浅間日記

2005年03月31日(木) メンテナンスフリーな子どもの親は誰か

昔の用便はどのようにしていたか、という子供向けの絵本。
ロール状のトイレットペーパーとそれ以前の単用紙の、
そのまた前はどうなっていたのか、そういえば知らなかった。

少し昔の話では、新聞を切って使ったらしい。
大変昔の話−地方によっては3・4世代ぐらい前−では、
稲藁や葉や竹を使っていたらしい。
稲藁や葉を採取したり竹を小割りにしたりと、
それなりの仕様に加工することは、大切な日常作業の一つだったと、その本には書かれている。

その中の記述に、子どもの世話に関する部分があって、
親は子どもが用足しをしている間に、硬い稲藁を
やわらかくほぐしてやったものでしたと書かれている。
子どもが用便する度に、やるのだそうだ。



小さい子どもの衣食住は、何もできないところから始まって少しずつ自立に向かう。
そしてこの過程に寄り添っていくのは、親の名誉ある仕事なのだ。
過干渉とか過保護とはちょっと違う。

父親や母親が、自分の日常が滞りなく進行していかれるように黙々と段取りをし、
細かい作業をし、自分にあてがってくれるのを見ることで、
根拠のはっきりした感謝や信頼の気持ちをもてるとすれば、
それは幸せな親子の姿だろうなと思う。

犬や猫だって、世話をやいてくれる人に信頼を寄せるから、
人間もおそらくそういうものだろうと思う。



現代の日常生活から面倒な世話や手間が失われていく中で、
あるいは、親の自己実現や社会参加とのせめぎあいの中で、
親が子どもに具体的な世話をするという機会が、圧倒的に失われている。

それに、大人でなければできない作業というものが、見渡せばほとんどない。
カメラというのは昔は複雑な操作が必要なものばかりで、
あれは完全に大人の道具だったけれど、今やどうだ。
車の運転だって、小学生高学年にもなればきっと物理的にはできる。
ゴーカートみたいな、そういう仕様を目指してきたのだから。

子どもに、大人を尊敬しろと言っても、現実が乖離していて理由がみつからない。
大人は大人で、子どもにしてやることがなく、自信を失いがちである。



育児業界では、メンテナンスフリーの子育てに向けて、
便利な道具やサービスを編み出してくれるけど、
「子どもに甲斐甲斐しく世話をやく」という親の特権を
手放しで市場に売り渡す必要はないだろうと思う。

2004年03月31日(水) 書を捨てよ街へ出よう



2005年03月30日(水) 緋寒桜

単身上京。満開の緋寒桜。
見ることができたのはいいタイミングだ。

思うところ色々あれども、失念。
新宿の地下道を都庁に向かいながら、
早く今の仕事が片付かないかなと思う。

2004年03月30日(火) 噴火と出産



2005年03月28日(月) 饒舌教育の効果はありや

本日も雨。朝からしっとりした山の空気に包まれる。

食育に関する座談会の記事に目を通す。
素晴らしい人が素晴らしいことを言っているのだけれど、
なぜか、この人達は恥ずかしくないんだろうか、などと
失礼なことを思ってしまう。

ぬぐいきれない恥ずかしさ滑稽さの源は、
食べるという本能的行為をわざわざ言葉で語るからなのだろうか。

どうも教育分野というのは饒舌に過ぎウィットにも欠け、私には恥ずかしい。
食べることや芸術文化を楽しむ場合には、言葉なんかいらない。
頭も使わなくていい。
むしろ言葉を呑み込まなければならない必要がある。

崩れてしまった食生活を正したければ、自分が黙って美味そうにこしらえて、
自分で美味そうに食べればいいんである。

「手本を見せる」というのは、物事を教える方法のいろはのいだが、
そういう視点が教育論にあまり感じられないので、恥ずかしいのかもしれない。
今のところそう思っている。

