2007年02月03日(土)  映画『それでもボクはやってない』と監督インタビュー

Shall we ダンス?』以来11年ぶりの周防正行監督の最新作、『それでもボクはやってない』。劇場予告を観た第一印象は社交ダンスから一転、痴漢冤罪とは地味な題材だなあというものだった。「痴漢したでしょ」と主人公の袖をつかまえる女子中学生が『風の絨毯』でさくら役だった柳生みゆちゃんだとわかり、これは観なくちゃ、となったけど、ヒットはしないだろうなあと思った。観る人を選ぶ作品だろうなと。月刊シナリオ2月号の監督インタビューで「バカヒットさせたい」という言葉があったが、バカヒットは難しいだろうなあと思った。ところが、今朝9:30からの日比谷シャンテシネは、ほぼ満席。客席は中高年が目立ち、岩波ホールのような雰囲気。バカがつくかどうかわからないけど、ヒットしている。

混雑した通勤電車で、仕事の面接に向かうフリーターの青年が痴漢の疑いをかけられて駅員室に連れて行かれ、警察に引き渡され、罪を否認していると起訴され、裁判に巻き込まれる。青年の主張は終始一貫して「ボクはやってない」。だが、話せばわかってもらえるはずと思っているうちに、どんどん抜け出せない深みにはまっていく。やったことの証明よりも、やってないことの証明のほうが難しく、無実だからと言って、無罪になるとは限らない。逮捕者の有罪率は99.9%。無罪を出すことは警察が間違いを認めることになり、逮捕した以上は有罪だと決めてかかられる。有罪行きレールに乗せられた青年を丹念に追いかけながら、作品は日本の警察や検察や裁判の抱える問題点を次々と浮かび上がらせる。

周防監督は痴漢冤罪を取材しているうちに「これを作りたいじゃなくて、作らないと駄目だ」と使命感を覚えたらしい。そして、「とにかく現実に僕が見たことを伝えたい。そのためには、どう整理していったらいいか、それしか考えなかった」という。「とにかく映画的に演出の工夫をしようとか一切なく正直に撮ろう」という姿勢で小技や小細工を排し、「それで映画がつまらなくなるんだったらしょうがない」と開き直ったそうだが、結果的には大変面白い作品になった。でも、他人事だからのん気に見物できるのであり、自分が濡れ衣をかぶる立場だったら笑い事では済まされない。

グリコ森永事件の頃、大阪では大がかりな検問が行われ、キツネ目男に似ているというだけで疑いをかけられた人が多数いた。運悪くグリコや森永の製品を持ち合わせていた人は、とくにしつこく取調べられた。「十人の真犯人を逃すとも 一人の無辜をお罰するなかれ」という言葉が映画の冒頭に出てくるが、実際には、十人の真犯人をつかまえるために、間違って逮捕されてしまう人がいて、無実の証明に失敗すれば有罪の判決を受ける羽目になる。つい最近、服役まで終えた人が後から無実だと判明したという記事を読んだ。「家族は認めている」と取調べで言われ、否認しても無駄だと諦めて自白したらしいが、すっかり人間不信になってしまったのは無理もない。つかまえる側も裁く側も使命感と責任感を持って悪を正すことに取り組んでいるわけで、好きで無実の人を有罪にしているわけではない。けれど、有罪率99.9%は結果ではなく前提になってしまっている。それでも映画だったら奇跡を起こしたくなるものだが、ラストを甘くしなかったところに真実味があり、一件落着にしなかったことで観客に宿題を持ち帰らせるという余韻を残した。上映時間143分が全然長く感じられない。寝ているダンナに娘を頼んで出かけた甲斐があった。

帰宅してから月刊シナリオのインタビューを再読。2月号なのでもう書店には並んでいないかもしれないけれど、このインタビューは職人の心意気のようなものが伝わってきて、読み応えがある。「最終的には、僕のことなんかなんにも知らない観客が見る」から、人の話を聞く。「作る前に聞いて、そこで恥かいとかないと。作る前の恥は誰も知らない」「とにかく作る前に批判にさらされて、作ってからあまり批判されたくない」という真摯な姿勢がちゃんと作品の完成度に結びついている。

