2008年04月13日(日)  マタニティオレンジ267 子どもは遊びの天才

高校時代の友人はるちゃんが、お子さん二人を連れて遊びに来てくれた。三人と最後に会ったのは、二年前の『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』の絵本読み聞かせ会。あのとき小学校に入ったばかりだったケイコちゃんは三年生、ベビーカーに乗っていたユウくんは三歳になった。その間に、たまが生まれて間もなく1歳8か月。喪中で年賀状が一年飛んだはるちゃんは、今年の年賀状でいきなり大きくなったたまの写真を見て、「いつの間に!」と驚き、「読み聞かせのとき、おなかに入ってたたんやったら、言ってよー! ぜひ会いに行かせて!」ということで、今日の再会となった。

はじめて会う顔ぶれに緊張気味だったたまが、まず心を開いたのはケイコちゃん。憧れのお姉さんについていくわとでもいうように、後をついて歩き、仕草を真似るようになった。片付けが間に合わず、なんでもかんでも放り込んだ「開かずの間」のドアを開けたケイコちゃんは、「わあ!」と驚きの声。こんな惨状を自分の家では目にしたことがない様子。「ごめんね、わたし、お片付けが苦手なのよ」と白状すると、「うちのママ、得意だよ」とケイコちゃん。「すごいなーはるちゃん。子どもにそんな風に言われるなんて」「でも、マイマイは飾らせたらピカイチやん」。育ちがよくて清潔感があって好感度バツグンのはるちゃんと、何事も我流でいい加減なわたし。同じクラスになったこともなく、国語の補習で机を並べただけなのに、対照的なお互いを面白がっているうちに、友情は二十年ものになった。自分たちの子どもが一緒に遊ぶ日が来るなんて、高校三年の夏休みには想像もしなかった。

「さあ、わたしたちの家をつくりましょう」とケイコちゃんのかけ声で、子どもたち三人は衣類と書類の山に埋もれたダンボールハウスを掘り出し、あっという間に、開かずの間に「床」とダンボールハウスが出現した。広げっぱなしのシャツはたたみ、書類は積み重ねる小学三年生。「子どもが来て部屋がちらかるというのはよく聞くけど、部屋が片付くというのは初耳だ」とわが旦那はうなった。ダンボールハウスの中まで押し寄せた細々したものもかき出され、ベビー用の毛布を敷き、ぬいぐるみを並べ、ちょっとした隠れ家が出来上がった。

さらに、ケイコちゃんは、がらくたの山から大量の使い捨てカメラを発見。ゴルフのコンペや結婚式の2次会で配られたもののフィルムを使い切っていないものや、わたしが広告を手がけていた得意先のノベルティグッズなど。いつか使う日があるかもと思って取っておいたことも忘れていたのだけど、子どもたちのおもちゃになるとは。三人の子どもたちは手に手にカメラを持ち、ケイコちゃんを真似して構え、シャッターを切り、フィルムを巻く。たまもそれなりにサマになっていて、すっかりカメラマン気取りであちこちにカメラを向ける。その得意げで、たのしげなこと。撮った手応えがあるのが、たまらなく楽しい様子。そんな子どもたちに大人もカメラを向けた。

「紙おむつに名前スタンプを押す」遊びに夢中になった後、ケイコちゃんが発案したのが、手紙ごっこ。まずはケイコちゃんからはるちゃんに手紙を書き、ミキハウスの真っ赤な紙バッグをダンボールハウスに吊るして、「返事はこのポストに入れてね」。何度か手紙が行きかうのを見て、わたしが昔やった遊びを思い出し、「はるちゃん、次の手紙はポストに入れないで」。代わりに、ケイコちゃんに手紙を書いた。「たおたおきなたまたるいたまどたたをさたがたたせた」。ヒントに添えたイラストはタヌキ。暗号初級編のたぬき文。「た」を抜いて読むと、「おおきなまるいまどをさがせ」。「わかった!」と丸窓がついた洗濯機のドアを開けて手紙を見つけたケイコちゃんは、「面白い、もう一回!」。次の手紙は「れもんと いちごと ぞうと うさぎと こあら」の五行。ヒントは頭。行頭をつなげて読むと、「冷蔵庫!」。最後はケイコちゃんからたまにあてて手紙を書いてくれた。ケイコちゃんが読み上げるのをたまは神妙な顔で聞き、大人たちは感激して目をうるませた。

