無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年10月03日(月) フォーチュン弁当/舞台中継『イッセー尾形 夏目漱石を読む!書く!創る!』

 朝と言うか、深夜、NHKBS2の『深夜劇場へようこそ』枠で、演出家・森田雄三さんのインタビューに引き続き、スイスの演劇学校で行われたワークショップを基にした舞台『イッセー尾形 夏目漱石を読む!書く!創る!』を見る。
 森田さんが鈴木裕美さんや林あまりさんの質問に答えてこれまでの経歴を語られるのだが、「串田和美の演出に反発してね」とか、イッセー尾形さん以外のキャストと組んで作った『マクベス』(山崎努主演版)について、「発声練習しているの見てると『アナウンサーになりたいの?』って言いたくなるんだよね」とか、サラッと仰るので、「そんなに正直なことを喋ってもいいのかなあ」と、見ているこっちがドキドキしてくる。
 なんだか怖いものなしと言うか、「七十而従心所欲、不踰矩(しちじゅうにして、こころのほっするところにしたがへども、のりをこえず)」って印象。もっとも森田さんはまだ七十歳にはまだ間があるけれど。
 まあこんな凄い方を目の前にして、抜け抜けと演技とも何ともつかぬ小芝居を偉そうに披露していたのだから、今更ながら自分の臆面のなさには恐れ入る。馬鹿はこれだから怖いよねえ。
 ワークショップのことにもちょっとだけ触れられていて、「小学生が来るんだよ」って笑って仰っていたのが笑えた。だって「年齢、職業、舞台の経験、未経験問わず」って謳ってるんだもん、小学生だって来るさあ(笑)。

 引き続いて、実際の舞台を見たのだが、始まった途端に、テレビの前で凍りついてしまった。何とも困ったことに、森田さんの演出を台無しにしてしまうような放映形態を取っていたのである。
 スイスのワークショップであるから、当然出演者の大半は外人さんである。インタビューでも森田さんが仰っていたが、「何を喋ってるのか、サッパリ分からないんだよね。だからイッセーさんと『あれはこういうことを喋ってるんだろう』と想像するんだけれど、あとで本当に何を喋ってたのか聞いてみるとこれが全然つまらないんだ。こちらが勝手に想像してることの方が面白いのね」ってな具合で、何を喋っているのか分からない面白さというものを演出しているのである。
 ところがNHKの大馬鹿野郎は、見事にその演出をぶち壊してくれた。つまり、外人さんの喋りに、全部「字幕」を付けてくれたのである。漱石(を模してるんだが、スイスまで漱石は洋行しちゃいないので、実は誰だって構わない)との間のディスコミュニケーション、これが台詞が分かっちゃうとただの「説明」としてしか機能しなくなる。果たして会話が成り立っているのかいないのかすら分からないスラップスティックな味わいが、全て消し飛んでしまっているのだ。
 舞台は、テレビ映像に移された途端にその魅力が半減してしまうものだが、このNHKの「親切」はそれをさらに助長することになってしまっている。この『深夜劇場にようこそ』は、シアターチャンネルに入っていない演劇ファンにとっては、唯一のオアシスのような時間枠だというのに、こんな粗雑なことをされちゃあ本気で困るのである。
 しようがないので、あえて字幕を見ずに中継を見て行ったのだが、そうした途端に外人さんたちのセリフは殆どハナモゲラ語と化し、まるでバカボンパパの家にバカ田大学生の後輩たちが大挙して押し寄せたかのごとく、何が起こるか分からないナンセンスの極みとでも言うべき珍妙な舞台が展開して行ったのである。
 多分、実際の舞台では、字幕は全く流れなかったのではないかと思う。そうでなければ、あの舞台は成り立たない。やっぱり舞台はナマを見に行かなきゃしょうがないよなあとつくづく感じたことである。ビンボーでなかなか舞台を見に行けない、テレビで我慢するしかないと仰る方は、舞台中継を見る時は、その面白さを想像力で三倍増しして見るようにしましょうね。これは別に私だけが言ってることじゃあなくて、常識と言っていいことなんだけれども、舞台の批評は、決してテレビ中継を見て行っちゃいけないのである。


 家事をサボリまくるしげが、何とか毎日用意してくれているのが昼の弁当である。
 と言っても、おかずは全部、弁当用の冷食を電子レンジでチンしたものばかりなので、料理の手間なんてものはかかってない。それだって別に文句を付けようとは思わないのだけれど、中に一つ、「占いグラタン」があって、食べると底から今日の占いが出てくるというもの。で、今日のそれが何だったかというと……。
 「はやねはやおきをしましょう」
 そりゃあ、お前のことだああああ!
 私の睡眠が充分取れないのも、しげの情緒不安定が原因の大半なんだけどな。