月刊シナリオには脚本も掲載されている。台詞のある登場人物は全員フルネームがついていて、みゆちゃん演じる中学生は古川俊子。『パコダテ人』のまもる父ちゃん、徳井優さんは留置係の西村青児役。徳井さんは『Shall we ダンス?』にも出演していて、その撮影をわたしは間近で見ている。ストリートダンスの映画だと勝手に勘違いしてエキストラに応募し、ダンス大会の観客席を埋める観衆の一人となって、「社交ダンスだったのか……」と呆然としながら、「あ、引越しのサカイの人だ」と徳井さんを見つけて喜んでいた。そのときは自分が映画の仕事に関わることになるとは思っていなかったし、映画脚本デビュー作に目の前の俳優さんが出演するとも思っていなかった。11年(撮影は公開より前だから12年か)も経つと、いろんなことが変わる。それだけの長い歳月を空けて渾身の一本を送り出したんだなあ、とあらためて恐れ入る。

2004年02月03日(火)  東北東に向かって食らえ!
2003年02月03日(月)  納豆汁・檜風呂・山葡萄ジュース・きりたんぽ
2002年02月03日(日)  教科書


2007年02月02日(金)  マタニティオレンジ70 子連れで江戸東京博物館

友人アサミちゃんを誘い、特別展「江戸城」(3/4まで)めあてに江戸東京博物館へ。ここはわたしの好きな場所のひとつで、心惹かれる特別展があると足を運んでいる。赤ちゃん連れでも大丈夫なのかなと事前に調べたら、授乳室があり、ベビーカー貸し出しもやっているというので、安心して出かけた。

平日の昼間だから空いているだろうと思ったら、江戸城展はベビーカーが割り込む隙間を見つけるのは一苦労な混み具合。休日よりはよっぽどましなのだろうけれど、人並みが途切れた瞬間を見計らって陳列棚の前に滑り込んだり、人垣越しに背伸びして見たり。信長や家康の残した文書を見ながら、「朱印状って習ったよね」「あったよねー朱印船」などと歴史の時間を懐かしむ。昨年一緒に観た『築城せよ。』を思い出して、「映画に出てたお城の設計図もこんな感じだったねえ」とも話す。昔の人の遺した手紙や日記や作られたものや使っていたものと数百年の時を経て対面するのは、不思議な気持ち。それらのものがあるということは、たしかに人が存在したということで、人はいなくなっても、ものはたしかに存在している。半分ぐらい見たところでたまが大声で泣き出してしまった。江戸ワールドに引き込まれている人々を現実に引き戻してしまっては申し訳ない。ベビーカーからたまを引っこ抜いて抱っこにし、アサミちゃんにベビーカーを押してもらう。それでもぐずるので、残り四分の一ぐらいは駆け足で通り過ぎる。一瞬見たお菓子(もちろん和菓子)の再現サンプルが迫力満点。横長の饅頭がオムレツのように大きかったのだけど、あれは原寸なのか展示用に拡大していたのか。

おむつ替えシートではなくベビーベッドが置いてある立派な授乳室で授乳とおむつ替えをして、たまのごきげんが持ち直してから常設展へ。こちらはベビーカーで回るスペース十分だったのだけど、たまはだっこのほうが良さそうなので、ベビーカーを返却。課外授業で来ている高校生の女の子たちが「かわいいー」と寄ってくる。中国語を話す女の子のグループも近づいてきて握手攻め。名前を覚えてもらって、別な場所で再会すると「たまちゃーん」と呼びかけられる。歴史の展示物の中に赤ちゃんがいると新鮮で面白いのかもしれない。

わたしもアサミちゃんもジオラマやミニチュアで再現された昔の暮らしや町並みを見るのが好きで、「よくできてるねえ」と感心しながら見て回る。昔の出産風景なんて展示は以前来たときもあったのだろうけれど、当時は関心がなかったせいか記憶に残っていない。産婆さんの膝に新生児を立てかけるようにして沐浴したのは、へそからばい菌が入らないようにするためだとか。期間限定の「北斎展」も面白かった。北斎は時期によって名前を変えながら作品を発表していたそう。最初は挿絵画家からスタートというのは現代のイラストレーターにも通じるものがある。