2004年03月28日(日) ボサノバの神様



2005年03月26日(土) 深夜仲間

HとAは、山の家へ行ってしまった。
一人、机に向かい仕事をする。

東京のMさんと何度も電話でやりとりし、
間違いなく朝まで続く協働作業の段取りをする。

孤独な試行錯誤と作業がずっと続いていたので、
受話器のむこうから聞こえてくるMさんの声が、何よりありがたい。
チームワークは能力を二倍にも三倍にもするし、
タフになることができる。

この仕事は随分と紆余曲折があって、色々と私を悩ませたけれど、
最後の最後に、Mさんに少し救われた。



2005年03月23日(水) 自分アーカイブ

机に向かい、夜鍋仕事。

Hが、一緒に行こうといって年末に用意してくれた新品のスキーも、
一度も使うことなく、開封さえすることなく、
とうとうシーズンは終わってしまいそうだ。
こういうのは、プレゼントした方としては、切ないだろうなと思う。

そんな反省を、Hに伝えるのは難しい。
自分に引け目がある、こういう時に限っては、
Hという存在が遠くはかなく、この春の闇みたいに心もとなくなってしまう。

だから言い訳がましく、この自分アーカイブに書き込むのである。

2004年03月23日(火) 頼むから静かにしてくれ



2005年03月22日(火) 彷徨えるカーナビ車

春の雨と秋の雨、どちらが情緒的か。などと考えながら、
仕事の手を休め、バーデン・パウエルのメランコリックなギターをBGMに、
窓の外にみえる、湿った山々を眺める。

連休中に、不思議な車をたくさん見た。
速度を落として走行しているかと思えば、突然スピードをあげたり、
交差点を曲がった直後にスピードを緩めたり。
スクレイピーの羊みたいに、おかしな動きをするんである。
そういう車を、幹線道路や家の周りの路地で見た。

このあたりは一応観光地でもあるので、休みの時には
県外ナンバー車が来ること、道に迷った車があることは、
特段めずらしくない。
でもこんなのは初めてだ。こんな変な動きは。



カーナビのせいだ、と気付いたのは連休最終日。
ナビ画面をみて走っているから、地図を手に歩く人のようになり、運転がおぼつかない。
最短距離で誘導されるから生活道路に入ってくる。
という推論に達した。

ETCもカーナビも長年の検証がされていない機械だ。
かつらや育毛剤と一緒で、20年50年使い続けると人間に何をもたらすのか
未だわからない。

カーナビそれ自体の性能は、勝手に進化するだろう。
でも、道路とカーナビ、車とカーナビ、歩行者とカーナビ、交通とカーナビ、土地利用とカーナビなどの相関関係については、
まったくのところ、現在は社会実験中で、しかも成り行き任せという気がしなくもない。

とにかく、ああいった予期できない新しい迷走パターンは、
前後の車や歩行者に危ないから、なんとかするべきだ。

2004年03月22日(月) 慕情先生



2005年03月21日(月) 我ら思う、故に価値あり

本に出てくる虫眼鏡というものが欲しい、とAが言うので、
それでは、どこかで買わねばなるまいと思っていた。

戯れにダンボールを虫眼鏡型にくり貫いて与えたら、
手に入った!これが欲しかった!と言って、嬌声をあげて喜んでいる。
ちゃちな厚紙を大事そうに肌身離さず持ち歩き、色々覗いて観察している。
この人は、欲しかったものはもう手に入ったと、完全にそのように認識している。

人々が手に入れようとしているものが、本物かどうかは、自分の満足度と相対する、
そんなことが結構あるのかもしれない。
金や株というものも、みんながそれで満足しているから価値が成り立つのだ。



現代社会はそれを軸に完璧に確立されているから、資産というのは重要は重要なのである。
でも金というのはそれ自体に意味はないものだから、この価値は
「絶対に覚めることができない集団幻覚の中にいるが故」ということを覚えていたほうが、人生得をする。

そこに金銭的価値や社会的価値はなくても、好きなものは好き。大切なものは大切。
物知らずとか馬鹿みたいと言われたっていい。
そういうものを、いくつか持って大事にしていかれたらきっと、
自分の人生の後半は楽しいだろうなあ、と思うのである。