 テレビ『Mr.マリックvs芸能界大スター軍団 全面対決トリック見破りバトル 超魔術完全包囲網スペシャル』を見る。
 前にも何度かマリック対芸能人の対決ものがあったらしいが、まともに見たのはこれが初めて。騙しのトリックを明かすのが見所のようだけれども、実際は「こんな簡単なトリックにも芸能人は馬鹿だから引っかかっちゃうんですよ」ってのが製作スタッフのウラ意識としてありそうで、余り見ていて楽しいものではない。
 奇術のトリックというものが案外単純で、人間心理の陥穽につけこむことで成立していることは周知の事実であるが、だからちょっとでも手品を齧ったことのある者なら、「慣れ」でそのトリックを見破ることは簡単である。だからこういう番組に呼ばれる芸能人ゲストは、「慣れていない」人に限られる。「番組ゲスト」のように見せかけてはいるが、例えば『涙そうそう』からのゲストが泉ピン子といしだあゆみと来れば、こりゃ、「騙してくれ」と言うようなものである。確かに泉ピン子が騙されて「畜生!」と叫んだり、橋下徹が呆然としたりするあたりは、見ていて溜飲が下がりはするのだが、一般的にはゲストが騙される様子は体よく人身御供に出されたような感じで、なんだかかわいそうである。
 間違ってもナポレオンズが対決相手に呼ばれることはないが、せめて騙されて悔しがる人より、騙されて感心する人をゲストに呼んでほしいと見ながら思ったことである。
 ……しかしどうして泉ピン子って、全然好きになれないのかなあ。


 マンガ、山田南平『まなびや三人吉三』2巻(白泉社)。
 表紙が「お嬢吉三」になったばかりのやぁや。普段のやぁやはちんまいだけの栗娘だが、コスプレした途端に「あんなふう」になるのである。いや、充分にキモです♪
 学園探偵ものは数あれど、学園怪盗ものはそんなに多くはないし、傑作もあまりない。だもんで、これも1巻はたいして期待せずに買ったのだったが、謎の怪盗・三人吉三のうち、和尚吉三の正体には思わず膝を打った。怪盗もののキモが、その盗みのテクニック、機知にあるのは当然だが、それ以外にもストーリー上の「企み」があっちこっちに仕掛けられていたのがミステリファンとしては嬉しかったのである。怪盗が「謎」の存在である以上、その「謎」を暴く者と暴かれまいとする者との虚々実々の争いがあってこそ、盗みの醍醐味はより引き立つ。そのへん、この作者、結構「分かって」るんじゃなかろうか。言っちゃなんだが、『ルパン三世』も『キャッツ・アイ』も、後半になるに従って、そのへんの機微がなくなっていっちゃって、どんどんつまんなくなっていったからね。本作はまだ2巻目だからまだまだ大丈夫。
 やぁやと慎太も、めでたく三代目「お嬢吉三」「お坊吉三」を襲名することになったわけだが、早速、今巻からライバルの「弁天小僧菊之助」と「南郷力丸」が登場。こいつらの正体は「和尚吉三」の時ほどのインパクトはないが、それでも「弁天小僧」のもともとの役どころを考えると、こいつにはまだまだ秘密がありそうで今後の活躍が楽しみである。そもそも「彼」が「お嬢吉三」になるはずだったと言うのは、どういうことなのかね?
 と言うか、「あと三人」は出てくるのかな?


 マンガ、西森博之『道士郎でござる』6巻(小学館)。
 なんだかウヤムヤのうちに番長対決編は終わったみたいだ。神野は転校しちゃうし、A組は有名無実だったし、ラスボスに辿りつく前にゲームオーバーしてしまったような隔靴掻痒感はあるけれど。
 で、これで話が終わりかというとまだ続くみたいなんで、一応人気が出たってことなんだろう。このへんでうまいことオチをつけとけばいいような気もしないでもないが、何となくなし崩し的に「水戸黄門編」に突入したような展開である。つまり、道士郎が町内の「世直し」を始めるのだな。でも、このマンガではもう道士郎は「最強」だから、登場させれば話の決着はあっという間に付いてしまう。仕方がないので、道士郎の出番を減らして、一応主人公の健助を活躍させはするのだが、展開的にもうかなり無理が生じてきている。要するに場つなぎ話を作って誤魔化しちゃいるが、この先どういう展開に持ってったらいいか、作者が右往左往してるってことだ。
 まあ、作者の根がヤンキーだから、マジメな主人公を描いても、サムライを描いても、どこかヤンキー臭さが抜けてなくて無理が生じてるんで、大破綻を起こす前に、10巻あたりを目途にしてうまいことまとめて終わりにした方が、次の連載へのステップとしてはちょうどいいと思うんだけどな。基本的に、吉田聡のマネから大きく逸脱してオリジナルを描ける人ではないから、『今日から俺は!』の路線に戻った方がよかないかなと思うのだが。

2004年10月03日(日) 読み飛ばしていい日記その1
2003年10月03日(金) 追加日記2/『二十面相の娘』1巻(小原愼司)ほか
2002年10月03日(木) 何が最悪?/アニメ『NARUTO ナルト』第1話/『愛人(あいするひと)』2巻(吉原由起)/『番外社員』(藤子不二雄A)
2001年10月03日(水) 新番2弾!/『X』第1話/『女刑事音道貴子 花散る頃の殺人』(乃南アサ)ほか
2000年10月03日(火) 博多はよか、よかァ/映画『博多ムービー ちんちろまい』ほか


