hikachi's Diary
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2003年12月31日(水) 帰省第一日目

そして、今日から新潟行きなのである。
今回、夫は九州行きで、バイトをたくさん休んでしまったので
やむを得ず帰省を断念。ひか太と二人で行くことにした。

えー、旦那が行かないのに旦那の実家へ帰るのー?

という声が聞こえそうだが、
夫の実家はそれほど堅苦しくないところである。。。超・感謝。
いつも、友人の家に泊まりに行く、という程度の感覚で泊めさせていただいている。
(ホントのところ向こうはどう思っているかわからないが・・・・汗)

話はそれるが、うちの兄嫁は結婚以来一度も
うちの実家へ顔を出したことがない。
(嫁さんの実家はうちから自転車で20分くらいの場所である。)
そして兄自身も、ほとんど顔を出したことがない。
そのことで、うちの親は非常に哀しい思いをしているので、
それが反面教師となり、私はできるだけ帰省することにしているのだ。

何よりひか太も従弟たちと会うのをとても楽しみにしているし、
実は私たちが行くことで一番喜ぶのは。。。
義弟の長男坊(5才)なのである。

というわけで、今回はひか太と二人での、
上越新幹線の旅となった。(前置き長すぎ)

東京駅は、超・混雑していた。
最近は、越後湯沢止まりが増えて、終点・新潟まで行くのが減ったのだ。
今回の発車を見送ると、次は一時間後まで電車がない。
仕方ないので、二階建て新幹線の一階席に乗ることにした。
ひか太も、多少不満はあったものの、事情を理解してくれた。
「二階じゃなきゃいやだーーー」と泣きわめく年齢を過ぎてくれて、
とってもありがたい。。。
それでも、一階席は思ったよりは景色が見えた。
座席は二階より広いし、子連れでさえなければ一階で十分だと思った。

さて、新潟に到着すると、甥っ子が待ちかねていた。
弟の奥さんは看護婦さんなので、年末まで仕事である。
保育園はもう休みに入っており、三人の子供たちは義父母が面倒を見ていた。

いやー、一人しか育ててない私には、圧倒される光景だった。

とりあえず、長男はひか太と共にプラレールなどで遊んでいたが、
興奮状態でおしっこをチビった(^^;
次男はときどき、おにいちゃんたちの邪魔をして、怒られて泣いたりする。
わけわかめの三男は、人見知りで泣きわめく・・・あれまあ。
(幸い1時間くらいで慣れてくれた。異例の早さだったらしい。)

ま、たまにはこんなにぎやかな光景もいいもんだが
毎日これだと、たまらないものがあるな。。。

三男にミルクを飲ませながら、しきりと
「はやく大きくなってねえ。」と言う義母の気持ちがよくわかった。
やはり、私はあんまり家庭的ではないんだろうな。


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子供が寝静まった夜は、義母とお茶しつつの年越しとなった。
母親は、息子がどんな暮らしをしているか知りたいものなので、
何気ない日常生活の報告をしておいた。
いつも心配ばかりかけているので・・・。

ありがたい義母である。


同日の過去の日記

2002年12月31日(火) 年の瀬によせて
2001年12月31日(月) ごちそうづくし・・・


2003年12月30日(火) 休日出勤

久々にお仕事に行って来た。
基本的には、完全週休二日制、祝祭日休み、
夏休みは交代で1日、年末年始は29〜3日は休み、という職場なのだが、
今回9連休ということで、その間に一日だけ、課内の代表が
様子を見に行くことになったのである。

私はこの直前有給を3日とって、ほぼ一週間休んだので
罪ほろぼし(?)に今日出勤することになっていた。

他にも出勤している人はけっこういた。
仕事は思ったほどにはたまっていなかったし、
余計な電話などが入らないので、とてもはかどってしまった(^^;
まあ、これだけやっておけば、年明けは割と安心、
という程度に仕事を終わらせることができたので
よかったのではないだろうか。
1月にこの分代休をもらえるしね。


同日の過去の日記

2002年12月30日(月) 年末の一騒ぎ
2001年12月30日(日) 夫帰国。


2003年12月29日(月) さすがに疲れたらしい。

さすがに疲れたらしく、
今日は午後になるにつれ軽い頭痛と胃重とめまいが。
午後主人がバイトに出かけてから2時間半ほど昼寝をしたら
少し良くなった。


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【ひかちのこの一年の「よかった探し」】

・家族が元気に過ごせたこと
  大きな病気もなく、平穏無事に。
  特に年をとってきている両親が元気で何よりである。
・7月にバレエを始めたこと
  バレエを始めて、身体が健康になった。
  何のことはない、私の不調は運動不足によるものだったのか?
・息子の成長
  2学期に学級委員になり、とても成長した。
  いろんな意味で自分に自信がついてきたようだ。
・姪の誕生
  兄の家に女の子が与えられた。感謝。
・教会の奉仕のこと
  春からCSの奉仕に参加した。
  まだまだ未熟ながら、自分なりに成長できたかな?
  メロディーベルの奉仕が祝福されたことはとてもよかった。
・九州に行けたこと
  これも入れておこうかな、、、


同日の過去の日記

2001年12月29日(土) 引き続き、葬儀。


2003年12月28日(日) 旅行の後

旅行の後といえば、洗濯に追われるのが常である(^^;
何しろ4泊もしたので、洗濯物がたまりまくりである。
我が家の洗濯機は40リットルと小型なので、何回も回すはめになる。
なんでそんなに小さい洗濯機なのかって?
そりゃあ、置き場がないからに決まっている。
何しろ我が家は築33年の公団住宅だ。
当時、全自動の洗濯機などなかったのだから、
そういう設計になっているのはやむを得まい。

ということで、気の毒な洗濯機には、結局4回ほど働いてもらった。
礼拝前に2回、帰って来てから2回である。

旅行から帰った翌日に、礼拝に行く元気があっただけでも
虚弱体質の私としては画期的なことだが、
その上この洗濯山を片付けることができたとは、
かなり体力がついてきたのだと思う。


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※Sの真似して、投票ボタンをくっつけてみた(^^;
「その理由は?」をクリックするとコメントが変わるよ。
Sほどセンスないから、おもしろくできないけど。。。


同日の過去の日記

2001年12月28日(金) 大納会・そして新潟へ


2003年12月27日(土) 九州旅行最終日

旅行最終日。
ANAカードの会員サービスで、夫だけはバイキングの朝食がついた。
そのバイキングは大人2000円、小学生1000円だったので、
ばからしいので私とひか太は昨日の残りの太巻きと
インスタント味噌汁で朝食を終わらせてしまった。

朝食後、ひか太と夫は疲れてしまい、
動きたくないというので宿に置き去りにして、
私は一人で博多の町をブラブラすることにした。
帰りの飛行機の時間から逆算して、出発の時刻だけは決めたが、
3時間ちかくあった。

一人で博多駅に行き、駅ビルなどを少し眺めて、
とりいそぎ実家と夫の実家へ明太子のおみやげを買った。
新潟行きのは配送してもらうことにした。
それから職場と教会へ持って行くおみやげも。

まだたくさん時間があったので、地下鉄で天神までいき、
町をぶらつくことにした。
さすがに大きな町だったが、東京みたいに気取っていなくて、
千葉県民の私としては非常に馴染む感じがした。
3日間も田舎の大野町にいたので、久々に沢山の人を見て
非常にホッとしたりした。
自分では嫌だと思っても、やはり都会育ちなんだと実感。

天神では、特に何をしたということもなく、ひたすら街を歩き回った。
後で地元の友達に「ここらへんとここらへん歩いた」と話したら
「ウォーキングしに行ったんか?」と笑われた。
つまり、そのくらい沢山歩いたというわけだ。(^^;
まあ、一人だったし。
そして、知らない街を歩くのは、なかなか楽しかった。

