無責任賛歌
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2003年10月01日(水) |
別れの謂れ/『おそろしくて言えない』1巻(桑田乃梨子) |
10月になった。
西原理恵子さんは「10月には戻ってくる」とご自分のホームページ『鳥頭の城』に書かれていたが、覗いてみると、「日々マンガ」が更新されている。 内容は、別れた御夫君に向けて、「お酒をやめて帰って来て下さい」と呼びかけているもの。 なんかもう、私はこういうのは読んでてダメである。涙が堰を切ったように流れ出して止まらない。見も知らぬ作家さんのことを思って泣くというのも我ながら思い込みの激しいことであるなあ、と思うが、得てしてファンとはそんなふうに勝手なものである。
離婚の原因は酒か。 他にもいろいろあったかもしれないが、それ以上は詮索しなくてもいいことだと思う。酒が一番の原因というだけで、私は納得してしまう。
私の父親も酒飲みだった。もともとたいして飲めないくせに、酒量は相当なものがあった。アルコール中毒にこそならなかったが、年を取り、糖尿病になって、足先が痺れるようになった。もっと長生きすれば、いつかは足を切断しなければならない事態になるかもしれない。
私は酒好きを必ずしも嫌いなわけではない。 笑い上戸に泣き上戸、やたら陽気に振舞う人もいれば陰気に沈んで愚痴ばかり言う人もいるが、宴会の雰囲気は好きだし、ああ、ここには「人」がいるなあ、と思えて、飲めないこちらも楽しくなる。たまに絡まれたりするのも程度が酷いものじゃなければ、そう悪い気もしない。「私の酒が飲めないってえ?」なんて言いながら酔っぱらった女の人にしなだれかかられたりしたら、困るけどまあやっぱり嬉しいものである。もっともそんな経験はないんだが。
でも、あえて「事実」を言えば、酒飲みの8割は人としては屑だ。 酒に呑まれずにほろ酔い加減で自分を抑えられる人などわずかしかいない。 日頃の鬱憤を酒に甘えて吐き出し、ついでにゲロも吐く。他人の幸福を妬み、根も葉もない噂話に下品な笑いを浮かべる。時には暴力も振るい、家族を恐怖に陥れる。それでいて世の中の全ての悲しみ、苦しみを自分一人が背負っているような顔をするのだ。自意識過剰も甚だしい。 いったい、彼らは何を思いあがっているのか。
子供の頃、酔っ払った父と母がケンカしている声を聞きながら、無理に眠ろうと布団の中に縮こまっていた時のことを、今でも夢に見ることがある。 病気にかかる以前から、私は酒を殆ど飲まなかったが、理由はそんな父を見て育ってきたからだ。 酔いつぶれて、鼾をかいて寝ている父を見て、こいつさっさと死んでくれないか、それとも眠っている隙に首を絞めて殺してやろうかと思ったことは何度もあった。
では、私は父を嫌いであったか。 嫌いだったろう。今でも人間として誇れる人だとは思っていない。 憎んでいたのか。 憎んでいたと思う。今でも、根本的なところで、相容れないものを感じることがある。 親子の縁を切りたいことは何度もあったし、仮に今切ったとしても、恐らくたいした痛痒を感じることはないだろう。 しかしそれでも思うのだ。 この人に、一番近い人間は私だと。血ではなく、心が。
酒に呑まれなければやりきれなかった、そのころの父。 自分の望んだ通りの愛情など得られるはずもないと思い切れるには、人にはあまりにも長い、長すぎるほどの時間が必要だったと思う。 そして、諦めがついたからと言って、心が平穏になるはずもない。 酒にしか逃げられない人間はいるのだ。 そんな彼らに、「他に心を慰める方法がないのか」と問いかけることほど、無意味なことはない。
けれど、そんなことが母への横暴への言い訳なるはずもないことも事実だ。だから父もやはり屑だったと思う。
父は糖尿が悪化して、一時期酒をピタリとやめた。それは母が死ぬ、ほんの半年前のことだった。 遅すぎたと思う。 そして、母が死んで父はまた酒を飲み始めた。死に急いでいるのだろうが、私は酒を止めろと父に言う気は全くない。そういう道を選んだのは父自身の意志だから。 父は酒に逃げて、どうしようもない道を歩いていた。
