2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙

涙のモーニングコール ■朝五時半、湯の川観光ホテル前に戻ってくる。今日の撮影も夜からなので、加藤さん、小山さんと「昼にラーメンを食べに行こう」と約束。わたしたちは就眠モードだったが、石田さんは引き続き運転手モード。いつ寝ているんだろうか。ひと風呂浴びて、昼まで寝るぞと布団にもぐりこむ。朝日が射し込んでまぶしかったが、間もなく眠りに落ちた。だが……九時過ぎ、携帯電話が鳴った。<わたし「(寝ぼけて)モヒモヒ……」 電話「おはようございます。野村證券です」 わたし「ふわっ?(何の用だ?)」 電話「トヨタの転換社債が出るんですが、ご興味ありませんか?」 わたし「あの……今はべつに……」 電話「今じゃないと遅いので、結構です」と電話は切れた。なぜこんな早朝に、どうでもいい電話がかかってくるのか。気合いを入れ直し、二度寝を試みると、今度は部屋の電話が鳴った。わたし「もしもし?」 電話「おはようございます。そちらに掃除の者は行っておりますか?」 わたし「は? 掃除? (見回し)まだのようですが」 電話「わかりました。失礼しました」 掃除の人が行ったかどうか、他に調べようはないものなのか。すっかり寝る気をなくしたので、起きることにすると、掃除のおばちゃんが来た。部屋を片付けていただく間、廊下に避難し、部屋がきれいになってから戻る。しばらくすると、おばちゃんが戻ってきて、「失礼します。歯ブラシ取らせていただきまーす」と押し入れを開け、替えの歯ブラシを持って行った。見ると、予備の歯ブラシ、タオル、浴衣がギッシリあるではないか。後で聞いた話では、各階の一号室が「物置き兼連絡部屋」になっているようで、ヘアメイクの小沼さんも同じ目に遭っていた。小沼「朝食券の束もどっさりあったわよ」 わたし「すごいですね!」 小沼「でも、たくさんあってもしょうがないわね」 わたし「確かに……」 朝食券は『ビデオプランニング専用』のをご用意いただいている。


涙の準備中 ■せっかく早起きできたので、目覚めのコーヒーでも飲もうかと部屋を出る。朝食券を使っておかわりし放題の牛乳とコーヒーでカフェオレが飲めたら最高だったのだが、あいにく朝九時で終了。喫茶『はまなす』へ向かう。と、非情にも『準備中』の札が。「ただ今の時間はレストラン『イタリアントマト』をご利用ください」とある。もう十一時。ランチバイキングの時間だ。行ってみると、デジャヴのように松田美由紀さんがいた。そして、窓際の席には徳井優さん。昨日挨拶しそびれたので、自己紹介する。松田さんとテーブルに着き、コーヒーとサラダとフルーツを取る。松田「函館は初めてだったけど、昔の建物がよくきれいに残ってるなって感心した。こんなにいい建物が残ってるんだから、アートに力入れて欲しいわね。音楽とか映画とか」 わたし「函館にも映画祭あるんですよ」 松田「あら、そうなの? 芸術の街として育って欲しいわね」 それから話は、江差で食べたトウモロコシのことになった。 松田「もぎたて、ゆでたてで超おいしかった。ツヤといい、ふっくらした感じといい、自然のすごさを思い知るわね」 この人の「物事をエンジョイ するチカラ」には底知れぬものがあるし、それを表現するエネルギーもすごい。

涙の修行中 ■そこにドヤドヤと橋内さんたちが入ってきて、松田さんはそちらのテーブルに移動した。入れ違いに石田さんが隣のテーブルに来た。石田さんはCMの世界を飛び出してきた人だ。「映画を作る!」と宣言し、「タダで使ってください」と前田組のアシスタントプロデューサーに名乗り出た。「涙の」というのは石田さんが泣いているわけでは決してなく、「無給(&無休)でよくここまでやるなあ」と、見ているこちらが泣けてくるのだ。わたし「広告と映画は、やっぱり違いますか」 石田「違いますねー。映画のほうが断然、やること多いですよ」 わたし「人手が足りないってのも、あります?」 石田「大いにあります」 わたし「映画に飛び込んだのは、正解だったんでしょうか?」 石田「さあ……(長い間)……どうなんでしょう」 少なくとも、スタッフに「広告の同志」である石田さんがいてくれたことは、映画界新参者のわたしにとっては心強かった。石田さんの上司や同僚だった人がタイトルロールに石田さんの名前を見つけて、「あいつ、やるな」と誇らしくなるような作品になればいいなと思う。