2005年10月02日(日) 伝わらないことばかりだけれど/『金魚屋古書店』2巻(芳崎せいむ)

 身体の具合が悪いのなんのと言って、いくら言っても家事をサボりまくり、そのくせ、夜中になったら私の眠った隙を突いて、買い食いしにコンビニに出かけまくっていたしげであるが、昨夜は結局、私の制止するのを無視して外に出て行ったので、さすがに腹に据えかねて、本当にしげを外に締め出した。
 買い物からるんらるんらと帰って来て、鍵がかかっているのを知って、ようやくしげは私が本気で怒っていることに気が付いたのだろう。インターホンのボタンを何度も鳴らすのだが、私は極力無視である。
 自分がどうして締め出されたのか、ここんところのワガママぶりを自覚できているなら、ボタンを押すことだってはばかられるはずである。それを遠慮もなくピンポン押しまくっているのは、何一つ反省できていない証拠だ。こんな風に何も考えていないからこちらは腹を立てているというのに。
 いつまでもボタンを押すのをやめないので、仕方なく受話器を取ると、か細い声で「ごめん」と言う。でもそれだけで、あとは何も言わない。こちらも沈黙したままだ。
 口ではいつも「ごめん」と言うのだが、しげがそれで反省したためしはない。こんなふうに締め出されたのだって、初めてのことではないので、もう何度も「謝るんなら行動を改めろ」と言ってきているのだが、次の日にはもうそのことを忘れているのである。
 どうして自分が怒られているのか、何をどう反省したらいいのか、それを話さない限り、私は絶対に中に入れてはやらないのだが、にもかかわらず「ごめん」としか言わないのは、実際、反省するつもりなどまるでなく、何も考えていないからだ。おかげで腹立たしさはますます募った。
 「謝るんなら、『ちゃんと家事をします』ってどうして言えんの?」
 「ちゃんと家事をするから」
 「さっきまで一言も言わなかっただろ!? オレが言ってから言っても遅いよ! どれだけ俺が待ったと思ってるんだ!」
  実際、すぐに反省していれば、そこで家の中に入れるつもりでいたのだ。もう何百回とそのことは伝えているのに、こうして締め出された途端に反省の言葉を忘れてしまうのだから、やはりしげは頭がおかしいのである。もう何十回、何百回、家事をしろと言い続けて、ちゃんとすると約束させられて、それを裏切られてきたことか。病院に通わせても睡眠時間が増えるばかりで何の効果も上がっていない。私は本当に疲れてきているのである。
 頭のおかしい妻を真夜中に追い出すなんて、なんてドメスティック・バイオレンスな夫だと思われるだろうが、しょっちゅう真夜中に愚図って私を起こす夢遊病の妻と一緒にいたら、こっちだって神経がおかしくなる。私は夜は普通に眠りたいのだ。さすがに今日は、こっちの怒りなんてどこ吹く風の糞馬鹿女が傍にいたら、私の神経が持たないと思ったから追い出したのである。これは自衛である。
 「ちゃんと言うこと聞くから入れて」
 「ちゃんと言うこと聞くなら入れてなんて言うな。ともかくもう今夜は入れない。寝たいなら車で寝ろ」
 そう言って、受話器を切って、後は一切、出なかった。しげもようやくあきらめて、すごすごと立ち去ったようである。これがだいたい夜中の3時。玄関前で押し問答し始めてから、1時間くらいは経っていた。
 そのあと、私は疲れて、泥のように眠った。しげが傍にいたら、また夜中に愚図って、私は眠れなかったことだろう。もちろん、そのときには鍵は開けておいたので、朝方にはしげは部屋に戻ってきていたようである。
 ところが、朝になってくたびれて寝ていた私をしげはまた何も考えずに「『ゾロリ』始まるよ、見らんと?」と無理やり起こしてきたのである。
 「だからお前のせいでここんとこ寝不足なんだよ! そのことなんべんも言ってるのにわからんのか!?」
 分かんないやつに分かってくれと語ることほど空しいものはないが、分かんなきゃ本当に出てってもらうしかないんだから、いい加減で分かってくれよ。


 しげをどやしつけて、昼過ぎまで寝る。
 『仮面ライダー響鬼』だけは録画予約しておいたので、後からゆっくり見るつもり。
 目が覚めたら、もう1時過ぎだった。どうせしげはまともな食事の用意なんてしてないので、レトルトカレーを作って食べる。