父は、私が子供の頃、やたら酒を奨めていた。いろんな酒を買って来ては、「これならお前の口にも合おうや」と言って飲ませようとした。中には結構高価なワインやウイスキーなんかもあったように思う。長いこと封を切らずに取っていた「ナポレオン」が、父の書架には飾られていた。 でも私は、どんな酒を奨められても、一滴たりとも飲もうとしなかった。 父はいつか私と酒を汲みかわすようになりたいと思っていたのだろう。私も同じ気持ちだった。いつか父と酒が飲みたいと思っていたのだ。いや、今でもそう思っている。 だけど、飲まなかったのだ。
どうして父は、ごく普通に、たしなむ程度に酒が飲めなかったのだろう。 父は、自分が晩酌を始めた途端に、母が私を別の部屋に避難させていたのをどう思っていたのだろうか。 疑問形にすることはない。それはとうの昔に父にはわかっていたことだ。分かっていたから、どうしようもなかったのだ。 今更悔やんでも詮無いことを思いながら、私は母が亡くなった今でも、父と酒を飲むことを拒み続けている。父と酒を汲みかわす日は、多分、来ない。 しかし私も、酒こそ飲まなかったが、ふと気がつくと、父と同じような、やっぱりどうしようもない道に足を踏み入れていた。
西原さんは、鴨志田さんが酒をやめて戻ってくる日が来ると、信じているのだろうか。 もう再び元に戻ることはないのか、それともまた仲良く暮らせる日が来るのか。 未来は多分、西原さんには見えていると思う。 見えていてその上で、西原さんは鴨志田さんに「帰ってきて下さい」と願っているのだ。 なぜこういう人が幸せになれないのだろう。
仕事がちょっと長引いて、帰宅したのは9時直前、楽しみにしていた『SASUKE』はもう終わっていた。うーむ残念。スペシャル番組で飽きずに見られるのって、これのほかにはそうそうないんだけどなあ。
CSファミリー劇場で『押繪と旅する男』。乱歩の映像化作品としては悪い方ではないが、原作の短編にオリジナルを付け加えた分だけ長尺になって、間延びした印象。 これ、最初に見たのは福岡アジア映画祭のオープニング上映のときだったんだけど、何の故障があったのか、上映開始が1時間も遅れてしまったのだ。次に用事のあった私は、泣く泣く途中で映画館を出たのだったが、そのとき会場にはゲストで主演の故・浜村純さんもおいでだったのである。上映後はコメントなんかも語られたと思うのだが、せっかくのチャンスを逃してしまった。 もちろんあとでテレビ放送があった時に最後まで見たが、情に流れすぎているのが乱歩の世界と相容れないという感覚は拭い切れなかった。単体の映画として見た場合にはそう悪くもないんだが。そう昔の映画でもないのに、浜村さんも、多々良純さんも、天本英世さんも、既にこの世にないのが淋しい。
女房がバイトから早めに帰宅して来たので、遅い晩飯に空港通りの「めしや丼」に向かう。「ガスト」の「二画取り」はやっぱりもう飽きたようである。 ここの彩り弁当はミニハンバーグに焼きサバ、野菜の煮付けにミニサラダ、デザートにパイナップルの角切り少々と、おかずの種類は多いが、量はさほど多くなく、私のお気に入りである。 しげ、仕事明けで相当喉が乾いていたと見え、ドリンクバーもあるこの店に来たのだけれど、かなり疲れがからだに来ているらしく、なかなかメシが喉を通らない。そのくせ注文してるのがトンカツ定食とかコッテリしたヤツばかり、しかもご飯のオカワリまでするのである。真夜中にそんなもん食ってたら胃にもたれるに決まっているじゃないか。 案の定、「気持ち悪い」とか言って泣き出すが、分かっいてて目先の欲に負けているやつに同情なんかしてやらないのである。
マンガ、桑田乃梨子『おそろしくて言えない』1巻(白泉社文庫・630円)。 えいくそ、新書版持ってるのに、「描きおろし・巻末特別ふろく『なかよしだもの』22ページ収録!!」の惹句を見て、つい買ってしまった。これだからムダに本棚から本が溢れ出ちまうのである。22ページと言っても殆どエッセイマンガみたいなものだから、わざわざ買うほどのこともないと冷静な理性はそうささやいているのだが、まあ理性の通りに行動することが正しいと決まってるわけでもなし(^o^)。
