2008年01月13日(日)  ずんぐりむっくりドイツの加湿機

ついに加湿器を買った。年末からダンナが「朝起きるとのどが痛い」と訴えていたのだけれど、なかなか買いに行く暇がなく、年始にビックカメラに行くと、種類がありすぎて、値段も数千円から数万円までまちまちで、選びきれず、そうしている間に、娘のたまとわたしが一回ずつ熱を出した。ピューッと上がってスーッと下がったので、喉から来た風邪かと思われる。これはやはり加湿器が必要だとあわてて調べたところ、わが家のような結露が激しい家ではスチーム式だと「過湿」になってしまうことがわかった。気化式と呼ばれるタイプはほどよく加湿してくれる上に、熱い蒸気が出ないので小さい子どもがいる家にも安心らしい。

気化式は外国製のものがいくつか出ていて、どれも数万円と値段は張るのだが、健康はお金では買えない。有給休暇のないフリーランス業は丈夫な体が資本である。これにしようと決めかけた機種のレビューを読んでいると、「掃除が大変」「小まめに手入れしないとカビが生える」とある。加湿してほどよくうるおった室内は、カビにとっても住みやすい環境になってしまう。掃除もままならぬわが家に置けば、確実にカビ天国となってしまう。

迷った目に飛び込んだのが「空気清浄しながら加湿」するというドイツのベンタ社の加湿器。「手入れは簡単」「故障しようがない頑丈でシンプルな構造」などのレビューに安心し、これに決めた。


20畳まで加湿、12畳まで空気清浄というタイプを購入。昨日到着して早速使っている。なるほど、水入りの箱(写真左)にモーター入りの箱をかぶせるだけの超シンプルな構造。汚れた空気を吸いこんでは、水で洗ってきれいな空気とうるおいを送りだす仕組み。ミーレの掃除機しかり、ドイツの製品には、地味で無骨だけれどいい仕事をする職人のような印象がある。わたしには違いはよくわからないけれど、今朝目覚めたダンナが「喉が痛くない」と言ったので、ベンタ君、しっかり働いている様子。

2007年01月13日(土)  味付けおまかせ羅臼のこんぶ茶
2003年01月13日(月)  成人の日
2002年01月13日(日)  ごちそう


2008年01月12日(土)  boofoowooの服

運命の相手とは、場所を変え、時を変え、何度でも出会ってしまう。去年そんな出会いをしたのが、boofoowooの服。最初に知ったのはショッピングモールにある子供服のお店。きれいきれいなおりこうさんしていない古着っぽいデザインが目を引いた。それからというもの、友人の出産祝いを買うために子供服売り場を歩いていると、向こうからここにいるよと手を振るように目に飛び込んでくる。遊び心と主張があって、わたしがよく着ているEL RODEOの服にも通じる面白さがある。

去年の秋、打ち合わせへ向かおうと東銀座界隈を歩いていたら、にぎやかな色があふれるショーウィンドウがわたしを呼んでいて、惹かれるままに店に入って、「あ、あのブランドだ!」とうれしくなった。子供服のブランドだけど、わたしが着られる150センチ、160センチの大人サイズがあることもわかり、長袖のTシャツを買った。

12月に大阪に帰ったときには、最寄駅の高島屋に入っているお店に行った。子どもに着せるにはちょっといいお値段なので、娘のたまの普段着には手が出ないけれど、3足千円の靴下を発見。お値段も柄もかわいい上に、赤ちゃん靴下にはおなじみの足裏の滑り止めが足跡模様になっている芸の細かさ。脱げにくい長め丈(短いと、いつの間にか手を伸ばして脱いでしまい、行方不明になる)なのも気に入った。

そして今日、打ち合わせ帰りにまた銀座店をのぞくと、セール中。大人サイズのものをいくつか試着したところ、150センチのコート(黒地に色とりどりのボタン。色とりどりの毛糸ファーつき)とTシャツはパッツンパッツンだったのに、なぜか140センチのパーカーはぎりぎり入り、連れて帰る。30%オフで、5000円でおつりが来た。銀色のマーカーで落書きしたような太陽ときのこがたのしげ、めでたげ。