夫の段取りが悪くて、帰りは大分空港からの便だったので
その後再び特急で大分へ戻らなければならない。
福岡空港だったらいろんな意味でものすごい楽だったのにな。
でも、ひか太は往復ソニックに乗れて喜んでいたし、
まあ、こういう風にスマートに計画が立てられないあたりが
我が家のカラーってことで、仕方ないか。

帰りのソニックは別府で降りて、空港行きのバスに乗った。
別府に行ったのに温泉にも入らなかったなんて、、、、(^^;

そんなこんなで、大分から羽田行き便に乗り、
無事9時半頃、自宅に到着した。
まあ、それなりに家族で過ごせて、楽しかったのではないかな。


同日の過去の日記

2001年12月27日(木) 主人の祖母昇天。。


2003年12月26日(金) 九州旅行4日目

朝早めに、お世話になったようこさんのお宅(大分)を出て
特急電車で福岡に向かうことになった。
ようこさんのお母さんが、お弁当用に手巻寿司(サラダ太巻き)を
たくさん作って下さった。
これが、この日の昼食及び翌朝の朝食まで役立った。。。感謝。

最寄り駅まで車で送ってもらった。
豊肥線の「犬飼」という駅だった。
それでも車で20分くらいだったか(^^;さすがに田舎である。
豊肥線は単線で、ディーゼルでワンマン車だった。

大分から日豊線特急「ソニック」に乗り換え。
2時間近くかかって「小倉」まで行った。
目的地は北九州の「スペースワールド」という遊園地だ。
「スペースワールド駅」という駅があるのだが、
その駅に降り立ったとき、一瞬休業かと思ったほど静かだった。
平日とはいえ、冬休み中なのに。経営大丈夫だろうか(^^;

というわけで、ときおり小雪がチラつく天候だったが、
乗り物は乗り放題で、父子はとても楽しんでいた。
ジェットコースターに何回も乗っていた。
水上の乗り物がけっこうあり、濡れたときは相当寒かった。
夏なら楽しかったろうなあ。
私はスピードの乗り物類は、決して嫌いではないのだが、
酔うので、ちょっと苦手である。酔わない人がうらやましい。

結局、閉園まぎわまで遊び、宿泊先の博多へ向かった。
ホテルにチェックインした後、地下鉄で天神方面へ出かけ、
屋台でラーメンを食べた。
積もりはしないものの、けっこう雪が降って来て寒かった。

博多全日空ホテルはなかなか快適だった。
成田の全日空よりよほどきれいで、親切だった。
加湿器があっただけでも嬉しかった。ホテルは乾燥しまくるから。。。


同日の過去の日記


2003年12月25日(木) 九州旅行3日目

この日は昼間はのんびり、ようこさんの家の3年生の子と、
ひか太と三人でトランプやゲームをして過ごした。
考えてみたらひか太は一人っ子なので、
こういう種類のゲームをする機会があまりない。
そのうちの一つのゲームが気に入ったらしく、
何回もやっていたので、こういうおもちゃも今度買ってやろう、
そしてたまには遊んでやろうと思った。

夕方から長湯温泉という温泉に行った。
家から車で3〜40分ほどのところだ。
出発の時、ようこさん家の姉妹が社内の窓側の席取りで揉めて、
結局お姉ちゃんのほうは一緒に行かないと言い出した。
お父さんが説得に行ったが、だめだった。

私が子供の頃、兄がけっこう気難しくて、こういう風に
みんなで何かしようとするときに足並みが揃わないことがよくあった。
そんなことを、なんとなく懐かしく思い出したりした。
ひか太は一人っ子なので、我が家ではこういうことは起こり得ない。
一人っ子は案外、鷹揚に育つのかも知れないと思ったりした。

さて、温泉であるが、露天がすごい気持ち良かった。
お湯がぬるめだったせいもあり、長い間入っていた。
お肌がツルツルに・・・・? ほほほ(^^;

そのまま近くのうどんやさんで夕飯となった。
長い間身体がホカホカしていた。


同日の過去の日記

2001年12月25日(火) ホワイト・クリスマスならず!


2003年12月24日(水) 九州旅行2日目

阿蘇へ行くことになった。
途中雪道の可能性もあるとのことで、タクシーを借り切ることになった。
タクシー代は、宿泊先のようこさんのご両親からのプレゼントとのこと。
たったあれしき、コンサートのお手伝いをしただけで・・・感謝。

しかし、さすが田舎のことで、借り切ったタクシーの運転手さんも
ようこさんの同級生とかで(^^;
なんだか知り合いに連れて行ってもらったような雰囲気だった。

阿蘇はかなり霞がかかっていて、見通しは悪かった。
まず、草千里へ降りて、草原を散策。
しかし散歩している間に空が晴れてきた。
そこで、喫茶店で小休止後、噴火口へ行くことに。

実は高校の修学旅行のとき、噴火の状態悪化により火口を見れずに終わった私。
今回は念願かなって、火口を覗くことができた。
晴れていればカルデラ湖まで見えるそうだが、
有毒ガス(硫黄臭)が出ていたので、ほとんど見えなかった。
それどころか「有毒なので長時間見学しないでください」
とアナウンスしていた。
しかし、火口付近で天然軽石などのグッズを販売しているおじさんもいる。
あの人たちは有毒ガスをたらふく吸っても大丈夫なんだろうか・・・?

その後、大観峰の展望台へ行ったが、空は晴れているのに霞んでいて
ほとんど何も見えなかった。ちょっと残念だった。
しかし、世界最大級の噴火口・外輪山の大きさを垣間見ることはできた。
やはり、こういう偉大な神のみわざをしみじみ鑑賞することは大事なことだと思う。

記念に天然石のペンダントを買おうと思って見ていたが
「幸運を呼ぶ誕生石」などと銘打っていたので、躊躇した。
単にアクセサリーだと思って買えばいいのだが、
販売員がしきりと「誕生日を教えて下さい。占いますよー」と言うので
偶像のものに手出しはやめようと思って、結局買わなかった。
石はきれいで値段も手頃だったのだが。

夕方は早めにようこさんの家へ帰り、手持ち無沙汰にしていたら、
昨日の子供劇に出演した子のお父さんがいらして、
「みつば農園」を見学させてくれるというので、行くことにした。
広大な土地を使ったハウス栽培で、コンピューター制御システムだそうだ。
なかなか壮観だった。その農園のホームページはこちら

私たちが見学している間、ひか太はそこの家の男の子たちと
鬼ごっこのような遊びをしていた。大野町の少年たちと、
不思議なほど違和感なく馴染んでいるひか太であった。
だいぶ成長したかな?

