■成人の日といえば1月15日だったけれど、ハッピーマンデーでそうとも限らなくなった。この3連休は成人式関係のニュースが目についたが、「何も起きなくてよかった」と主催者の市役所や区役所の担当者が心からほっとしたり涙をにじませたりしているのを見ると、なんとも不思議な気持ちになった。何か起きるからイベントなのだと思っていたけど、何も起きないことを祈られるイベントもあったのだなあと。主催者がワクワクしないイベントに出席者がワクワクすることがあるのだろうか。用意する側もされる側も乗り気ではないのに、義務や慣習のように毎年繰り返されている印象もなきにしもあらず。広告代理店やイベントプロデュース会社と組んで、「いいよなー、新成人は」とうらやましがられ、20才であることがプラチナチケットになるようなイベントにしてしまうのもありなのではと思う。さて、自分のときはどうだったかと振り返ると、会場の市民会館の前まで行き、ひさしぶりに会う同級生たちとの昔話に夢中になっているうちに式典は終わっていた。出席した子に「どうやった?」と聞くと、「忘れた」と感想が返ってきた。もらった記念品を見て、みんなで首をかしげた。新成人になってトクした気にはなれなかった。■新聞記事にも成人の日に寄せた記事が目立った。その中で光っていたのは、さだまさしさんのコメントに引用されていた、あるナヴァホインディアンの言葉。「わたしたちが今生きている大地は、先祖から譲り受けたものではなく、子孫から借り受けているもの」という趣旨。わずか数行に、気づきや反省や感謝や思いやりや想像を一瞬でうながしてくれる力があった。新成人にこの言葉を贈るさださんのセンスにも感心した。20才と百ン十か月になるわたしの心にも響くメッセージだった。
2002年01月13日(日) ごちそう