小学校の、家庭訪問ウィークである。 昼下がりに家へ帰ってくるAと、少しゆっくり過ごす。
定石どおり、年齢にふさわしく、取り扱いが難しいお年頃で、 小さい子どものように突然はしゃいだりするし、仲間との会話は20代の娘のようで生意気である。
そして、往々にして私と二人きりの時は、押し黙っていて愛想がない。
暑いからジェラート食べに行こうか?と誘うも、 予想どおり、まあいいけど、と連れない返事。
こちらがサービスしているというのに、まったく失礼な態度である。
冷たいジェラートを無表情で口へ運ぶAを、 まったくややこしいなあと思いながら眺める。
よくよく観察してみると、このAの態度にはどこか懐かしい覚えがある。
そうだ、小さな赤ん坊の頃にそっくりだ。 まだ言葉を覚える前の、母親にすべてを依存していた感じだ。
なんとも無防備で、可愛いではないか。
成長したAは、色々な子どもの集団の中に身を置く中で、 話題に気をつけ、態度に気をつけ、他の仲間との関係に気をつけて、 上手くやっていく術を身に付けた。それは主に言葉によって保たれている。 そうしたことが、できるようになった。
*
そうだからこそ、成長の荒波の中で、 私との関係にだけはなんにも気を使うことなく、 どうぞよしなに、御随意に、と態度を丸投げしている。
そうだ。 目の前でジェラートを食べているそろそろ年頃のこの娘は、 紛れもなく私の赤ちゃんだ。 これから一人前になっても、いつまでもずっと。 ありがたいなあ、という幸福感に包まれる。
すぐにでも、よしよしいい子だね、と抱っこしてあげたい気持ちに駆られたが、 本人の名誉のために、そのジェラート美味しい?と聞くのに留めた。
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