夜はようこさんのご家族とクリスマスパーティーとなった。
20日に舞浜まで買いに行ったミッキー型の耳あてが
お子さんたちに気に入ってもらえたようで、よかった。
(ちなみに、ようこさん夫妻とお子さんはカトリックだそう。)


同日の過去の日記

2001年12月24日(月) 昨日の日記


2003年12月23日(火) 九州旅行1日目

さて、目覚ましは朝5時に鳴った。
眠い目をこすりつつ仕度をして、ひか太を起こして、
朝6時に羽田に向けて出発である。
特にトラブルもなく、8時10分発の大分行きに乗ることができた。
天気もまあまあで、窓からの景色もなかなかだった。
途中から雲が深くなり、雲海を眺めながらの旅となった。

ひか太は機内プレゼントで、小さなぬいぐるみのひつじをもらった。
これが大変気に入ったらしく、この旅の間ずっと手に持っていることとなる。
そんなものがそれほど気に入るとは、、、
この年頃は赤ちゃんなんだか、大人びているんだか、さっぱりわからない。
とにかく彼は、白くてふわふわしたものが好きらしい。

大分では、今日のクリスマスコンサートのお手伝い係の方が、車で迎えに来て下さった。
空港から、少し寄り道をしたせいもあり、到着まで2時間近くかかった。
いつもは乗り物では眠らないひか太もさすがに疲れたのか眠っていた。

宿泊の予定は、大分県大野町というところで、
主人がオランダで大変お世話になった方のご実家である。
オランダ人の旦那さんと、日本人の奥さんのご夫婦で、
私たちよりは少し年上の方々だが、11歳と9歳の娘さんがいる。
ずっとオランダに住んでいたのだが、子供達に日本の暮らしを体験させる目的で
1年間だけ大分の実家に滞在しているのである。
奥さんはようこさんと言って、とてもさばさばした感じの方だった。
私は今回初対面だったのだが、全く初めてという気がしなかった。
なんとなく、感じが主人の母親に似ていると思った。
右も左もわからないでオランダに行ったうちの亭主が、
相当お世話になったらしいのたが、、

その方が、今回大野町の人に異文化の交流を目的として
「大野のクリスマス」というチャリティの劇とコンサートの企画をした。
一部では近隣の小学生がキリストの降誕劇をやり、
二部は声楽とフルートとピアノのコンサートだった。
この二部のほうに主人がフルートでお手伝いをさせていただいたのである。

今回は私は観客に徹する予定だったのだが、
観客が入場後、BGMとしてクリスマスの讃美歌を流す、ということで
どうせなら生演奏で、と話が進み、僭越ながら私が前座のピアノを弾くことに、、、
そんなことなら、ちゃんと準備しておけばよかったのだが
「讃美歌」があったので教会の奏楽でお馴染みのクリスマスの讃美歌を何曲か演奏した。
一応奏楽者なので、この程度のことは難なくこなせる。
こんな些細なことでも、「クリスチャンのかおり」を出せていたらいいと思った。

ひか太は割と人見知りなのだが、劇の出演者でもある5年生の男の子が
非常に屈託ない子で、あっという間に仲良くなり、会場中を走り回っていた(ーー;
男の子って、どうしてああも一日中走り回っていられるんだろう、、、

公演後、近所の公民館で持ち寄りの打ち上げとなったが、
時刻が遅かったので、ひか太は会場で座布団を敷いて寝てしまった。
さすがに5時半起きで疲れたのだろう。
宿泊先のお宅まで数十メートルの場所だったので、主人がおぶって連れ帰った。
こういうとき、軽量級の子供は扱いやすくて楽だと思った。
子供にとっては、きっと暖かい思い出になるんだろうな。


同日の過去の日記

2001年12月23日(日) 挫折感


2003年12月22日(月) 旅行前夜

今日で事実上仕事納め!
さっさと帰って旅支度しなきゃ!

・・・と思っていたのだが、いきなり残業になってしまった。
世の中そんなもんだ(ーー;
仕事は封筒詰め。帰りたければ帰っても大丈夫なのだが、
これから3日も休むので、そんなワガママを言う度胸は私にはない(^^;

結局7時頃まで会社にいて、実家へ直行して夕飯となった。
8時半に自宅へ帰り、入浴準備。
私は風邪が少し悪化していて、湯冷めしたくなかったので
ひか太には一人で入浴してもらった。
こういうとき、子供がとりあえず一人でも入れる年齢になっているので
非常に楽になったと思う。

早めにひか太を寝せて、一人でもくもくと旅支度をした。
旅の荷造りもともかく、4日も家を明けるとなると、
家も片付けておきたいのが心情。
疲れて帰宅したときに、家が散らかっていると哀しいから。
今日の分の洗濯も済ませて、除湿器をかける。

早めに寝る予定だったが、結局夜中の12時過ぎになってしまった。
風邪がこれ以上悪化しないよう、マスクをして寝た。


同日の過去の日記

2002年12月22日(日) 教会クリスマス
2001年12月22日(土) 久々に家にいた。


2003年12月21日(日) クリスマス祝会

教会のクリスマスの聖日である。

朝から祝会のための持ち寄りの準備となる。
私は料理の賜物を持ち合わせていないので
冷凍ポテトフライを揚げて持って行くだけである。
しかし、30名以上集うので、3袋くらい必要となる。
揚げ物はそれなりに手間だ。

・・・というわけで、手間取ってしまい、
ひか太を先に教会学校へ出して、後から出かけることにした。
こういうとき、一人で電車に乗って行けるようになったのだから
考えてみたらすごいと思う。
まあ、わずか一駅だし、家も教会も駅から徒歩5分程度なので
大したことはないのであるが。
しかし、あの小さな身体で、大人の人混みの中、
一人で歩くのは少々恐かろう。可哀想なことをした。
(教会の駅は割と乗り換え客が多くて人混みである。)

礼拝は奏楽だった。
クリスマスの賛美歌は、母教会の聖歌隊で随分やったので
(以前練習ピアノの奉仕をしていた)
たいてい既に指にに馴染んでいて、気持ち良く弾ける。
今日はそんな讃美ばかりだった。

午後は祝会である。
教会でまぜ御飯を準備し、おかずは持ち寄りのものである。
年輩のお母さん方が、サトイモの煮っころがしなど
いろいろ作って来てくださるので感謝である。
ポテトフライは私だけだったので、余らずよかった。

本当になんでもない会なのだが、
妙に楽しく過ごせて、教会ってほんといいなあと思う。

そうそう、今年も余興で讃美をした。
今年は全く練習時間がとれず
練習しなくても弾ける、メンデルスゾーンの曲を弾いた。
無言歌集の「信仰」と「なぐさめ」である。
このテの曲は私は割と得意である。
(ゆっくりめのテンポで響きを味わうタイプの曲)

そして、来年の讃美どうしようかなあ、と
今から悩みはじめるひかちであった。

そうそう、CSのハンドベルも大成功だった。
来年はもう少しグレードアップしてやれたらいいなあ。

そして今更だが、少し風邪ぎみである。
昨日くらいから鼻が出て、喉が痛い。
これから大分に行くので、体調を整えようと
夕方帰ってから2時間近く昼寝をした。
ひどくならないといいが。。。


同日の過去の日記

2002年12月21日(土) 怠け日
2001年12月21日(金) 初雪・・・


2003年12月20日(土) 忙しい一日

今日はすること山の一日だった。

朝から母とダイエーに行き、
ひか太の旅行用下着や、厚手の上着を買った。
(母からのクリスマスプレゼントである)

昨日私は自分の服を買って、「あー、浪費してる」と思ったが、
(実用的なものを買ったので無駄遣いではない。決して。)
今日ついでに母の買い物に付き合ったら、
母が買ったセーター1枚で、
私が昨日買った4着分に近い金額だった、、、
ちょっと安心した(^^;

一旦実家へ帰り、昼食後、今度は美容院へ。
2ヶ月ぶりくらいなので、少しさっぱり切ってもらった。

この美容院は下手ではないのだが、
髪が多いことに同情されるのがちょっと嫌だ(ーー;
そんなこと、私は全然気にしてないのだ。
最近はスタイリング剤も良くなって、
ちょっと使えばきれいにまとまるし、
適度な質感があって、むしろ気にいってるんだってば。。。

んでもって、その後教会のプレゼント交換のための買い物と、
祝会の持ち寄りのための買い物と、
大分の人の子供さんにあげるプレゼントの買い物をした。
ああ、どんどんフトコロが、、、