紹介文を見ると、主人公の御堂維太郎のことを「最強のオカルティックハラスメント男」なんて書いてある。連載時の平成2年ごろにはもう「セクシャル・ハラスメント」という言葉が一般化してたんだなあ、とこういうところで確認できる。別にこんなところで確認しなくても『現代用語の基礎知識』のバックナンバーを調べた方がはやかろうが。 更に数年後には例の宗教団体の事件があったせいでオカルトを利用したイヤガラセはシャレにならん自体になっちゃった。一時期この作品が全然店頭に見かけなくなってたの、そのせいじゃあるまいな(^_^;)。
ともかく、復刊してくれたのが嬉しい一冊。 悪霊・低級霊と波長が合いまくりで、あらゆる災難を引き寄せてしまうくせに霊感ゼロ、徹底的な現実主義者の高校生・新名皐月。 怪我、病気、事故、失恋の不幸の連続の果てにようやく彼が相思相愛になった相手は、新名に霊的イヤガラセをすることに無上の喜びを覚える霊能力者・御堂維太郎の妹・維積であった。 しかもこの維積ちゃん、兄の霊的教育の反作用で、バリバリの霊感少女で歪んだ性格の維積B(ブラック)と、抑圧された乙女心が表に表れるようになった維積W(ホワイト)の二つに人格が分裂していた。 御堂と維積Bの二人にジャマされて、果たして新名と維積Wの恋は実るのか?
コメディではあるけれど、桑田さんのマンガで恋の障碍となる条件はいつだってとんでもなくハードだ。これだって、「あなたは多重人格だとわかってる人を愛せますか?」って話である。後の『ほとんど以上絶対未満』じゃ、「女になってしまった親友を友人として遇せますか」なんてとこにまでモチーフが過激化していく。『だめっこどうぶつ』は「種の壁は越えられるか」ってことになるか(^.^)。 言葉は悪いが、桑田さんは根にすごく暗いものを持ってる人だと思う。ドラマは人と人との葛藤を描くものではあるが、それにしても現実に置き換えたら(意外に現実にありえないことではない設定の話も多い)、登場人物たちにのしかかってきた問題の重圧はハンパなものではない。たいていの人間は、あんな環境に置かれたら、それに耐え切れなくなって、心が壊れてしまうのではないか。 なのに、桑田さんのマンガのキャラクターはいつも前向きだ。御堂が新名をからかい、新名が御堂を拒絶し続ける様子ですら、「相容れない人間同士にも未来はある」と謳っているようである。 「世の中、ツライことばっかだけど、でも生きてて悪いってほどでもないよ」。 なんか言葉にはしてないけれど、そんな雰囲気が漂ってる感じがするのである。でもそれはこのマンガを最後まで読んでようやく、ああ、そうだったのか、と気付いたことなんだけどね。
桑田さんのマンガの中でもこれは最初にして最大のヒット作で、CDドラマ化もされた。タイトルは『おそろしくて聴けない』(脚本・さらだたまこ)。でも多分もう絶版になってるだろうなあ。 キャストは御堂維太郎に故・塩沢兼人、新名皐月に緑川光、御堂維積に宍戸留美、新名葉月にかないみかという布陣。塩沢さんはもう、御堂にピッタリとしか言いようがない好演だが、宍戸留美の二役ぶり(二重人格なのである)も意外にいい。ドラマ自体は、キャラクターの解説に留まっていて物足りない感が強いのが残念。
2002年10月01日(火) たかが賞金で金持ちにはなれない/アニメ『あずまんが大王』最終回/『西洋骨董洋菓子店』4巻(よしながふみ) 2001年10月01日(月) 貴公子の死/ドラマ『仮面ライダーアギトスペシャル』/『終着駅殺人事件』ほか 2000年10月01日(日) スランプと○○○の穴と香取慎吾と/映画『マルコヴィッチの穴』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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