2004年03月10日(水) |
聖トーマス教会受難、そして光 |
東京オペラシティでバッハの「マタイ受難曲」を鑑賞。 聖トーマス教会合唱団というドイツの歴史ある少年合唱団と、これまた歴史ある(世界で最も古いオーケストラといわれている)ゲバントハウス管弦楽団という楽団の共演。
成り行き上チケットを引きうけたせいもあるのだけど、 宗教曲の重さに加えて、人が受難する曲なんかを3時間も聞かされてしんどかった。ただでさえ家に帰れず受難している時だというのに。
さらに私をがっかりさせたのは、合唱団の子供達にとにかく落ち着きが無いのである。自分達の出番ではない時に、顔を掻く、身体をゆする、会場をきょろきょろ見まわす、挙句の果てにお喋りまで始める始末。少しもじっとしていないし、姿勢が悪い。とても自分の身体を楽器にする人の姿勢ではない。 聴衆の日本人(熟年のコーラス愛好家風の人が多数)のほうが微動だにせず聴いている始末だ。
歴史有る合唱団も現代っ子には違いないもんなあ、彼らも普段はフリースのジャケットを着てパソコンゲームとかしてるんだろうなあ。
こんな歌い方をされるなんて、イエスさんもつくづく受難だわね、と怒る気も失せた時、
その中でただ一人、輝くような子がいた。 コンダクターの方を真っ直ぐ見つめ、美しい立ち姿で微動だにせず歌っていた。 完全に自立したミュージシャンとして、演奏の世界に溶けこんでいた。 ああ私は今日彼に出会うために、ここに来たんだなあと、思った。
演奏が終了し、3時間にもわたるコーラスを歌い上げた瞬間、 彼の小さな肩がホッとしたように小さく揺れて、初めて少年らしさをのぞかせた。 隣の少年と、歌い遂げた握手をしようと手を差し出したようだが、振られてしまったようであった。
私は彼のためだけに拍手を続けた。
ブラボー!少年。ありがとう、少年。 受難の時代の救済は、輝ける一人でもできるのだね。
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