2008年08月03日(日)  葉山の別荘2日目 田舎でのんびり

一階の客間で朝目覚めるなり、「おにかい いく!」と娘のたま。リビング兼ダイニングルームの大きな窓から海を見はるかす二階が、すっかり気に入った様子。同じ階にあるお風呂からも海が見え、日が高いうちにひと風呂浴びるのもとても気持ちいい。

昨日の晩ご飯に負けじとテーブルにごちそうが並ぶ。カリッと焼いたフランスパンにブルサンのガーリックチーズを塗り、地元のとれたてトマトをのっけたオープンサンド。たっぷりヨーグルトに、たっぷりのブルーベリージャムを放り込み、「はちみつもどうぞ」。サラダの野菜もシャキッとしている。窓に目をやれば、緑の向こうに大きな海。映画に出て来るような別荘の朝ごはんで、2日目の朝がはじまった。

朝食を終えると、車で買い出し。地元のおばちゃんたちがとれたての野菜や花を売っている掘建て小屋へ。縦長のプチトマトが袋いっぱい詰まって、百円。小屋の前の通りを奥へ進むと、行列のできるトラック。さばきたてのマグロを求めて、地元の主婦が詰めかけている。ここで昼食の丼用の刺身を調達。帰りに寄ったしらす屋で、たまが気に入った釜揚げしらすを買う。帰り道の山の途中で、湧き水で手を冷やし、お不動さんに手を合わせた。


昨日の夕方の海は貸し切りのようだったけれど、今日の午前中はパラソルやテントがびっしりと並び、別な砂浜に来たよう。砂で立体お絵描きをしたり、お風呂を掘ったり、アンパンマンを作ったり。

一時間ほど遊んで帰ると、お昼ごはん。今朝買いに行ったまぐろの丼と、昨日の鱸のかまでだしを取った潮汁。さらに、地元でとれたトウモロコシ。皮付きのトウモロコシなんて見たことがないたまは、皮むきに興味津々。とれたてのゆでたては、甘くてやわらかくて、たまも夢中でかじりついていた。

すっかり食欲を盛り返したたまは、気をゆるした相手にしか披露しない一発芸の「バレリーナ」も飛び出し、何度も来ている親戚の田舎のようにくつろいでいた。窓から見える空と海と緑。吹き渡る風。木を震わせる虫の声。海と山の間で過ごす休日は、子どもにもリフレッシュ効果をもたらしてくれる。たった一泊二日、自宅から二時間足らず離れただけなのに、普段の暮らしとは違う時間の流れに身をおいて、気持ちの中を風が通り抜けたような開放感を味わった。

思わぬ落とし穴は、日焼け。日焼け止めを買ったものの顔だけガードしていたら、ダンナとたまが背中や肩を真っ赤に晴らし、眠れないほど痛がった。同じ陽射しの下に同じ時間いたわたしは、ちょっぴりひりひりする程度。わが家の日焼け勢力図は「色白・繊細族」と「地黒・鈍感族」の2対1に分かれることが判明した。

2007年08月03日(金)  ラジオが聴きたくなる、書きたくなる『ラジオな日々』
2006年08月03日(木)  子どもの城+ネルケプランニング『南国プールの熱い砂』
2005年08月03日(水)  『三枝成彰2005 2つの幻』@サントリーホール
2002年08月03日(土)  青森映画祭から木造(きづくり)メロン


2008年08月02日(土)  葉山の別荘1日目 海水浴と海の幸づくし

葉山に別荘を持つ知人夫妻から、遊びに来ませんかのお誘い。娘のたまに「海行く?」と聞くと、「ミッキーは?」の返事。彼女にとって、海と言えば先月行ったディズニーシー。1才の秋に鎌倉で夜の海を見たことはあったけれど、海水浴は初めての体験。高台に建つ知人の別荘からは坂道をずんずん降りると海に出られる。

最初はわたしにしがみついて波をこわがっていたたまは、慣れてくると歓声を上げ、大きな波が来るのを待つようになった。頭から水をかぶっても笑っていて、強い強い。保育園で毎日プール遊びをしている成果かなと思う。砂を掘ってお風呂を作ったり、アンパンマンを作ったり、自然の水に触れるのも砂に触れるのもめったにできないことで、親も童心に返ってはしゃいでしまった。