涙のちゅらさん ■「一時にロビーで待ち合わせ」と約束したのに、加藤さんが現れない。電話しようかと思っていたら、加藤「(駆け寄り)ごめんなさーい。ちゅらさん見てまして」 わたし「ちゅらさん見たの? ずるい!」 加藤「泣いちゃいましたよ。まりあさんが、やってくれました」 わたし「うわー。悔しい」 加藤「てっきり皆さんも見てから来ると思ってました」 小山「私は五分前に来てました」 わたし「わたしは部屋にテレビがないんです」 タクシーに乗り込み、五稜郭をめざす。その正面にうまいラーメン屋があるという。

感涙の塩ラーメン ■ラーメンはめったに食べない(新横浜のラーメン博物館は例外)が、ご当地ものには弱いので、「地元住人も絶賛」というラーメン屋『あじさい』へ。塩ラーメン六百円を注文する。スープがぐいぐい飲める。通ではないが、これはウマイと断言していいと思う。窓からはラッキーピエロ五稜郭店が見える。これまでチャイニーズチキンバーガーを食べずして函館を去ることはなかったのだが、今回は前例を破ってしまうかもしれない。この後はイクラ丼を食さなくてはならないのだ。

悔し涙のイクラ丼 ■タクシーで次にめざすは朝市。運転手さんに「どこかおいしいお店ありますか」と聞くと、「こだわりの店だから黙って食えって言われてもねー。自分だけこだわってても誰も食べないよ」。ごもっとも。立待岬のほうにある『源』というラーメン屋はうまいとのこと。わたし「朝市に、わたしがイクラを食べられるようになったお店があるんだけど……」 小山「なんてお店ですか?」 わたし「何だっけなー。ジュディマリのサインがあった」 加藤「それは難易度高いですね」 わたし「『き』で始まったような……」 運転手「きくよ食堂じゃないですか?」 わたし「あ、それ、それ!」 タクシーを降り、きくよ食堂を探すと、あった! あろうことか、まさに店じまい中。鍵をかけたおばちゃんが「ごめんね。二時までなの。明日来て」。それは厳しい気がする。明日の朝、函館を発つのだ。仕方なく別の店へ。そこのウニ・イクラ丼もそれなりにおいしかったが、きくよ食堂で食べたときの雷に打たれたような感覚は味わえなかった。店が違うせいなのか、舌が肥えてしまったからなのか、確かめられなかったのが悔しい。
涙の発売中止小山さんは「ロケバスが出る前に戻らなくては」と、ひと足お先にホテルへ。タレントさんの体調や顔色をちゃんと確かめたいというマネージャー魂。わたしは見物に来ているけれど、彼女は仕事に来ているのだった。写真集を撮っている加藤さんも然りだが、撮影前に大正湯入りすればいいというので、ひき続きオフをご一緒することに。ジャケットにピンクのパコダテールを引っ掛けて歩くと、「しっぽ?」という視線を感じる。大好きな西波止場に着き、函館ヒストリープラザへ。パコダテールのようなシッポが売られているのを発見してはしゃぐ。フェリシモ郵便局でユメール君はがき(ポストの形をしたキャラクターの変形はがき)を買って送ろうとしたら、発売中止になっていた。『昭和七十三年七月三日』で大事な小道具として登場しているのに……書き直さねば。かわりに隣接の雑貨屋でクリスマス用ポストカードを買う。

涙のバナナシェイク  ■なんでも「涙」をつければいいというものではないが、なにげなく注文したバナナシェイクが思いがけなくおいしかった。カードを「どっかお店に入って書きませんか」という加藤さんの提案で、『カリフォルニア・ベイビー』に来ていた。『いつかギラギラする日』のロケ地になり、映画の中で派手に燃えていた店だ。気になっていたが、入るのははじめてだった。「おなかいっぱいで眠くなってきたので、コーヒーでも飲みましょう」と言っていたのに、なぜかバナナシェイクをグビグビ飲んでいるむわたしを、加藤さんは不思議そうに見ていた。それぞれの大切な人たちに手紙を書き、フェリシモ郵便局に戻って『クリスマスポスト』に投函。このポストに託された郵便は、クリスマスの季節に届けられる。三か月先のことはわからないけど、確実に起こる小さな事件は、今日函館で書いたクリスマスカードを五人のひとたちが受け取ること。

