隣の家に住んでいた幼なじみの寺岡佳夏が2004年春に亡くなって、間もなく三年。彼女が最期の数年を研究で過ごした地ベルリンには、四季の花が植わっているお墓があるが、故郷の大阪にも昨年春にご両親がお墓を建てた。子どもの頃によく遊びに行ったサイクルスポーツセンターのすぐ近く、金剛の山並みを望む高台に立つお墓には、ひまわりの絵が刻まれている。8月生まれの佳夏を太陽やひまわりに例える人は多い。豪快にお酒を飲んだ彼女が天国でも喉を潤せるように、気を利かせた誰かからお酒を差し入れしてある。よく見ると、花を活ける器もビアマグだ。一緒にお酒を飲む機会はあまりなくて、わたしには佳夏=酒豪のイメージはなかった。知らんかったわ、あんた、お酒強かってんなあ。
佳夏のことを日記に書いたのを見つけて、彼女と交流のあった人たちからときどき連絡が舞い込む。いずれも訃報を聞きつけて驚き、情報を求めているうちにわたしの日記にたどり着いた方々だった。自分の知る佳夏がいかに魅力的な人物で、自分に多大な影響を与えたかを、会ったこともないわたしに語り聞かせてくれたことも共通していた。日本一おしゃべりな幼なじみの佳夏には、出会った人をも多弁にしてしまう力があった。わたしには初めて聞くエピソード、わたしの知らない佳夏を教えられ、死んでしまってから出会い直すような不思議な感覚を味わった。「あんなにすばらしい女性に会ったことはない」と言う男性もいれば、「彼女に生きる力をもらった」と言う女性もいた。そんな佳夏と子ども時代にこれでもかというぐらい遊べたことを幸せに思いつつ、大人になってからをもっと知りたかったわ、お酒も一緒に飲みたかったわとひまわりの石に語りかける。
誰よりも生命力にあふれていた佳夏がわたしより先にいなくなることは、まったく予想外だった。それから二年して、佳夏と同じ夏生まれの女の子を授かることもまた想像していなかった。ほんま、子どもを抱いてあんたのお墓参りするとは思わんかったわ。相変わらず、佳夏が死んでしまったことに涙はこぼれない。涙のかわりに、ひまわりの石に桶いっぱいの水をかけた。
◆2004年6月20日 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと
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