赤ちゃん連れは行動の自由度が低くなるけれど、アサミちゃんにつきあってもらったおかげで、かなりじっくり見て回ることができた。ママ仲間同士だとお互い様の気安さはある代わりに全員手がふさがっているという弱点がある。手の空いている道連れがいると、ぐずったときに「荷物持ってて」や「あれ取って」を頼めるので助かるのだった。博物館へ行く前の腹ごしらえのランチも、交替でだっこしながらしっかり完食。「両国のおいしい店」を検索して見つけた『自然食レストラン 元気亭』は、雰囲気も店員さんの感じも良く、カラダにやさしいメニューが充実していて、また行きたいお店。

2005年02月02日(水)  しましま映画『レーシング・ストライプス』
2003年02月02日(日)  十文字西中学校映画祭
2002年02月02日(土)  歩くとわかること


2007年02月01日(木)  マタニティオレンジ69 女性は子どもを産むキカイ?

厚生労働大臣が口にした「女性は子どもを産む機械」という発言が問題になっている。こういう言い方は昔からあったけれど、いまや当の大臣の専売特許のようになり、多方面から非難が集中している。最初ニュース音声で「女性は子どもを産むキカイ」と聞いたとき、「機会」という漢字が頭に浮かんだ。日本語としては不自然なのだけど、「女性は子どもを産む機会」って詩的な表現だなあと思ったら、「機械」のほうだった。機械という言葉は「人間」の反対語としてとらえられることが多いし、「女性を機械呼ばわりとは!」「女性の人間性を否定している!」と猛反発を食らっている。産む前だったらわたしも反射的にそう感じたかもしれないけれど、ちょうど半年前の出産のことを思い返しながら書き留めていて、女性の体に備わっている妊娠・出産という能力は実に精巧なメカニズムだなあと思っていたところ。「女性=機械」とイコールでは結べないけれど、そういう側面はあるということを生理的に理解できる。machineというよりはvehicleに近いかなあとは思う。手元の辞書でvehicleを引くと、「媒介物、伝達の手段(方法)、表現形式」とある。

「機械」というたとえを使ったのは話をわかりやすくするため、という釈明がされている。報道では問題発言の部分ばかり抜き出されているので、どういう文脈で使われたのかつかみかねるけれど、ちょっとした温度や湿度の差を嫌う精密機器以上にそれはとてもデリケートなもので、機能させるには環境の整備やサポート体制や設備投資が必要である、という趣旨での発言かどうかは疑問だ。女性を機械にたとえたことより、「機械が減っているから、一台あたりの生産量を上げるべき」と聞こえるくだりに、わたしは引っかかりを感じる。子どもの「生産量」が減っているのは「機械」の責任ではなく、少子化は「機械」だけが頑張って解決する問題ではない。マシーンは電源を入れスイッチをONにすれば作動するけれど、大臣のたとえる「機械」は言葉ひとつでダメージを受ける繊細さを備えている。そういう意味では配慮に欠ける発言だったと言わざるをえないけれど、「機械」という言葉尻だけをとらえて騒ぎ立てても何も産み出さないと思う。この表現の何が問題なのかが議論され、問題発言が問題提起のきっかけになることが、「子どもを産む機会」を行使しやすい国へ近づく一歩にならないだろうか。そんな期待を寄せながら事の成り行きを見守っている。

2004年02月01日(日)  東海テレビ『とうちゃんはエジソン』
2002年02月01日(金)  「なつかしの20世紀」タイムスリップグリコ


2007年01月31日(水)  マタニティオレンジ68 左手に赤ちゃん右手にナン

先週の水曜日、千駄木のインド料理屋で、左手に赤ちゃん右手にナンという無理のある体勢でカレーに挑む女性客の姿があった。それはわたしなのだが、周囲のテーブルからの「なんだか大変そうだね」「待ち合わせの人が来なくて一人なのかしら」という同情やら疑惑やらの混じった視線に「はい、わかってます、無理あります」と心の中で答え、「片手でナンをちぎるのって難しい」と発見したり、そんなわたしから目をそらさず微笑みかけるインド人の店員さんの懐の広さに感激したりしながら、ぐずり寸前の娘のたまをあやしつつランチセットを平らげた。なんとかカレーを服に飛び散らさずに済んだと思ったら、爪の間に入り込んだカレーを見落としていた。その手でたまを抱っこしたものだから、ベビー服には明らかに誤解を招きそうな黄色いシミが点々……。