夜は海の幸づくし。東北から仕入れた牡蠣2種類に続いて、地元のとれたて魚介類が一枚木のテーブルに次々と運ばれる。焼きサザエ、別荘の主人が包丁をふるってさばいた鯵と鱸(すずき)、透き通った生しらすをポン酢で。箸も進み、ワインも進む。たまは釜揚げしらすを1パック平らげる勢い。手足口病に夏バテが重なって食欲減退気味だったのが嘘のような豪快な食べっぷり。トマトの酢の物、サラダ、玉子炒め、もてなし料理もすべて絶品。

夫妻の友人という衆議院議員の保坂展人さん夫妻も急遽東京から駆けつけ、にぎやかな食卓に。手土産のどら焼きがあまりにおいしく、満腹なのに二個ペロリ。初対面の保坂さんはいい意味で社民党っぽくないイマっぽい人。明日の夜は阿佐ヶ谷で『政治をROCKしろ!』というトークショーを開催するのだとか。そう、顔つきも話し方も話す内容も、「ロックな政治家」という印象だった。夫人も気さくで楽しい人。和菓子屋の福引きで当てたというブーブークッション(まだあったのか!)をもらったたまは、おならの音に大喜び。

2007年08月02日(木)  ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアスプレー』
2002年08月02日(金)  「山の上ホテル」サプライズと「実録・福田和子」


2008年08月01日(金)  地震の噂のたびに部屋が片づく

朝から仕事そっちのけで大掃除に励んでいるのは、先日、打ち合わせでプロデューサーが「来週東京に大地震が来るって噂があるんですよ」と言い出したから。彼女は別々のルートで聞いたことから、「ひょっとしたら、ひょっとするかも」と言う。広告会社に勤めていた頃は同じ部署に「地震雲」を熱心に観察しているCMプランナーがいて、「今度のは怪しい」などと年中警告を発していたのだけど、会社を辞めて以来、その手の警告を聞く機会がめっきり減った。

聞かなきゃよかったと思いつつ、聞いてしまったからにはベストを尽くさずにはいられない性分。地震に備えてあたふたするのは、2003年の9月にネット上でかなり大々的に「地震が来るかも」の噂が流れたとき以来(2003年9月14日の日記)。備えるといっても、できることといえば、壊れそうなものを避難させるぐらいなのだけど、その避難先を確保するために大掃除が必要なのだった。棚の高いところにしまってある高級な食器を低いところに移動するために、低いところにのさばっているいらないものに見切りをつけ、場所をつくる。賞味期限切れの乾物や調味料や一度も参考にしたことがないおまけのレシピがざくざくと出てくる。必要に迫られないと後回しにしてしまうわたしには、5年に一度ぐらい、地震が来るぞの強制力が必要なのかもしれない。噂通り地震に見舞われた場合は備えが役に立つだろうし、噂が外れた場合も部屋は多少片付き、骨折り損にはならない。

2007年08月01日(水)  バランスがいいこと バランスを取ること
2002年08月01日(木)  日傘


2008年07月31日(木)  ファミレスで働く

集中してパソコンに向かっていて、ふと顔を上げると時計は三時を回っていた。今さらお昼を作る気力もないし、冷蔵庫には材料もない。ひさしぶりにファミレスに行くことにした。会社を辞めてから出産するまでは週に何度もデニーズに通って、読み物をしたり、企画を練ったりしていた。会社勤めが長かったので、一人で食事をするのも仕事をするのもなんだか淋しくて、人の気配を求めてファミレスに足が向かうのだった。不思議なもので、家にいるときよりも、適度にざわざわしていて隣のテーブルの会話が耳に入るようなところで読んだり書いたりするほうが、仕事がはかどったりする。

出産を機にファミレス通いはぱたりと止んでしまったけれど、ときどきデニーズの朝ごはんが恋しくて食べに行く。今日向かったのは、カレーな気分にまかせて、ココス。大学の正面にあるこの店は客層が若くて、テーブルに向き合った女子大生二人がそれぞれメイクしたり携帯メールを打ったり、けだるそうに過ごしている。行きつけないせいもあってか居心地が悪く、食事だけ済ませてさっさと出てしまった。主婦を中心に中年層でにぎわう300メートル先のドラッグストア2階のデニーズのほうが、わたしには落ち着けるし、ネタの仕入れにも重宝する。

