hikachi's Diary
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2002年12月10日(火) 自転車盗難

今日、ひか太の自転車がなくなっていました。

正確に言うと、今日気付いた、ということなんですが。

我が家は、築30年の公団住宅の5階です。
2件ごとに階段がついているスタイル。
つまり10世帯が1つの階段です。

自転車置き場は、各階段の下にあります。
いつも、私のもひか太のもそこに置いています。

今日、実家から帰った時、ひか太が気付きました。
「お母さん、ぼくの自転車がない・・・。」

ほんとでした。
調べてみると、鍵は家にありました。
明らかに盗難です。・・やられたぁ。

この自転車は、いつかの誕生日に主人の親が買ってくれたものです。
ブリジストンの変速ギア付きの高級(!)自転車です。
色も紫で、かっこよく、ひか太の大のお気に入りでした。

家に帰ると、ひか太は泣いていました。。。

私が子供のとき、こういうとき、うちの親は
「泣いても戻って来るわけじゃないのよ。諦めなさい」
と、さっさとお風呂に入るよう促して、気をまぎらせたと思います。
それでもぐすぐず言っていると、しまいには怒られました。
所詮、親には子供の気持ちはわからない、と非常に寂しかったような気がします。
そういうことが度重なって、私は母にあまり自分の気持ちを
話せない子供になっていったと思います。

あまり教育方針はない私ですが(^^;
子供にかつての私のように心を閉ざして欲しくないと日頃から思っています。

でも、私はこういうとき、子供にどう対応すればいいのか、
正直わかりません。

ひか太にとって、自分の大事なものを失う、というのは
おそらく初めてのことです。

私はだまってしばらく見守っていました。

くやしいよね、、、大事な自転車がなくなったんだもの。
お母さんもすごくくやしいよ。

しばらくしてから、もう今日はお風呂はやめて寝るように促しました。
ひか太は素直に着替えて布団に潜りました。

寝る前のお祈りが日課なのですが、一緒に祈るとしても
何と祈っていいかわかりません。

イエス様は言いました。「上着を取ろうとする者には下着もやりなさい」
しかし、、、今そのたとえを出して赦しなさいと語るのは場違いだと思いました。

やっとのことで、こう言いました。

「今、すごいくやしいよねえ。。。あの自転車は、新潟のおじいちゃんと
 おばあちゃんが、一生懸命汗を流して働いたお金で買ってくれたんだよね。
 そういう、人が努力して手に入れたものを、盗むってことは、
 盗まれた人にとってはほんとに、くやしいし、悲しいよね。
 今きっと、イエスさまも、私たち以上にくやしいと思っていると思うよ。

 神様は、ご自分が創った人が、他の人に害を与える、ということが、
 きっとものすごくくやしいだろうねえ。。。

 ひか太は大人になったら、今日のこのくやしい気持ちを忘れてしまう
 かも知れないけれど、神様はきっと、ずっと覚えておられるだろうねえ・・。
 この自転車を盗んだ人が、心から悪かったと謝らない限りは、
 絶対に神様は裁かれるだろうねえ。」

裁きは神様にお任せしようね、と遠回しに言いたかったのですが、
きっとそこまでは伝わらなかったでしょうねえ・・。

とにかく、辛かったり、悲しかったり、そういうことはきっと
大きくなるともっともっと増えていくと思うのです。

結局、それを乗り越えるのは自分が自分の内住の神様(聖霊)と
対話していくしかありませんよね。
乗り越える力をつけるためにも、小さいうちから、そういう感情を
しっかり体験して、追求しておくのはよいことのような気がします。

こういうとき、どう対処するのが正解なのかな。
私には、これでよかったのかどうか、全くわかりません。


同日の過去の日記

2001年12月10日(月) 疲れたよ♪


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