そこまでして食べたくなったのは、その一週間前、五反田の路上でインドカレーのランチboxを売っているおじさんに出会ったからだった。すでにランチを買い込んで友人宅へ向かうところだったのだけど、どんなカレーだろうと気になったので「いつもやってるんですか」と話しかけたら、すぐ近くのアロラ・インド料理学院のカレーなのだと言ってお店のハガキをくれた。学院ではイートインもやっている(前日までの完全予約制 平日11:00〜14:30)と言う。むかし隣の家にインド人一家が住んでいたという話をしたら、名前も聞かずに「ワタシ、その人、知ってる」とおじさん。「いやいや、三十年も昔のことだし、大阪だし」と答えたのだけど、こういうやりとりもインドっぽいなあとうれしくなった。4才で本場の味に出会ってインドカレー歴はかれこれ三十余年。出産後はスパイスで母乳の味が悪くなるという説もあり、ほどほどに控えていたのだけど、おじさんのせいでにわかにインドカレー熱がぶり返した。五反田の友人と「じゃあ今度そこ行こうよ」と約束したものの、それまで我慢できずに千駄木でフライングカレーを食したのだった。

で、今日は待ちに待ったアロラカレー当日。大人三人+赤ちゃん二人(五か月児と一か月半児)という顔ぶれで、マンションの一室にあるアロラ料理学院へ。そのリビングがイートイン会場になっていて、お店というより知り合いのおうちにお邪魔したようなアットホームな雰囲気。電話で赤ちゃん連れと伝えておいたところ、ベッド代わりのソファを用意してくれていた。部屋も貸切で、いざとなったらここで授乳できるわと思ったのだけど、たまはぐずらず、抱っこせずに最後まで転がしておけた。じっくり味わうのに十分な舌滞在時間を確保でき、フライングカレーの雪辱を果たすことができた。カレー2種類(エビとココナッツ、ほうれん草とマトン)に里芋のサブジ、揚げ物2週類、ナンとライスとデザート(いちごのマンゴーソースがけ)とチャイまでインドを満喫。これで1000円。

食事が終わる頃、学院創設者で料理研究家のレヌ・アロラさん(『美味しんぼ』24巻の『カレー勝負』の回に登場しているそう)が現れ、「主人に聞きました。大阪でインドの方の隣に住んでいたとか?」と話しかけてきた。先日のおじさんと今日も路上で会ったので、「これから食べに行きますよ」と伝えたのだが、おじさんは二週間前に会ったわたしのことをちゃんと覚えていたのだ。すごい記憶力なのか、よっぽど印象深かったのか。そのおじさんがアロラ先生のダンナさんなのだった。隣に住んでいたインド人一家の長女の結婚式に出席するためにデリーへ行ったんですよ、と話す。三日連続の披露宴に出てインド料理を食べ続けたこと、歌や踊りをお祝いに贈るインド式にならって「さくらさくら」に合わせて盆踊りといういかがわしい日本芸能を披露したことなどをアロラ先生は大喜びで聞いてくれた。「日本でインド料理を教えて三十年。このような出会いがうれしくて続けています」と言われ、カレー食べに来ただけなのに、と恐縮。「今度来るときは、今日と違うメニューにします。サモサもおいしいです」とのことなので、近いうちにサモサ目当てに再訪したいと思う。

2005年01月31日(月)  婦人公論『あなたに親友はいますか』
2003年01月31日(金)  トップのシャツ着て職場の洗濯
2002年01月31日(木)  2002年1月のおきらくレシピ


2007年01月30日(火)  作り手の手の内、胸の内。

映画のDVDの特典にある制作者のコメンタリーを聴くのが好きだ。どんな思いでこの作品を作ったか、このシーンを撮ったか、作り手の思いを共有できると、作品がいっそう面白く愛しくなる。映画や演劇のパンフレットやチラシにある制作者の言葉を読むのも、同じ理由で好きだ。