2007年07月31日(火)  マタニティオレンジ153 クッキーハウス解体イベント
2000年07月31日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月30日(水)  マッシュルームにすると美味

何気なく読んでいたダイレクトメールに産地直送のじゃがいもが紹介されていて、「マッシュルームにすると美味」。気持ちはわかるけど、おいもはきのこになれません。mushroomとmashed potato、英語にするとかなり別人。でも、一緒に食べたらおいしそう。こういう罪のない無邪気な間違いは、思い出すたびに顔がにやけてしまう。

マッシュルームに大笑いしているわたしも、口数が多い分、言い間違いも量産傾向にある。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭でひさしぶりに英語を使ったら、似て非なる単語がごっちゃになって「少数民族が言語を守り伝えていかないと、その言語は消えてしまう」と言うのにdisappearedを使うべきところをdistinguished(著名な)を使ってしまった。

横文字といえば、先日ダンナが新聞を見ながら「WTO」について議論をふっかけてきたときに、知ったかぶって「世界保健機構でしょ」と言ったら、「それはWHO(World Health Organization)。しかも機構じゃなくて機関」と訂正された。ちなみにWTOは世界貿易機関。どうも思い込みの激しさがイニシャル系横文字の認識力を邪魔しているようで、ある衣料品店で「商品券は使えますか」と尋ねたときに「クレジット会社発行のものでしたら」と言われ、じゃあと出したのはJTB商品券。JTBの三文字を見ながら頭の中ではJCBを描いていた。

2007年07月30日(月)  劇団ダンダンブエノ公演『砂利』
2004年07月30日(金)  虹色のピースバンド
2003年07月30日(水)  脚本家ってもうかりますか?
2002年07月30日(火)  ペットの死〜その悲しみを超えて
2001年07月30日(月)  2001年7月のおきらくレシピ


2008年07月29日(火)  マタニティオレンジ316 はじめての雷、まだ怖くない。

打ち合わせを終えてダンナの実家に娘のたまを迎えに行くと同時に雷が轟き、雨が降り始めた。大人でもびくっとなるほどの大音響で、たまは怖がるかと思ったのだけど、泣き出すどころか楽しんでいる様子。雷が鳴るたびに「こわいよー」とおどけて言いながらわたしやじいじばあばに抱きつく顔は笑っている。

玄関の鍵が開くカチャリという音には飛び上がって泣き出すのに、雷は平気.怖いと感じる基準は何なんだろう。そういえば、地震で揺れたときも平然としていた。「地震・雷・火事・オヤジ」の三番目はまだ体験していないけれど、火の怖さはまだよくわかっていないようで、台所で火を使っているときに平気で近づいてくる。「熱いよ! 怖いよ!」と立ち退かせるわたしの顔は怖いらしい。オヤジ(パパ)は娘にデレデレで、雷を落としたことはないけれど、一緒に過ごす時間が短いと、警戒して逃げる。

何かを怖いと感じるのも、人間の成長の証なのだろうと思う。火傷の痛さを知ると、火事で失うものの大きさを知ると、火を怖れるようになる。なくしたくないものができ、生きることへの執着を覚えると、死が怖くなり、それにつながる危険を怖れるようになる。わたしは小学校に上がった頃から、雷が怖くて怖くて、震えながら鳴り止むのを待っていた。雷で折れた電柱が倒れてきたショックで心臓が止まった親戚の話を母親から聞いたせいで、「雷で死んでしまうかもしれない」という恐怖が植えつけられたのだった。

2007年07月29日(日)  マタニティオレンジ152 子守すごろく
2004年07月29日(木)  クリエイティブ進化論 by MTV JAPAN
2002年07月29日(月)  中央線が舞台の不思議な映画『レイズライン』


2008年07月28日(月)  マタニティオレンジ315 わがままが進化した

娘のたまのわがままがエスカレートしている。以前は「バーニーみる!」とビデオをせがむところで止まっていて、ビデオをつければ後は機嫌を良くしてくれていた。今はビデオを見せても一時しのぎにしかならない。10分も経つと「いなない(いらない)」と言い出し、別なビデオを要求する。30分もしないうちに、あるだけのビデオをとっかえひっかえさせた挙げ句、また最初のビデオに戻る。ビデオを観ることではなく、親を振り回すことを楽しんでいるとしか思えない。
魔の二歳児まで一か月を切り、わがままも高度になったということか。先週わたしが映画祭の仕事であまりかまってあげられなかったことも原因かもしれない。何をやってもそっぽを向く姿は、仕事が忙しくてなかなかデートできなかった彼氏にすねてみせる彼女のよう。こっちは淋しい思いをさせたという負い目があるので、つい言うことを聞いてしまうのだけれど、それが娘をつけ上がらせているようにも思える。

