浅間日記

2004年03月28日(日) ボサノバの神様

留守中届いたCDを楽しみに開封した。
昨年来日し、奇跡といわれたステージを残してくれた
ジョアン・ジルベルトの、そのライブ盤である。

安物のCDデッキから聞こえてきたボサノバの神様の声は
再び私を9月16日に引き戻す。

話がとぶけれど、
ソルフェージュの訓練をしていた人なら誰でもそうであるように、
自分はある程度の音が取れるようになっている。相対音感だ。

それなので、耳に入る音楽はたいてい、
頭の中で「ドレミ」という言葉の翻訳が付いてきてしまう。
これは本当に、音を楽しむことを損なっていて、
自分でもつまらなく思う。

件のジョアンの歌は、
私の中途半端な音感が付いてこられない繊細の境地にいるので、
本当に純粋に心に響く。
自分の心の庭へ導いてくれ、時間を共有してくれる
数少ない宝ものだ。

アルバム名にあるとおり
「声とギター」が柔らかくしなり、
呼応して、生命をもつ。
この音楽という生命と生きるために、彼は生きているのだ。

「僕は音楽で自分を表現している。その音楽が音楽として良いか悪いかだけが重要だ。言葉による補足は必要ではない。音楽を言葉の世界に翻訳するのは不可能だ」
若かりしジョアンの言葉。その姿勢は今も少しも変わらない。



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