甲府のN先生からFAX。 お礼の手紙に添えてカラヤンのCDを入れたつもりが、 私はどうやらY先生用のグールドのと間違えてしまったらしい。
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「会場でかかっていた音楽はすぐに『おっ、グレングールド』とわかりました。私も好きです。
亡くなる直前に録ったブランデンブルグを聴くと、青空に向って歩んでいく彼の姿がうかびます。生(死も含まれた)は希望だと感じます。
彼は幸せだったんですね。どんなに他からみるとstrangeなライフスタイルでも…」
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在宅ホスピス医として、死の現場に日々寄り添い続けるN先生へ、 日々のリラックスにと思い立ったお礼の品であるのに、 私は逆に、深くて暖かい言葉のギフトをもらってしまった。
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生は希望。死もまた希望。 バッハもグールドももう居ないけれど、その音楽は今でも生き続けている。
存在が有限であるということは、こんなにも無限のものを生み出すことができるのだ。
2004年09月11日(土) 死と悲嘆の必要性
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