2005年03月20日(日) 洋風佃煮

続く暖かい日。

皮を使える夏みかんが手に入ったので、ママレードをつくる。
水に漬けて、一晩たった皮5個分を、細かく切る。
少し苦味もほしいので、白いところも全部使う。

山盛りの皮を、水を替えて2回茹でこぼし、
蜂蜜と粗糖を入れて、果肉も少し入れて、煮詰める。
Aが味見味見とスプンを差し出すので、小皿にけちけちと入れる。

次第に粘性をましていく鍋の中味は、まるで佃煮だ。
ジャムとはまさに西洋風佃煮だったのか、と、1人感じ入る。

出来上がりの、瑞々しいオレンジ色のビン6本を、並べて楽しむ。
これを最も美味しく味わえるのは、パンケーキかクレープか。
それとも気に入りの店の食パンで作る、かりっとしたトーストか。

次は早々に苺に着手しなければならない。



2005年03月19日(土)

一日中、Aと二人で過ごす。

暖かい春の日。家で雑事。
長い廊下を、Aが走りまわっている。
ととととの音が二階にいて聞こえる。

子どもの足音には、家の中を幸せにする不思議な力がある。




2005年03月18日(金) 木の芽時のヒューマンエラー

単身上京。

背後で流れるテレビのニュースを聞きながらPCに向かう。

日本航空の度重なるミスに対し、国土交通省がついに改善命令を出した。
踏み切りの事故とともに、人為ミスによる危険が街中にあふれている。

それにしても、何故に「お空の業界」というのは、このようなヒューマンエラーが多いのだろうか。

春先というのは、ぼんやりするものである。身体だって緩む。
花粉症であるとないに関わらず。人間も動物だから、そうなるのである。
だからこそ、ぼんやりが許されない業界の人々は、
そういう季節感をきちんと認識しておいたほうがいい。
そうでない業界の人は、こういう季節に身を任せる喜びと、
現実世界のやり過ごし方を工夫すればよい。



子どものうつ病が増えている、というテレビのニュース。
リラックス法を学校で教えています、と言う映像をみて、笑ってしまった。
その方法というのは、二人一組になり座った人の肩をタッチングするという感じなのだけれど、
男子生徒は、詰襟を着ている。
詰襟なんて着たまま肩を撫で回されても、リラックスできるわけがない。
まるで「まずこの鎧のような服をやめなくてはだめだ」、
と訴えるための映像に仕上がっている。

先生も、借りてきた猫のように頼りない感じで指導している。
教師自身も大変なストレスを抱える時代に、ご苦労様なことである。





2005年03月17日(木) 3月の水

隣の家の軒先の、梅がちらほら開き始めた。無理もない、この暖かさだ。

「3月の水」という曲は南半球でつくられたから本当は秋の初めの頃を歌っているのだけれど、
日本で春に聞くのも、悪くないのである。

長い厳しい冬があけて、雪解け水が流れ、
春の生き物達が動き出そうとする時の躍動感と喜びにぴったりとくる。

いつかきっと、3月のブラジルで聴いてみたいと思う。



2005年03月16日(水) 性と生殖に関する口角泡

文部科学省が、行き過ぎていると指摘がある学校での性教育について、
全国で実態調査を行うという発表。

性教育のあり方について、参加しているあるMLでの議論が沸騰寸前になっていた。
ご法度の、中傷すれすれの場面で、管理者から待ったがかかった。



不思議だと思うのは、性教育の是非を論じる場合の、この過激な様だ。
この話をする人は、絶対に、一様に、その論旨と関係なく、他者の意見を受け入れない。
「世の中の子ども達のセックスについて、自分色に染め上げなければならない」
という強迫観念が強すぎて、それが裏目にでている。