2007年04月13日(金)  マタニティオレンジ106 慣らし保育完了 
2006年04月13日(木)  ヘレンウォッチャー【「子ぎつねヘレン」の夕べ編】
2005年04月13日(水)  お風呂で血まみれ事件
2002年04月13日(土)  パーティー


2008年04月12日(土)  マタニティオレンジ266 保育園保護者会にパパ会長

一年間役員を務めた保育園の役員会の引き継ぎ会。昨年一年の会議はすべて母親のみが出席し、共働きの保育園でもそういうものなのか、と意外でもあった。お迎えは父親が来ている家でも会議には母親が出る。でも、保育園父母会の総本山みたいな会議に行ってみると、父親のほうが熱心に活動している保育園もあって、園ごとにカラーがあるらしいことがわかった。

そんなわけで、今日の引き継ぎに、同じ1歳児クラスにお子さんがいるKさんが夫妻で出席され、今年度の会長を決めるときにK氏が立候補したことは、わたしにとっては「これでうちの役員会の流れが変わるかも」とわくわくするような事件だった。「私が会長をやり、妻が補佐をします」とK氏。くじを引いて役員が当たってしまったけれど、少しでも楽な役職をもらって一年しのごうとなるところを、一家で二人分働きますとおっしゃる。心強い発言に、引き継ぐ側の前年度役員も、いい方に引き受けていただけてよかった、とうれしくなった。

早速、その日のうちに新会長からは議事録がメール配信され、今月末の園での総会までに決めておくべき事項が挙げられ、そのスピードと細かさにも舌を巻いた。予算の使い方ひとつ取っても、父親の視点が加わるだけで、母親だけでは見落としていた発見がある。パパ会長の奮闘を見て、今まで遠慮して父母会を遠巻きに見ていた父親たちが首を突っ込んでくれるようになったら、新しい風が吹きそう。

2007年04月12日(木)  『ドルフィンブルー』と『ヘレンケラーを知っていますか』
2002年04月12日(金)  背筋ゾーッ


2008年04月11日(金)  マタニティオレンジ265 トントン、おっぱい入ってますか。

昨日から娘のたまが熱を出し、保育園を休んでいる。こういうときでもないと平日に母娘でべったり過ごす機会は持てないのだけど、体調が悪いときはいつも以上に甘えたになり、一日中わたしにまとわりついてだっこをせがむ。コアラに巻きつかれたユーカリの木になった気分だ。

そのうち自分から離れて自然に卒乳するだろうと思っていたのに、一歳七か月を過ぎてもいまだにその気配がなく、今日のような体調不良のときは、精神安定剤のようにおっぱいを求めてくる。以前は手をグーパーさせる乳搾りの仕草で「おっぱい」と訴えていたのだけれど、あるときわたしが「おっぱい、入ってないかもよ。聞いてみよっか。トントン、入ってますか」とふざけて以来、「トントン」とノックをしてくるようになった。今では外出先から帰宅した途端、「トントン」と宙をノックする。

たまを抱きかかえて、「トントン、入ってますかー。入ってますよー。いただきまーす」と唱えると、それに合わせて、たまは「トントン、かー。よー。すー」と言い、最後に小さな手を合わせる。その姿が何ともかわいらしく、おっぱいを飲んでいるところに「おいしい?」と声をかけると、「おいちー」と返事が返ってくるのもいとおしい。こんなことできるのも、今のうち。なかなか卒乳できないのは、さびしがりやな親のせいでもある。

2007年04月11日(水)  ロバート・アルトマン監督の遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』
2004年04月11日(日)  日暮里・千駄木あたり
2003年04月11日(金)  ちょっとおかしかった話
2002年04月11日(木)  ネーミング


2008年04月10日(木)  マタニティオレンジ264 「きのこのこのこ」と「ワァニ」

おしゃべりなわたしの娘の割には、たまは言葉はあまり早いほうではないようだ。「パパ、かいしゃ」「そっちいっちゃダメ」などと意味のある言葉をどんどん発している保育園のお友だちと比べると、ゆっくりのんびりしている印象がある。いずれは肩を並べるのであれば、言葉を獲得する道のりは、寄り道や遠回りをしながら景色を楽しみつつ進めばいいかなと思っている。

