浅間日記

2013年05月10日(金) Welcome to our joyful family of investors

野口祐子編著「メアリーポピンズのイギリス」。
映画で学ぶ言語と文化、というサブタイトルがついている。
面白かったのでいくつか備忘録に記す。



映画「メアリーポピンズ」の時代設定は1910年になっている。
19世紀ビクトリア朝時代が終焉し、新しい時代への移行期である。
時代をはさんで二つの価値観が混在し、映画の中でも象徴的に描かれている。

ビクトリア時代の中流以上の家庭では、映画の子ども達がそうであるように、母親が子どもを育てるという習慣がなかった。就学前の子どもの世話は、ナニーとよばれる乳母の役目であった。

親と過ごす時間は、午前中の1時間、就寝前の挨拶ぐらいで、子ども部屋はリビングから離れた最上階などにあり、そこで食事もとった。

就学年齢になるとナニーは家庭を去ることが慣わしとなっていて、そのことは子ども達とナニー双方に心理的な不安定をもたらした。

コックニーは下町言葉を意味するが、正確な定義としては、「一生を都会から離れられない労働者階級」だそうである。

ロンドンの劣悪な生活環境下で、孤児達は煙突掃除をさせられ、健康を害したり事故で早死にすることが多かった。

作中に出てくる父親のバンクス氏は、チャールズ・ディケンズの作品「ハード・タイムス」に出てくるグラッドグラインドという人物に良く似ている。何事も数値化し、徹底した功利主義者である。

大英帝国の心臓部を支えたのは、バッキンガム・パレスの王宮でもなく、ロンドン西部ウェストミンスター地区にあるイギリス政府でもなく、金融街シティであった。

映画の中ではバンクス氏の仕える銀行の頭取が、嫌がる子ども達に2ペンスを預金させるためにそのことをPRした猛烈なコマーシャルソングが歌われ、その後、怯える子ども達から2ペンスを奪い取った頭取はこう言う。

「Welcome to our joyful family of investors」

メアリー・ポピンズが西風に乗って子ども達の元を去ることを知っているのは、煙突掃除人バートだけである。映画の結末は映画が製作された1960年代のアメリカにとって好都合な家族像として終わっている。




最後に、編著者の一文を抜粋する。

「それでは、現代の日本に生きる私達にとって『メアリー・ポピンズ』はどんな意味があるのでしょう。

・・・映画『メアリー・ポピンズ』には、今日の社会に生きる私たちにも他人事ではない課題が詰まっています。

子ども達が親に求めていること、家族のあり方、子育ての仕方、想像力の重要性、他社への共感能力、社会の規範に縛られない発想、格差社会、帝国主義的なものの見方など、これらはいずれも1910年のイギリス、1960年代のアメリカにとどまらない課題です。

映画から各自が思考のヒントを得ることができるでしょう。同時に、映画には現代の感覚からずれることもあります。

ではその「ずれ」と感じられる違和感はどこから生まれてくるのか?
映画が提示する考え方と自分の考え方はどう違うのか?

このような疑問を発することが多分か理解にも歴史理解にも重要なことです。これを「問題発見能力」と呼びます。

与えられた問題を解くばかりが勉強ではありません。自ら疑問を持ち、それについて調べ、考えてみる。これが能動的に生きる姿勢の基本です。

そして大学教育で目指しているのもひとりひとりの学生の「問題発見能力」を高めるための教育です。」

抜粋終了。

2011年05月10日(火) 東日本大震災 官僚不信宰相
2010年05月10日(月) それを想像しない権利
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2005年05月10日(火) 夢ログ
2004年05月10日(月) 命の著作権


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