子どもへ祈りを込める姿勢が感じられないから、
この人達は子どもが大切なのではなくて、自分の主張が大切なんだなと思う。

だから私は、そんなに大人の思うようにはならないよと、意地悪く思う。




性や生殖というのは、かなり個人の深層の世界に属するものだ。
だから子ども達は、門前の小僧の要領で色々な情報をかき集め、
社会の中がどうなっているのか、父や母はどう思っているのかを薄目でみながら、
密やかにその概念を自分の世界に取り込む。無意識かもしれない。
それが、大人になるということだ。人生の素晴らしい一幕でもある。

そういう個人の深い世界まで関わるつもりもなしに、性のあり方を
指南するのは難しい。

自分達の行動規範について大人たちがイライラと議論すれば、
それだけで子どもは息苦しいだろうから大変だ。

呑気なことを言うなと怒られそうであるが。



2005年03月14日(月) 札のかけかた

寒気が入った週末。
冷たい足元をさすりながらPCに向う。



一昨日の記事で記しておきたいことが残っていたのだった。
都市住民のうち定期的に農山漁村に滞在する「二地域居住人口」が、
2030年には1000万人になるだろう、という、国土交通省の推計データ。
この推計結果は、国土形成計画にも反映されるのらしい。

このデータでは都市住民を基点に推計値をだしているけれど、
これは逆の方が断然楽しい暮らしになる。
つまり田舎で暮らして、都会に定期的に滞在するのだ。

出かける場所と帰る場所の札を、都市と農山漁村のどちらに下げるかは、
結局はライフスタイルの好みの問題だけれど、
少なくとも今の私にとって東京という街は、表面的には、
帰る場所というより出かける場所−それも仕事に−というほうが、
ぴったりくるようになってしまった。

生まれ育った場所として帰るところは、記憶の中ばかりである。

2004年03月14日(日) 春風とジャムの一滴



2005年03月13日(日) 24時間営業・徒歩10秒の未来

寒い朝。手袋なしで朝の散歩に出たAは、早々と根を上げていた。

平成16年度の文部科学白書が公表される。
「生きる力を支える心と体」と題した特集が組まれているらしい。

・体格の向上とは裏腹の体力の低下、
・自然や社会とかかわる機会の現象、
・栄養摂取の偏りなど基本的生活習慣が身についていない

などが、問題点として指摘されている。全くそのとおりだ。
そして同時に、この問題は、大人にもまったく同じことが言えるのである。



24時間365日のサービスは今や標準だし、
駅から近くて歩かないことがよい立地である。
傾斜という傾斜、階段という階段には、昇降機がしつらえられる。

味覚を研ぎすます必要のない、甘くて刺激的なジャンク・フードは、コイン一つで買える。
包丁とまな板が嫌いなら、食べ物はデパートの地下にいくらでも埋まっている。
人々が腹を空かす隙を、市場は1秒だって与えない。

日本人は世界で一番眠らない国民と昨今の調査結果にあるように、
幼い子どもも深夜の1時2時に飲食店やコンビニに連れまわされる。
ネットの世界は、いつも誰かが起きていて集まれる仕組みができている。



資本というのは、そうなるように流れている。
消費者に忍耐や試練を提供することで収益を得る事業というのは、
おかしな宗教か色物産業ぐらいで、普通は成り立たないからだ。

楽をして好きなように暮らす、そういう世界に囲い込むことで、
子どもと大人の生命力を奪って増幅している。
アメリカという国がお手本である。まさに「ロジャー&ミー」の世界だ。



白書で指摘した課題は、子どもの育ちを資本の論理から守るという、
重たいハードルを内包していることに、
どうも当の本人である文部科学省は気付いていないのではないか、という気がする。

本気で実現したければ、経済産業省とケンカしなくてはならない。
繰り返していうと、
経済産業省を敵にまわさなくては、教育の課題はいつまでもこのままか、もっとひどいことになる。