言葉はおぼつかないけれど、何かを表現したいという気持ちがすごくあるときにどういう手段を取るか、観察するのは面白い。バイリンガルの帰国子女が「日本語が先に出る単語」と「英語が出る単語」を組み合わせてしゃべるのでチャンポンになるように、たまも単語によって「手が出る単語」と「口が出る単語」がある。このところしめじを気に入ってよく食べるので、「これは、きのこ」と教え、「きーのこのこのこ」と人差し指を立てて上下させるダンスを即興で作ってみせると、早速真似た。以来、売り場で、食卓で、きのこを見ると踊る。さらに、「おいしー」とほっぺたをたたく振付も加わった。「きのこ」は発音できないけれど、「オイチー」は言葉もついてくる。見たいは「ミ!」、聴きたいは「キ!」。これは言葉が出る。

「ママ」は言えるのに「たま」は言えないので、自分のことは「ココ」と呼んで鼻を指差す。「コ」は発音しやすいのか、「コッチコッチ」と手招きする。わたしが寝巻代わりに着ているトレーナーについているラコステのワニがどうも気になるらしく指差すので、「これはワニ」と教えたら、「ワァ二」。「タ」は言えないのに「ワ」は言えるのが不思議。わたしがわかりやすく発音するのをそのまま真似するので、「ワニ」は「ワァニ」、「バナナ」は「バァナァニャ」と間延びする。

「ワニ」という語感は、どこか間が抜けていてとぼけていて、1歳児でなくとも口にするのが楽しい響きがある。手当たり次第出会いに食らいつこうと大口を開けている男友達のことを、仲間うちでは「ワニる」という動詞で形容している。ひさしぶりの子守話は、「ワニ」という言葉がたくさん出てくる話。

子守話14 わになったワニ

ワニのかぞくが つまらないことでケンカをしました。
いもうとワニはおにいさんワニのしっぽをかみ、
おにいさんワニはおかあさんワニのしっぽをかみ、
おかあさんワニはおとうさんワニのしっぽをかみ、
「こらこらケンカはいけないよ」と 
おとうさんワニがいもうとワニをおいかけ、
ぐるぐるまわって わになりました。

わになったワニのうわさをききつけて
なかまのワニが ぞろぞろやってきました。
「ぐるぐるまわっていては おなかがすくでしょう」と
おやつをなげてくれるワニがいました。
ワニのきょうだいは おやつのとりあいでケンカをしていたので
ケンカをするりゆうがなくなりました。
「おかあさん いもうとワニをなんとかしてよ」と
おこっていたおにいさんワニも 
おなかがふくれて やさしいきもちになりました。

しゃしんかのワニが おもしろがって しゃしんをとりました。
「まわっているあなたはすてきですよ」と
おかあさんワニをほめることもわすれませんでした。
おかあさんワニは すっかりきぶんがよくなって
おとうさんワニと なんでケンカしていたのか わすれてしまいました。

しっぽにかみつくかわりに てをつないで 
ワニのかぞくは なかよく わになりました。
なかまのワニたちもくわわって おおきな わになりました。
「わになってうたおう わになっておどろう 
 わにわに わにわに わになって」
ワニたちは しっぽをうちならし わになってあそびました。

2007年04月10日(火)  マタニティオレンジ105 産後の腰痛とつきあう
2004年04月10日(土)  大麒麟→Весна(ベスナー)
2002年04月10日(水)  なぞなぞ「大人には割れないけど子供には割れる」


2008年04月09日(水)  マタニティオレンジ263 こどものあそびば『ピアレッテ』

保育園を午後から休んで、二子玉川から徒歩10分の『こどものあそびば ピアレッテ』へ。ボーネルンドの遊具でたっぷり遊べる屋内施設。体をめいっぱい使って遊べる大型遊具はお兄ちゃんたちに引っ張りだこで、1歳児のたまが入り込む余地なし。「あっち行け」でも「邪魔だよ」でもなく、「赤ちゃんには危ないよ」「赤ちゃんには無理だよ」と追い払うスマートさは、イマドキなのか都会流なのか。トランポリンのような遊具はおっかなびっくりながらも弾む感覚をたのしんでいた様子。

