ」「いいから、置いといて」「すみません」などと反抗していると、仕事はまるではかどらない。何を言われてもしょうがない惨状を招いたこちらの落ち度はあるのだけど、押さえ込まれると面白くない。汚くて散らかっていて探しものが見つからない台所を「わたしはこれが使いやすいの!」と意地を張り、余計に疲れる。ありがたいけど、ほっといて。この感覚、どこかで……とデジャブを覚えたら、ダンナ母がうちの台所に立ったときの,手と同じぐらいよく回る毒舌に当てられたときのあの感じ。13才年上のメグさんとは、わたしが大学生の頃から二十年近いつきあいになるが、いつまで経っても追いつけない手強い姑のような存在。チクチク、グサグサと引き換えに台所はくすみが晴れたようにピカピカに磨き上げられ、ガンコな茶渋もすっきり。圧力鍋に顔が映り込んだのにはたまげ、かないませんなあと白旗上げて降参した。

メグさんにはゴミ出しについても厳重注意を受け、「ここに置いてあるフタは何の意味があるん?」「捨てるんかとっとくんかどっちや!」などと突きつけられること数十回。「もったいなくて、物を使い切らないとなかなか捨てられない」と言い訳すると、「それはわかる。私もロハスな人間やから」と珍しく同意された。「そのロハスって言葉、わたしダメなんだけど」と言い返すと、「私も別に好きちゃうで」とあっさり意見が一致。ロハスという言葉が出回った頃からなんだか違和感を覚えていたのだけど、何がイヤなのかいまだにはっきり特定できていなかったわたしは、「ロハスっちゅう言葉は、なんかかゆい」というメグさんの台詞に「それや!」と飛びついた。物を無駄にしないとか、自然を愛するとか、ゆったり生きるとか、その精神には共感するのだけど、さりげなく日々の生活に取り入れていることの頭文字をつなげて「ロハス(Lifestyle of Health and Sustainability)」なんてもったいぶった名前をつけることにムズムズする。企業が「ロハス宣言」したりデパートが「ロハス展」をしたり、商業のにおいが強くなるほど、野にひっそり咲く花を額縁に飾って展覧会に押し上げてありがたがっているような不自然さを感じてしまうのだった。

「エコって言われても抵抗感じないのに、なんでだろね」とわたしが言うと、「森永なんとかっちゅう経済学者(たぶん森永卓郎?)がセコって言うてたけど、私はそれやな」とメグさん。セコいとエコをかけて、セコ(SECO)!? この言葉は、なぜか愛せる。わたしもその一員のつもりなのだけど、捨てられないものがあふれ返るだけで、「環境にええていうても、カビ生やしたら健康に悪いし」「中途半端がいっちゃんタチ悪い」とメグさんにしかられている身では、エコの部分が抜け落ちた「セコいだけのセコ」のよう。

2007年09月25日(火)  すごい本『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』
2003年09月25日(木)  ディズニー・ハロウィーン
2002年09月25日(水)  宮崎・日高屋の「バタどら」
2001年09月25日(火)  『パコダテ人』ロケ3 キーワード:遭遇 


2008年09月24日(水)  トマトジュースのレシピで泣かせる『味覚日乗』

「トマトジュースのレシピで読者を泣かせてしまう」。先日読んだフリーアナウンサーの堤幸子さんの本(『堤信子の暮らしがはずむちょっといい話 主婦アナのマルトク生活情報ブック』)で紹介されていた『味覚日乗』に心惹かれ、手に取った。

「かまくら春秋」という月刊誌に9年にわたって連載されたエッセイをまとめたもの。読んで、たまげた。日々の何気ない暮らしの営みを綴った文章が、どうしてこうも格調高いのか。「桜は、なんと光の似合う花でしょう」。凛とした口調に、こちらの背筋も伸びる。栽培大豆の歴史を語り、「人類は、努力家揃いですね」。料理の工夫を述べて、「頭は生きてるうちに使います」。「塩とは、なんとすばらしい物質でしょう」などという表現に、台所にあるものが、そこで営まれる家事という行為が、崇高なものに見えてくる。摘み草をする効能については、「つまり風土そのものを味わうのです。なんという印象的な一体感でしょう。風土の生理と人間の生理は、実は一つなのですし……。教育的意義に就いては、一生の幸・不幸を支配するほどの深意がひそんでいたと思います」。