先日ひさしぶりに舞台を観に行ったとき、移動中に読む本に選んだのが、劇作家の井上ひさしさんの『演劇ノート―エッセイの小径』だった。自身が戯曲を書いた舞台について、企画の背景や作品に込めた思い入れや苦労話などをテンポのいい文章で綴っていて、エッセイとして楽しめる上に、観ていないお芝居を垣間見つつ舞台裏までのぞかせてもらっている気持ちになれる。納得のいく本が上がらなければ初日をずれこませてしまうことで知られているが、「多方面に迷惑をかけるから間に合わせなければ」と「中途半端なものを出してはお客様に申し訳ない」の間で葛藤しながら、何とかして、どうだっというものを産みだそうとあがき苦しみ、頭を抱えたり抱えられたりしながら本を仕上げていく。その過程や事情をつつみ隠さず語っていて、この人はとても正直で真っ直ぐな人なのだろう。そして、自分はこういう意図でこの作品を作ったのだけれど、それがうまくいっているかどうか、決めるのはお客様だ、という姿勢が一貫している。幕が開くたびに審判を受ける思いで幕間から客席をうかがう。以前読んだアンデルセンの自伝にも、その緊張感と覚悟が書かれていた。作品を「世に出す」のではなく「世に問う」のだ、と作り手の意識のありようをあらためて示された思いがする。

作り手の舞台裏といえば、最近読んだ石田衣良さんの『てのひらの迷路』が大変面白かった。原稿用紙十枚という掌編の連載をまとめた短編集だが、各短編をどうやって発想したか、という手の内を明かした解説がそれぞれの掌編の前に収められている。作者のルックスとも相通ずるようにスマートで都会的にまとまった作品は単品でもおいしく味わえるのだけど、メイキング部分を読んでから本編に進むと、料理長の説明を聞いてから料理をいただくときのように、興味や親近感やありがたみがトッピングされて、いっそう味わい深い。私生活を下敷きにした掌編も多く、作者の手の内だけでなく人となりもうかがえる。あとがきで紹介された亡き母の苗字、石平からペンネームの由来を知った。

2002年01月30日(水)  ボケ


2007年01月29日(月)  マタニティオレンジ67 寝返り記念日

娘のたまが一か月成長するごとに毎月バースデーケーキを用意して、ささやかな誕生会を開いている。自分自身のことを振り返っても一才の誕生会でさえ覚えていないし、親がイベントほしさにやっているようなところはあるけれど、いつか、一年分12個のバースデーケーキの写真を眺めながら、たまが覚えていない誕生会のことを聞かせたいなあと思っている。

ご近所仲間と集まる掲示板で5/12才のケーキを披露したところ、「気になっていたんだけど、毎月お誕生日あるの?」という話題になり、「考えたら誕生日って別に年1回じゃなくてもいいですね。毎月でも毎週でも、思いついたら誕生日にしてもいいくらいですね」「思いついたら誕生日!というのはいいですね」といった声が寄せられた。記念日はたくさんあっていいと思う。誰にでも間違いなく新しい一日はめぐってくるけれど、同じように繰り返される毎日の中で、ブックマークしておきたい日が見つかるのは幸せなことだ。わたしは昔からサラダ記念日並みに何でも記念日にしてしまう傾向があったけれど、誕生日を毎月祝いたくなる子育て一年目の今は、毎日を記念日に指定しそうな勢い。今日は、たまが初めて寝返りをした日。

2006年01月29日(日)  空想組曲『白い部屋の嘘つきチェリー』
2003年01月29日(水)  清水厚さんと中島博孝さん
2002年01月29日(火)  年輪


2007年01月28日(日)  マタニティオレンジ66 贅沢なお産

遠い昔の出来事のようだけど、昨年5月30日に興味深いドラマを観た。日テレのドラマコンプレックス枠で放送された『贅沢なお産』。仕事が楽しくて子どもなんて考えてもなかった水野真紀演じる女性誌編集長がまさかの妊娠。動揺の後に「せっかくなら楽しまなきゃ」と自分らしいお産を求めるストーリー。「自分が妊娠しちゃった手前、おいしいことっていうアドバルーンでも上げてなきゃやってられないんでしょ」と部下が突っ込む台詞は、自分のことを言い当てられたようで身につまされた。当時はまだ妊娠7か月。数か月後に親バカ街道を疾走することになるとは予想もしていなかった。