食べ物が入った皿や飲みさしのコップをほったらかしにするのではなく、「きちゃない」と言って差し出すようになったのも、わがままの一歩前進。「もういらないから洗って」の意思表示なのだけど、ひとさじ入れただけでたっぷり残したスープの皿を「きちゃない」なんて言われては、母は傷つく。「食べ物は汚くないよ」と訂正し、「これはママが食べようね」と引き取っている。ものに敬意を払わないということは、人の気持ちを軽んじること。自己主張は強くても、ものを粗末にする子にはなって欲しくないと願いながら、冷えたスープやぬるい牛乳をすすっている。

2007年07月28日(土)  マタニティオレンジ151 特等席で隅田川の花火
2004年07月28日(水)  日本料理 白金 箒庵(そうあん)


2008年07月27日(日)  SKIPシティ国際Dシネマ映画祭9日目 クロージング

12 時から昼食会の後、クロージングセレモニー。国内短編コンペティション部門に続いて国際長編部門の受賞作品発表。短編審査委員長の高嶋政伸さんのコメントには映画への愛がたっぷりこもっていて、味わい深い。受賞作のひとつ、『黒振り袖を着る日』への思い入れを語った際に「来月結婚することになりまして……紹介しちゃおっかな」と会場にいるフィアンセを紹介したのが何とも微笑ましかった。大賞受賞作『エレファント・マド』の監督HAMUさんは男性二人組さんで、そのうち一人は元気な男の子を連れて壇上へ。「外で子どもの相手してたらいきなり呼ばれて」とあわてふためきつつ、おとなしくしていないわが子を押さえてあたふたする姿が笑いを誘い、これまたいい感じ。

長編部門の表彰は5つの賞を5人の審査員が授ける形で進んだ。関係者が会場に駆けつけられない作品は、受賞者の喜びの声が会場に流れた。昨夜から今朝未明にかけてスタッフは電話をかけまくったとか。わたしがプレゼンターとなった脚本賞の『The Class(ザ・クラス)』の監督・脚本、エストニアのIlmar Raag(イルマール・ラーグ)さんには無事トロフィーを手渡すことができた。学校でのいじめを行き着くところまで描いた『ザ・クラス』は、観ていて苦しく辛い作品。わたしが脚本を書いていたら追いつめられる主人公に救いの手を差し伸べたくなっただろうけれど、この映画は絶望を突きつける。いじめを終わらせるために主人公が取った行動は最悪の結末を招き、せめて映画には希望を見せて欲しいという願いは裏切られる。けれど、現実はこんなもんじゃないというメッセージ性は強烈。作品の影響力の大きさゆえに、ぜひ賞を授けたいという声と、賞を授けることには慎重な声がせめぎあい、審査会議はかなり白熱した。結末に目を奪われると、衝撃ばかりが目立ってしまうけれど、作品は冒頭から一貫して「人間の尊厳とは」を問い続けている。その問いの重さが心の深いところまでずどんと投げ込まれて、時間が経ってもなかなか立ち去らない。強い意志を持った脚本のチカラに感服した。

長編部門の最優秀賞は『Arranged(幸せのアレンジ)』。学校の同僚として知り合ったユダヤ教徒とイスラム教徒の女教師が友情を育みつつ、お見合い結婚を進めていく。シンプルな物語なのに、ヒロイン二人の会話には終始ドキドキがあり、観ているうちに「二人とも幸せになってほしい」という思いが強くなる、そんな愛すべき作品。お膳立てされたお見合い結婚までもがステキなことに見えてくる。宗教の違いから来る摩擦や誤解を取り上げつつもチャーミングに描いた力量はかなりのもの。深刻に見せすぎないことで、彼女たちが実際に生活しているようなリアリティを出すことに成功したと思う。

監督賞を受賞したスペイン映画『Listening to Gabrielガブリエルが聴こえる』、審査員特別賞を受賞した『Lino リノ』『Echo 記憶の谺(こだま)』についても、賞を逃した他の7作品についても、語りだしたらきりがない。審査が縁でめぐりあえた12作品の感想は、日をあらためて紹介したい。