保育園のボールプールでさえ苦手がっているたまは、巨大ボールプールに怖じ気づいて逃げ出し、流れ着いた先はミニスーパーとミニキッチンを備えたおままごとコーナー。ここもお姉ちゃんたちの活気にあふれ、若輩者のたまは後ずさり。ひとけがなくなる隙を狙って、買い物かごを手に出陣。日頃わたしが買い物するのをよく見ているのか、品物を選ぶ仕草がさまになっている。野菜もパンもかなりリアルにできていて、そのままレストランのディスプレイに使えそう。年長の子どもたちは、おもちゃのお金をやりとりしながら、交わす会話はとても現実的。「お金がないんですけどぉ」とシナを作る子に、「だったら借りてきてください」。棚の商品を買い占める子、商品を整理整頓する子、買い物の仕方にも性格が出る。


子どもが3歳ぐらいになると、子どもたちだけで勝手に遊ばせて、親は親でしゃべっている。子どもは30分600円+10分超えるごとに100円追加で上限1400円なのに対し、見てるだけの大人は一日200円という料金設定は良心的。通路でつながっている隣の温泉施設『山河の湯』では、畳の広間で食事できる。今日は、先日ご近所仲間の会で再会したロンドンから一時帰国中のI嬢を元同僚・現ママたちで囲む会。子育ての情報交換をしたり、会社のあの人この人の噂をしたり。ひと足先にダンナのY君がロンドンに戻ったI嬢は、4か月と3歳の女の子二人を一人で抱えて帰りの飛行機に乗るそう。たま一人連れて大阪に帰るだけでもドキドキのわたしには未知の領域。「日本のお母さんは身ぎれいにしている」とI嬢。二子玉川だからじゃないかしら。

2007年04月09日(月)  人形町の『小春軒』と『快生軒』と『玉英堂彦九郎』
2004年04月09日(金)  五人姉妹の会@タンタローバ
2002年04月09日(火)  東京コピーライターズクラブ


2008年04月08日(火)  はじめてのJASRAC使用料

JASRACのロゴが入った五線紙4枚に内訳が打ち出された「使用料内訳計算書」なるものが送られてきた。作詞を手がけた歌の著作権使用料が支払われるのは、はじめてのこと。これまで支払われなかったのは、買い取りだったのか、うやむやだったのか。

ずらりと並んだ内訳が興味深い。上演、演奏、社交場、ビデオ上映は28%。映画上映は30%。BGMになると12%で、オルゴールは6%。貸レコード/ビデオが13%。脚本の場合、DVD/ビデオ売り上げ1本につき1.75%が脚本家に入る計算なのだけど、音楽の場合、何に対しての28%であり30%なのだろうか。このパーセンテージを作曲家と分け合うのだろうか。今回支払われたのは「オーディオテープ」(6%)で、「レート8.10」「計算対象数1630」。1枚あたり8.10円ということは配布用だろうか。これが二段分あり、4401かける2で〆て8802円。消費税を足して手数料を引くと8688円となっている。映画なんかの抜き素材がテレビで一瞬流れたときの二次使用料と同じぐらい。

以前、作曲家としてデビューした高校時代の同級生が「デビューシングルの印税がCD一枚分にもならなかった」と話していたのを思い出す。たしか997円とか千円でお釣りが来る額だった。しかも、その金額は親戚一同がこぞって買い上げた印税を足し上げたものだった。音楽で食べていく道は、脚本以上に険しいかもしれない。

2007年04月08日(日)  東京都知事選挙
2005年04月08日(金)  懐かしくて新しい映画『鉄人28号』
2004年04月08日(木)  劇団ジンギスファーム「123」
2002年04月08日(月)  シナリオに目を向けさせてくれた「連載の人」


2008年04月07日(月)  マタニティオレンジ262 たま大臣の記者会見

携帯やラジオが大好きな娘のたまは、ダンナの仕事道具のICレコーダーにも興味津津。スイッチを押すと応じてくれるところが面白いらしいが、下手なスイッチを押されて大事なデータを消されたりしては大変。主導権を握るべく、「たま大臣、記者会見をいたしましょう」とダンナが持ちかけ、ICレコーダーのスイッチを入れた。「では記者会見をはじめます。各社よろしいですか?」と声をかけると、たまは何がはじまるのかと好奇心でそわそわ。

パパ「たま大臣は先週上野動物園へ行かれたそうですが」
たま「(無視)」
パパ「いや、動物園へ行かれたという証拠があるんですが」
たま「あう」
パパ「まじめにお答えください、たま大臣」
たま「バイバイ」
パパ「では質問を変えましょう。たま大臣、好きな動物は何ですか」
たま「(無視)」
パパ「ノーコメントですか。たま大臣はゾゾがお好きだとうかがいましたが」
たま「ゾゾ」
パパ「では、たま大臣の好きな動物はゾゾということでよろしいですね?」
たま「ゾゾ」