文部科学省は、そこまでの覚悟があって書いたのだろうか。
そうあってほしいけれど、多分違うだろうなあと思う。

まあとりあえず、このように白書で明文化したことは、決して悪くはない。



2005年03月12日(土) 人徳ミラーサイト

苦手な作業の一つに、関係者のコンセンサスを得る、というのがある。
だから本当は、今やっているこんな仕事は向いていないのかもしれない。

やりたいことを好きなようにやらせてもらえる、という
限られた環境でしか作動しない、古いパソコンのように不便な人間で、
まったく困ることしきりだ。

そんな性根だから、思ったことがちゃんと開花しない。
人に正しく頼ったり頭を下げたり礼をつくしたりできない人は、
絶対に一回の人生でできることの可能性を、半分以下にしている。
人の賛同や協力を得られるかどうかは、
人生のミラーサイトを持てるかどうか、という重大問題だ。



しかし、私は今を時めく堀江氏ではないので
食い散らかすように世間と関わることはできないし、
かといって社会との接点を持たずに生きるということも無理のようだ。
これは訓練せざるを得ない。

「社会の中での合意形成」など、
毎日どこに散歩に行くか決める保育園の子どもだって、
−もちろんあの人たちのは、ささやかな集団ではあるけれど−
結構上手にやっているのだから、頑張ればできるはず、
などと、深夜仕事をしながら自分をはげます。

2004年03月12日(金) バスクチーズ



2005年03月10日(木) 完熟産業

食料・農業・農村政策審議会が答申した、農政の基本計画の記事。

優良農家を重点支援しようという見直しの方向から、
小規模農家や兼業農家を切り捨てるものだ、という反論もある。

自己改革できる農家、しない農家の区別は必要だ。
どちらの道に行くにせよ、「私はこちらの道をすすみます」という
農業従事者の自己宣言が必要な時代がきた、ということだ。


百姓=素朴で善良、という信頼の図式は、消費者の幻想だ。

農薬のビンや肥料の袋を畑に投げ捨ててあるような、ひどい農家もある。
今だに、使用済みのビニールハウスやなんかを、平気で畑で焼いたりしている。
数年前には農薬の管理がまったくずさんであることが露呈して問題になり、
その結果、農薬取締法には使用者の義務というのが付け加えられた。
夏に高原野菜で有名なK村へ行くと、農薬散布であたり一面白く煙っている。




その一方で、安全で美味しい農産物を創りたい、供給したいという
熱意のある農家は、すごい勢いで広がり、消費者からも支持されている。
自負をもって作るから、情報発信や消費者とのコミュニケーションにも積極的であり、
こうしたなかから消費者も繁忙期は手伝うという意味の
「援農」という概念もうまれつつある。
わかりにくかった市場も、少しずつ整理されてきている。



状況は完全に二極分化している。
農家というパフォーマーがその使命と責任と努力を忘れ拝金主義に堕落したのは、私は
JAというプロモーション事務所と、政治家の責任だと思っている。
そしてこれを正常にもどせるのは、消費者の声だけだ、とも思う。

2004年03月10日(水) 聖トーマス教会受難、そして光



2005年03月09日(水) 60年前の子どもは

夜半に目が冴えて眠れず、枕元にラジオを引き寄せ、聴く。
先週のことである。

東京大空襲から60年です、という話が、深夜にひっそり流れていた。
学童疎開にまつわる投書を読み上げている。

集団学童疎開というのは、かいつまんでいうと、
第二次世界大戦中に防空の足手まといをなくすこと、
若い生命を次の戦力として培養することを主な目的として行われた政策である。
全国の17の都市に住む小学1年生から6年生の子ども達は、
「強力な推奨の元慌ただしく」親元から離され、地方の寺や旅館で暮らした。
疎開先が三度も四度も変わり、日本の北から南まで移動することもあった。
慣れない土地での寂しい子ども集団の生活は、陰湿ないじめなどもうまれ、
疎開先で命を落とす子どもも多くあった。



「一人っ子で甘えん坊のS子ちゃんが、どうしてもお母さんに会いたいといって、
疎開先から一日だけ家に帰ったその日に空襲がありました。
S子ちゃんはついに帰ってきませんでした」

「他の子の親が迎えに来ても、私のところにはいつまでたっても
お父さんもお母さんも来ませんでした。
先生がある日、四葉のクローバーを探しに行こうといって山へでかけ、
一つだけ見つけました。先生は「あなたはこれで絶対に幸せになれるわ」と
いって泣きながら私を抱きしめてくれました。両親や兄弟すべて死んだ、と
いうことはその後で聞きました」