涙のインタビュー ■大正湯に着くと、撮影前の腹ごしらえの真っ最中。ボランティアスタッフの大内裕子さんが差し入れてくれたたい焼きに飛びつき、スイカをぱくつくわたしを、「まだ食べるんですか」と加藤さんは信じられない目で見ていた。ふと、一人で椅子に掛けている徳井優さん(写真左から2人目)が目に留まった。この人の言葉を聞けるのは今しかない、という気がして、おそるおそる話しかけてみた。わたし「あの……出演していただき、ありがとうございます。じつはわたし、『Shall weダンス?にエキストラで出たんですよ」 徳井「そうだったんですか?」 わたし「徳井さん、すぐそばで、声、張り上げてました」 徳井「へーえ」 わたし「あの映画、前田さんも関わってましたし、奇遇やなあって思ってます。(自分の大阪弁に気づき)あ、わたし、引越のサカイの堺出身なんです」 徳井「ああ、堺ですか」 わたし「今回の話、途中からお父さん役は徳井さんを意識して、あて書きみたいになってたんですけど。前田監督が、徳井さんならこういう言い方するとか言って、わたしも、徳井さんにこんな仕草させたら面白いかなとか考えて。徳井さんがこの役に、なんか思い入れとかあったら聞きたいんですけど」 徳井「そうやねえ」 わたし「あ……いきなり思い入れって言われても、アレですね……」 徳井「……」 わたし「……」 話題を変えようかなと思ったそのとき、徳井「僕ね、会ったことない腹違いの姉が二人いるんです」 わたし「え?」 徳井「戦後すぐに幼くして亡くなってしもたんやけどね」 わたし「ええ」 徳井「そのこと、ずっと忘れとったっていうか、どっかに置いてたんやけど、この夏頃ぐらいから考えるようになって。僕には、ほんまやったら、お姉さん二人おってんなあって。そしたら、年頃の娘が二人いる役が回ってきて……親父がまっとうできなかった部分を自分がまっとうするんやなあって思ったんです。(台本を)二回目読んで、やっぱりそうやなあって思いました。役者として、そういう重ね方をしました」。びっくりした。震えた。この話を聞くために函館に来たんだと思った。函館に来て、大正湯の前で、お父さんの衣裳の徳井さんと向き合わなければ聞けなかった言葉だろうから。「函館は、ほぼはじめてですけど、この街は作品の雰囲気にマッチしてますね。このロケーションやからファンタジーになるんでしょうね。同じ本でも、東京が舞台やったら、違う話になったと思います」「お風呂屋さんの役は、はじめてですね。どんな役をやるときも、職業の匂いを出せたらっていつも思ってます。ちゃんと見せたい。けど、番台に座ればお風呂屋さんに見えるのか。たたずまいをどう出そうか、考えましたねえ」「怒る芝居は、ちゃんと怒ろうと思います。ちゃんと怒ると笑えるんですけど、中途半端やと、狙いが見え過ぎて、引かれてしまうんでね」。徳井さんは、印象深い言葉をたくさん残して、出番に呼ばれて行った。

ご近所さんの心遣いに涙  ■六時過ぎから大正湯脱衣場で撮影がはじまる。今日は表の撮影はないので、コインランドリーは営業している。お向かいさんは蕎麦屋さん。手打ち麺と手作りのつゆで、スタッフの間でもおいしいと評判。日野家の食卓の話題にも登場する。連日のロケが営業妨害になってなかったか気がかりだが、「ああ、はじまりましたか」というご主人の声は温かい。「今日はこれから出かけませんので」と家の中に消え、「二階のカーテンも閉めときますね」。間もなく二階のカーテンが、すっと引かれた。余計な光が漏れては撮影の邪魔になるという心遣いなのだろう。

おかし涙の大蔵省君 ■小内さんが「大蔵省君に会いました? 面白い子ですよ」と紹介してくれた。大蔵省君こと若狭君は、大蔵省をやめて役者になったので、芸名を『大蔵省』という。「キャリア組じゃないですよ。最初は税務署に入って、国税局、国税庁と出向先が移って、最後が大蔵省だったんです」と大蔵省君。「どんどん出世してない?」と言うと、「この法則に当てはめると、パコダテ人は出世作になりますよ」。彼はいつもビデオカメラを構えているので、メイキング係なのだと思ったら、もともと函館スクープの稚内役で出演していたのだという。東京乾電池の役者さんたちと立ち上げた劇団『下北沢ノーテンチョッパーズ』の主宰なのだ。若狭という名前に聞き覚えがあったので、「もしかして、三木さんにゲットされた?」と聞くと、図星だった。わたしはゲットされた瞬間を目撃していた。ビデオプランニングで本直しをしていた横で、三木さんがかけていた電話を再現すると、「もしもし、若狭君? ひさしぶり。なあ、ヒマやろ? な。函館行きませんか? 涼しいですよ。もちろんタダで。映画の撮影やねんけど、出演とお手伝いしてもろて。金はないけど飯は出しますんで。ええ話でしょ? じゃあそういうことで。(と受話器置き)一人つかまったでー」。三木さんの強引な釣り方にも驚いたが、速効で食いついた若狭君なる人物にも驚いていたら、こういう人だった。わたし「役作りで、やったことは?」 大蔵省「キャラづけに前髪を極端に短くしました」 わたし「監督は何て言ってた?」 大蔵省「お前は動きがヘンだとほめられました」 ほめられたのだろうか。やっぱりヘンだよ大蔵省君。

2000年10月23日 『パコダテ人誕生秘話』

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