「『雛祭り』それは心のふかみに、ぼんぼりで照らし出されるように、私を慈しんでくださった人々の顔がよみがえる旬日です」ではじまる雛祭りの思い出の美しいこと。「自分によきことを願う、大人達の心を子供が感じとらぬはずがあるでしょうか」と言われれば、親への感謝と子への慈しみが同時に沸き起こり、「当節“面倒くさい病”が蔓延し、重症者も見かけます。(中略)年中行事を商売の色にこれ以上染めず、私共の手許へかえしたほうがよいのではないでしょうか。かたちから入って、こころをとりもどす方法もあるのです」の提案に激しく膝を打つ。

そして、待っていました、トマト・ジュースの作り方は、「手づくりのすすめ」と題したエッセイの中にあった。「思うに、夫婦別れを胸に、梅干しを漬け、塩昆布を炊き、らっきょうを漬ける光景を見たことはなく、夫婦喧嘩の翌日炊きましたという煮豆を食べたこともなく、冷えた心で肴の煮干しを吊るす人を見たことがありません」「日常茶飯の手業の背景は、推測以上に心の深淵に属し、投影そのものと思います」「深淵にたたえられていたものへの敬意と感謝をなおざりにしていた長い歴史が、こと、ここに至って、あってあたり前とされてきた女の水源を枯渇させているのではないでしょうか」とたたみかける三つの文は、随筆を超えて、もはや哲学の領域。

夫婦喧嘩した直後に背中を向け合って梅酒を漬けた身としては肩身が狭い思いをしつつも、梅酒を漬けている間に平常心と日常を取り戻したことも思い出し、「深淵か」としみじみとなる。そして、このトマト・ジュースの随筆の締めくくりの一文は、「人が愛ゆえに、作ったり、食べさせてもらったりする日々。過ぎてしまえばなんと短いことでしょう」。これはもう手抜き主婦のわたしでもぐぐっとこみ上げるものがある。一食でも多く家族に手料理を食べさせたい、しかも喜んで。そんなやる気を起こさせてしまう威力のある、すごい殺し文句。

巻末の藤田千恵子さんの解説に「トマトジュースのレシピで読者を泣かせてしまうのは、古今東西の料理研究家では髄一、辰巳先生だけなのではあるまいか」とあり、堤信子さんの紹介文の出典を知る。著者が母であり料理研究家である辰巳浜子さんから「家庭料理を作り続けることは、単なるルーティンではなく、愛情という礎の上で行われる、『たゆまぬ努力』だ」ということを受け継いだ、と語るこの解説もすばらしい。「葉も皮も、才覚で美味に使って」大根を一本食べきる話が本文に出て来たが、野菜をおいしく食べ切るように、解説の最後の一行まで味わい尽くせた。

あとがきによると、『味覚日乗』というタイトルは、かまくら春秋社の伊藤玄二郎さんがつけたという。「日乗とは、平凡気な日常を書き重ねるという意味」というが、主婦業そのものが「味覚」を「日乗」することだなあと感じ入った。一食を重ね、日を重ね、月を重ね、季節を重ね、年を重ねる。消耗されるのではなく蓄積される響きがある「乗」という漢字に、労われる思いがする。

97年にかまくら春秋社より刊行され、2002年にちくま文庫となり、わたしが手に取ったものは2005年の6刷版。今でも版を重ねているのではないだろうか。解説にもあるけれど、「今日もちゃんと台所に立とう」という気持ちをこれほど奮い立たせてくれる本を他に知らない。

2005年09月24日(土)  DVDプレーヤーがやってきた
2002年09月24日(火)  アメリカ土産の「Targetスーパー」のカード
2001年09月24日(月)  『パコダテ人』ロケ2 キーワード:対決 

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