涙のバナナシェイク ■なんでも「涙」をつければいいというものではないが、なにげなく注文したバナナシェイクが思いがけなくおいしかった。カードを「どっかお店に入って書きませんか」という加藤さんの提案で、『カリフォルニア・ベイビー』に来ていた。『いつかギラギラする日』のロケ地になり、映画の中で派手に燃えていた店だ。気になっていたが、入るのははじめてだった。「おなかいっぱいで眠くなってきたので、コーヒーでも飲みましょう」と言っていたのに、なぜかバナナシェイクをグビグビ飲んでいるむわたしを、加藤さんは不思議そうに見ていた。それぞれの大切な人たちに手紙を書き、フェリシモ郵便局に戻って『クリスマスポスト』に投函。このポストに託された郵便は、クリスマスの季節に届けられる。三か月先のことはわからないけど、確実に起こる小さな事件は、今日函館で書いたクリスマスカードを五人のひとたちが受け取ること。
涙のインタビュー ■大正湯に着くと、撮影前の腹ごしらえの真っ最中。ボランティアスタッフの大内裕子さんが差し入れてくれたたい焼きに飛びつき、スイカをぱくつくわたしを、「まだ食べるんですか」と加藤さんは信じられない目で見ていた。ふと、一人で椅子に掛けている徳井優さん(写真左から2人目)が目に留まった。この人の言葉を聞けるのは今しかない、という気がして、おそるおそる話しかけてみた。わたし「あの……出演していただき、ありがとうございます。じつはわたし、『Shall weダンス?にエキストラで出たんですよ」 徳井「そうだったんですか?」 わたし「徳井さん、すぐそばで、声、張り上げてました」 徳井「へーえ」 わたし「あの映画、前田さんも関わってましたし、奇遇やなあって思ってます。(自分の大阪弁に気づき)あ、わたし、引越のサカイの堺出身なんです」 徳井「ああ、堺ですか」 わたし「今回の話、途中からお父さん役は徳井さんを意識して、あて書きみたいになってたんですけど。前田監督が、徳井さんならこういう言い方するとか言って、わたしも、徳井さんにこんな仕草させたら面白いかなとか考えて。徳井さんがこの役に、なんか思い入れとかあったら聞きたいんですけど」 徳井「そうやねえ」 わたし「あ……いきなり思い入れって言われても、アレですね……」 徳井「……」 わたし「……」 話題を変えようかなと思ったそのとき、徳井「僕ね、会ったことない腹違いの姉が二人いるんです」 わたし「え?」 徳井「戦後すぐに幼くして亡くなってしもたんやけどね」 わたし「ええ」 徳井「そのこと、ずっと忘れとったっていうか、どっかに置いてたんやけど、この夏頃ぐらいから考えるようになって。僕には、ほんまやったら、お姉さん二人おってんなあって。そしたら、年頃の娘が二人いる役が回ってきて……親父がまっとうできなかった部分を自分がまっとうするんやなあって思ったんです。(台本を)二回目読んで、やっぱりそうやなあって思いました。役者として、そういう重ね方をしました」。びっくりした。震えた。この話を聞くために函館に来たんだと思った。函館に来て、大正湯の前で、お父さんの衣裳の徳井さんと向き合わなければ聞けなかった言葉だろうから。「函館は、ほぼはじめてですけど、この街は作品の雰囲気にマッチしてますね。このロケーションやからファンタジーになるんでしょうね。同じ本でも、東京が舞台やったら、違う話になったと思います」「お風呂屋さんの役は、はじめてですね。どんな役をやるときも、職業の匂いを出せたらっていつも思ってます。ちゃんと見せたい。けど、番台に座ればお風呂屋さんに見えるのか。たたずまいをどう出そうか、考えましたねえ」「怒る芝居は、ちゃんと怒ろうと思います。ちゃんと怒ると笑えるんですけど、中途半端やと、狙いが見え過ぎて、引かれてしまうんでね」。徳井さんは、印象深い言葉をたくさん残して、出番に呼ばれて行った。
ご近所さんの心遣いに涙 ■六時過ぎから大正湯脱衣場で撮影がはじまる。今日は表の撮影はないので、コインランドリーは営業している。お向かいさんは蕎麦屋さん。手打ち麺と手作りのつゆで、スタッフの間でもおいしいと評判。日野家の食卓の話題にも登場する。連日のロケが営業妨害になってなかったか気がかりだが、「ああ、はじまりましたか」というご主人の声は温かい。「今日はこれから出かけませんので」と家の中に消え、「二階のカーテンも閉めときますね」。間もなく二階のカーテンが、すっと引かれた。余計な光が漏れては撮影の邪魔になるという心遣いなのだろう。
おかし涙の大蔵省君 ■小内さんが「大蔵省君に会いました? 面白い子ですよ」と紹介してくれた。大蔵省君こと若狭君は、大蔵省をやめて役者になったので、芸名を『大蔵省』という。「キャリア組じゃないですよ。最初は税務署に入って、国税局、国税庁と出向先が移って、最後が大蔵省だったんです」と大蔵省君。「どんどん出世してない?」と言うと、「この法則に当てはめると、パコダテ人は出世作になりますよ」。彼はいつもビデオカメラを構えているので、メイキング係なのだと思ったら、もともと函館スクープの稚内役で出演していたのだという。東京乾電池の役者さんたちと立ち上げた劇団『下北沢ノーテンチョッパーズ』の主宰なのだ。若狭という名前に聞き覚えがあったので、「もしかして、三木さんにゲットされた?」と聞くと、図星だった。わたしはゲットされた瞬間を目撃していた。ビデオプランニングで本直しをしていた横で、三木さんがかけていた電話を再現すると、「もしもし、若狭君? ひさしぶり。なあ、ヒマやろ? な。函館行きませんか? 涼しいですよ。もちろんタダで。映画の撮影やねんけど、出演とお手伝いしてもろて。金はないけど飯は出しますんで。ええ話でしょ? じゃあそういうことで。(と受話器置き)一人つかまったでー」。三木さんの強引な釣り方にも驚いたが、速効で食いついた若狭君なる人物にも驚いていたら、こういう人だった。わたし「役作りで、やったことは?」 大蔵省「キャラづけに前髪を極端に短くしました」 わたし「監督は何て言ってた?」 大蔵省「お前は動きがヘンだとほめられました」 ほめられたのだろうか。やっぱりヘンだよ大蔵省君。
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2000年10月23日 『パコダテ人誕生秘話』