2007年01月12日(金)  『半島を出よ』(村上龍)
2002年01月12日(土)  アボルファズル・ジャリリ 


2008年01月11日(金)  民営化・日本郵便のヒット作

郵政事業が民営化されて初めての年賀状。配達スピードに飛躍が見られるかと期待したけれど、年内に出した賀状が一週間近く旅して届き、さらに「あて所に尋ねあたりません」のスタンプを押された出戻り組みが往復の長旅を終えて今頃わが家に舞い戻ってきている。あて先不明組のうち何枚かはこちらに届いた賀状で調べがつくので、正しい住所を記した封筒に入れて送り直す。それにちょうどいい切手を郵便局で見つけた。十名の書家が思い思いに「ねずみ」の字を書で表現した「干支文字切手」。筆で書かれた文字部分がエンボスになっていて、うれしくてつい手触りを確かめてしまう。これは民営化・日本郵便のヒット作だ!と思ったら、平成16年から年末に発売されているそうで、子年版が四回目だそう。ゆうびんホームページで記念切手を通信番売していることも今回はじめて知ったけれど、これも民営化前からだろうか。

日本郵便が打ち出した新しいものといえば、一億枚刷ったのに1400万枚しか売れなかった「カーボンオフセット年賀状」の話題を新聞で何度か見かけた。地球温暖化防止に貢献するための5円の寄付金つき年賀状で、カーボンオフセットとは排出した二酸化炭素を相殺するという意味合いらしいが、趣旨が理解されにくかったのが苦戦した理由のよう。カーボンといえば紙、オフセットといえば印刷を連想してしまうわたしは、年賀状の用紙の種類だと思ってしまった。売れ残った8600万枚は溶かして再利用するのだろうか。それに伴い発生する二酸化炭素の量が気になる。

2007年01月11日(木)  マタニティオレンジ58 フライングパンツ
2006年01月11日(水)  Salyuさんの『風に乗る船』
2003年01月11日(土)  おっと!ホットサンド
2002年01月11日(金)  親孝行


2008年01月10日(木)  マタニティオレンジ219 「かわいい」が聞きたくて

保育園のお迎えのとき、「たまちゃん、やっぱり女の子ですねえ」と保育士さんがしみじみと言った。一歳上の教室に遊びに行ったときのこと、そこの女の子が三角巾を頭に巻いたのを保育士さんが「かわいい」とほめた。それを見たたまは、三角巾を探し出し、自分も頭に巻こうとしたという。あれを巻けばかわいいと言ってもらえると思い、真似しようとしたのだ。かわいいという言葉に反応するところが女の子ねと保育士さんは感心していた。

「かわいい」がほめ言葉ってことはちゃんとわかっていて、どうしたら言ってもらえるか考える。一歳児にも乙女心はあるんだなあとしみじみする。それにしても、何やってたって「かわいい」と言われて、人生でいちばん「かわいい」を頂戴する一歳児(わたしだって一歳の頃は言われたはずだ!)でさえ「かわいい」と言わせる努力を惜しまないのだから、ぼさぼさ頭とのびのびトレーナーで開き直っている母も見習わなくては。三十路女にだって乙女心はある。いや、今やすっかり言われることがなくなったからこそ「かわいい」を聞きたい気持ちは一歳児に負けてないのだけど、三角巾かぶったって、「かわいい」とはならないのが悲しいところ。

2007年01月10日(水)  マタニティオレンジ57 鏡っ子たまちゃんとダスキンちゃん
2005年01月10日(月)  オペラシアターこんにゃく座『森は生きている』
2004年01月10日(土)  ラブリー「ニモ」!