しかし全てそれなりのものが与えられて
無事に済ますことができた。
主人は今日は山梨泊なので、実家で夕飯をいただいた。
最近ほとんど料理してないなあ。私。


同日の過去の日記

2002年12月20日(金) 忘年会
2001年12月20日(木) クリスチャン発見


2003年12月19日(金) 冬服プレセール

愛用している婦人服店のプレセールの案内が来た。

これはお得意様宛の特別招待で、
一般のセール前に店内全品30%オフという
超・ありがたい企画である。新作も全て30%オフになる。

このお店は5年くらい前から愛用している。
ここ何年かは、この年2回の30%オフのとき、
クレジットカード2回払い(利息がつかない)で、
ここぞとばかりに買うことにしている。

このお店のコンセプトは30代ミセス向け。
特にOL向けというわけではなく、スーツのようなものは少ないが、
私のような内勤の勤め人ならばオフィスで充分使えるような
スカート、パンツ、ニットなど、ありがたいアイテムが満載である。
ダイエーやヨーカ堂などに比べれば決して安くはないが、
ブランドというほどお高くもなく、ほどほどの値段である。
デザインも、それほどトレンド狙いではなく着回しもきく。
要するに無難なラインというわけだ。
ここで買って、「失敗した」ということはまずない。

自慢じゃないが、私はあまりおしゃれではない。
メイクも必要最低限(身だしなみ程度)にしかしないし、
アクセサリーも結婚指輪と、たまにネックレスをつけるくらいである。

でも会社員なので、ある程度きちんとした服装は必須である。
ある程度、同じメーカーの服でそろえると、
前シーズンに買った服でも、色味が似ていたりして、
比較的合わせて着やすい。
「なんとなくいつも同じ感じの服」にはなってしまうが、
まあいい加減、いろいろ試して楽しむ年齢でもないので
ある意味それを自分流スタイルとしてしまってもいいと思う。
ここの服が「若造り」にならない間はこのスタイルでいこうと思う(^^;

前置きが長くなったが(ここからが本題・爆)
そのプレセールの案内が来たので、初日の今日、早速行って来た。

私は体脂肪率が27〜29%もある割には、
意外にもSサイズのスカートが履けてしまう。
Sサイズは入荷数が少ないらしく、
MとLが2枚入荷しても1枚しか入らないので、売り切れ要注意である。
セールなら、初日に行かなければなくなる可能性がある。

そのお店は幸い地元なので、
平日でも仕事帰りに余裕で買いにいける。
一回自宅に帰ってから自転車で出かけた。

このお店は、いつも店員さんがいろいろコーディネートして
よさそうなアイテムを出してくれる。
「どんな感じが好きですか〜?」と聞かれたとき、
スカートを捜していたら「膝くらいの丈のスカート」などと言うと
みつくろっていろいろ教えてくれる。
今回も、いろいろ試着してみた。

みんな気に入ってしまい、相当迷った(^^;

結局、使い回しが楽そうなスカート2枚と、
ニットのアンサンブル1組と、
厚手の襟のゆったりしたタートルニットを1枚。
買いまくりである。

店員さんのコーディネートにほぼお任せだった。
なかなか商売上手だねえ。お客のニーズをよくわかってるよ。

白いハーフコートもとても素敵で、相当欲しかったけど、
コート類は予算の関係もあるし、
とりあえず今あるもので間に合うのでぐっと我慢。

半袖のタートルも今流行している。
ピンク色のとても素敵なのがあったのだが
社内は寒いから実用的でないので、却下。

そしてついでに1月2日の初売りの福袋の
予約までして来たのである。

先月レオタードも買っちゃったし、
ほんとはお金の余裕はないのだが、、、、
支払いが恐い。


同日の過去の日記

2002年12月19日(木) iMacがやって来た。
2001年12月19日(水) ひか太は、いちごが好き


2003年12月18日(木) 靴下購入

最近、職場が寒いのである。
まあ、冬なので寒いのはわかるのだが、
特に去年と席の場所が変わったせいである。

広いワンフロアなので、社内でも場所により
かなり温度差がある。
去年はうちの課はほぼ中央の場所だった。
なので、どちらかと言えば機械熱で慢性的に暑くて、
真冬は外気温との差が相当あった。
だからブラウスにセーターなど、脱ぎ着しやすい格好で行っていた。

現在は、窓の近くの席である。
すきま風が入るのか、特に午前中の温度が低く、
私のように冷え性ぎみの人間には少し辛い。
バレエを始めてから少し血行がよくなったのだが、
やはり膝から下が寒いのである。

先週、ふと思い立って、バレエのレッグウォーマーを
職場で履いてみた。甲付きで、膝上まであるやつである。
おばさんくさいかなと思いつつ、
まあそんなに若い娘じゃないし、いいかな、と(^^;
同僚は「分厚いタイツに見えるから大丈夫」と言ってくれた。
色も黒だし。

これが、ものすごくあったかいのである。

一度やったらやめられなくなってしまい、いきなり愛用モードに。

ところが、昨日バレエのレッスンだったので、
ついうっかり、今朝レッスン着とともに洗濯してしまったのである。。。

というわけで、今日は足元が寒かった。
これは、もう一足買った方がいいなと思ったが
バレエ用品店はパッと寄れるような近くにはないので、
「靴下屋」というチェーン店を覗いてみた。
靴下やタイツの専門店である。

甲付きのロングのレッグウォーマーはなかったが
オーバーニー(膝上)の厚手のソックスがあった。

私は腹回り・腰回り・二の腕は脂肪が多め(^^;なのだが
脚の膝から下はまあまあ細いので
ばっと見にはたぶん、分厚いタイツに見えるはずだ。
もちろん、それを履いたら靴がきついので
そのまま電車には乗れないだろうけど、
社内はナースシューズなので大丈夫。
明日からこれでいくことにしよう。
冷えは女性の敵だもんね。


同日の過去の日記

2002年12月18日(水) そんでもって、ららぽーと。
2001年12月18日(火) 端末導入♪


2003年12月17日(水) バレエ12/17編

週に一度のバレエの日だが、来週は私が旅行へ行くので
今日で年内は最後となる。(31日は5週目で休み)

レッスンの内容は毎回、似ているようで少し違う。
先生の気合いの入り方にムラがあるような・・・?

いつも姿勢が少し反りぎみだと注意されるので
今週は反らないようにがんばってみた。
土曜の他所の教室のレッスンで、
手の親指の形を注意されたので、それも気をつけてみた。

今日は全体にいつもより注意されなかった気がした。
先生の気合いの入り方なのか、

それとも少しは上達したのだろうか?

そうだといいな。

レッスンの終わりのほうで、シェネという回転の練習の準備で
バーにつかまって半回転ずつくるっ、くるっと回った。
前回これをやったとき、目が回って気持ち悪くなった(爆)けど、
今回は少し慣れたようだ。
土曜のレッスンでも、バーなしでゆっくりこの動きの練習をやって
「首から先に回る」と言われたので、そのようにやってみたからかも。
ほんの少しだけコツを飲んだのかも知れない。

これで、2週間レッスンしなかったら
元に戻ってしまうんだろうか(^^;
休み中も、自主練習をしておかないとね。


同日の過去の日記

2002年12月17日(火) イクスピアリ
2001年12月17日(月) ひか太発熱


2003年12月15日(月) 忘年会

職場の忘年会があった。

半期に一度、全社をあげてホテルの宴会場で
「表彰式」というのをやっていたのだが、
今期は経費削減でカットとなった。

・・・ので、セクションごとに会社から
「忘年会費」の補助が出ることになったのだ。
(もっとも、去年も忘年会はやったが。)

私はお酒が飲めないので、
実はこういう席はあまり好きでないのだが(^^;
まあ、職場の懇親会なので、ほとんど義理参加である。
(醒めている私)