出産ドキュメンタリーや最新の出産事情の紹介もからめ、情報番組としても使える上出来な番組だった。「タイムリーだわ」と一妊婦として喜んでいたけれど、「ネタ収集中の妊婦脚本家としては、先越された!じゃないのか?」と突っ込む心の声もあった。

ダンナの母も見ていたので、放送翌日に感想を語り合ったのだが、開口一番「やっぱりドラマねー」とダンナ母。「出産なんて、あんなに苦しまないわよ」と勝ち誇ったように言った。
わたし「ドキュメンタリーの出産シーンも、大変そうでしたけど」
ダンナ母「あれも大げさにやってるのよ。カメラの前だから」
わたし「そんな演技する余裕はないでしょう」
ダンナ母「とにかく、わたしはあんなに苦しまなかった」
わたし「あまりの痛みに、忘れちゃったんじゃないですか?」
ダンナ母「ううん、でも苦しまなかった」
とダンナ母はあくまでもドラマに対抗意識を燃やし、わたしは「どんなに難産でも、お義母さんにはラクショーでしたって報告しよう」と覚悟したのだった。

そんなこともあって、読みたいと思っていた原作の『贅沢なお産』をようやく読む。漫画家の桜沢エリカさん自身の出産記。「36才での出産」「妊娠までは仕事中心の昼夜逆転生活」「子どもはいつか欲しいけど今じゃなくていいと思っていた」などなど自分と重なる部分が多い。桜沢さんは聖路加病院、育良クリニックを経て自宅出産を選んだのだけど、わたしの場合、妊娠を知って最初にネットで見つけて「良さそう」と思ったものの距離的に断念したのが、アクティブバースを提唱する育良クリニックだった。続いて聖路加を検討したのだけど、出産した友人の話から「高くても食事は普通だった」と聞いて考え直し、「食事のおいしい産院」を調べたら、家からほど近い助産院に行き着いた。結果的には、ここの「お産は自然なこと、楽しむもの」という構え方が性に合った。

洋服と同じで、値段よりブランドより「しっくりくる」ことが産院選びにはとても大切だと思う。その辺の感覚を桜沢さんは上手にすくい取って表現している。自宅出産と助産院という違いはあるけれど、「分娩台に乗るより、力を出しやすい自然な体勢で産みたい」「じっくり話を聞いて向き合って欲しい」という主張にも大いに共感。大きな病院では一時間待って五分診察というところもあると聞くけれど、わたしが産んだ助産院ではその逆。診察のたびに自信と勇気をもらって出産がどんどん楽しみになったし、自分のやりたいように産ませてもらえた。産院の都合に合わせるのではなく、出産する妊婦の希望にとことんつきあってくれる。「しっくり感」が満たされることが「贅沢なお産」なんだなあと自分のお産を振り返りながら思った。

出産してから関連本を読むと、自分の体験を比較材料にできて面白い。最近他に読んだのは『知っておきたい子育てのウソ・ホント50―最新赤ちゃん学が教える子育ての新常識(小西行郎)』。育児に関しては人によって言うことが実にまちまちなので、占いやおみくじと同じく、いいとこどりさせてもらっている。子どもにいいとされるものは世の中にあふれ、早期教育を急ぐ親も多いけれど、「子どもがいちばん必要としているのは、あなた」という言葉に納得。その一方で「子育ては母親だけが背負うものではない」に力づけられ、「かぐや姫と同じく、一人前になったら子どもは世の中に返す」にふむふむと思う。

2006年01月28日(土)  映画関係者の『女正月』に初参加
2005年01月28日(金)  G-upプロデュース公演『ブレインズ』
2004年01月28日(水)  舞台『クレオパトラの鼻』(作・演出:上杉祥三)
2002年01月28日(月)  心意気