受賞を記念して『幸せのアレンジ』が上映される時間を使って、DVDにて短編を観せてもらう。審査員特別賞を受賞した『覗(のぞき)』(35分)、以前どこかで紹介記事を読んで興味を持っていた『大地を叩く女』(21分)、オープニングパーティで知り合い、水曜日に神楽坂で一緒に飲んだ百米映画社の塩崎祥平さんが監督した『おとうさんのたばこ』(17分)。短い作品でも作り手の個性は明快に現れる。短い作品だからこそ、とも言えるのかも。

クロージングパーティでは、オープニングのときよりもたくさんの人と話ができた。『ザ・クラス』のイルマール監督とは「脚本を書くとき、構成を決めてから書く?」「次回作は?」なんて話をした。映画を撮るためにテレビ局を辞めた監督の次回作は、いじめとはがらりとテイストを変えて、WOMANの話。実際にあった出来事をベースにしているところは共通しているけれど、こちらはハートウォーミングなお話とのこと。神楽坂の飲み会で会ったセシリア亜美北島さんも話題に加わり、脚本の書き方について話す。アルゼンチンからの帰国子女のセシリアさんは構想中の商業用長編を映画祭のDコンテンツマーケットでプレゼンし、興味を持ってくれるところが現れたので、夏のうちに初稿を書き上げたい、と意気込んでいる。今年観る側だった人が来年は出す側になるのかもしれない。

2才の息子リノ君を見てひらめいた物語に、血のつながっていない父親役として出演した『Lino』のジャン・ルイ・ミレシ監督に「もうすぐ2才になるうちの娘もリノ君とおんなじことします!」と伝えたくて話しかけたのだけど、監督はフランス語しか話せない。「わたしにも娘がいる」と伝えようにも「娘」の単語を知らないので、「J’ai…小さい…女の子…」と口ごもっていると、「君にも子どもがいるのか?」っぽいフランス語が返ってきた。「その娘がですね、Lino aussi(リノも)」と怪しいフランス語ながらも気持ちは通じた様子。

フランス語をちょこっとかじったのはカンヌの広告祭に行った10年前だけど、世界中から人が集まって来て話したいことがどっさりあるお祭りに居合わせると、もっと言葉ができたら、と思ってしまう。パーティが始まる前に話しかけた『囲碁王とその息子』のジョー・ウェイ監督、囲碁王役と息子役の役者さんにも、自分の言葉で感想を伝えられる中国語を持ち合わせていなかった。寡黙なホン・サンス監督とも、韓国語ができればもう少し突っ込んだ会話ができたのではないか。英語も磨きたいけれど、スペイン語、フランス語、中国語、韓国語、いろんな言葉で、せめて「あなたの映画はよかったよ」と伝えられるようになりたい。

初日に出会った『Under the Bombs 戦渦の下で』の助監督兼スタイリスト兼ジャーナリスト役のビシャラさんは、英語とアラビア語の他にフランス語も少々という言葉の羽根に加えてバツグンの人なつっこさと愛嬌でパーティ会場を飛び回り、すっかり人気者になっていた。「大好きな日本に来れたことが、すでに賞だよ」と喜び、「レバノンは今も戦渦の下。いつ爆弾に当たって死んでもおかしくない。戦争は僕らには日常。爆撃の音で眠れないのは最初だけ。そういうことを僕という人間を通して日本の人に知ってもらえたら、この来日には意味がある」とも言っていた。レバノンという国への大きな親近感と興味をお土産に置いて行った彼はダンサー、振付師でもあり、コスチュームデザインも手がける。わたしに会うたびに着ているものを面白がってくれた。名刺の肩書きは「artist unlimited」。「やりたいことがあるうちは死なない気がする」と言っていた彼が、どうか爆弾に当たることなく才能を発揮し続けてほしいと願う。