 『響鬼』三十四之巻「恋する鰹」。
 私が脚本家交代後の『響鬼』擁護派だと勘違いしている人もいるようであるが、「過剰反応するなよ、もともとたいして出来のいい番組でもなかったんだから」と言っているだけで、現状の作品の出来を賞賛してるわけでは決してない。
 途中で路線変更を強いられりゃ、後を任された脚本家はどんな名手であろうと多少の混乱はするものだ。ましてや後任はあの井上敏樹である。どれだけ東映がスタッフ不足であるか分かろうというものだ。今更、ヒステリックなるほどのことはないだろう、もちっとまったりと見ていこうよ、と、「視聴者の態度」を戒めていただけである。それを「作品擁護」と勘違いするんだから、批判派がどれだけ冷静な判断力を無くしているか、そっちの状況のほうが情けないよね。既に劇場版『響鬼』のブログは完全に2ちゃんねる化してしまっている。
 作品そのもので見れば、今回のお話はこれまでの迷走を更に引っ掻き回しているような大迷走ぶりで、これからこのドラマがどこへ行こうとしているのか皆目見当も付かない。モッチーはいきなりキリヤ君に告白しちゃうわ(あれがラブレターでなくて食事のレシピだったりしたら糞笑いである)、あきらは急に将来に不安を感じ始めるわ、姫と童子の傀儡は仲違いし始めるわ、トドロキは糞コントを始めるわ、以前通りの自分の「味」を出せているのはやっぱりヒビキだけだったりする。
 でもそれを井上敏樹一人のせいにすることもできないよなあと思うのは、29話までの展開だってやっぱりどこへ行こうとしているのか分からない状態だったからだ。まったりするのもさすがに『ライダー』では考えものである。
 思うに、このシリーズ、もともと最終話までの青写真というもの自体、全然なかったんじゃなかろうかね。勝手な憶測ではあるが、製作会議みたいなものが開かれて、「これからシリーズはどんな話になるのか」と問われた前脚本家陣が「考えてません」とか正直に言っちゃったんじゃなかろうか。
 と言っても、私ゃ別に本気でコトの真相だのウラ事情だのを知りたいと思っているわけではないし、そんなのはそのうち、公にされる日も来るかもしれないし、来なかったからと言って、どうということもないのである。
 ただ、井上敏樹に対して言いたいことがあるとすれば、せっかくテコ入れに呼ばれたんだから、いつもの受けてるつもりの寒いギャグはやめてよ、話を進めてほしいと思うわけよ。『うる星』のころから思ってたけどさ、「あ、UFO」なんてギャグを押井守がやるとそのしょーもなさが「味」になってかえって受けるのに、井上敏樹がやるとなぜ受けなくなるのか、ギャグだってセンスだけじゃなくて理論で成り立ってるんだってことをいい加減で気付いてくれと言いたいんだよねえ。
 それから、頼むからあんな新米から一歩も出てないやつを「御大」なんて呼ぶなよ。まあ皮肉で言ってるんだろうけどさ。


 遅れていた日記をチマチマ書くが、下手にブログ日記まで始めてしまったせいで、なかなか進まない。書きたいことはそれこそ限りないくらいあるので、抑制することの方が難しいのである。やっぱり、読んだ本、見た映画、このあたりを省略するしかないのだが、それでも分量がいつの間にか原稿用紙にして20枚を越してしまうので、我ながら病気なんじゃないかと疑いたくなる。


 『TBSテレビ50周年 中居正広のテレビ50年名番組だョ!全員集合笑った泣いた感動したあのシーンをもう一度夢の総決算スペシャル』。
 『8時だョ!全員集合』の名場面ベスト30が見られるというのでチェック。見たところ、既発のDVDボックスに未収録のシーンばかりを集めていたのは立派だが、あのコントもこのコントも含まれてないなあ、というのが正直な印象。かなり人気があったと思われる「戦争コント」や「漂流コント」に、全く触れられていないのは放送コードの関係だろう。敵兵ぶち殺したり、土人から逃げたり、今じゃもう無理だわな。つまりそれだけあの番組は今よりずっと「自由」だったのだ。すわしんじの出演シーンが全くないのもなんだか意図的な気がしてイヤな感じである。
 こういう「無難なシーン」だけをベストと言われたって。納得の行くものではないが、つまりはドリフターズはもう「過去の歴史」になってしまったということだ。「20年ぶり生コント」という触れ込みの簡易セットでの「長さん抜き」のコントが、旧作の焼き直しでしかなかったことが、そぞろ寂しさを感じさせるばかりである。


 筒井康隆『ポルノ惑星のサルモネラ人間 自選グロテスク傑作集』(新潮文庫)。
 収録作品は表題作のほか、『妻四態』『歩くとき』『座右の駅』『イチコの日』『偽魔王』『カンチョレ族の繁栄』。
 なんだ、以前、新潮文庫に収録されてた短編ばかりじゃないか、なんでそれを今更出すのだ、と思って巻末の作品リストを見てみたら、これらの作品を収録していた『宇宙衛星博覧会』『串刺し教授』『エロチック街道』『薬菜飯店』『将軍が目醒めた時』、現在全部絶版なのである。筒井さんが「出版不況の中でも、俺の本は売れている」と豪語していたのは十年ちょっと前だったと思うが、筒井さんの本ですら売れなくなっているのだ。若者の活字離れはそこまでひどくなっているんだなあ。
 本ばかり読んでたらバカになるぞと自嘲的に言うことの多い私ではあるが、こうなると「本を読まないと馬鹿な大人になるぞ」とミヤベ先生の言を借りたくなるところである。ハッキリ言って、電撃文庫とか富士見ファンタジア文庫しか読んでないガクセイさんとかと話してみると、本当に馬鹿なんだもの。
 それはそれとして、久しぶりに読み返してみた『ポルノ』であるが、ちょうど筒井康隆が純文学に流れていくころの作品群であるので、せっかくのSFの面白さがブンガクのオブラートに包まれたせいで、「適度につまらなく」なっているのが残念である。それでも当時は筒井康隆はあくまでSFを志向しているのだと思い込もうとして、無理に面白く読んでいた物だったが、今は「この先を書いてくれないと面白くならないのに」とどうしても思ってしまうのである。
 でも、オリジナル版にはなかったポルノ惑星の異様なモンスターども、「ヨコイタクラゲ」「ヤブサカワニ」「タタミカバ」「スズナリミミウサギ」「ジャバラウシ」「タラチネグモ」「バクブタ」「ワスレガタミ」などを、あすなろ舎がコレクションフィギュアとして製作したものの写真が掲載されていたのは嬉しいおまけであった。