2008年01月09日(水)  マタニティオレンジ218 ミキハウスの服

とても気に入って、洗濯しては着せている長袖がある。人からもよく「どこの服?」と聞かれるのだが、「ミキハウス」と答えると意外がられる。MIKIHOUSEがでかでかと主張するトレーナーのイメージを持っている人は、筆記体のm.h.の刺繍のさりげなさに驚く。お祝いでもミキハウスの服をいただいたが、どれもかわいくて丈夫。とくに、おさがりで回ってきたものを見ると、何度洗濯してもへたらない頼もしさがよくわかる。

学生時代、就職活動でミキハウスを受けていた。広告業界志望だったのに、なぜ受けたのか動機は覚えていない。ファッションに興味はあったけれど、ここの服がとくに好きというわけではなかった。軽い気持ちで資料請求したのだろうか。一回目の試験でMIKIHOUSEのロゴが入った缶ペンケースが配られた。二回目がバインダー、三回目が水着と試験を一段階上がるごとにお土産がいいものになった。バインダーは今でも使っているけれどペンケースと水着は誰かにあげたのだったか。「ミキハウスって、ええ会社やで」と母親に言ったら「そら、あんたらが将来お客さんになるんやから」と笑われた。

他にペンをもらったような記憶もあるのだが、三回か四回の試験を経て社長面接となった。大会議室のロの字に組んだテーブルを女子学生二十人ぐらいが取り囲み、ロのてっぺんに社長の木村氏が座り、二つ質問をした。一つは忘れたけれど、もう一つは「いま読んでいる雑誌」で、わたしは「公募ガイド」と答えた。木村社長はリアカーを引いて売り歩いた時代から育ててきた会社への思い入れを語った。その会社を一緒に育てる人材を見つけるために時間をかけ、心をこめて面接している、その誠意と情熱が伝わってきた。

社長面接で内定が出たのだったか結論は持ち越されたのだったか。百貨店に入っているお店で実習する機会があり、わたしも出るはずだったのだが、広告会社の試験日とぶつかってしまった。電話ではなく本社に出向いて断りを入れたのは、木村社長が「男子学生は犬のようで、内定を断るときも誠意を見せてくれる。だが、女子学生は猫のようで、興味がよそに移った途端冷たくなる」と言ったことを覚えていたからだった。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を練習する実習生の声が届くテーブルで採用担当の女性と向き合い、ここまで自分を選んでくれたことへの感謝と、でも自分はやっぱり広告をつくる仕事がしたいことを告げた。「自分が行きたい道へ進むのがいちばん」と女性は笑顔で送り出してくれ、大好きなままミキハウスという会社にさよならをした。

就職を決めた広告会社で配属されたチームは偶然にもミキハウスの広告を手がけていた。わたしのコピーは書いても書いても採用されず、プレゼン用のボード貼りを手伝ったり、撮影に使う小道具のケーキを注文したり、雑用ばかりだったけれど、うれしいつながりだった。それから十年あまり経って、母の予言通り、ミキハウスを贈ったり贈られたりする一人の母親になった。社長さん、お元気かな、と洗濯物を畳みながら思い出している。

2007年01月09日(火)  マタニティオレンジ56 男の人が歌う子守歌
2004年01月09日(金)  ヨシミン(井野上豊)
2002年01月09日(水)  見えなかったB


2008年01月08日(火)  整骨院のウキちゃん2 首都得意なんです編

熱は治まり、内側からえぐられるようだった腰の痛みも和らいだ。喉の痛みが若干出てきたけれど、食欲もあるし、気力も回復。小学校の頃によくできた「熱の花」(という呼び方は一般的だろうか)が鼻の下に出現。高熱が出ると水ぶくれのようなものが現れる。昔は家に「熱の花」とマジックで書いたチューブの塗り薬があったけれど、今は何を塗ればいいのか分からず、とりあえず放置しておく。

後に残った持病の腰痛が軽く感じるものの整骨院へ。12月28日に行ったきりで、一週間以上も間が空いてしまった。「痛みがひどいあまりに熱が出たのかと思ったら逆で、熱のせいで痛みが出てました」と昨日一昨日の悲惨な状況を報告すると、「炎症は体の弱っている部分を攻撃するんです」と今日の担当のウキちゃん。そういえば、以前ウキちゃんのことを日記に書いたのが好評で、続編を希望する声もあるので、「ウキちゃん最近面白いこと言いました?」と聞いたら、「あたし最近面白いこと言ってませんよ」と真面目に答える。本人が面白いことを言っている自覚がないところにウキちゃんの面白さがあるのだったと思い出し、同じ質問を院長にぶつけてみると、「首都の話は聞きました?」と院長。