リトルDJとなってパーティを盛り上げてくれたのは、『囲碁王とその息子』の子役君。とてもきれいでまっすぐな目をした利発そうな彼の今後も楽しみ。

「川上さんの知り合いです」と話しかけて来たニシダカオルさんは、初監督の『6月4日』を短編コンペ部門にエントリーしていた新人監督。もともと女優で、わたしの友人の脚本家・川上徹也さんに脚本の書き方のアドバイスを受けたのだとか。彼女が出演した川上さんの舞台をわたしが観ていたことがわかり、「クリスマスイブに中野でやったあれ、出てたんですか!」「あれ観てたんですか!」とお互いびっくり。そのニシダさんが「函館映画祭のシナリオコンクールで今年受賞した男の子が来てます」と紹介してくれたのが藤村享平君。「わーい函館の同窓生だ! 300万円穫ったのかコノヤロ! 今度受賞者集めて飲み会やろう!」と母校の後輩を見つけたようなうれしい気持ちになって、盛り上がった。自分が写真に写ることはめったにないのだけど、今夜は記念写真を撮りたい場面の連続。

おひらきの時間になり、審査員のリカルドさんと別れを惜しむ。「アルゼンチンではキスが挨拶だから、ついハグしそうになるんだけど、日本ではしないんだねえ」と戸惑っていたリカルドさんに、また会いましょうと最後に一回だけハグ。お茶目で陽気なラテン乗りのおじさんだと思っていたけど、審査のときの鋭い意見を聞いて、ただものじゃないと恐れ入った。今年審査をご一緒したのも何かの縁。今年出会った人たちも作品も何かの縁。いい縁に恵まれ、映画好きでお祭り好きなわたしにとって、予想以上にたのしい映画祭となった。

2007年07月27日(金)  あの傑作本が傑作映画に『自虐の詩』
2005年07月27日(水)  シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年07月27日(火)  コメディエンヌ前原星良
2002年07月27日(土)  上野アトレ
2000年07月27日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月26日(土)  SKIPシティ国際Dシネマ映画祭8日目 いよいよ審査

2年半ぶりのシングルルームで夜中に乳飲み子に起こされることもなく、ぐっすり眠って爽快な目覚め。浦和ロイヤルパインズホテルはパティスリーが自慢で、朝食のバイキングには焼きたてのクロワッサンやデニッシュが並ぶという。部屋に備え付けの案内ブックの写真を見ているだけでおなかが鳴る。グラタンもやたらとおいしそう。

食後のコーヒーを飲んでいる審査委員長のダニーさんと審査員のリカルドさんの隣のテーブルに着き、映画祭事務局の木村美砂さんと合流。同い年で甘いもの好き同士の木村さんとパンをどっさり食べながら、女性が働き続けることについて話す。

審査は11時から。ダニーさんには英語、リカルドさんにはスペイン語、ホン・サンス監督には韓国語の通訳がつき、公用語の日本語に訳されたものをそれぞれの言語に訳し直すという四か国語会議。これまでにも一流の通訳の方の仕事ぶりを拝見する機会はあったけれど、今日の3名の通訳さんの技量には舌を巻いた。スペイン語や韓国語がわかっているわけではないけれど、発せられた言葉と訳された言葉の間に時差はもちろん温度差も感じさせず、口ぶりや微妙なニュアンスまでそのまま伝えているような印象。外国人審査員3名は男性で通訳3名は女性なのに、通訳の言葉が本人の言葉に聞こえる。文楽の人形遣いの黒子が見えず、人形だけが動いているように見える、そんな見事な一体化のワザを見せてくれた。

その通訳さんたちが、14時半過ぎまで3時間以上にわたって続いた会議の後に「こんな面白い会議は久しぶり」と興奮で疲れを吹き飛ばしたほど、審査は白熱し、ドラマティックに展開した。受賞作を選び出すプロセスは審査委員長に委ねられる。ノミネート作品12本をある程度絞り込んだ中から5つある賞を振り分けていくのではなく、賞ごとに一から絞り込みの作業をやり直す手のかかる審査方法は、それぞれの賞にいちばんふさわしい作品を丁寧に選びたいという今年の審査委員長の心意気と真摯さの表れ。12作品のラインナップの多様さもさることながら、各審査員が推す作品は各自の価値観や好みを反映して、こうも多様な反応があるものかと驚くほどばらけた。ある審査員が満点をつけた作品に別な審査員は0点をつける。その落差が互いの主張を聞くうちに歩み寄りを見せたり、それまで誰も言及していなかった作品に突然光が当たったり、議論はジェットコースターさながら乱高下する。その波に乗ったりのまれたりを繰り返しながら、言葉の応酬だけでこんなスリルを味わえるなんて、とわたしの血は騒ぎっぱなし。やがてジェットコースターは滑るような走りとなり、静かにUnanimous(満場一致)に着地する。陪審員たちの裁判での議論を描いた『12人の怒れる男たち』を彷彿とさせるような劇的な審査が5回にわたって繰り広げられたのだった。