 マンガ、芳崎せいむ『金魚屋古書店』2巻(小学館)。
 なつかしマンガを題材に、古書店「金魚屋」に集う人々を描くシリーズも、もう四巻目(前シリーズ『金魚屋古書店出納帳』全二巻からの続き)。
 正直、エピソードによっては出来不出来があるなあと思っていたのだが、巻頭の第八話「彼の風景」は文句なしの大傑作だ。マンガ読んで泣かされたのって、久しぶりじゃなかろうか。いや、泣けるマンガが必ずしも面白いマンガだとは言えない。中途半端なドラマであっても、それなりに「泣かせどころ」のシーンさえあれば、あとはワヤでも何となく泣けてしまうものだ。しかし、一つ一つ、登場人物や設定をきちんと積み重ねて物語を紡ぎあげ、その末に「感動」を構築するドラマだってちゃんとある。これがそうだ。
 生徒会副会長の関口は、名前だけで実力もないのに横暴な会長の腰巾着でいることに嫌気がさしてきている。そんなときに、自分の机の中で見つけた手塚治虫の『アドルフに告ぐ』。それは、定時制に通い、関口と同じ机を使っていた、名前も偶然同じな「関口」が忘れていった本だった。『アドルフ』を夢中になって読んだ関口は、気が付くともう一人の「関口」に、本を読んだ感想を書き連ねていた……。
 落ちまで書くのは控えるが、このエピソードに泣ける理由は、「伝わりようもないことを伝えられた」そう思えるからだろう。言葉は、自分の心の何%も伝えることはできない。言葉は常に歪み、浮き足立ち、そこいら中を跳ね回り、相手に手渡された時には元の姿の片鱗すら遺してはいない。しかも受け手は、そんなわずかな残骸すらも曲解してくれる。言葉が虚しければ、本もまた虚しい。けれども我々は言葉しか、心を伝えるすべを持たないから、懸命になって語り、むさぼるように本を読む。そしてすっかり疲れ果て、ふっと気を抜いた時に ―― 言葉を越えた「何か」を掴んでいたことに気が付くのだ。
 このエピソードの最後の2ページには殆ど言葉がない。にこやかな微笑と、呆然とした顔と、そして去り行く足元が映し出されるだけだ。けれどもその静謐さが、何よりも雄弁に「語りたいこと」を表している。それはやはり、言葉にはできない「思い」なのである。

2004年10月02日(土) たいしてマンガ読んでないのかなあ。/『PLUTO プルートウ』豪華版1巻
2003年10月02日(木) 追加日記1/『サブカルチャー反戦論』(大塚英志)
2002年10月02日(水) もうあのクニについて書くのはやめようかな/ドラマ『迷路荘の惨劇』/『よみきり▽もの』3巻(竹本泉)ほか
2001年10月02日(火) 新番組マラソン開始!/アニメ『FF:U ファイナルファンタジー:アンリミテッド』第1話「異界への旅」ほか
2000年10月02日(月) 出たものは全部食う、は貧乏人の躾か?/『名探偵は密航中』(若竹七海)


2005年10月01日(土) 貶してるからファンは読まないように(笑)/『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』最終回

 えー、ドラマの感想は簡単に(笑)。
 上原正三脚本の『ウルトラマンマックス』第14話「恋するキング・ジョー」、いつものごとく「なんちゃない」出来。夏美役の長澤奈央も、もうちょっと役柄を膨らませてあげないとかわいそうだよなって印象。