2007年01月27日(土)  マタニティオレンジ65 赤ちゃんの集客力

わが家は長年「客の寄りつかない家」だった。わたしが会社勤めしながら脚本を書いていたせいで、どうしても週末を執筆にあてなくてはならない事情もあり、客をもてなすどころかダンナの食事の支度さえもままならない。それ以前に家の片づけにも手が回らず、とても人をよべる状態ではなかった。それでも年に何人かは運良く(悪く)訪れる人があり、手料理らしきものを出したりしていたけれど、作り慣れてないのが見え見えのお粗末な出来栄えで、食べ始めた途端、皆が一斉に満腹を訴える有様。一度来た客は二度と戻って来ない、とさえ言われていた。

会社を辞めて週末に休む習慣ができてから、休眠状態だった家事機能が働くようになった。資料の雪崩がそのまま万年雪になっている床を片付けると、お客様が座れるぐらいのスペースはでき、おっかなびっくり飲み会などを開くようになった。それでも月にひと組ふた組来ればいいほうだったのだけど、昨夏に娘のたまが生まれてからは状況が一変。「赤ちゃん見せて」と週末ごとに誰かしらやって来る。普段親しくしている人もいれば、もう何年もやりとりしていない人もいて、新幹線や飛行機ではるばる来てくれる人までいる。定期的に人が来るので、部屋もそれなりに片付いた状態を保てるし、料理をする機会が増えたおかげでわたしの手際も少しずつ良くなってきた。こうなると「また来てね」の図式は作りやすく、わが家は「客の絶えない家」にめでたく昇格。赤ちゃんの集客力、おそるべし。

今日は会社時代のひとつ上の期のカワムラとワカが遊びに来てくれた。カワムラとは半年ぶりだけど、ワカとは5年ほど会っていない。たまが生まれてなかったら、会う機会を逃したままだったかもしれない。赤ちゃんは再会も運んできてくれる。

2005年01月27日(木)  石井万寿美さんとお茶
2004年01月27日(火)  映画『問題のない私たち』(脚本・監督:森岡利行)
2002年01月27日(日)  詩人


2007年01月26日(金)  ひと月遅れのクリスマスプレゼント

中学一年の夏休み、母に連れられた初めての海外旅行先は東西統一などまだ考えられなかった頃の東ドイツ。エルベ河を下る船の上で知り合った同い年の少女アンネットと住所を交換し、文通が始まった。切手も便箋も書かれている学校生活も、わたしが見知っているものとは違った。教科書にもほとんど載っていない国のことを手紙のたびに少しずつ知っていく興奮に夢中になった。外国の友達が一人いるだけで、目は自然と世界に向かって開かれる。アンネットのおかげで、わたしは櫃異様なものとして語学に親しむことができたし、日本とは違う生活や文化や人々をもっと知りたいという好奇心をかき立てられた。

「ペンフレンドは和製英語で、正しくは『ペンパル』です」と英語の時間に教わったが、ペンフレンドという言葉は今も生きている(死語ではない)のだろうか。地球の裏側へだって送信ボタンを押せばあっという間にメッセージを送れる時代になってしまたけれど、そんな便利さを知らない時代を知っていることを幸せに思う。いつ届くかわからないエアメールを心待ちにし、ポストにそれを見つけた瞬間「あった!」と小躍りし、ドキドキしながら封を開ける。あのときめきは、わたしの少女時代から青春時代のごちそうだった。

毎年12月の初めにドイツから届くプレゼントの小包で、クリスマスの季節が近づいてくるのを知る。だけど、去年は恒例の小包が来ないうちにクリスマスを過ぎ、年を越してしまった。毎年大いに遅刻するわたしからのプレゼントは年明けにドイツに到着したらしく、「ダンケ・シェーン」連発の礼状が届いたのだが、そこには「わたしからのプレゼントも届いた?」と綴られている。どうやらアンネットは例年通りプレゼントを発送していて、とっくにマサコに届いているはずなのに、礼を言って来ないのでおかしいぞと思っている様子。途中で荷物が迷子になったのだろうか、と心配になっていたら、今日到着。どこで寄り道していたんだろう。正月気分が抜けたと思ったらクリスマスが来たようで、これはこれでうれしい。包み紙をひとつずつ解き、プレゼントと対面。チョコレートやキャンドルにまじってベビー服がいろいろ。明るいピンクとイエローの色使いが楽しい。