ラジオのむこう側から、超ヘビーな話が流れてくる。まったく超ヘビーだ。
番組リスナーである市井の人が、「そうそう私も」という感じで
こんな物語を送ってよこす。そのことが何よりヘビーだ。
夜更けの静けさの中で、何かを越えて、私の中にも悲しみが押し寄せる。



この「学童疎開」世代は、戦争の実体験を語ることが出来る最後の人たちだ。
この人たちが「当時子どもであった」ということは、他の戦争体験世代とは
圧倒的に違う、重要な意味をもっていると私は思う。

大人というのは社会や自分史を取り繕う。戦争の大義や英霊などと言ってしまう。
子どもの心に残るのは、怖かった、寂しかった、悲しかった、
それだけだから余計な嘘がない。

大人になり、社会的な背景を知り、言葉をもっても、その時の思いは
変わらずもち続けることができる。幼少時の体験というのはそういうものだ。

見た目はおじいさんおばあさんかもしれないけれど、
実態は坊主頭とおかっぱ髪の子どもによる証言なのである。
戦争を生き延び、その後の時間で築き上げた社会経験や学歴職歴やなんかを
すっぱり飛び越え、一人の子どもとして語っている。

だから年配の人の話を後輩として聴く、というよりは、
虐待された子どもや登校拒否の子どもの叫びを聴くような気持ちで
耳を傾けることが適切なように思う。

そしてこの人たちは、特に今子どもでいる人たちに向って伝えたいという。
子どもの心のまま、本当にあれは怖くて寂しくて嫌だよ、と。
教育とか指導という高邁なものじゃなく、
子どもから子どもだけに伝わる特殊信号で、
秘密裏に「あのこと」を話しておきたい、という感じだろうか。


江戸東京博物館に行くと、13日まで学童疎開展をやっているらしい。


2004年03月09日(火) テハヌー



2005年03月08日(火)

暖かい春の日が来た。
一足先にその力強さと長さを取り戻した日照に、
やっと足並みをそろえるように。

産湯につかっているような心地よさを一日中感じながら、
山ひとつこえた隣の街まで、所用で出かける。
動きを止めていた自分のパワーが、
再び一速から二速へとシフトされていく。



2005年03月06日(日) 下山道

Hも私も、確定申告の時期である。

二人で諸々の書類や領収証やらを整理する。
コーヒーを淹れて、休憩しながらとりとめのない話をする。



もう一生、標高1500m以下に下りてこないでほしいと数日前に悪態をついたこの男が、
この幾日かはホスピタリティの権化と化し、私の不機嫌をおさめるため全力を尽くしていたことぐらい、
押し黙り続けていた私にだって、さすがにわかっていた。

なにしろ悪天候でむやみに動くことの愚を熟知しているこの男は、
言いたいこともあるけれどとりあえずここは平身低頭で嵐が去るのを待つ、
という姿勢をつら抜いている。
ちょっと卑怯なのである。



こんなにされては、山から下りてこないのは私の方みたいではないか。
怒りの山頂の、息苦しい高所にいて、
女友達相手にああだこうだと叫んでは、返ってくる自分のコダマを確認したりしている。

麓までやってきて「下山道はここだよ」と煌々と照らされ、
話し合いが必要な、事の本質を留保してホイホイと下りてしまうのは、
多分女の浅知恵なのだろう。
わかっているが、なにしろ馬鹿馬鹿しいほど照らすものだから、仕方がない。

それに、もうこの人は私にそういう面倒はやらないかな、とも思っていたので、
そのことも少し嬉しい。

2004年03月06日(土) 家畜人ヤプーである状態



2005年03月05日(土) 世界の常識、日米の非常識

アメリカ産牛肉の輸入規制をめぐる色々な発言。

嫌だ、いらないといっているのに押しかけてくるという力関係は、
化学物質の使用規制に関する昨今の動向と対照的だ。
とても、同じ国際間のやりとりとは思えない。

化学物質の規制やリサイクルに関しては、EUによる
「RoHS指令」とか「REACH規則」とか「WEEE指令」というものがある。
この「指令」とか「規則」というのが肝である。