 続けて『知っとこ!』を見てたら、最近何かと話題の一年生議員・杉村太蔵(名前だけ聞くと、多羅尾伴内みたいである)の「謝罪会見」について、大橋巨泉が「謝罪なんてしなきゃいいのに。これでこいつは、次の選挙じゃ確実に落ちるよ」と言っていた。確かに、自民党の広報を担当している世耕弘成議員や、元党事務局次長の近江屋信広議員ら5人の「御目付け役」の前で、「私は自分の思った通りのことを言っただけだ。この国に言論の自由はないのか」くらいのことをぶち上げられれば、そりゃ「漢(おとこ)」を上げられたかもしれないけれども、もともと「漢」じゃない人にそれを求めたってしょうがないよねえ。「BMWは購入しておりません」って、誰がそんなもん本気で買うと思ってたんかね。
 自民党もこいつが次回も当選するなんて考えちゃいないから、たとえ新人イジメと捉えられようと、「黙らせるしかないな」と圧力をかけたんだろう。当選直後から捨て駒扱いはかわいそうではあるが、思いつきで議員になろうなんて考えた人間には、早いとこ退場してもらった方が幸せじゃないかねえ。もっともこれで大ハップンしてこの人が素晴らしい政治論客にでもなれば素晴らしいことであるが、99%ありえないことだろうね。

 番組では、小泉首相の「靖国参拝違憲」のニュースもチラッと紹介。
 先日からのニュースで、賠償請求を棄却され敗訴した原告側が、実質勝訴みたいな態度で喜んでるのがよく分からないのだが、「違憲」って判断は「総理の職務としてやっちゃいかんよ」ということであって、「私的参拝」を禁ずるなんてことはヒトコトも言っちゃいないのである。判決は結局、「個人で行きなよ」と首相に勧めているようなものだ。早速、判決の「意を汲んだ」小泉首相は、「私的に参拝する」と言ってるわけで、こないだまで「公的参拝」とか言ってたのはどうなっちゃったのか。小泉さん、変人扱いされてるけど、これまでの「戦略」を見る限り、かなりしたたかなんだよね。大衆の人心掌握術には本当に長けているのだ。原告たちのような馬鹿の群れじゃ、とても立ち打ちできるもんじゃない。
 もっともおかしくなっちゃってるのは「小泉陣営」にもいて、櫻井よしこさんなんかは「ここまで政教分離を言っていいものか。国が慰霊を行うことはできないのか」と言っているけれど、「国家神道」ってもの自体を日本は否定し放棄しちゃってるんだから、そりゃ現行法では慰霊なんてできないのである。天皇家の神道だって、あれは「天皇家の個人的な信仰」ってことになってて、「象徴天皇」とは関係ないってことになってるんだから。だから「私的にやるんならいい」って「抜け穴」を裁判所は用意してくれたわけだよ。
 靖国神社を「国の機関」として認めさせたいのなら、それこそ憲法を改正して「神道を国家宗教とする」と明記しなきゃならなくなるが、そりゃさすがに多少は右がかった人だってためらうところだろう。基本的に無宗教な人間の方が多い日本人にとって、習俗としての神社の存在は認められても、「国家宗教」の存在はもう馴染まない。「靖国がダメなら神社参拝もダメじゃないのか」なんて仰る御仁は、習俗と国家宗教の区別が付いていないのである。


 一日は映画の日。
 休日と映画の日が重なることは滅多にないことなので、しげと『チャーリーとチョコレート工場』でも見に行こうよと約束をしていたのだが、昨日からのしげの体調不良、なかなか治らない。
 いや、体調がよくないと言いながら、相変わらずしげは食欲はあるし、気がついたら勝手に外に出て行って買い物はしてくるし、どこがどう具合が悪いのか全然分からない。と言うか、外見上は健康そのものだ。
 「だって、キャナルって、人がたくさんいるんだもん」というのがしげの言い分なのだが、これがまたよく分からない理屈だ。確かに長蛇の列ができるだろうが、休日は窓口係も数を増やしてるし、かえって待たずにすむくらいである。第一、キャナルシティにこだわる必要はない。ルクルだったら、休日でも結構空いている。「行きたくない」と思い込んで行こうとしないだけじゃないのだろうか。それならそれでそう正直に言えばいいのだが、ともかく「具合が悪い」の一点張りでは、どうにも取り付く島がない。そんなに具合が悪いのなら病院に行けばいいのに、それはしようとしないのである。
 つか、相変わらず人に隠れてコンビニ弁当を食いまくっていることを考えると、これはもう明らかに仮病だろう。つか過食症に陥っているのではないか。映画に行けば金を使うので食うための金がなくなる。それを何やかやと言い訳して、出渋っているのではないだろうか。
 最近しげは、会う人会う人から「太ったね」と言われている。実際、ハンパな太り方ではないのだ。いくら「買い食いするな」と言っても、聞く耳を持たない。病院通いもクスリを飲んで睡眠時間を増やすばかりで、コントロールがまるでできていない。多分、医者に過食に陥っていることも伝えてはいないのだろう。これでは病院通いでかえって体調を崩しているようなものである。いや、本人に自分を治そうという気持ちがない限り、どんな名医にかかろうが無駄というものだろう。
 こんなに食っちゃ寝ばかりしているのなら、やっぱりムリヤリにでも外で仕事をさせた方がいいかもしれない。仕事を辞めても、「その代わりに家事をしっかりする」という約束は殆ど反故にされている。今日も洗濯も掃除もしていない。
 かろうじて晩飯のおかずだけは作ったのだが、煮立った鍋を熱いまま冷蔵庫にしまうというとんでもないことをやらかしてくれていた。冷蔵庫が故障したらどうするのだ。こんな馬鹿やらかしておきながら、「家事をした」と主張するのはおこがましいというものである。当然これも自分で食べる気はなくて、コンビニ弁当を買いに行くのだろうと思っていたら、案の定、深夜になって「コンビニに行く」と言い出した。
 「今日はもう、何度も買い物に行ったろう。飯も食ってまたなんでまた食いに行くんだ」と行ったら「今度はデザート」と言い出した。そして、人が制止するのも振り切って、外に出て行ってしまったのである。
 もう疲れたので、今晩はしげを家の中には入れまい。どうせ、どうして自分が閉め出されるのか理由もわかりゃしないで、口先だけで「ごめん」としか言えないのだ。
 来月から、渡す金も減らそう。うん。 