たまたま部長の前に座ってしまい、
何を話せばいいかわからないし、どうしようかと思ったが、
話をリードするのが上手な方が部長の隣に座ってくれたので
社内事情をいろいろ聞くことができた。

最近、「改革」「改革」で、いろいろな問題が浮上している。
私は新参者なので、詳細なことは知らなかったので
いろいろ勉強させてもらった。

新年からまた、親会社から天下りの役員が来る。
次期社長候補らしいので、また状況の変化も予想される。

職場のためにも祈らなければならないと感じさせられた。
安穏としていてはいけないなあ。


同日の過去の日記

2002年12月15日(日) 礼拝にいって来ました。
2001年12月15日(土) 稲城コンサート奉仕


2003年12月14日(日) CSクリスマス会

今日は教会学校のクリスマス会があった。
うちの教会は、小さい割には小さい子供がたくさん与えられている。
小学生以下だけで、16人もいるのである。

クリスマス会には、子供10名の参加があった。
(そのうち1人は生後3ヶ月の赤ちゃんなので実質は9名。)
その割に大人の奉仕者が不足しているので大変である。

私は今年から幼稚科ヘルパーとして参加し始めたのに
「はっ」と気付けば、CS奉仕者のけっこう真ん中に
押し出されていたりする。。。
こんなに気の利かない、欠けだらけの者なのに。(ーー;
まさに「収穫は多いが働き手が少ない」状態なのでやむを得ない。
ある意味、感謝なことではある。

今回感じたのは、祝会のプログラム自体は平凡だったのに
参加した子供達が、実に活き活きとしていた点である。

 讃美、ゲーム、紙芝居、メッセージ、
 ハンドベル讃美「主われを愛す」の披露、ケーキ作り。

ケーキ作りは、市販のロールケーキを4分の1にカットしたものに、
生クリームを塗り、果物やカラーチョコのパウダーをのせて
デコレーションした。

そして最後にサンタさんの登場である。
事前にサンタ役を依頼していた方が
急に来られなくなったので、牧師がサンタ役に扮することに。
みんな「先生だぁ〜」とふざけていたけど、とても楽しんでいた。

小さな教会だけに、非常に家庭的な雰囲気がある。
男の子たちは、かなりおふざけの部分もあったが、
付き添いで初めて来てくれたとあるおばあちゃんも
「ほんとに子供達が活き活きとしていますね」と
おっしゃっていたので嬉しかった。

この子たちが、神様に愛され、受け入れられていることを
肌身をもって知ることができていたらいいと思う。
実は今回は私もけっこう楽しかった(^^;
はっと気づけば、すっかり童心に返っていたのだった。
母親であり、CSスタッフであるという自覚は全くなかったかも、、、


同日の過去の日記

2002年12月14日(土) ネットオークション 再び!


2003年12月13日(土) フリーな一日。

ひか太と主人が山登りへ出かけた。

山の名前は忘れたが、秩父のほうの山である。
昨日の夜から御飯を炊いて、おにぎりを作っておいてやった。
一応、夫に指示されたもの(ひか太の着替え・雨具など)は
夜のうちに揃え、朝は何もしなくていい状態にしてから寝た。

朝、4時半頃二人で起き出して、5時出発、、、
しかし、絶対そう簡単にいくわけないと思ったが、
やはり私は起こされた(ーー;
結局、私がいないと男らだけでは何もできないのだ。

5時少し前に出発。
やれやれ、と玄関に鍵をかけ、布団に戻ると、
またまたドンドンとドアを叩く音。
・・・忘れ物を取りに来たのだ。
もー、いい加減にしろっ!

さて、そんなわけで、まる1日フリータイムができた♪
一日家にいて家事をこなすほど、殊勝な主婦ではない、最近の私。

何をするかというと、、、

8時前にのそっと起き出して、洗濯もせず、
いきなり身支度をして外出準備。
駅の立ち食い蕎麦や(立ち食いだけど椅子席もある)で
かけそばの朝御飯を食べて電車へ。

行き先は、青山のとあるスタジオである。

そこでは、とあるバレエ用品ショップが、
大人の初心者向けのバレエレッスンをしているのである。
チケット制、入会金なし、1回のみの受講可。

そこで、10時半からボディコンディショニング、
12時からバレエ入門・初心者レッスン、計3時間(!)を受講した。
やる気満々の私である。

ボディ・コンディショニングは、床に寝たまま、座ったままで
バレエに必要な筋肉や柔軟性を作るレッスン。
先生は「一般の方でも受けられるものですから、気楽にどうぞ。」
なんて言っていたけど、内容はけっこうハードだった。

何しろ、私は腹筋とか背筋とかいうものは
全く持ち合わせていないのである(^^;
思いきりそこらへんを使うトレーニングだった。

バレエのほうは、普段やっているレッスンとはまた違っていて、
動きの種類はそんなに多くなく、一つの動きを丁寧にやっていく感じで
かなり「入門」的な感じだった。
全体には普段私が受けているレッスンより楽だったが、
つま先でいっぱい歩かされて、最後の頃ふくらはぎがコチコチになった。

とてもハードだったが、ものすごく楽しかった。
途中、遅めの昼食をとって帰ったら、もう5時近くだった。
一日費やしたけど、楽しく充実できてよかった。
まあ、2コマは大変だけど、どちらか1コマならまた受けたいと思った。
ボディコンディショニングよりレッスンを受けたいかな。

遠いし、なかなか難しいけど、時間があったらまたいってみよう。

夕方6時頃父子が帰って来たので、
夜御飯は水炊き(鍋)うどんにした。簡単に(^^;

※註・私の習っている教室では、大人の初心者クラスは水曜日の夜のみ。
   土曜の午後6時から1時間半、本科(中・上級)のレッスンがあるが
   とてもついていけないと予想される。
   しかも、午後6時は主婦には出づらい時間設定である。
   土曜の日中のレッスンで、入会金なし・チケット制の教室は、
   うちの近くでは見つからなかった。
   しかしさすが、捜せば東京にはあるのである。。。


同日の過去の日記

2002年12月13日(金) 表彰式


2003年12月12日(金) ハチ追い出し作戦

些細なことだが、思い付いたので書いておく。

私は昆虫が苦手である。
都会育ちの女性には比較的ありがちなのだが。

洗面所の蛍光灯に、大きな虫がたかっていた。
丁度入浴前にコンタクトレンズをはずしている最中で、
0.04の視力ではよくわからかったが、羽音からして嫌な予感がした。

慌てて眼鏡をとってきて見ると、予感適中。ハチである。
都会なので、クマンバチとかスズメバチではない。
普通のミツバチである。

御存知の通り、ミツバチは刺すと死んでしまうので、
変に払ったりしなければ害はない。
しかし、室内にいるとなると、昆虫嫌いとしては
心中穏やかではない。

どっ、どうしよう。。。

とりあえず、チビとは言え男性の力を頼って(爆)
ひか太を呼んでみた。
しかし、こいつもやはり都会育ちなのであった(ーー;
まあ、ダンゴムシやアゲハくらいは触れるようだが。

そうこうしている間に、ハチは浴室へ入ってしまった。
浴室の窓は非常に小さいので、偶然にハチが出て行く可能性は低い。
うーむ。困った。ハチのいる浴室で入浴する気にはとてもなれない。

観察していると、ハチは光が好きなようだった。
電気の周りにブンブンくっついて来る。

そこで思い付いたのが、誘導作戦。
まず、浴室から出てもらうため、浴室の電気を消し、
洗面所の蛍光灯をつけてみた。

すると、うまい具合にその蛍光灯のところへ飛んで来てくれた。
そこで、浴室、他の部屋へのドアや襖を全部閉めて、
玄関の電気をつけ、洗面所の電気を消した。

ハチはしばらくさまよった結果、玄関の電気付近にやってきた。
やった!うまくいくかも。

最後に、玄関のドアを開けて押さえ、ひか太に玄関の電気を消してもらった。
ハチは素直に、階段の蛍光灯へ移動してくれた。

やったー!