ある日、「あたし、首都得意なんですよ」と院長に勝負を挑んできたウキちゃん。早速、オーストラリアの首都を「シドニー」と答えた院長を鼻で笑い、「キャンベラ」と勝ち誇ったが、「シドニーはアメリカっすよ」とつけ加え、首都以外は弱いことが露呈。さらに、「じゃあアメリカの首都はどこなんだよ」と院長がムキになると「ニューヨーク」と自信満々に答え、首都はさほど強くはない、とくにアメリカは大いに弱いことが明らかに。「首都と言えば、俺の友人、ブラジルの首都をアマゾンって答えたんだよね」と院長が言うと、ウキちゃんは多少自信なさそうに「サルサじゃないですか」。「サルサって何?」と院長に突っ込まれ、「っぽいかなって」。ウキちゃん、それは首都じゃなくてイメージでしょう。「そうそう、わたしの友だちで、タイの首都のバンコクをバンという国と勘違いしてる子がいて、バン国に入ってからタイに入るって言ってた」と会社時代の同僚デザイナーのエピソードを話したら、「え? タイの首都ってフィリピンじゃないんですか」。小学校時代は首都暗記のエースだったというウキちゃん、キャンベラを知っていることしかわからなかった。

2007年11月6日 整骨院のウキちゃん

2007年01月08日(月)  マタニティオレンジ55 ランドセルの紳士
2006年01月08日(日)  『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』放送
2003年01月08日(水)  ベトナム料理
2002年01月08日(火)  Georg Jensen


2008年01月07日(月)  両親元気で留守がいい

昨日からの熱が今朝は少し引いて38.4度。腰の痛みが激しく、陣痛を思い出す。陣痛のときに痛かった場所がハイライトされている感じ。熱が出た時の関節の痛みは歪みのある部分に集中するのだろうか。朝いちばんに娘のかかりつけの小児科で診てもらう。鼻に長い綿貌のようなものを突っ込んで待つこと約十分。インフルエンザではないとの判定が出てひと安心。とにかく腰が痛いと訴え、解熱鎮痛剤を処方してもらう。薬局に同じ保育園の親子がいて、「この子にうつされました」とお母さん。やはり親子でうつしあってしまうものなのか。今日一日娘のたまはダンナの実家で見てもらうことにした。

たったひと粒飲んだ薬が効いたのか、早い段階でしっかり休んだのが良かったのか、昼前に体調はぐんと良くなり、熱は一挙に6度台まで下がった。そういえば、たまが元旦の夜に熱を出し、夜中に「熱い!」とびっくりして、朝測ったら8度を超えていたのだけれど、その日のうちに平熱に戻った。子どもの体温は乱高下するなあと思ったのだが、わたしの体温も一日の間に3度近く変動したことになる。それにしても、お茶の温度が3度違ってもほとんど違いはわからないのに、人の体温は一度違うだけでも大違いなのは不思議。

昨夜眠っているときに家の電話が鳴ったことに気づいたのだけど、起きる気力がなくて放っておいたのが大阪の実家かもしれない、と思って電話した。新年始まって、まだ一度も話していない。ここ数年、両親は大阪の金剛山の山中にある旅館で年を越すのが習わしになっている。年越しコールをしそびれ、あっという間に一週間経っていた。電話してみると、昨日の電話は家からではなかったが、元気そのものの父が出て、母は遊びに出かけていると答えた。