といった具合。ボケと突っ込みのコントのようで、一緒に聞き返したたまも笑って受けていた。わたしが子どもの頃はホームビデオがまだなくて、よくテープレコーダーで声を録ったものだけど、映像がない分想像をかきたてられて、ラジオドラマがそうであるように、かえって豊かに情景が目に浮かんだりする。

ダンナとたまが遊んでいるのを見ていると、わたしが思いつかない遊びが飛び出して興味深い。わたしが皿洗いをする間子守りを頼まれたものの新聞のスポーツ面が気になるダンナは、「たま、帽子かぶっている人探そう」と提案。「ボーシ」とたまがヘルメットやゴルフキャップを指差すのに適当に相槌を打ちながら記事に目を走らせていた。「動物園へ行こう」と子どもを誘って競馬場へ連れて行く父親の心理に通ずるものがある。

2007年04月07日(土)  G-up Presents vol.5『アリスの愛はどこにある』
2004年04月07日(水)  2人で150才の出版祝賀会
2002年04月07日(日)  イタリア語


2008年04月06日(日)  ギャラリー工にてマッキャンOB『Again』展

ギャラリー工(こう)で最終日の『Again』展を観る。わたしが3年前までコピーライターとして勤めていた広告会社マッキャンエリクソンの制作局の大先輩達15人の合同展。その一人、版画の棚橋荘七さんから『アテンションプリーズスペシャル』の案内を送ったお返しに案内をもらった。

『Again』展の副題は、「ヤケドしそうな広告をつくってきた仲間たちの、ふたたび。」とあり、「70年代から80年代にかけて、外資系広告代理店『マッキャンエリクソン博報堂』の制作局で燃えていたクリエイターたちのその後…。僕たちは、ふたたび、ここにいます。だれよりも無邪気に、かつ老獪にアートの地平に立っています。アイディアという魔物を僕たちがどう御しているか、ぜひご覧頂きたい」という案内文からも湯気が立ち上るよう。わたしが入社して間もなく「博報堂」が取れて100%外資の会社になったのだけど、15人がバリバリの現役だったのは、博報堂つき時代だったのだ。

浅井洋司(魚の剥製アート)、飯田茂(戯画)、柿本照夫(陶芸)、金山謹也(漆芸)、何英二(陶芸)、笹尾光彦(油彩)、竹内寛(ガラス工芸)、棚橋荘七(版画)、平子公一(版画)、皆川清治郎(バードカービング)、武笠好文(陶芸)、本山賢司(油彩・水彩)、安井海(陶芸)、渡邊和人(版画)という15人15色の競演。皆さんアートディレクター出身であるから素質十分なのだが、その道の第一人者となった方も多い。笹尾さんはbunkamuraギャラリーで驚異的な売り上げを記録し、皆川さんは日本を代表するバードカーバーに。ちょうど居合わせた皆川さんに、アメリカの大会でグランプリを取ったとき、賞を逃したアメリカ人たちの握手がとても力強くて痛かった、などと興味深い話をうかがう。「ただの鳥の羽を額に入れて、あれのどこがアートなのか?」とわがダンナは首を傾げていたが、それこそが本場アメリカでも認められた精巧な彫刻(写真左端の作品)。木を彫って羽毛の質感を出すとは驚き。「卵杯」と名付けられた金山謹也さんの作品にも驚いた。「エッグスタンドですか?」と尋ねたら、「いえ、卵の殻に漆を塗っているんです」と作者。落としても割れませんよと実演してくださった。

ギャラリー工へ続く通路部分は『横丁堂』という名の別ギャラリー扱いになっていて、こちらにはドラマ『白い巨塔』のタイトルバックも手がけた野又穫さんの絵を展示。野又氏もマッキャンOBで、わたしが入社した頃にはすでに売れっ子画家となっていた。マッキャンOBの画家と言えば、在職中から得意先のカレンダーの挿画などを手掛けられていた白田さんが昨年個展の初日に倒れて帰らぬ人となった。本人が一番驚かれたであろう突然の幕引きがなければ、16人のOB展になっていたかもしれない。