誘導・追い出し作戦成功である。ああ、よかった。
それにしても、どこから入って来たのかなあ。
無事に出てくれて、本当によかった。

そういえば、教育実習の時にも教室にハチが入って来て
大騒ぎになったことがあったっけ。
女子中学校だったのだけど、勇敢な生徒が
教科書でバン!と叩き潰していたっけ(^^;


同日の過去の日記

2002年12月12日(木) ネットオークション初体験
2001年12月12日(水) 弟子ネタ


2003年12月11日(木) 年賀状作り −職場編−

職場の上司がおもむろにやってきた。
「ひかちさん、ひとつお願いがあるんだけど・・・。」
気の毒そうに言うので、私は少し身構えた。
「年賀状書きなんだけど。」
ああ、びっくりした〜・・・。何かと思った。

そこで殺し文句。
「ひかちさん字がきれいだから。」

おだてられれば、豚も木に登るのである。
私の字がきれいかどうかは知らないが、
上司のお気に入りの字(?)らしく
前からよく「字きれいだね」と言われていた。
もっときれいな字を書く人はいると思うのだが
私の字は、オフィスっぽい字だから(?)かも知れない。
教員ぽい字というか。(見かけもよく教員ぽいと言われる)

枚数はわずか6枚。
(社用は総務から出るので、純粋にうちの課の分だけ)
裏面は印刷してあるので、宛名書きだけである。

6枚くらい、軽い。
と思ったら、なんだか、とても緊張して時間がかかってしまった。

字がきれい、と言われて嬉しくなって引き受けたが(単純すぎ)
後で考えてみたら、損な役回りを押し付けられただけかも知れない(^^;
(しかも上司の署名まで私が書いた・・・)

ま、いっか。
これも、賜物ってことで。

しかし、インターネット業務やってんだから、
宛名くらいパソコンで打てばいいのに、、、


同日の過去の日記

2002年12月11日(水) 大騒ぎの後日談(^^;
2001年12月11日(火) ひか太の作文


2003年12月10日(水) バレエの水曜日

水曜日はバレエの日である。

バレエの前に、ミスドで軽く腹ごしらえ・・・。
と思ったら、ミスドで職場の人に偶然会って、一緒にお茶することになった。
あまり時間がなかったので、さっさと食べてお先に退散した。

今日は見学の人がいたせいか?先生の気合いが入っていた。
最初のストレッチから、それぞれの間を回って
硬い人は硬いなりに、柔らかい人は柔らかいなりに
柔軟性アップの補佐をしてくださる。

私は大人の初心者にしては柔らかいのだが、
開脚で前屈するときにいつもぐいーーーっと押される。
「いたたたたた」という感じだが、だいぶ柔らかくなって
もう少しで胸までぺたっとつきそうなのである。
その「もう少し」が難関なのではあるが、、、

初心者クラスとは言え、最近は少しずつレベルアップしている。
バーレッスンでも、新しい動きが少しずつ入るし、
要求されることも高くなって来ている。

センターレッスンでは、動きを組み合わせるのも増えてきた。

・今回の組み合わせ例・・・(記憶のためメモ)
 アッサンブレ、シャンジュマン、シャンジュマン、
 逆方向へアッサンブレ、シャンジュマン、シャンジュマン、
 ジェッテ、ジェッテ、アラベスクソッテ、、、

これだけでも、覚えるだけで大変なので、大混乱である。
足動かすのが精一杯で、手が動いてない。
手をちゃんと動かそうとすると、順番が分からなくなる。

・・・すべてこんな感じなので、
曲の振り付けができるまでどれだけかかるんだか。

今日は初めて、ピルエットで回ってみた。
一回転の一周がとても長いことを初めて知った・・・。
しかも着地の足をいつどこでつけばいいのか分からない。
何回も訊いて終わる頃理解したりして(爆)

回った後、軸足のままで立っていて、2回めは逆の足で
回ろうとしたり、どっちが軸足のときはどっち回りに
なるのかもよくわからないのであった。

そんなこんなで、またまた激・筋肉痛になった。
そろそろ半年経つのに、いつになったら筋肉痛にならなくなるんだか。
やはり週1回では上達が遅いかな。
(単に今までの運動不足が、並み大抵でなかったせいだとも言える)

もう少しまともに動けるようになりたいなあ。
今はまだ、「バレエ」とは呼べない段階である。


同日の過去の日記

2002年12月10日(火) 自転車盗難
2001年12月10日(月) 疲れたよ♪


2003年12月09日(火) 変な夢の話し。

月曜日の朝、5時50分に目覚ましが鳴ったのに
二度寝してしまった(ーー;
・・・起きたら6時50分。最悪の目覚めである。

その、約1時間の間に、妙な夢を見た。

それは、実家で母とお茶を飲んでいる光景から始まった。
何げに母が話しを切り出す。
「あんた、いい加減あの子自分のところに引き取りなさいよ。
 あんたの子でしょうがね。」
そう、どういうわけだか、新潟の主人の弟夫婦の、まん中の子供
(ともちゃん)が、実は私の産んだ子だと言う設定なのだ。
ぜんっぜん、産んだ実感はないのだが、(当たり前)
我が家が現状として子供二人を育てられないので
弟の家で育ててもらっている・・・らしい。
夢だから、そこのところは周知の事実となっている。(謎)
「引き取るなら小さいうちのほうがいいのよ。
 大きくなると、環境の変化について行くのが大変なんだから」
と母は力説する。そして、私も「そうだよねえ」と返す。

そして、引き取る段取りを一生懸命考えるのである。
保育園の手続きとか、送り迎えの段取りとか。。。
そして何より、本人をどう納得させて我が家に連れ帰るか、
というところに関心は集中するのである。
夢の中でひか太にインタビューしたりする。
「弟が帰って来たら、今みたいにひか太とのんびり過ごせないよ。
 大丈夫?」と言うが、ひか太は笑顔で「大丈夫」と言う。

特に結末はなく、渾沌とした状態で夢は終わった。

起きてから、朝食の時、ひか太に夢の話をしてみた。
「どうやって連れて帰ろうかと、一生懸命考えちゃったんだよ」
と話すと、ひか太はケロっとして言った。
「そんなの、うちの子だから返してもらいます、って
 さっさと連れて来ちゃえばいいんだよ〜。」
うーん。うーん。うーん。
そんなにあっさりして、いいのか?

まあ、ひか太を養子に出す夢でなくてよかった(爆)
この夢から、私の深層心理、誰か分析してくれないものだろうか?
もしかして第二子切望中なのが、反映されているのか?

私の中には、第二子欲しい!という思いと、
働きながらの乳幼児の育児は大変だからコリゴリ、
という思いが交錯しているのである。
だから、現在3才の甥っ子を連れてくるという発想なのか???