 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』が最終回。
 ちょこちょこと見続けてはいたものの、日記に感想を書かないでいたのはイタイ論争に加わりたくなかったからである(笑)。あんな貶しどころ満載のアニメを腐女子と言い争う気に誰がなるかい。
 なんですかね、どいつがどいつだか区別も付かないアニメ絵のキャラがよ、借り物でありきたりのセリフばかり吐いてよ、オマージュと言えば聞こえはいいが、実のところは同人誌感覚で旧作のパクリシーンばかり繋いだようなドラマ描くだけで客を引いてこようとしてたんだから、マジメに見てる客としては「ふざけるな」と言いたくはなるんだけれど、まあ、「私の○○様のことを悪く言わないで!」なんてキャラ萌えだけの中学生とかに向かってさ、「マトモなドラマってものはね、もっとこうね」とか言ったって仕方ないからねえ。誰も○○サマを悪くなんか言っちゃいないってのに。

 えーっとですね、例えばね、今日の「ドラマ」とやらで何がどう萎えるかって言うとね、「未来は俺たちのものだ」みたいな誰ぞ(いや、シンだかキラだとか言うヤツなんだろうけれど、本当にキャラの区別が付かんのだよ、髪形以外全部同じ顔だから。そういうところからも脱却しようってのが『ガンダム』だったはずなんだけどねえ)のセリフ、もうこれまで凡百の小説やドラマやマンガやアニメで何百万回も聞いてきたけど、なんでそんなに多用されるかって言うと、作り手の立場からすれば「いかにも戦後民主主義的かつ個人主義的で客の共感を覚えやすく、かつドラマを終わらせるためには便利なセリフ」でしかないからなのね。
 ヒトコトで言えば「安易」なの。
 あまりにも使い古されちゃったんで、さすがに近年はもう子供向け番組でしか使えなくなっちゃってるんだけど(子供に対してはシニカルに世の中を見るのはまだ早すぎるし、「理想を与える」という意味で、わざとらしくてもこういう台詞が主人公から吐かれるのも納得できるのね)、じゃあ『ガンダム』は小学生低学年向けのアニメなのかってことだけど、違うでしょ?
 もしかして脚本家や監督が馬鹿か既知外でないとしたら、つまり彼ら彼女らは視聴者の方をこそ「馬鹿」扱いしてこんな雑なドラマを書いてるってことになるの。

 敵ボスと対峙させる構図もさあ、よくドラマを練らないと全然盛り上がらないんだけれど、小競り合いしただけで簡単に基地内に潜入できて、そんでもって直情径行的で中身の薄い「戦争談義」をさせた末に出たセリフがこれじゃあ、もう気分は落ち込むってものなのである。もちろん、視聴者のレベルを全て「小学生低学年並み」だと想定しているからこそ、こんなホンが書けるのだろう。
 腐女子のみなさん、お分かりかね? あなた方はサンライズからは「馬鹿」だと思われているのだよ。

 今更何を言ったってしょうがないんだが、今『ガンダム』の名を冠して作られているアニメはこんなテイタラクなのだ。
 だったらせめてタイトルをアタマの悪い私たちにも分かりやすいように、『がんばれガンダムくん』とかにしといてくれなかったものかと切実に思う。腐女子向けだと言うのなら、いっそのこと『ガンダムの薔薇』とか『真夜中のガンダム』ってなタイトルにしてくれてたら、かえって腹も立たなかっただろう。
 『SDガンダム』シリーズやトニーたけざきの『ガンダム漫画』、大和田秀樹の『ガンダムさん』に対して「ガンダムをバカにするな」なんて怒るファンはおらんだろうが。『SEED』も『DESTINY』も、「本編」のフリをするから腹が立つんだよ。

 こんなアホな作品を、作り手たちが「分かってて作ってる」のであれば余りにも寂しい。それは彼らが「陳腐なドラマの方が馬鹿な客が金を落としてくれる」ことを熟知してやっている、ということだからである。そんな卑劣なやつらに客がうまいこと踊らされていると解釈するよりも、「作り手たちはあれがいいと思ってやってる、ただの馬鹿だ」と解釈した方が、まだファンが傷つかずにすむと思うが、どっちが真実なんだか。

