山の家で栗を拾う。
栗というのは、紅葉が始まってから収穫しては遅いのだ、 ということに、恥ずかしながら今年気がついた。
今年はいつもの場所に、一番乗りである。 獣も人もまだ誰も手をつけていない。奇跡だ。
埃っぽい林道の落葉落枝の間に、ピカピカツヤツヤの実を見つける。 落果した際に、イガから外れたらしいのが、沢山転がっている。
虫食いの穴を検査するが、なし。無事合格である。 山のように、とれた。
ついでに鬼胡桃を拾い、土に埋める。 腐らせて種子を取り出すのは、来月か再来月である。
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栗や胡桃がここまで実を成熟させるまで、 自分は畑仕事のように汗をかいたわけでもなく、 ただ口をあけて時期を待っただけである。 つまりは栗の、子孫を残そうという努力の、上前をはねているわけである。
こういう不労所得は、何となく罪悪感がぬぐえないので、 山の神様でもしつらえて感謝とともに自己申告しよう、というのが 秋の祭りなんだろうか、とぼんやり考えながら山道を下りた。
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午後は大根の間引き菜の葉をざっと洗い、軒下に干す。 これが最高に美味い飯の友になる日を思い、うっとりする。 また、風呂に入れて身体の芯から温まる冬の日を思い、わくわくする。
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