弟夫婦には申し訳ない夢だったな、、、


同日の過去の日記

2002年12月09日(月) 大雪
2001年12月09日(日) 聖日礼拝


2003年12月08日(月) チャリティーコンサート

日付けは一日ずれているが、日曜日の話しを。

夫が参加させていただいている仕事の一つに、
埼玉県某市のチャリティーコンサートがある。
1年に一回、今年で4回目である。
(この関係の仕事は年に何回かある)

これは、某市の市民参加型のファミリーコンサートなので
「ひか太を連れて見に来るか?」と夫が言った。
時間も日曜日の午後4時と、行きやすい設定なので
礼拝後、教会で昼食をとって、はるばる埼玉まで出かけて行った。
(註・我が家は千葉県)

西船橋から東西線で高田馬場まで行き、
西武線に乗り換え、所沢からまた乗り換えである。
そして、その界隈は実は10年前、ヤマハ系音楽教室に
ピアノを教えに通った付近なのである。

久々に行ったのだが、相変わらず田舎だった。
でも、同じ田舎なら、千葉より情緒があっていい土地柄だ。
母教会にも近いし、こっちのほうに住みたいといつも思う。

私は根っからドジなので、駅から会場までの道順を書いた
FAXを持って行くのを忘れた(ーー;
市民会館ということはわかっていたので、
駅で地図を見て見当をつけた。

大通りの道はわかりやすそうだったが、
すこーし回り道になっていた。
ここの細い道を行けば近道らしい・・・と目星をつけ、曲がった。
しかしあまりに細い道なので心配になり、
向こうからやってくる人に「市民会館は・・?」と尋ねた。
「あの建物ですよ。この先の細い道を上がると、駐車場に出ます」
と教えてくれた。なるほど、正面に見えている。
私の地図の見方もまんざらではない。(女はたいてい地図が読めない)

が・・・。

進んで行くと、突然、鋪装されていないけもの道になってしまった(^^;
しかも上り坂。うーん。
しかし、道は間違っていなかった。最短ルートで到着したらしい。
時間も、丁度開演10分前。すばらしい。

受付で会計を済ませ、会場へ。
けっこう満席で、後ろの方しか開いていなかった。

コンサートは、第一部はオーケストラの有名な曲。
市民の音大大学院生がフルートのソロで登場したりした。
第二部は市民参加で、リコーダーアンサンブルと合唱。
第三部は、ベートーベンをモチーフとした音楽物語だった。

まあ、子供向けにはいいんでないの、、、チャリティーだし。
という程度の内容だったけど、ひか太はおもしろかったと言っていた。
しかし、夫が出てるのでなければ、チケット買ってまで
聴きに行こうとは思わないだろうな、という感じだった。

夫は車で行っていたので、帰りは車で帰った。
途中、ラーメン屋で夕飯となった。

しかし、今回のギャラ(薄給)から、往復交通費、チケット代、
夕飯代、とマイナスすると、果たして身入りは・・・?(^^;

ほんと、趣味みたいな仕事だなあ。
日本の音楽界の、哀しい現状である。


同日の過去の日記

2002年12月08日(日) 礼拝休み
2001年12月08日(土) 学童保育・父母会親睦会


2003年12月07日(日) 年賀状作り−実家編−

一日ずれて、土曜日の話ですが、実家の年賀状作りをした。
自分の分は年賀ハガキも買ってないというのに、
日頃世話になりっぱなしで、立場が弱いので
母に頼まれると嫌と言えない。やむを得ない。
というか、いつの頃からか、毎年恒例なのである。

これだけは、近所に住んでいるから、でなく
片道2時間かかる場所に住んでいたときもなぜか私が作っていた。

実家の年賀状作りの手順
(1)去年のリストを元に、修正・追加・削除の指示をもらう。
(2)住所録に修正・追加し、住所を印刷する。(パソコン)
(3)プリントごっこ図案集を買って来て、図案と色を選んでもらう。
(4)プリントごっこで版を作り、印刷。
(5)一言メッセージが必要な人には手書きで記入する。

母は指示をするだけで、実際には全部私が作るのである。
リストアップしつつ、母が言う。
「あんたんちには出さなくていいわね。」
当たり前だ。自分で作った年賀状もらってどうする。

しかし、今年はなかなか力作だった。
美しい仕上がり。
(見本に準じて色付けしただけなので、
 ただ単に図案デザイナーのお蔭だとも言う)

そうか、さるどしかぁ。
ふと気づく。来年は年女か(ーー;
やあねえ。この12年はあっと言う間でした。

それにしても、私も早く年賀状準備しなきゃ。

ちなみに、クリスチャンは信仰的立場から見ると、
年賀状を出すことはもちろんOKだが、
図柄などに「えと」を使うことは本当は不可である。
えとの動物の力にあやかって幸福を呼ぶ、
という意味があるからだそうだ。

クリスチャンになった頃は厳密に守っていたが
それだと毎年毎年、年賀状デザインに苦労することになる。
雪景色もねえ。関東には雪降らないし、
梅とうぐいす、なんてのも毎年だとねえ。(^^;

いっそ、年賀状やめるか?


同日の過去の日記

2002年12月07日(土) 引き続き体調不良
2001年12月07日(金) クリスマスコンサート当日


2003年12月06日(土) 夫婦喧嘩

うちの実家にはFAXがない。
・・・なので、時々、父の友達から、我が家にFAXが届くことがある。
昨日実家に行くと、父が
「友達からFAXが来ているかも知れないから
 次に来るとき持って来て」と言った。

家に帰ると、届いていなかった。
私の寝る直前に帰宅した主人に
「ねえ、FAX来なかった?」と聞いてみた。
「・・・来てた。」
あ、来てたんだ。と思うや否や、
「何だよ、間違いだと思ってムカついて捨てたぞ。」

え?え??
一瞬呆然とした私に、いきなり怒声が。
「そういうことは前もって言っといてくれないと!」
はい?そこで何故怒鳴る?
「・・・そんなこと言ったって、私だってさっき聞いたんだもん・・・」
続けて怒る、彼。
「何で急にそういうことすんだよ、聞いてないから捨てちまったよ!」
私は・・・ごめん、と謝りかけて、思い直した。

違う。ここは謝っちゃだめだ。私は別に悪くない!

「そんなの、いくら聞いてないからって、
 いきなり捨てちゃわないでよ、捨てる前に聞くのが常識でしょう!
 あなた一人で暮らしてるわけじゃないんだよ、
 家族がいるんだからね!」

恐らく彼は相当カッカしていたが
とにかくそれ以上異を唱えず黙ったので、
たぶん、私が勝ったのだろう(^^;
それにしても、絶対謝らないのが、彼である。

うちの夫はこういう人だ。
以前も何度か、同種のトラブルが起こっている。
一度は、私が、人から頼まれて、あるクレジットカードに夫名義で申し込んだとき。
私の留守のとき、カード会社から申し込み確認の電話が入った。
電話口で、カード会社の人を怒鳴り付けて
「俺の個人情報どこで盗みやがったんだ?」と言ったらしい(ーー;
そりゃ、いいそびれてた私も悪かったが、何も怒鳴ることはないじゃないか?

また、別のとき、私が通信販売で頼んだ荷物が届き、
彼は宅配便の人を追い返そうとしたらしい。
そりゃ、言わなかった私も悪かったが、
何も代引きで来たわけじゃないんだから
追い返さなくてもよかろう・・・。

警戒心が強いのは結構だが、自分に覚えがないとき、
「確認する」のでなく「頭ごなしに決めつける」のが彼の欠点だと思う。

他にも、インターネットの接続が一時的にできなかったとき、
サポートセンターに怒鳴り込みの電話をしたり、
もっと遡れば、自衛隊の航空訓練でうるさかったとき
わざわざ自衛隊に苦情電話をかけたり、
近所の主婦が年中子供を怒鳴っているのを聞きつけて
児童相談所に「幼児虐待じゃないか」と通報したり、
夜中に高校生くらいの子供が公園で騒いでいたら
警察に通報したり、etc・・・。

(ああ、愚痴っているなあ。
読者のみなさん、そして神様、ごめんなさい(ーー;)

