2000年に、有珠山と三宅島雄岳という二つの火山で噴火があった。 自然の摂理の前に、人間、特に男の人達が まだか、もうかと騒いでいるのを見て、 それ以来、噴火には出産と同じような イメージを持つようになってしまった。
噴火という百年単位のこの地球規模の活動に対して、人は 本来ならば十年ぐらい途方にくれているのがいいのだと思う。 しかしながらそれでは社会生活が成り立たないので、 必要な部分だけ、人為を加えて安全と快適性を確保する、 というのが、まあ妥当な道筋なのではないかと思う。
東京都が発表した「三宅島緑化ガイドライン」には、 植物、土壌、菌類、生態系など、 あらゆる自然環境分野におけるエキスパート達の そうした思いが込められている。よい仕上がりだ。
島の復興は、帰島する島民の 生活の質を保証するものでなくてはならない。 同じ島に帰ってきたと思えることが重要だと思う。
彼らは、都市生活者には全く考えが及ばないほど 自然や風土と共に人生を生きている。 あだや外来種の緑で覆うなどということを 軽々しく行ってはいけない。 それは島民にとって、留守中の自宅に 外国人が違法侵入しているような違和感なのだ。
おそらくきっと、 噴火により荒れ果てた故郷を見るほうがずっとましだと思う。 誕生とは、痛みを伴ってもそれは豊かさの象徴なのだ。
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