出会った中学生の頃、互いが親になる頃までやりとりが続くなんて想像していなかったけれど、数えてみたら25回目のクリスマス、もう四半世紀が過ぎていたのだ。文通10周年のときにアンネットへの手紙という形で書いた作文が「夢の旅」を募集するコンクールで入賞した。その中でわたしはアンネットと互いの国を行き来する形で再会する夢を綴った。その後、わたしはドイツのアンネットを二度訪ねたけれど、アンネットはまだ日本に来たことがないので、夢は片道だけ実現したことになる。いつか日本への旅行を贈らなきゃ、とクリスマスプレゼントが届くたびに夢のもう片方を思い出す。

>>>いまいまさこカフェ言葉集 「再会旅行」

2006年01月26日(木)  李秀賢君を偲ぶ会と映画『あなたを忘れない』
2002年01月26日(土)  オヨヨ城


2007年01月25日(木)  ラジオドラマを作りましょう

自分のサイト(いまいまさこカフェ)を持っていて便利だなあと思うのは、わたしのことを見つけてもらいやすいこと。何年も連絡の取れなかった同級生、名刺交換したきりの映画関係者、パーティで盛り上がったきりの人などが名前で検索して探し出してくれる。会ったことない人のアンテナに引っかかって声をかけてもらうこともある。

昨年末、静岡の上村さんという方からメールをもらった。一時期わたしと同じ広告会社で働いていたことがあるが、面識はないという。会社にいたのもわたしが脚本家デビューする前だけど、宣伝会議賞という広告コピーの賞を取ったことを覚えていて、その後『ブレーン・ストーミング・ティーン』も読んでいる。さらに、今の会社でラジオ局に交通事故撲滅の標語を提案しようと思ってネット検索をしたら、はるか昔、学生時代のわたしが書いて入賞した標語(交通事故多発のため涙が不足しております。涙の節約にご協力してください)を見つけた。そういうわけで、今回ラジオ局にミニ枠ドラマを売り込もうと思い立ったときに「そういえば」と再度思い出し、連絡をくれたという次第だった。こういう「縁がありますねえ」という出会いは、いい形で作品につながる予感を秘めている。直接話したほうがいいですから東京へ行きますよと言ってくれ、今日会うことになった。

昨日はプロフィールをまとめたり、これまで手がけたラジオドラマをダビングしたり。こういうことやるのもひさぶりだなあと新鮮な気持ちになりながら、ちゃんと録音できているか確認しつつ、何年も前に書いた作品を聴く。じっと耳を傾けなくては取り残されてしまうラジオの時間は濃密で深く、ひとつひとつの言葉の浸透度が高い。ラジオに耳を澄ますことは心を澄ますことだと思う。脚本家デビューのきっかけになった『雪だるまの詩』を書いたのは98年だったっけ。主人公は三十才手前の若い夫婦で、夫は医療ミスによる後遺症で記憶の蓄積ができない。生まれた子どもの顔も覚えられないわけだから、夫は子どもを持つことを恐れる。この作品を書いたとき、わたしは結婚もしていなかったのだけど、夫もいて、子どもまでいる今あらためて聴くと、気丈に夫を支える妻の痛みがひりひりと伝わって、放送当時よりも涙を誘われた。「最初に書くものが、いちばん訴えたいもの」と言われたりするが、「生きるとは、出会った人の中に思い出を残すこと」というメッセージは、今もわたしが強く感じていることだ。

「昨日聴き返して、ラジオ書きたい気分が高まっているんですよ」「じゃあぜひやりましょう」と上村さんとの顔合わせは、アイデア出しに発展し、早速企画書をまとめて提案しましょうとなる。ラジオはNHKしかやったことがないけれど、民放の場合はスポンサーを探さなくてはならない。先は長いけれど、最初の一歩はいい感じ。こんな風に真っ白な状態で企画について好き勝手に言っているときは、いちばん気楽で楽しい。打ち合わせ場所は丸の内丸善のビルOAZO1階のタント・マリー。カマンベールチーズケーキ人気の火付け役になった店らしい。「フルムタンベール」というブルーチーズのチーズケーキを初めて食べたのだけど、これまた前途を祝福するような絶品だった。

2004年01月25日(日)  サンタさん17年ぶりの入浴
2002年01月25日(金)  絨毯に宿る伝統

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