 ドラマがフニャフニャでもさ、アニメは作画だからね、作画がよけりゃあそんなに文句を言わなくてもいいんだよ。でもよう、モビルスーツの戦闘もすっかりパターン化しちゃっていてさあ、しかも動線がデタラメだから、誰と誰とが戦ってるかも分からなくって、高揚感が湧かなくってさあ。
 いや、そもそもモビルスーツという「兵器」のはずなのに、「ポーズを決める」ことにのみ拘って、メカ描写が「キャラ描写」になってしまっていることを、作画スタッフはどう感じているのかね?(実はそれは、古くはテレビ版『Z』のころから始まっちゃいるのだが。劇場版のリテイクの必然性は、そういう点にもあったと言える)そのせいで戦闘自体がパターン化してしまっている点に、作画陣は少しも気がついていないとしか思えない。
 具体的にはよ、毎度毎度なんであいつらぁ、宇宙空間だってのに「股開いてポーズ取ってんだ」ってことだったんだよ。「足なんて飾り」だろ?(笑) 「だってそっちの方がカッコイイじゃん」という意見もあろうが、「全てのモビルスーツが同じポーズを取る」なんてアホなことやってりゃ、いくらなんでも飽きるよ。「ファーストしか認めない」ってファンがいるのは単に意固地になってるってことだけじゃないんだよ。

 劇場版『Z』の方がそういったメカ描写の映像演出の点でも、パターン化を避けようと努力しており、だからこそ『SEED』などより圧倒的に出来がいいのだが、そんな点にまで目が行かない腐女子やオタクってのは、所詮はただのミーハーなんで、オタクだマニアだなんて自称してほしくはないのである。作品の出来がどうであろうと、好きなら好きでそれは構わないんだけれども、古参のガンダムファンがちょっと「『SEED』シリーズには付いてけないねえ」程度のことを言っただけで過剰反応して「あなたたちに『SEED』のよさは分からないのよ!」とヒステリックに泡を吹いて「自分たちだけが真のファンである」みたいなモノイイをやたらするのはどういうわけなんだか(してないつもりでいるからあいつらの脳構造に対してまで疑問を抱くのであるが)。
 おれ、「キャラの区別が付かない」と言っただけで、ある『SEED』ファンから「目が悪いんじゃないか」って言われたことあるぞ。そりゃ私に視力はないが、『SEED』のキャラが安彦良和デザインに比べて、「区別が付きやすい」と本気で思っているのかねえ?

 最終回なんで、いつもより余計に語ったが、もちろん『SEED』のスタッフに対して含むところなんて私にはないのである。世間には、アニメにうるさいファンだって増えてるんだから、もう少しアタマのいいスタッフ雇えよサンライズ、とは思うが、本当に才能あるやつなんて、どの業界にだってそうそう転がっちゃいないし、こんなアニメができちゃうのもしゃあないかなとサビシク見守っているだけなのである。だから、この私の感想読んで、怒り心頭に発するファンもいらっしゃるかとは思うが、根拠のないことは言ってないので、視野狭窄に陥って、ストレスのはけ口を私の方に向けるのはやめていただきたい(笑)。
 実際、いるんだから、そこまで落ちた馬鹿は。
 キャラ人気だけは出たし、しばらく間を置いたらまた『SEEDなんたら』みたいなシリーズを始めそうだよなあ。劇場版を挟んで(笑)。

 でもって、一応、期待はしているんだけど、来週からは『BLOOD+』が始まる。予告編で見る限り、映画版の雰囲気は全くないけど、「見てから物言う」は基本なので、まだ私は何も言いません。最終回までやっぱり言わないかもしれないけれど(笑)。


 『クレヨンしんちゃんスペシャル』で、久しぶりに劇場版第十作『嵐を呼ぶアッパレ戦国大合戦』を見る。
 DVDも何度も何度も見返して、スジもディテールだってもう充分ってくらいにアタマの中に入ってるのに、どうしてこうも泣けるのか。
 映画を見た後、また東京のグータロウ君に「見たかよ戦国」と電話をかけたのだが、この裏切り者はすっかり見逃しているのであった。「新聞での扱いが小さい」と怒っていたから、別に飽きたわけではないのだろうが、これと『オトナ帝国』の2本は、年に一回は必ず見返して、その都度、日本映画史上に遺る大傑作であることを確認し、その素晴らしさを次世代に伝えていかねばならないと、自覚する必要があると思うのである。

2004年10月01日(金) 映画の日なので『アイ・ロボット』と『LOVERS』を。/『かってに改蔵』26巻(完結)
2003年10月01日(水) 別れの謂れ/『おそろしくて言えない』1巻(桑田乃梨子)
2002年10月01日(火) たかが賞金で金持ちにはなれない/アニメ『あずまんが大王』最終回/『西洋骨董洋菓子店』4巻(よしながふみ)
2001年10月01日(月) 貴公子の死/ドラマ『仮面ライダーアギトスペシャル』/『終着駅殺人事件』ほか
2000年10月01日(日) スランプと○○○の穴と香取慎吾と/映画『マルコヴィッチの穴』



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藤原敬之(ふじわら・けいし)