ギャラリー工と横丁堂のオーナーは、これまたマッキャン制作局OBで、わたしもお世話になった濱田哲二さん。かねてから噂を聞いて一度訪ねてみたいと思っていた「濱田さんのギャラリー」は聞きしに勝る素敵な場所で、骨董屋で見つけたという階段箪笥(作品の器が納められている)や大きなガラス窓越しに望める庭のしつらえ(展示スペースにもなっている)など随所にこだわりが光る。作品にとって居心地のいい空間は人間にとっても居心地がよく、お茶とお菓子を遠慮なくいただきながら時を忘れて話し込んでしまった。

マッキャンの制作局には仕事は違うもう一つの顔を持つことを受け入れる空気があり、アートディレクターにして俳句の大家となっていた中原道夫さんがプレゼン直前に姿をくらましたと思ったらツインビルの向かいのビルにあるカルチャースクールで教えているのを発見、なんて事件をおおらかに笑っていた。わたしが脚本を書くことも面白がり、楽しみにしてくれ、二足の草鞋を隠す必要はなかった。そんな職場だからこそ、一足目の草鞋を脱ぐタイミングを逸し続けてしまったのであるが。辞めてからも刺激と懐かしさを感じさせてくれる自慢の故郷だ。

2007年04月06日(金)   エイプリルフールと愛すべき法螺吹き
2002年04月06日(土)  カスタード入りあんドーナツ


2008年04月05日(土)  桜吹雪舞う鎌倉

わが家における優先度ではご近所仲間の会と肩を並べるのが、友人セピー君の鎌倉のセカンドハウスで集う会。「しばらく行ってないね」「そろそろ行きたいね」とダンナと話していたら、「テスン君のオモニに鎌倉を案内しよう」とお誘いが来た。テスン君はセピー君の学生時代の悪友チョンさんの弟で、わたしとダンナとセピー君とテスン君の四人は同い年。はじめましてのオモニはちゃきちゃきした関西人で、朗らかによくしゃべる。

北鎌倉駅で待ち合わせ、近くにあるブラッセリー梅宮(梅宮辰夫さんの弟さんの店だそう)でランチ。子連れにはありがたい庭のテーブルに通され、和洋折衷のお弁当を味わう。野菜たっぷりの洋風総菜は彩り鮮やかな春色。以前来たときよりもおいしく感じた。

北鎌倉駅近くの円覚寺は桜が見ごろ。娘のたまをテスン君とセピー君が交代で肩車し、空いた人がベビーカーを押してくれる。手を伸ばせば花をつかめそうな高い肩車の上で、たまはご満悦。「花」(手のひらの根元をくっつけ、指をグーからパーに開いて花を開かせる)と「星」(手をひらひらさせて、きらきらとまたたく)の仕草を組み合わせた造語ベビーサインで「桜」を表現していた。桜もいいけど、わたしは「みつまた」という花の色と形に一目惚れ。満開のときは目の覚めるようなオレンジ色なのだそう。

「さて、この階段を上りますか」と長く急な石段の下でセピー君。たまを抱っこし、ベビーカーをテスン君とセピー君に運んでもらい、上りきると、桜の山を見はるかす見事な眺め。頂きに張り出すようにして建つ弁天堂茶屋で一服。風に舞い上がる桜吹雪と絶景を楽しみながら、ゆず寒天(お茶とともに。600円)を味わう。ゆず味の寒天とゆずの甘露煮に黒豆と栗をそえたあんみつ風。ほどよい甘みで、後味すっきり。


江ノ電に揺られて鎌倉へ向かい、見物客でごった返す桜並木を抜けて鶴岡天満宮へ。白無垢の花嫁さんが絵になる。ここで桜よりも注目を集めていたのは、パンツと立派な太もも丸出しで石段を登る超ミニスカートの女性。石段のまわりの注目と話題を一時独占していた。インパクトも時には大事だけれど、桜の品のある美しいたたずまいとはあまりに対照的だった。


「お疲れとは思いますが、ここもぜひ」とセピー君おすすめのぼたん園は、大輪のぼたんの花ざかり。日除けの和傘も風情があり、美しい庭園を誇るイギリスからの団体観光客も「Lovely」を連発。