同じ作品を観ても、こうも受け止め方が違うものかと驚きつつ、自分が見落としていた点の数々を発見。賞は今回出品された作品に対して授けるものであるけれど、賞が今後も作品を撮り続ける監督へのエールになると考えれば、まだ観ぬ未来の作品を視野に入れることにも意味がある。監督はどんな人だろうという想像力はわたしにも働いたけれど、他の審査員たちは「監督はどの国でどういう教育を受けた人か」「どういう思想を持った人物であるか」まで思いを馳せた上で作品を吟味し、デジタル映画祭であることを踏まえて「デジタル技術をいかに駆使しているか」という視点で作品を評価することにも気を配っていた、物語の読解力はもちろんのこと、技術的な部分を観る目もまだまだ養わなくては。


未熟な自分がこんな席に着かせてもらっていいのだろうか、とありがたいやら恐縮するやら興奮するやらで大忙しのうちに、はじめての映画審査は終わった。集中力を緩めて味わったお昼のお弁当を一気に平らげ、浦和パインズホテル自慢のケーキもするりと胃に納め、5つのunanimousの余韻に浸った。

2007年07月26日(木)  エアコンの電源が入らない
2005年07月26日(火)  トレランス番外公演『BROKENハムレット』
2004年07月26日(月)  ヱスビー食品「カレー五人衆、名人達のカレー」
2002年07月26日(金)  映画『月のひつじ』とアポロ11号やらせ事件
2000年07月26日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月25日(金)  SKIPシティ国際Dシネマ映画祭7日目 審査員ディナー

埼玉県川口市のSKIPシティにて長編作品2本を鑑賞し、国際コンペティション部門審査対象の全12作品の鑑賞を終える。いよいよ明日は審査会議。その会場でもある浦和ロイヤルパインズホテルへ移動し、審査員ディナー。映画祭ディレクターの瀧沢さんより審査方針の説明があり、「大賞(賞金1000万円!)は必ず一本選出してください」と言われる。意見が分かれて該当作なし、あるいは2本で分かち合うという形はナシ。そのためにも昨年4名だった審査員は、今年5名になっている。多数決を取れば偶数で引き分けることにはならないが、審査委員長のダニー・クラウツさんは「アナニモス」で決めることにこだわる。聞き慣れない言葉だけど、unanimousは「満場一致の」という意味らしい。議論を尽くし、互いの意見を聞いた上で投票し、この賞にはこの作品、と全員が納得する形で決めて行きたい、とダニー氏。明日は熱い議論が交わされることになりそう。

中華をコースで楽しみながら、話題は映画から経済へ。20年前にダニーさんが来日したときは円高だったけれど、今回はユーロが強いので、買い物天国なのだとか。電車に乗って国境を超えられ、今やパスポートの検閲もないEUヨーロッパの国際感覚は、島国ニッポンとはまるで違う。国によって線路の幅が違ったり、車両の大きさが違ってトンネルを抜けられなかったり、という問題が発生することも。規格統一するときには大国が幅を利かせ、小国は従わされる。「ドイツでバターが余ったときにロシアに送ってあげようという話になったが、根回しするうちに時間がかかり、ロシアにバターが届いたときには賞味期限切れになっていて、喜ばれるどころか怒らせてしまった」という小咄も面白かった。

今日はホテルに宿泊。一人でホテルに泊まるのは、2005年の冬に『天使の卵』の撮影で大阪に宿泊したとき以来。足の踏み場もない家で生活しているわたしにとって、すっきりしたホテルの部屋は非日常。体を伸ばせる大きなバスタブに自分一人のためだけにお湯をたっぷり張る贅沢。湯上がりにお茶を飲んで、ソファにふんぞり返ってテレビを観て、こういうのひさしぶりだなあとしみじみする。CNNのニュースを副音声で聞いて、英語に浸った。

2007年07月25日(水)  父と娘から生まれた二つの『算法少女』
2005年07月25日(月)  転校青春映画『青空のゆくえ』
2003年07月25日(金)  日本雑誌広告賞
2000年07月25日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)

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