私は神だ、という風変わりな老人に向かって、 その孫である男が、それではなんの神様ですか?と問うと、 選挙事務所の神様じゃ、と答える話。
マンガの話である。
私が気に入ったのは、男が、何の神様か?と訊ねたこと。
日本には八百万の神様がおられるのである。 神とは、そういうものだったのである。
けれども最近めっきり、この世に神様というのは、 絶対的な力をもつ一人しかいないと思われてしまっている。 そんな気がする。
そのほうが、宗教において-宗教法人において-、 君臨と平伏の構図を描きやすいからである。
そんな構図に嫌気がさしたものは信仰を自分から切り離し、 お好みの向きは、教祖を求めて彷徨う。
そしてどちらのケースも、日本人の心の安定を遠ざけているような気がする。祈りをなくするということも、特定の何か一つに服従的に祈りを捧げるということも。
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神様は色々な場所にいる。 水のあるところ、火のあるところ、子どものいるところ、商売をするところと、 きっちり管轄が決まっているのが、日本なのである。
寿司屋にだって「小僧の神様」がいるのだから。
2007年09月11日(火) 馬謖を斬れ 2006年09月11日(月) 他動詞との戦い 2005年09月11日(日) 生は希望 2004年09月11日(土) 死と悲嘆の必要性
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