土産物屋が立ち並ぶ小町通り(行きの桜並木と並行)をひやかしながら鎌倉駅へ。Piccoloという洋服屋のショーウィンドウに飾られた大きな花柄のワンピースと目が合う。一期一会なわたし好みの柄と色に4725円というお値段。迷う隙なし。タイから入ったばかりとかで、よく見ると柄の出方が荒く、裾のストライプは斜めになっている。

夕暮れの海を臨むセピー邸での夕食には、テスン君のオモニが持ってきた本格韓国料理が並んだ。「オモニのアキレス腱食べますか?」とテスン君に聞かれて、「オモニの弱点? さては料理がお苦手?」かと思ったら、牛のアキレス腱をくさみがなくなるまで根気強く煮たもの。コラーゲンたっぷりで歯ごたえコリコリの初めて出会う味。特製の辛いタレでも塩でもいけ、手作りキムチにもよく合う。さらに、海鮮チヂミがこれまた絶品。「これだけの食料を抱えて鎌倉観光されていたんですか!」と恐れ入る。「イカやホタテなどの海鮮をミキサーにかけて生地に混ぜ込むのがコツ」なのだそう。セピー君は男性二人を助手につけ、豪快に海の幸を放り込んだパエリア(サフランはセピー君のお父さんの故郷イランが名産)を出してくれた。彼の料理の腕は相当なもの。わが家からの手土産、新丸ビル地下のブティックみたいなパン屋『POINT ET LIGNE(ポワンエリーニュ)』のスティックパンとフランス総菜屋『ル・ジャルダン・ゴロワ』のピクルスもよく売れた。

2007年04月05日(木)  消えものにお金をかける
2004年04月05日(月)  シンデレラブレーション
2002年04月05日(金)  イマセン高校へ行こう!


2008年04月04日(金)  アートフェア東京で名久井直子とミヤケマイ作品集の話

東京国際フォーラムで6日まで開かれているアートフェア東京へ。画廊のブースが軒を並べるアートの見本市。キャンバスに向かって制作を実演する画家の前には人だかり。器の傍らに佇む着物姿の女性は作者なのか作品の一部なのか。アートの森を探索しながら、お目当てのミヤケマイ作品とミヤケマイ本人が待つブースへ向かう。今回の作品は渋めの色使いにレースの下着や逆さ吊りのヌードといったエロス漂うモチーフで、ぐぐっと大人度を上げ、ダークファンタジーな雰囲気。展覧会のたびに新しいものを見せてくれるミヤケマイの創作の引き出しは四次元ポケットになっているのだろう。

昔はミヤケマイをネット検索すると、いまいまさこカフェ日記が上位にヒットしたものだけど、今では熱心なファンが続々現れ、人気も評価も高まる一方。「まだまだ無名」と本人は謙遜するけれど、現在準備中の作品集では各界のそうそうたる顔触れがミヤケマイを語る。その中に、今井雅子もまぜてもらうことになった。以前ミヤケマイのサイトに寄せたコメント(こちらの「寄稿文」に掲載)を気に入ってくれているらしく、直々のご指名。機関誌『看護』4月号、フリーペーパーbuku16号(配布中)に続いて、今年三つ目に世に出るエッセイとなる。『ミヤケマイ作品集』(仮題)は6月に芸術新聞社より刊行予定。

その作品集の装丁を担当しているのが、共通の友人である名久井直子。bukuにエッセイを連載することになったのは、デザインを手がけている彼女の紹介だったのだけど、写真集『犬と私の10の約束』(写真:秋元良平 訳:川口晴/今井雅子/澤本嘉光)の装丁も彼女だったという偶然を先日知って驚いた。名久井直子。「名久井とは、なぜか、あちこちで一緒になるんだけど、なかなか会えないのよ」と噂していたら、作品集の打ち合わせに名久井嬢が登場。三年ぶりぐらいの再会が叶った。ミヤケマイの作品と同業者にファン多しの名久井直子のデザインが出会う作品集にコメントという形で参加できるのは、なんともうれしく、わくわくする。三人が仕事で一緒になるのは初めてかなと思ったら、『ネスカフェこれでもかコレクション』(4/25まで実施中)でも絡んでいた。ミヤケマイは10番、名久井直子は32番で参加。

2007年04月04日(水)  マタニティオレンジ104 ママ友さん、いらっしゃいませ。
2004年04月04日(日)  TFS体験入学
2002年04月04日(木)  前田哲×田中要次×松田一沙×大森南朋パコダテ人トーク

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