EU各国間でばらつきの多い環境規制をなんとかするために始めたそうだが、
「EU内で商売したければ、こういうものしか受け入れませんよ。
出荷のときにはちゃんとそれを証明してくださいね」と、
はっきり明文化している。いわば、製品仕様書なのである。

日本では国際企業が、ある日突然これを宣告される。
RoHS指令などでは、これまで作っていたものは2006年以降はダメですと
はっきりいわれているようなものであり、
まず現在の製品に使われている有害物質を材料レベルできちんと把握し、
さらに新素材を開発し、製品を開発し、製造ラインや管理体制を組まなければならない。
ものすごく面倒なことが、突然要求される。

だからといって世界の非常識とか言っていたら、もうEUで商売できないのである。
しかしキャノンなどの優秀な企業は、あっという間にその条件をクリアする。

こういう現実が動いているのに、
なぜあんな大国で牛の管理ひとつできないのだろうか、と不思議で仕方がない。
もうアメリカの牛の管理は、日本の企業に外注するとか、
JICAの途上国支援プログラムでも適用したらどうかと思うのである。



もう少し書くと、日本では、いいかげんにEUに追随するだけでなく
国際間での新しいルールや規格づくりに積極的に参画しなくてはいけない、
という動きもある。
世界の非常識は国際社会のトップランナーによってつくられる、
ということは、もはや世界の常識なのである。

なぜ日米間だけ、市場のルールや消費者のニーズを無視して
政治家達であれほどねっとりするのか。
気持ちが悪いんである。

2004年03月05日(金) 



2005年03月04日(金) 大人の時間

三寒四温で、東日本は雪である。

東京の降り始めは予報より少し遅れたらしく、
昼過ぎまで、だらだらという感じで、湿った雪が降っていた。
もどったら雪かきか、と思いつつ、夜行列車で信州への家路をたどる。



中村勘九郎さんが勘三郎を襲名したというニュース。
学生時代に祖母と歌舞伎座を数回ひやかした程度なのでよくは知らないが、
まだ先代も存命だったし、歌右衛門も元気だった。
この間暴力事件をおこした息子の七の助は3歳かそこらで、
「外郎売り」で口上をやって、中年女性の客をかわいいと喜ばせていた。
確か客席にも外郎が振舞われた。

歌舞伎役者がまだあまりタレント然としていない頃で、
勘九郎さんも中村屋の中堅という感じだった。
「棒縛り」−これは狂言のほうが有名かもしれないけど−、が
すごくよかったのを覚えている。

しかし歌舞伎についてはそのぐらいで、
祖母と歌舞伎を見に行く、ということが当時私には大切なのであった。
成長してからこの人と大人の遊びを共有する、ということに意味があった。
雪の日に思い出すのにふさわしい、思い出である。



歌舞伎鑑賞というのは、江戸時代では一月とか長い時間をかけて
企画するイベントだったそうである。
観賞用の着物をしつらえるとか、料理屋に泊り込んで見るとか。

温泉の湯治なんかもそうだけれど、一月とか半年というタームを、
現代の生活時間に組み込むことは難しい。特に遊びにおいては。
せいぜい短期バイトの契約期間ぐらいだ。

しかし実はこのぐらいの単位を意識して日々の生活を組み立てると、
間延びもなく、追い立てられることもなく、結構便利なのではと思っている。

2004年03月04日(木) 国民給餌法



2005年03月03日(木) 低俗の海へ

単身上京。

車中で、とある本を読む。
ちょっと書けないほどの、一見かなり低俗な本を読む。

大切なことを低俗な言葉で低俗に伝えなければ、
それも通常のレンジを振り切るような低俗さで伝えなければ、
まっすぐ心に伝わらないシチュエーションというのもある。

「人生でいちばん大事なことは、大切な人をみつけることです…大切な人ができたら、その人より1日、1時間でも長く生きなければなりません」
「生まれることと死ぬことは、人は自分では決められません。決めてはいけないのです。」

