浅間日記

2005年09月11日(日) 生は希望

甲府のN先生からFAX。
お礼の手紙に添えてカラヤンのCDを入れたつもりが、
私はどうやらY先生用のグールドのと間違えてしまったらしい。



「会場でかかっていた音楽はすぐに『おっ、グレングールド』とわかりました。私も好きです。

亡くなる直前に録ったブランデンブルグを聴くと、青空に向って歩んでいく彼の姿がうかびます。生(死も含まれた)は希望だと感じます。

彼は幸せだったんですね。どんなに他からみるとstrangeなライフスタイルでも…」



在宅ホスピス医として、死の現場に日々寄り添い続けるN先生へ、
日々のリラックスにと思い立ったお礼の品であるのに、
私は逆に、深くて暖かい言葉のギフトをもらってしまった。



生は希望。死もまた希望。
バッハもグールドももう居ないけれど、その音楽は今でも生き続けている。

存在が有限であるということは、こんなにも無限のものを生み出すことができるのだ。

2004年09月11日(土) 死と悲嘆の必要性


 < 過去   INDEX  未来 >


ipa [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加