たったそれだけのことで、
すっかり眠気が醒めてしまった。
疲れきっている金曜日の夜だったのに。

それでも夫とそれ以上話す気にはなれなかったので
そのまま布団にもぐり込んだ。

しかし、眠れない。
そう、私もけっして、口で言うほど強くないのだ。

『しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、
 すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、
 あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、
 捨ててしまいなさい。』
(コロサイ2章8節)

嫌なときに、嫌なみことばが思い浮かんだ。
そして、やっぱり少し、泣けてきた。

襖を隔てた隣室で、夫は安い焼酎を飲んでいた。
心中は不明である。


同日の過去の日記

2002年12月06日(金) 連日休み


2003年12月05日(金) 金曜日の憂鬱 −私小説風−

かつて「花金」という言葉が流行った。
花の金曜日。つまり、夜遊び解禁デーという意味である。

365日育児中の主婦にはあまり関係がない話だが、
我が家の場合、金曜の夜はたいてい、息子は実家に宿泊する。
・・・ということは、帰りが遅くなってもOKというわけだ。

しかし、私はあまり夜遊びは得意でない。
お酒は飲めないし、カラオケも好きじゃない。
一般的に女性が好むウインドーショッピングも特に好きではないし、
(どちらかと言えば欲しいものがあるから買い物に行くタイプ)
パチンコ、ゲームセンターなどにも興味はない。
お金もあまりないし、、、

それでも、金曜日の夜だけは、なんとなく
まっすぐ家に帰りたくない気分になる。
こういうとき、ちょっとお茶を飲んだり、
おしゃべりしながら軽く食事でもして行くような
友達がいればいいのだけれど、といつも思う。

前の職場では、子持ち主婦は私くらいだったので
独身の子や、おじさんたちと飲みに行くことがときどきあった。
でも、今の職場は比較的近所に住む主婦が多いせいか、
はたまた町中でないため、ちょっと寄る場所がないためか、
なかなかそういう雰囲気にならない。
まあ、余計なお金を使わなくて済むし、
人間関係も深入りしないのである意味助かるのだが。

職場以外に友達がいないわけではないが、
最近はみんな子持ちの主婦なので、なかなか会うこともできない。
そもそも、専業主婦とフルタイム会社員では
同じ子持ちでも、生活の接点が実はかなり少ない。
生活時間帯も、生きる感覚も、ずいぶん違うのが常だ。

そんなわけで、なんとなく「帰りたくないな」
と思いつつ、まっすぐ帰宅してしまうしかない、
なんとも寂しい私である。

話は変わるが、うちの近所の公園に、
ちょっとした屋根付き、ベンチとテーブル付きのコーナーがある。
そこで時々、コンビニ弁当にワンカップ酒で
一人でひっそりと晩酌している中年男性がいる。
最初浮浪者かと思ったが、そうでもなさそうだ。
恐らく近所に住む人なのだろうが、
何故こんなところで? と思う。

先日、その男性を見て、うちの夫が
「わかんねーなー。どうせこの近所に住んでるんだろうに、
 家帰って飲めばいいじゃん?」としみじみ言っていた。
私は言った。
「駅前の屋台の焼き鳥屋が、すごく繁昌しているのと同じじゃないの」

駅前の屋台の焼き鳥屋。
家の近くの駅まで帰って来ているのに、ちょっと一杯寄って
飲んでから帰るサラリーマン。
屋台の焼き鳥屋が、とりたてて美味しいとも思えない。
きっと、彼らも金曜日の私と同じで、
帰宅前に「ワンクッション」欲しいのに違いない。

「わからん。俺には理解できん」と夫は言った。

へぇ。そうなんだ。
でもきっと、それは、あなたがサラリーマンでないから。

彼には、別段仕事にはとりたてて生き甲斐も、やり甲斐もないけど
「きちんと生活していく」ために、家族を守るために、
定年まで働くことを義務付けられている人の重荷は理解できない。

こういうとき、ほんと空しいと思うよ。私。
この人は自分の負うべきものを、代わりに妻に負わせてることすら、
全然わかっていない。

金曜日の帰宅途中、私は電車の中でそんなことを考えていた。
どんどん気が重くなるのを感じて、
駅の階段を降りながら、軽く頭を振った。
いかんいかん、マイナス思考は。

そう、きっと、うちの旦那は家にいることが苦痛でないんだろうな。
だから、寄り道したくなる気持ちが理解できないんだ。
それは、私が彼に居心地の良い家庭を提供してるということか。

そう思うことにした。

私は自宅に帰るのをやめて、両親と息子の待つ実家へ直接行った。
実家の玄関のドアを開けると、
石油ストーブの独特のあたたかい空気と、
夕飯のためのだし汁のいい匂いが鼻をくすぐった。

ああ、家庭の匂いだ。
お母さん、いつもありがとう。
ふと、涙が出そうになった。


同日の過去の日記

2002年12月05日(木) 風邪ひきさん


2003年12月04日(木) ひか太マラソン大会

先週の話ですが、ひか太のマラソン大会がありました。

母親である私は、マラソン大会の目標は
「ビリにならないこと」だったというのに、
息子は速いんですねえ。
去年は学年の男子で2位でした。さて今年は・・・?

1位のTくんはダントツ・トップ。
2〜4位は接戦で、ひか太は3位でした。
すご〜い。

学校から立派な賞状をもらってきました。
よくがんばったね!

(練習の時がんばり過ぎて気分が悪くなったことが2回もあったとか。
 本番は大丈夫だったようです。)


同日の過去の日記

2001年12月04日(火) マラソン納会表彰式


2003年12月03日(水) バレエ

週半ばって、一番疲れている日ですよね。
今日は終業時にすごーい疲れていて、
「これからバレエ?しんどい〜。帰って寝たい・・・」という心境だったけど、
月謝払っている以上は休みたくないので(貧乏性・爆)
がんばっていって来ました。

始まってしまえば、がんばるんだけどね。

バレエは足(つま先)を外に向けるのですが、
もともと内股の私にはこれがなかなか難関です。
最初から終わりまで、「外足、外足・・・」と考えながら
動いているのですが、ちっとも外に向いてない(^^;
それと、つま先立ちの動きが多いのですが、
これも全然だめなので、バーから離れたが最後、
ずーっとフラフラ、フラフラしています(ーー;

今日はなんだか、首が疲れました。
へんに力が入っていたのかしら?

レッスンが終わったら、
「やっぱり身体動かすのは気持ちいい」と思いました。
疲れていても、身体動かしたほうがリラックスできるのね。

しかしまた、この後2日間の筋肉痛が予想されます。(笑)


同日の過去の日記

2002年12月03日(火) 社長面接


2003年12月02日(火) すみません、また日記止まってます(^^;

ちょびっとずつ何か書くことにします。すみません。

先週の木曜日(11月27日)、ひか太の個人面談がありました。
2学期、学級委員になってしまって、
当初、あまりのプレッシャーに登校拒否になりそうだったのですが(爆)
10月中旬くらいから慣れたらしく、ぶうたれなくなりました。

本人に「慣れた?」と聞くと、「なんとか慣れた」とのこと。
一皮剥けたかな?と思っていたので、そのまま先生に伝えました。
先生も、そのことは気づいていたらしく、「そうですね」と
おっしゃっていました。
授業中、手を挙げることも増えて、少し積極的になってきたようです。

ほんと、3年生になってからの成長は目を見張るものがあります。
漢字もたくさん覚えて、そこらへんに書いてある字のほとんどが
読めるようになりました。
そのせいか世界が広がって、どんどん周りのものを吸収してる感じです。

まだまだ「しっかりしてる」とは言い切れない甘えん坊ですが、
先生によると「上手に甘えています」とのことでした。

親はほんと、ほったらかしにしているのですが
着実に育てて下さっている神様に、心から感謝したいです。


同日の過去の日記

2002年12月02日(月) ダイヤ改正


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