無粋な私は、すぐに低俗の装飾を剥いでしまい、
本当に伝えたいのは、最後のここの部分なんでしょ、と決め付けてしまう。
まったく無粋である。

嘘と偽善で汚染された世間という海に入り、底の底まで潜っていって、
笑いとユーモアという熱水鉱床でわずかに生き残る「未来への希望」という微生物をすくい上げる作業、
というのはいささか褒めすぎかもしれないけれど。

2004年03月03日(水) 寒の戻り



2005年03月02日(水) 危険4点セット

「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告。

「日本の絶対隔離政策で、科学的な根拠が示されたことは最初から最後までなかった」、
と始まるこの検証結果の報告書には、冷静に真実を検証しようという作業の結果が現れている。

国や医療従事者などの責任は明確に記しつつも、誰か一人をスケープゴートにしてお手軽に解決しようとしない、秀逸なレポートだ。
再びこのようなことを起こさないように、今まだ続く被害を救済するために、という熱意と悲願が伝わる。

最終報告書に記された検証結果のうち、特に私がまったく忌むべき事実と感じ、またこの漠とした遠因をよくぞ分析し文書にしてくれたものだ、と感心するのは次の4点。

一.新憲法の「文化国家」「福祉国家」の理念と、国立療養所への全患者収容の考えが結び付けられた結果、入所者らは基本的人権の享有者ではなく「新しく明るい日本」「健康の日本、無病の日本」の犠牲者となった。

一.戦後は保健所が地域からハンセン病患者をなくす「無らい県運動」の第一線機関であったため、運動のすそ野は医師や保健婦をはじめとして著しく広がり、これらの「善意」が戦前の衛生警察の権威以上に全患者収容に威力を発揮した。

一.ハンセン病も精神疾患対策も、諸外国に対する体面から始められた点で
共通している。隔離収容は国民の偏見を固定化し、差別を助長した。

一.報道記者の多くはハンセン病問題に不勉強で、療養所に足を踏み入れることもなかった。
報道が気付かなかったということは、社会的に問題が抹殺されたも同然だった。


この四点セットには、日本人が陥りやすい危険なポイントが、明確に現れている。

科学的事実というものがガリレオの時代のように置き去りにされる弱々しさも、マス・コミュニケーションの脆弱性も、結局のところ、社会を客観的に見るために必要な個の自立が成されていないせいだ、と感じる。

そういう傾向というか特質は、減速するどころかむしろ最近では
ますます加速の方向にあって、とても危ないなあと、思うのである。



個の自立ということについては未だ考察しなければいけないことが沢山あるような気がするのだけれど、今日のところは自戒の意味を込めて、ここまでを記録しておこうと思う。

2004年03月02日(火) 保育士による景気動向指数



2005年03月01日(火) 転調力

熱が下がった、という理由で「治った人」という仕分けをし、
私に張り付いて離れない、青白い無表情なAを、保育園に預ける。

昔、職場のSさんが子どもの風邪で休むたびに、不満に思っていた。
不真面目な仕事の仕方で、子どもなど何とかなるだろう、と思っていた。
それは勇気のある家族に誠実な働き方だと考えるようになったのはずっと後のことである。
私一人の価値観や判断など、社会の中にある多くの事情の、その断片にすぎないのだ、とも考えた。



わたしのせいで行き詰った仕事の、後始末に困った人が沢山いる。
急場をしのぎ、自分のせいではない、仕事の行き詰まりを背負い込んでいる。
大切な仕事の相手にそういう思いをさせてしまうことと、
青白い子どもを保育園に置いてくることは、同じぐらい何かを裏切っている。

ものごとを転調するためには、それでも明るく居て、過ぎたことは割り切るほかに方法はない。
そう自分に言い聞かせ、再び仕事を挽回することに、頭をまわそうと思う。

2004年03月01日(月) 合併合戦


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