今週は夫婦で沖縄へ行くと言う。「なんでか知ってる? 29800円やねん。飛行機代より安いやろ」と父。ピースボートの世界一周の旅はどうだったと聞くと「ハッピーアワーになると、ビールが半額の200円」という話ばかりする人だから、安いものには目がない。さらに月末には、今度は北へ飛んで札幌を訪ねるという。「これがな、偶然やねんけど29800円でな。会社は名鉄観光とJTBで別々やのに、通帳見たら、おんなじ値段やてびっくりしてなあ」ときわめて単純なことに無邪気に喜んでいる。格安ツアーを見ると「行かな損」という気持ちになり、思わず行ってしまうのだという。安いとはいえ二人で行くとなると結構な出費ではあるが、ちゃっかり元は取って帰ってくる。以前やはり格安ツアーで沖縄へ行ったときも「歌い放題で一晩500円のカラオケが良かった。しかもつまみもついてきた」「1000円の琉球グラスでつかみどりでようけ取れた」という話を夫婦でうれしそうにしていて、うちの両親は「元取り精神」という絆で結ばれているんだなあと感心したものだが、今回はどんなおトクな土産話を持ち帰ってくることやら。自分が体調を崩したこともあり、両親の健康が気になったのだけど、娘以上に若々しく過ごしているようで安心した。

2007年01月07日(日)  蓬莱の豚まん 日本一世界一551
2002年01月07日(月)  カレーライフ


2008年01月06日(日)  インフルエンザか?の発熱

朝から寒気と腰の痛みがひどくて、朝風呂をしてからパソコンに向かっていると、まだ寒い、痛い。昼風呂に入ってから熱を測ったら38.8度。驚いてダンナの実家に電話し、朝から預けていた娘のたまを夜まで預かってもらうことにし、布団をかぶって寝ることに。自分のあまりの熱さと背中から腰にかけての痛みで眠れない。「湯気の立つ家」を年始の目標に掲げた矢先に自分の体から湯気が立つことになろうとは。熱は9度を超え、夜になっても下がる気配を見せない。ネットで調べてみると「悪寒と関節痛があり、咳や鼻水が出ないのはインフルエンザの特長」とあり、まさに自分の症状にあてはまる。子どもにうつると重い後遺症が出る恐れがあるとも書いてある。うつらないとしても自分を構うのに精いっぱいで、とても子どもの面倒など見られないので、そのままダンナの実家に娘を泊めることになった。

「インフルエンザには乾燥は禁物」というくだりを見つけて、やはり加湿器を買っておくべきだったと反省。朝起きると喉が痛いと思う日が多く、加湿器がいるなと思っていたのだけれど。濡らしたバスタオルを窓辺に掛けておいたら、絞りが甘すぎて、ピちゃ、ピチャと一晩中雨漏りの音がした。

浅い眠りの中で、やりかけの仕事が次々と夢に出てくる。別々の作品のシチュエーションや登場人物がまじりあって気持ち悪い。夢は欲望の充足、昼間やり残して気になっていたことが現れるとはまさにこのこと。新年早々仕事に追われる夢を見るほどの余裕のなさが体に無理をさせていたのかもしれない。体からの危険信号を素直に受け止め、休むことに徹することにする。

2007年01月06日(土)  マタニティオレンジ54 いとこ対面
2004年01月06日(火)  引っ越したお隣さんと舞い込んだ鳥
2002年01月06日(日)  非戦


2008年01月05日(土)  2008年のわが家の目標:湯気の立つ家

元旦の朝、起きてきたダンナが言った。「何かあたたかい飲み物はないのか」。これから用意すると言ったわたしに、「常にこう、湯気の立つ家であってほしいんだな」。こうして「湯気の立つ家」が2008年のわが家の目標となった。

もともとわたしは毎朝カフェオレを飲むのだけれど、ダンナが起きだす頃には湯気の気配は消えている。ダンナが起きてくるのに合わせてやかんを火にかけ、ほらこれを見よと湯気を立てるようになった。ダンナはコーヒーを飲まないので、新年からはティーポットで二人分のお茶を入れている。いただきものの紅茶がたっぷりあるので、いろんなフレーバーを楽しめる。さらに、しばらく休んでいたパン作りを再開した。三日から三日連続焼いてみると、少しずつカンを取り戻して、うまく膨らむようになり、同じ分量の粉なのに出来上がりのパンの数がふえていく。三日は小麦粉:全粒粉を4:1ほどにし、四日はその逆の配合にし、五日は全粒粉の代わりにライ麦粉を混ぜた。焼きたてのパンからは湯気と一緒に香りが立ち上る。

わたしの好きなお茶やパンを用意すればもれなくついてくるものなので、「湯気の立つ家」は決して難しい目標ではない。あたたかくて穏やかな家庭の代名詞のようでもあり、これを心がければいい一年を送れそうな気がする。「埃の立たない家」というのもあるが、年始の誓いは否定形の入った引き算より前向きな足し算のほうがいい。「君は頭からはよく湯気を立てるけどね」とダンナ。そういう憎まれ口をたたかなきゃ湯気を立てないのに。

2007年01月05日(金)  佳夏のお墓参り
2005年01月05日(水)  英国旅行10日目 オクトパスと三越とママの会とフレンチ
2002年01月05日(土)  知ってるつもり


2008年01月04日(金)  マタニティオレンジ217 三枚目路線

保育園に新年初登園。暮れは29日が最終登園だったので、5日しか休んでいない。急性胃腸炎のときは6日休んだから、あっという間に感じた。娘のたまがいる0歳児クラスでは、今日登園したのはたま一人で、「保育士独り占め、お年玉ですね」と保育士さん。休みの間に変化はありましたかと聞かれ、「一緒に過ごす時間が長かったからか、よくしゃべるようになりました。意味はわかんないんですけど、ずーっとべらべら独り言を言ってます」と答えると、「流暢な喃(ナン)語ってやつですね」と的確なネーミング。たぶん、たまにとっては意味のあることをしゃべっていて、意味がわかったら楽しいだろうなあと思う。ちょうど外国語のような感じ。意味不明ながらも話しぶりに性格は現れる。たまのしゃべりっぷりを見ていると、わたしに負けない話好きである様子。株式の決算報告書

話すことが本当に楽しそうなので、話芸の道に進むのかもと将来を想像したりする。

携帯やリモコンや体温計を使った電話ごっこもお気に入り。「もしもし? 元気? たまちゃんに代わるね」と仮想の相手との電話をたまにつなぐと、べらべらとしゃべり、またわたしに受話器を戻す。話しながらちらちらとわたしの顔を見て反応をうかがったりもするのだが、「ふーん」と相槌を打ったり、「へええ」と感心したりすると、とても満足そう。とくに「ええっ」とのけぞると大喜びする。意味はわからなくても意思は通いあっている気がする。

親は子どもに喜ばれて道化になってみせるものだが、子どものほうも負けてなくて、たまは何かと笑わせてくれる。以前は偶然の失敗が微笑ましさを伴う笑いを誘っていたのだけれど、最近は自分から受けを狙っているのが見え見えのことをやる。年末の食事中に突然口と鼻の間にスプーンを挟んで「見て見て」と得意げな顔になったので、「保育園で覚えたのでしょうか」と連絡帳に書いたら「園では見たことがありません」の返事。自分であみ出したのだろうか。同じく食事中に椅子の上で立ち上がり、わたしをはらはらさせて喜ぶという悪趣味ないたずらもする。まともにとりあっては敵の思うつぼなので、あまり心配しないフリをするようにしたら、「これは受けないのだな」と悟ったのか、受け狙いではやらなくなった。

お笑いの基本といえば、かぶりもの。シーツやらブラウスやらワンピースやら、かぶれるものは何でもかぶる。靴下を狸の木の葉みたいに頭の上にちょこんとのっけたのにも笑ったが、クリアファイルをかぶったのを見たときは笑いが止まらなかった。あれをかぶるという発想をしたことがなかったけれど、かぶると頭のてっぺんがとんがり、左右に「たれ」が来て、頭巾のようになかなかサマになることを知った。そういえば、二辺が空いているあの形、耳まですっぽりの防寒帽にも似ている。

2007年01月04日(木)  マタニティオレンジ53 二世代同窓会
2005年01月04日(火)  英国旅行9日目 ティーとブラッセリーと中華とショコラ
2004年01月04日(日)  じゅうたんの花の物語
2002年01月04日(金)  ひだまりでウェイクアップネッド

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